不思議な関係
それからハンナが私から目を離すことは極端に減り、部屋を抜け出す機会もなかったが、ある夜、気が付くとドアが開いていた。セバスかな、最近こっそりしなくてよくなったから、昼に来るようになったんだけどな、と思うが誰も入ってこない。
閉まってなくて、風で開いたかな? それなら今が抜け出すチャンス。私はベッドから急いで降りて、ドアからするりと抜け出した。夜の誰もいない廊下も、これはまたこれでいい。
「来たな」
うわっ! 私は驚いて飛び跳ねるところだった。ドアの外にいたのはお父様だった。
「お前は抜け出したそうだったから、こうしてドアを開けておけば出てくるに違いないと、あ、こら、待て!」
お父様がとうとうと何かを言っていたようだが、そんな娘を罠にかけるような自慢話など聞く必要はない。会いたければ部屋に入ってくればいいのだから。
私はお父様を無視してハイハイを始めた。目指すのは階段だ。今日こそ階段を下りるのだ。部屋暮らしにはもう飽き飽きしていた。
「どこに行くのだ。そもそも部屋を抜け出して何がしたいのだ」
探検ですよ、探検。私は知らんぷりをしてハイハイを続ける。
「どうしてお前は私を無視するのだ」
私は思わずハイハイをやめた。どうして私を無視するのかって?
「だ、だーい」
「な、なんだ」
無視されるのが嫌なら、なんで私を無視したの? 無視してたのに、なんで今私をかまうの?
「だい、あぎゃ、と、でーう」
「何を言っているんだ」
立ったまま私を見下ろすお父様に、私は無性にイライラした。赤ちゃんなんだから! 頑張ってわかろうとするのは大人であるべきでしょ!
私はお父様の足につかまった。お父様は一瞬ひるんだが、自分が動いたら私が怪我をすることくらいわかったらしく、困惑したまま黙っている。つかまって、立ち上がる。お父様は目を見開いた。
「立てる、のか」
立てますとも。もうだいぶ前からね。ふむ。人の足というのはつかまり立ちするのになかなかいいものだ。私はいら立ちをお父様の足にぶつけた。
ぺちぺち、ぺちぺち。
「なんで叩く。お前はほんとにいったい何がしたいんだ」
何がしたいのかわからないのはあなたでしょう、お父様。しかし、ぺちぺちするために足から手を離していたら、フラッとよろめいた。
「危ない!」
とっさにお父様の手が出た。私を抱え上げる。
「お前はほんとに、何をするかわからない、いいか、赤子というのはおとなしく……」
「あーい」
面目ない。しかし、お父様もか。脇の下を両手で支えて私を目の前に掲げているだけだから、足がぶらぶらして心もとない。
「えーう」
私は足をぶらぶらさせた。あ、面白い。
「あーう」
ぶらぶらする。何となくおかしくて、きゃきゃと笑った。
「お前」
あ、お父様に捕獲され中だった。
「確かセバスはこうやって」
お父様はぎこちなく私を引き寄せ、抱っこした。
「だう」
素晴らしい。初心者にしてはよい抱き方です。私はお父様の胸に頭を預け、機嫌よく手を振った。
「合格か」
「だう」
「階段の下に行きたいのか」
「あーい」
そうしていつの間にか私が寝てしまうまで、お父様は歩き回ってくれたらしい。
「最近、リーリア様が朝なかなか起きなくて」
ハンナがセバスにそうこぼしている。セバスは訳知り顔で私を見ながら、
「そういう時期もあるでしょう。多分そのうちちゃんと起きるようになりますから、大丈夫ですよ」
と言っている。
何に味を占めたのか、お父様は毎日のようにやってくるようになった。そしてなぜか部屋には入らず、ドアを開けて私が出てくるのを待っている。そして私がひとしきり這いまわって疲れたころに、そっと抱き上げて屋敷をうろうろ歩き回る。
それだけの関係なのだが。なぜ昼間に来ないのか。不思議だ。
そして週末になると兄さまが帰ってくる。
「週末しか一緒にいられないのだから、リーリアは私のベッドで寝かせる」
「ルーク様のベッドは高いので、リーリア様には危ないのですよ」
「では私がここのソファで寝る」
「それではお体が休まりません」
なぜか兄の愛も増量中だ。
「ルークが帰っていると聞いたが」
「お父様」
「そろそろ魔力循環の訓練が始まったはずだが、調子はどうだ?」
お父様が珍しく昼に顔を出した。部屋に緊張が走り、兄様は膝に抱いている私を守るようにぎゅっと抱きしめた。大丈夫、お父様とは仲良くなったから。微妙に。たぶん。私は兄さまの膝をぺちぺちと叩いた。
それを見てお父様が顔をしかめた。
「まあいい、また後で食事の時に聞こう」
「はい」
兄さまはそう返事をすると私をまたぎゅっと抱きしめた。お父様もよくわからない人だが、兄さまとお父様の関係もよくわからない。家にいるときはともに食事はしているようだが、仲が良いようにも見えないし。しかし今、私はとんでもない事を聞いた。
「ねーい、だう、にょ、えーう?」
魔力循環って何? この世界、魔力があるの?
「大丈夫だ、リア、お父様が冷たくても、兄さまが守るからね」
「だーい、とー、にーに」
いや、もう冷たくないからね、だから魔力循環は? 頭でわかっていても体も口もまだちゃんと動かない。もどかしい限りである。その時、セバスが目配せしてきた。私に任せなさいって? 何がだろう。
「リア」
いつの間にかリアと呼ばれている私は、あきらめて兄さまが抱きしめるに任せたのだった。
その夜、またドアがギーっと開いた。お父様だ。私は赤ちゃんとしてできるだけ素早く動き、ドアからはい出した。
いた。お父様だ。しかし、ここで手を出さないのがお父様クオリティである。私は広い廊下を自分で動きたいのである。高速で階段までハイハイする赤ちゃんを、無表情に見つめている男、それが私の父親である。そして今私は最近階段に挑戦している。足から一歩一歩順番に降りていく。疲れるとお父様が抱っこして散歩になる。それがこのところの私たちの習慣だ。
今夜も私が階段の途中で疲れて抱っこしたところに、
「お父様」
階段の下から声がかかった。兄さまだ!
「にーに!」
私は喜んで手を伸ばそうとしたが、お父様がしっかり抱きかかえている。
「リア、お父様、こんな時間に何を?」
6日は、「聖女二人の異世界ぶらり旅」を更新するので「転生幼女」は1日お休みして、7日に再開です!