第31話 鍛錬/跪拝
今日の先生は、何も持たずに私の打ち込みを避け続けている。『反撃あり』ということだが、先生は一時間ほど経っても一回も攻撃してこない。
「ふっ、はっ、たぁっ!」
「まだこれほどの突きを繰り出せるか。持久力はもう十分と言っていいな」
「一時間も戦うことって、そうそう無いと思うんですけど……っ!」
魔法もありということで、剣に風をまとわせて斬撃を飛ばす――先生の正中線を狙ったその一撃は、見事に先生を一刀両断――にするはずもなく。
「ちょっ、ズル……!」
「人聞きの悪い。せっかく火の魔法が使えるようになったので、『影楼』を見せてやったのだぞ」
斬撃を受けた先生が二つに分かれたように見えたが、その二つのうち一つだけが本体で――やられた、と思ったときには。
先生の繰り出した掌打は、寸止めされている。当たっていないのに、身体から力が抜けて、その場に膝をついてしまう。
「あ、れ……?」
「女の子相手でも容赦がないね、ムラク。顔が良くてもそれじゃモテないよ」
「容赦ならしすぎるほどにしておるが……女性に対する関心は、今に至るまでにほとんど薄れたのでな」
(雑談するくらい余裕ですか……悔しいけど、これって新しい技を見せてくれたのかな?)
先生が近づいてきて、私の額に手をかざす――それだけで身体が動くようになって、立ち上がることができた。
「今の技は『遠当て』という。剣を使っても放つことはできるが、兵法とは剣の技のみに限らない。有効であれば叩きもするし、蹴りもする」
「『遠当て』ができると、私でも素手で有効打を与えられるってことですね」
「それに限らず、『遠当て』を鍛錬していくと間合いが伸びる。相手の間合いの外から攻撃できることは大きな利となるのでな」
「なるほど、『遠当て』……ムラクとは違う方法だけど、私も間合いを誤認させるということはしていたなあ。こんなふうにね」
「わっ……腕がゆらゆらして……」
シルキアさんが腕を振ってみせると鞭のようにしなる――その動きも蛇を思わせるものがある。
「妖しげな動きだが、鍛錬していなければその動きはできないな。身体も常人より柔らかくなくてはならん」
「まあこの領域……ムラクが言うところの心界か。この中でイメージが上手くできていれば身体はいくらでも柔らかくなるけどね」
そう言いながら、シルキアさんはぺたっと地面に座って足を左右に開く――恐るべき柔軟性だ。私が同じことをやろうとしてもそうはいかない。
「せっかくだから、ムラクの技と私の技を両方覚えてみるのはどうかな? もちろん、先に教えていたムラクの方針次第だけどね」
「それは構わないが、お主の剣が儂より上でなければ意味は薄いのではないか?」
「言ってくれるじゃないの……って、じゃれてる場合じゃないね。ずっと剣の中で見ていたけど、アシュリナには私の力が必要になるんじゃないのかな」
「それは……ヒュプノスの熟練度を上げたら、周囲の認識を変えたりできるってことですよね」
先生が目を見開く――そんなことができるのか、という顔だ。シルキアさんはそれを見てしてやったりという顔をする。
「最初の技は相手の意識を奪うこと。次の技は催眠……その次の段階は、アシュリナの言った通り……って。あれ? なんで知ってるの?」
「アシュリナは前世で『ゲーマー』というものだったそうだ。その頃に得た知識が、この世界にも通じている」
「ええと、かくかくしかじかで……」
こうやって説明するのは二度目だ――こうして話していて分かったが、無楽先生と違って、シルキアさんには私の思考は伝わっていないようだ。
「へぇ……どうしてそんなことになってるのか分からないけど、とにかく私を含めた神器のことには詳しいっていうことだね……それにしても……」
「すみません、自分でも突飛なことを言ってるなって思いますし……」
「いや、ちゃんと信じてるよ。アシュリナの……主様の言うことだからね」
シルキアさんが自分から呼び方を変えてしまった――『主』と言われると、何か嬉しいような恥ずかしいような、落ち着かない気分だ。
「ヒュプノスがそのような術を使えるようになるなら、しばらくはヒュプノスを主な武器とする方が良いか」
「ムラクの流派は二つの剣を使うんだから、それは問題ないさ。さっき十字に交差されたときは、この私をそんなふうに使うなんてとちょっと物申したかったんだけどね。こうして話してみてムラクの人となりは分かったし、今後も二刀流で使ってくれていいよ」
「儂の力も必要にはなるだろうから、それで問題ないか」
神器には化身が宿っているわけなので、扱いには注意しなければならない――それは肝に銘じておくとして。
「先生、そろそろ現世に戻ります。次は『遠当て』のコツを教えてくださいね」
「ああ。これまで通り、鍛錬を重ねる他にはないがな」
「また近いうちにね、主様。ただ、ムラクの心界と繋がっているときでないと私はここには来れないみたいだね」
「そうなんですね……やっぱり先生のおかげですね、こうやって仲間が増えたのも」
「仲間というには、面妖な力を持つ剣だとは思っていたがな」
「ムラクの図抜けた強さの方が、私にしてみればよっぽど面妖だよ」
二人だけにすると、そのうち喧嘩を始めそうな危うさはあるが――神器を並べて置いておくだけでは二人の心界は繋がらないようなので、それはそれで良かったかもしれない。
◆◇◆
瞑想を解くと、朝日がさっきより高い位置に昇っている。窓に近づいて見てみると、街道を二頭の馬が走ってくるのが見える――フィリス様とレイスさんだ。
迎えに行こうと部屋の外に出て、玄関ホールに降りようとする。そこで、彼が待っていた。
「……ミュルツァー様」
病床にいた彼が起きてきている。彼は私が階段を降りるまで待っていた――そして、片膝を突いて頭を垂れる。
「っ……駄目です、それはいけません。領主様ともあろう方がそこまでされては……っ」
「エリックから話は聞きました。フィリスとレイス殿と共に、貴女が薬を探してきてくれたのですね……それも、たった一日のうちに」
場所を知っていたからできたことだが、ミュルツァー様やエリック様たちから見ると、物凄く難しいことをやってしまったように見えるのかもしれない。
(屋敷の人たちがみんな跪いてるんですが……やっぱりこっそり屋敷から出てフィリス様たちを迎えに行くべきだった……!)
「昔は効く薬があったという記録はあっても、薬の材料の在り処が失われていてどうにもならなかった。私の運命はここで終わるものだと思っていた……今でも夢を見ているようです。目が覚めたときに、息をするたびに走っていた痛みが消えていたのですから」
「……良かった。やっぱりそんなに苦しい思いをして、領地の人たちのために頑張っていたんですね」
「自分の命が尽きるまで抗い続ける、そう思っていました。ですがまだ生きられると分かった途端に、今後の領地のことを考え始めている……現金なものです」
「そうですね……これからが大変になると思いますから。私もできる限りのお力添えを……」
――その時、玄関ホールの扉が開いた。
ミュルツァー様は立ち上がり、入ってきたフィリス様と向き合う。
「父上……届けられた、『雪白の花』は……」
「ああ、驚くほど良く効いたよ。今まで苦労をかけて済まなかったな、フィリス」
「……苦労なんて、していません。私は、父上が無事でいてくれたら、それだけで……」
フィリス様の頬に涙が伝う。後からやってきたレイスさんは目立たないところで見ていたが、仮面の目のところを抑えるような仕草をしていた――貰い泣きだろうか。
エリック様はホールの端にいて、後ろを向いている。私は彼に近づいて袖を引く――すると彼は気丈なことに泣いたりはしておらず、私に笑いかけるとミュルツァー様のところに向かう。
「父上、ご恢復の兆しが見えて何よりです。まだ俺に家督を譲るには早いようですね」
「もうしばらくは当主を続けさせてもらうよ。二人が大人になるまではね」
(これでミュルツァー様のお身体は回復していく……それで、ここからどう変わる?)
陰謀を阻止されたヴァンデル伯がどう出るか。フォルラント王国が今回のことに干渉してくる可能性もあるか――懸念はまだ完全に消えてはいない。それでも今は、大切に思う人たちが笑っている姿をただ見ていたかった。