緑の草原
竜に乗っているだけの移動の日々は、退屈かと思っていたが、案外そうでもなかった。ずっとお屋敷の部屋と庭だけを往復していた私には、春の日々緑を濃くしていく草原や森は魅力的に映った。
しかし、そもそも三週間もかかるトレントフォースからこの男たちは、何をしに国境の町まで来ていたのか。
その国境の町からの帰り道、ウォルソール山脈沿いにラグ竜を走らせ、一泊した次の日に私たちに出会ったということは伝わった。
「魔石を売りにさあ」
ミルがそう教えてくれた。私とミルとは、お互いに本当に伝えたい事は何一つ伝わらないのだが、ミルが割とおしゃべりなせいで、いろいろな知識が頭に入ってくる。そもそもに昼に虚族が出てくることはほとんどないので、移動の間は退屈なんだそうだ。
「話し相手ができてよかったよ」
「あい」
そうして私のラグ竜の横に自分のラグ竜を並べて、思いつくままにいろいろ話してくれる。時々相槌を打てばさらにいいらしい。では私を拾ったはずのアリスターはどうしているのか。
基本的に先頭を行くバートにぴったりとついて、何も言われなくてもバートの見る方向を見て、移動の時注意すべきことや目印となる山の特徴などを学んでいるようだ。キャロとクライドも隊列を維持しながらも、横に注意したり後ろに注意したりと、油断なく走っているように見える。
「みりゅ、ありしゅた、いいの?」
ミルはアリスターのようにしなくていいのかと聞いたつもりだった。
「ああ、アリスターか。アリスターはいいやつだぞ。おっかさんのノーラが死んじまって、去年から一人きりなんだが、しっかり自分で働いて自分を養ってる」
そんな重い事情を聞いたんじゃないのに。
「みりゅ、みはり、いいの?」
これで通じるだろう。
「見張り? 他の奴がやってるのに、俺までやる必要ないよな」
これは通じたが、どうやらミルはちょっと残念な感じがする。
「普段はトレントフォースを拠点にして北と南にしか行かないから、こんな遠出をするとわくわくする」
「そうでしゅか」
でも、わくわくどころか昨日は命の危機だったと思うのだが。
「せっかく結界箱があるから、無茶しようぜってことになって、わざわざ山脈沿いでキャンプしてたんだけど、本当に危なかったな。ははっ」
「わらいごと、にゃい」
ミルが楽しそうに笑い転げているので、アリスターがちらりとこっちを見た。
「でもたいていは町の宿屋に泊まるんだぜ。少なくとも、国境の町ケアリーに行くまではそうだったんだ」
「そうでしゅか。まち、きょぞく、でにゃい?」
夜になったらどこにでも出るのではないのだろうか。
「町の建物の出入り口や窓には、虚族が嫌がるローダライトがはめ込まれてるからな。町にも虚族は出るんだが、家の中までは入ってこないことが多い」
「そうなんでしゅか」
私がまじめな顔をして頷くと、ミルは満足そうにニコニコしている。と、そろそろ昼の時間だろうか。バートが竜の速度を落とし始めた。
「お、ちょっと昼には早いな。どうかしたか」
竜が完全に止まると、ミルが竜を降りてそう言った。
「お前。朝話しただろ。ここでいったん二手に分かれて、キャロとクライドが町で買い出し。俺たち四人は町の外で待つって。昼も町で買ってきてもらうから、今日は楽だよなってお前自分で言ってたろ」
「そうだった」
ミルは忘れていたよと頭をかいた。その間にも、アリスターはてきぱきと私のかごを開けて、帯を外し、私を竜から抱え降ろしている。
「長い間走ってたけど、大丈夫か」
「あい」
そう言うと私の体を上から下まで慎重にぱんぱんと叩いてみている。
「にゃに?」
「いや、ちゃんと動くかと思って」
「たたいてもわからにゃい」
「そ、そうか」
私はすたすたと歩いて、手を振り回して見せた。それを見てバートが頷いた。
「ちゃんとよちよち歩けてるな。大丈夫そうだ」
私はバートをきっとにらんだ。
「な、なんだ」
「よちよちしてにゃい」
「お、おお。すたすた。そう、すたすた歩いてたぞ」
「あい」
それでいい。アリスターは何やら口元を押さえてブルブルしているが、何を遠慮しているのか。
「わりゃえば」
「く、ははっ。ちび、お前、全然子どもっぽくねえ。めちゃくちゃおかしいぜ」
「りあでしゅ」
「そ、そういうとこ。リ、リア、ははっ」
やれやれ。私は腕組みをした。しかし胸の前に腕が交差しただけだった。
「ぐほっ」
あーあー、笑えばいいんです。
「と、ところでよ、お前、リア、着替えを買ってこなければならないんだが」
「たしゅかる」
笑いが収まったところでキャロがそう言いだした。もう一週間くらい着た切りなのではないだろうか。途中で熱も出て汗まみれだし、ものすごい不潔である。
「何を買ってきたらいいんだ」
「しょれ、キャロ」
私はため息をついた。キャロよ、それを一歳児に聞くのか。
「キャロ、リアは多分一歳ちょっと?」
アリスターが私に確認するように振り向いた。私は頷いた。当然のように私に確認したけど、赤ちゃんは一歳とか多分普通はわからないからね。
「一歳の子供用だけどこの先も着られるように大きめのものを、上着はあるから、肌着から服まで二組、できれば古着で買ってきてほしい」
「おう、わかった。あとさ、ガラガラとかいるか?」
ガラガラ! いまさら?
「いや、リアにはどう考えてもいらないと思う。案外本のほうがよかったり……本?」
本はいいなあと言う顔をしたら、冗談だったらしく、アリスターが微妙な顔をした。
「いや、本当の貴族はリアのようなのかもしれない。俺たちの常識が間違ってるんだ、きっと」
ぶつぶつ言っているが、たぶんそっちの方が勘違いなのである。
「何か食べやすいものを。こいつ食いしんぼのような気がするから」
「わかった」
「それから」
アリスターの言葉にかぶせるようにバートが言った。
「大丈夫だと思うが、俺たち一行に赤んぼがいると悟られるようなことは言うなよ。家族か親戚へのおみやげを買うような感じでな」
「わかってるって。ミルでもあるまいし」
そう言い返すと、キャロとクライドはひらりと竜に乗って、かすかに見える町のほうへと走っていった。
「さ、俺たちは少し休むかあ」
バートが伸びをした。しかし、伸びをしている場合ではない。いや、バートは伸びをしていてもいいのだけれど。
「ありしゅた」
「なんだ、リア」
返事をしたものの、アリスターは少し離れたところにいて、何かを摘むと戻ってきた。
「リア、ほら」
「にゃに?」
アリスターは何かの太い草の茎を差し出すと手のひらの長さにちぎり取り、ふーっと息を吹き込んだ。
「プー」
「わあ」
「プー、プー」
「おとがしゅる!」
「面白いだろ」
そうしてその茎を渡してくれた。私は息を吹き込んでみる。ふー。鳴らない。
「もっと思いっきり」
「あい」
息を吸い込んで、
「プー」
鳴った!
「な、面白いだろ」
「あい!」
違う違う、それはそれとして。私はその茎を大事にポンチョのポケットに差し込んだ。
「どうした? また作ってやるからしまわなくていいんだぞ」
優しさにほっこりするが、そうじゃなくて。
「ありしゅた、まりょく、れんしゅう、する」
「まりょく? れんしゅう?」
「あい」
アリスターには、ちゃんと魔力の訓練をしてもらわなければならない。兄さまと同じ力があって、それを使わなければならないのなら、命大事に。これは譲れないのである。