第20話 尋問
(ふぅ……湯船に浸かると疲労が溶けるな)
フォルラントの王宮も、こちらのお屋敷も浴室の内装こそかなり違うが、快適であるということは共通している。
「フィリスのお家のお風呂は、いつもいい香りがしますわね。うちでは香を炊いたりはしないので新鮮な気分ですわ」
「シャノワール家で昔働いてくれていた侍女長が持ち込んだ習慣なのだ。その……なんというか、香は入浴時の気分転換だけでなく、他のことに用いることもあるそうだが」
「まあ……そんなふうに思わせぶりにされては、そちらの方の香にも興味を持ってしまいますわね」
(お二人とも、そういう話をするには早いのではないかと……)
フィリス様はぼかしているが、その様子からして媚薬的な香があるということだろうか。それをなぜ侍女長が持ち込んだのか――と、そういえば。
この屋敷に来てから、フィリス様の母君の姿を見ていない。
「あの……フィリス様のお父上にはお会いできましたが、母上様は……」
「そういえば話していなかったか。母はグラスベルの外交を担っていて、今は他の市に出向いている。近日戻るとは聞いているが、私がここにいるうちに会えるかはわからないな」
「あの方のことですから、あなたたち兄妹が戻ってくるなら飛んで帰ってきそうなものですけれど」
「それよりも、父のことだ。父を守る第一の護衛は自分だ、と言うような母なのでな。今の状況は、私たちより何倍も歯がゆいだろう」
フィリス様の母君が、出向いた先で夫の病気を治す手がかりを探しているとしたら――やはり、明日にでも行動を起こすべきだろう。
「……では、そろそろ上がるか。アシュリナ様は全然平気そうだな、私は少しのぼせそうだ」
「そんなことないですよ、私もだいぶぼーっとしてます。あの、冷たい水を浴びてもいいですか?」
「そ、それはもしや、アシュリナ様独自の修行か何かですの? フィリス、私たちも倣いましょう」
「え、えっと……私はその、滝を浴びるようなことをして慣れているので。真似したら風邪を引いちゃうので、駄目です」
「滝を浴びる修行……それをできるようになるまでは待たねばならないか。いや、まずアシュリナ様の許しを得て、先生になってもらわなくてはな」
二人が湯船から出ていく。後から出た私は、脱衣所に行かずにこちらを見ている二人に、見ていてはいけないというように指でバツを作った。
◆◇◆
食事のあと、私はエリック様に呼ばれて、屋敷の庭から地下牢に降りた。
地下にはひんやりとした空気が流れている。明かりは先導する兵が持っているランタンで、ゆらゆらと視界が揺らめいている。
通路をしばらく進んでいくと、鉄格子が見えた――その中には、捕縛された兵たちがいる。
屋敷の守備兵が鉄格子を開け、グラスベル公とエリック様が中に入っていく。私も立ち会うことを許された――万が一のためにということで、武器を持ち込ませてもらっている。
「……君たちは二手に分かれ、一方は陽動に動き、私の屋敷を襲撃した。目的は輸送中の食糧を奪うこと、そして私を殺すこと。それが失敗した今、どう思っているのか聞かせてくれ」
静かな口調だが、見ているだけでもぞくりとするものがあった――ここで賊が選択を間違えば、即座に処刑されるだろうと思える。
穏やかな人物というのは私が一面を見ただけで、グラスベル公は領民の思いを背負っている。散発する略奪行為にどれほど憤っていたか、察するに余りあった。
「……とても残念だ。邪魔さえ入らなければ、全て上手く行っていた。とでも言えばいいのか? 余命いくばくもない領主よ」
「っ……父上を愚弄するならば……っ」
「上手く行くというのは、グラスベルを君たちの雇い主に渡す算段のことか」
「そうだと言ったら……がっ!」
グラスベル公が自ら、男の頬を張った。動きかけたエリック様も目を見開いている。
「……そこまで察しているのなら、俺が口を割らんことも分かるだろう」
(この男、黒馬に乗っていた剣士だな……指揮する人間が陽動を担ったのか。グラスベル公を甘く見すぎたな)
「君たちを移送するまで日数を置く。食糧を奪おうとした君たちには同じだけ飢えてもらう。殺しはしないがね」
男は血混じりの唾を吐きかけようとする――だがグラスベル公はそれを察し、もう一度頬を張った。
「あ……が……」
「子供らを、食糧を運んでくれた貴い意志を持つ人々を、お前たちは手にかけようとした……想像するだけで腸が煮える」
(……私も同じ気持ちだけど、一番賊にとって避けたいことは、情報を漏らすことだろうからな。殺されないとタカをくくってもいる)
「……今日はここまでだ。外に出よう」
「あの、少しだけ時間をもらってもいいでしょうか」
「……それは……」
グラスベル公が私を見る。何をするつもりかと目が言っているが、彼はそれを言葉にはしなかった。
「……危険なことはしないように。それは、約束してくれ」
敵の前で私の素性がわからないように、グラスベル公は口調に配慮してくれている。そして、彼らは私を残して牢の外に出た。
「こんな子供に尋問官の真似事をさせるとは、グラスベル公の名も地に――」
「饒舌ですね。そのままの勢いで、あなた方が隠していることを全部話してくれませんか」
「っ……クッ……ハハハッ、これは傑作だ。お前たちも聞いたか? この娘が俺に口を割らせるそうだぞ」
(みんなまだ気絶してるけど……そういう態度なら遠慮はいらないな)
私が持ってきたのは木刀だけではない。『妖剣ヒュプノス』も持ち込んでいる。
すらりと鞘から引き抜くと、刀身がランタンの明かりを照り返す――男はそれでも表情を変えない。
「俺の首を落とすつもりか? お前に斬れるのか、その剣で」
そんな必要はない。私はヒュプノスの柄を握って感触を確かめたあと――魔力を剣に行き渡らせた。
「……なんだ……その、音……」
妖剣ヒュプノスは初期状態で『星2』の神器だ。私の木刀のように時間をかけて熟練度を上げ、力を引き出していく神器のほうが例外で、ヒュプノスは初めから能力の二つ目まで解放されている。
(その能力は……『剣が発する音色で、相手を催眠状態にする』なんだよな)
ヒュプノスが持つ二つ目の音色は、剣を振らない状態で出せる。催眠には成功率があって、相手の実力が高ければ効きにくくなるが――今回は、成功を引けたようだ。
「あなたはこれから、こちらの質問に答えていきます。それは悪いことではありません。いいですね?」
「……質問に……答える……」
私は明かりのランタンを持っている兵士を手招きし、グラスベル公とエリック様を呼んでもらう。催眠にかかった男を見ていると、ヒュプノスの能力をゼフェンが一部しか知らなくて良かった――そう心から思った。