リアは見ていた
「なんだ、領都のもんは虚族を見ることはないのか? 結界に守られたトレントフォースでさえ子どもには虚族を見せる機会があるのに」
一定のペースで虚族を狩りながら、キャロが護衛に聞く。
「街中まで虚族が侵入してくることはほとんどない。ましてや城勤めなら安全は保証されているものだからな」
「ふん、それは、危険だな」
「何がだ」
夜の初めでまだ虚族はそれほど多くない。それを見ながら護衛が不思議そうだ。
「虚族の危険をきちんと知らないと、守られるのを当たり前と思うようになるってことさ」
「民が安心して暮らす事の何が悪い?」
キャロは目の前の虚族を切り捨てると、ひょいっと下がって結界の中に戻ってきた。
「なあ、お前知ってるか。キングダムの四侯はさ、結界を張る仕事のために、王都を離れられないんだってさ」
「それが仕事だろう」
「まあな」
キャロは集まってきた虚族を油断なく見ている。
「でもさ、あんたたちの領都に結界を張るためにさ」
護衛は何を言うのだという目でキャロを見た。
「あんたたちの王子さんはもう、領都を出られなくなる。それを民が当たり前だって思うことが、俺は怖いって思うのさ」
護衛の人は、普段から王子の護衛についている人だ。だから王子のことは心から大切だと思っている。今回の町全体の結界の件は、まだ公にはされていない。だが、自分の守る王子が、その民を守る仕事で大きな役割を果たすことに誇りを持ちこそすれ、それが王子の行動を狭めるものだとは思いもしなかった。
護衛にとって、思いがけず触れることになった虚族とハンター。珍しく幼児をかわいがっている王子。この旅には意外なことがたくさんあった。しかし今は護衛が優先だ。面倒なことは後で考えようと、護衛は気を引き締め直していた。
「リーリア様、あんな恐ろしいものをのぞいていないで、安全な中に入りましょう」
「あい」
そんな一部始終をドアの陰からこっそりと見ていた私は、後ろで見守っていたドリーについに注意されてしまった。
とことこと部屋の真ん中に戻る。みんなが交代で眠るので、毛布がそこここに敷かれていて、私の場所はドリーと一緒に真ん中だ。そしてアリスターの結界箱が、私の枕元に置かれている。先ほどみんなで結界箱の使い方を復習したばかりで、万が一入り口を突破されるようならすぐに使うようにというお達しだった。
その責任はドリーが持つ。危険だと思ったらすぐに結界箱を発動するようにと言われていた。
携帯用の明かりを周囲を照らすために取られているので、小屋の中は備え付けの小さな明かりの光だけだ。私たち非戦闘員だけでなく、護衛もバートたちも半分は小屋の中にいて休んでいる。
「もう、ねりゅ」
「リーリア様、お利口ですね。私たちは邪魔にならぬよう休んでおきましょう」
ドリーはそう言って毛布に横たわる私のそばについていてくれた。
「どりーは?」
「明日、かごの中でいくらでも眠れますからね。心配せずにおやすみくださいませ」
「あい、おやしゅみ」
こんな緊迫した雰囲気の中でよく眠れるなあという声が聞こえてきたが、私は言いたい。
だからこそこれまで生き延びてきたのだと。起きていても何の戦力にもならない者は邪魔にならないよう体力を蓄えておくべきなのだ。そうしてさっさと眠ってしまった。寝る前に聞いたのは、
「いい子です」
というドリーの優しい声だった。
どのくらい眠ったのだろうか。おそらく大きい物音で目が覚めたのだろう。私は朝はすっきりと目が覚めるタイプだ。だからあせって飛び起きたりせずに、寝転がったまま気配に耳を研ぎ澄ませる。
「結界箱が、三つだと!」
という護衛の声。入り口付近からの激しい何かがぶつかり合う音。そして。
どーん! という大きい音が壁側からした。みしみしと小屋が揺れる。
やはり来た。
「わあっ」
小屋の中の人たちが驚いて声を上げる。護衛は全員外に出ているようだ。私はゆっくり体を起こすと、大きな音のしたほうを呆然と見ているドリーに小さく声をかけた。
「どりー」
「り、リーリア様」
「あい。どりー」
「どうしましょう、どうしましょう」
「どりー!」
「はい!」
うろたえているドリーに思わず声が大きくなった。
「ここに、みんな、あちゅめて」
「え、はい?」
「けっかい。ちゅかう」
「そんな」
「ちゅかっていい。へりゃない」
「でも」
どーん、みしみし、と言う音と共に、バキッと言う木の割れる音がした。
ドリーを待っていては間に合わない。私はちゃんと座り直すと、いつも寝るときは隣に置いてあるラグ竜のポシェットを肩から掛けた。そして、傍らの結界箱をつかんで腿の上に置き、そうして大きく息を吸い込んだ。
「あちゅまれ!」
幼児の高い声は響く、みんな一斉にこちらに振り向いた。私は結界箱を掲げて見せた。
「けっかい、ちゅかう。あちゅまれ!」
一瞬動きが止まった後、皆集まってきた。
バキバキという音とともに、壁に穴が開いた。
「ひっ」
誰かが息をのむ。
「けっかい、しゅる」
私はかちりと結界箱のスイッチを回した。キーンと、空気が変わっていく。結界どうしは打ち消し合わない。ドアの外のみんなにも迷惑は掛からないはずだ。
その間にも、あっという間に壁は壊され、入ってきたのは虚族ではなく、武装してはいたものの普通の人間だった。ただし、結界に包まれている。つまり、男の後ろに結界箱を持っている人が控えているということだ。
「ひゅー!」
私は男が何かを言う前に大きな声を上げた。先手必勝だ。
「ひゅー!」
「黙れ!」
私は黙り込んだ。しかし、声は届いている。
「リア様? 小屋が破られた?」
私の声を聞き取った護衛の声がする。
「いくら声が届いても、あちらにはだいぶ人数を割いてある。助けには来ない」
男は取り巻きを一人従えてそう言った。
「さあ、娘を寄こせ」