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「何と言った?」


 扉に背を向け、エリオットを真っ直ぐに見据えたルバートは冷ややかに問いかけた。

 しかし、エリオットは気にした様子もなく、素直に繰り返す。


「ですから、ローズ妃の代わりは他にもいらっしゃるでしょう? 陛下がそれほどに御心を砕かれる必要はないのでは?」

「本気で言っているのか?」


 感情のうかがえない低い声が、逆にルバートの怒りを伝えている。

 それでもエリオットは軽い調子で肩をすくめた。


「所詮は条件でお選びになった方ではないですか。王子殿下がお生まれになった今、条件は満たされ何も問題はないはずです。それともローズ妃でなければならない理由でもあるのですか? 今までお力を使われることのなかった陛下が、そこまでしてローズ妃を助けようとなされる理由が?」


 問い返されて、ルバートは一瞬言葉に詰まった。

 理由など必要ないはずなのに、求められると困惑してしまう。

 それでも考え、ため息混じりに答える。


「王子には母親が必要だ。まだ手があるのなら、出来る限り力を尽くしたいと思うものだろう? しかもロザーリエは、一度も息子を抱いていないんだ」

「……確かに、おっしゃる通りですね。差し出がましいことを申しました。私も動転しておりましたゆえ、どうかお許し下さい」


 ルバートの言葉に頷いて、エリオットは深々と頭を下げた。

 そして、そのまま続ける。


「お引き止めしてしまい、大変申し訳ございませんでした。どうか王妃様を励まして差し上げて下さい。あの世の神の誘惑に、王妃様が負けてしまわれないように」


 顔を上げたエリオットは、もう笑っていなかった。

 そんな彼をルバートは目を細めて見ていたが、結局何も言わずに踵を返した。



 * * *



 誰かが泣いている。

 白い靄の中をローズは彷徨いながら、泣き声のする方へと歩いて行った。

 そして見つけた小さな背中。

 膝を抱えて座り込んでいるのは幼い少女だった。


「どうしたの?」


 優しく訊ねたローズは、振り向いた少女の顔を目にしてはっと息をのんだ。

 そこにいたのは幼い頃の、母を亡くして泣いていた自分だった。

 あの時の孤独な思いが一気に蘇る。

 どうして自分も連れて行ってくれないのかと嘆き悲しんだこと。

 込み上げる思いを押し戻すように何度か瞬くと、不思議なことに目の前から幼かった自分は消えていた。

 そして――。


「……お母様?」


 恐る恐る声をかけると、ローズの母は温かく微笑んだ。

 その懐かしい笑みに胸がいっぱいになる。

 ローズも微笑んで一歩前へ近づくと、母は一歩後ろへ下がってしまった。

 もう一歩前へ進み出ると、もっと後ろへ遠ざかる。


「お母様?」


 ローズの顔から笑みが消え、不安に滲んだ声で呼びかけた時には、母はもうずっと遠くへ行っていた。


「お母様! わたしを置いて行かないで!」


 大声で呼びかけ、走って追いかけても、母の姿はどんどん小さくなっていく。

 ただローズに向かって手を振るだけ。


「待って! わたしも連れて行って!」


 また一人にしないでほしい。

 その思いから必死に走った。

 それなのに走っても走っても、母に追いつくことが出来ない。

 どれだけの時間が過ぎたのかわからなくなるまで、ローズは息を切らして必死に走った。

 だけどもう前に進めない。

 疲れ果て諦めて立ち止ったローズは、自分を見下ろして驚いた。

 小さな手に、小さな足。

 そうだ、自分は子供なのだと納得して、それならきっと母が迎えに来てくれると、その場に座り込んだ。

 ここから動かなければいいのだと。

 しかし――。


「ロザーリエ、戻って来てくれ」


 膝を抱えて母の迎えをじっと待っていたローズの耳に届いたのは、かなり切実な、それでいて温かく柔らかな低い声。

 今まで母以外に、ローズの本当の名をこんな風に優しく呼んでくれる人はいなかった。

 父ではない。ではいったい誰だろうと辺りを見回すが、やはり誰もいない。

 それでも何か大切なことを、大切な人を忘れているような気がして、ローズは立ち上がり、誰ともわからずその人を捜し始めた。

 恐る恐る前へ踏み出した足は、一歩一歩進むたびに確かなものになっていく。

 そして気がつけば、体は元の自分のものに戻っていた。

 肌荒れは綺麗になったものの農作業時に出来た傷がまだ残っている両手。

 最近では苦手な踵の高い靴を履かなくなった両足。


(そうだ、わたしは……)


 徐々に戻ってきた記憶の中に、さまざまな顔が思い浮かぶ。

 悲しかった別れ、苦しかった結婚、大切な人達。そして、愛する人、愛する我が子。



「……赤ちゃんは?」


 張り付いたような重たいまぶたを懸命に開き、ローズはぼんやりとした人影に問いかけた。――つもりだったが、喉も張り付いてしまったようでちゃんと声が出せない。

 それでも人影は、マリタは気付いたようだ。


「ローズ様! お目覚めに……よかっ……」


 ローズの枕元にすがりつき、マリタはむせび泣いた。

 その背後で安堵のため息が聞こえ、しわだらけの懐かしい顔が覗く。


「坊やはとっても元気さね。だから心配するこたあないさ。ほらほら、マリタ。あんたは泣いてないで、みんなに知らせてやりな。それと、坊やを連れておいで」


 老婆の言葉にマリタはハンカチで涙を拭きながら立ち上がり、寝室を急いで出ていく。

 ローズは赤ん坊が元気だと聞いて大きく安堵すると、改めて老婆――薬師のメドラルデに目を向けた。


「どうして……?」


 北の城にいるはずの彼女がなぜここにいるのか。

 赤ん坊の元気な産声は耳にしたが、それから自分がどうなったのか。

 わからないことばかりでローズの不安は募った。


「ちょっと血が流れ過ぎちまったんだよ。それであんたは十日ばかり寝込んじまったのさ」

「……十日?」

「そうさ。それで隼がマリタと王様からの手紙を携えて、あたしの所に飛んで来たのさ。ずいぶん人間に慣れた隼でね、あたしの調合した薬を持って飛んで帰ったよ。同時にあたしは馬に乗せられてこの城にやって来たんだ。馬も馬乗りも途中で何度も交代したのに、あたしはずっと乗りっぱなしで、尻が痛いやら、眠いやらで大変さ。――さあ、これを飲んで」


 メドラルデはしわがれた声でぶつぶつ言いながら、調合した薬をローズの口元に運んだ。

 反射的にローズは口を開けて飲むと、あまりに苦くて顔をしかめる。

 だが、この味はなんとなく覚えがあった。


「ああ、良い子だ。ちゃんとこぼさず全部飲んだね」


 くくくと笑いながらメドラルデはお椀を下げ、今度は水を飲ませてくれる。

 一口含む程度だったが、それだけでかなり気分は良くなった。


「あなたにもみんなにも、迷惑をかけてしまったのね……」

「なあにを言ってるかね。まったく、あんたは相変わらず馬鹿だねえ」


 落ち込むローズの肩をぽんぽんと慰めるように叩いて、メドラルデは笑った。

 そこへ扉が開き、ジェンが飛びこむように部屋へと入って来る。


「ローズ様!」


 目を覚ましたローズを目にして歓喜の声を上げたジェンに、メドラルデは眉間を寄せた。


「これ、大きな声を出すな」


 慌てて口を両手で押さえたジェンの後ろから、産婆のドリーが現れた。

 その腕には赤ん坊を抱いている。


「おめでとうございます、ローズ様。元気な王子殿下でございますよ。――少しばかり、お祝いの言葉が遅くなってしまいましたけどね」


 そう言ってローズの枕元に膝をついたドリーは、王子をそっとベッドに寝かせた。


「これこれ、無理に起き上がろうとするでない。横になってな」


 起き上がろうとしたものの力が入らないローズをたしなめて、メドラルデはローズの右手首を握って王子の頬に触れさせた。

 王子はとても小さく、とても柔らかい。

 すやすやと眠る王子を見つめるローズの目から、涙が一粒こぼれ落ちた。


「……あたたかいわ」


 確かな温もりに心からの安堵を感じて、ローズの体から力が抜けていく。

 もっと起きていたいのに、どうしてもまぶたが重い。

 王子の小さな小さな寝息を聞いているうちに、ローズもいつの間にかまた深い眠りに引き戻されていった。




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