88:辺境領主、反撃の準備をする
爽やかなはずの朝、もぞもぞと起き上がった私はゆっくりベッドから這い出す。
ナゼル様は仕事なのか、もう起きているみたいだった。
「うう、ナゼル様の体力オバケ」
あの日から、ほぼ毎晩のように彼に愛され、抱き潰される日々が続いている。
優しい顔をして容赦がないのよね、ナゼル様……
身支度を調えて、ケリーに化粧を施してもらう間、私は静かに椅子にもたれかかる。
なぜだか、ケリーの表情がいつもより険しい気がした。
彼女は無表情でいることが多いが、それとなく怒っているように感じられる。
「どうしたの、ケリー」
「アニエス様……申し訳ございません。私からはなんとも。このあとナゼルバート様からお聞きになってください」
「何かあったのね」
用意が終わると、私はまっすぐナゼル様の執務室を目指した。
私を発見した彼は、花がほころぶような微笑みを浮かべる。
「おはよう、アニエス」
「お、おはようございます、ナゼル様」
「こっちへ来て」
「は、はい……」
甘い呼び声につられるように、いそいそとナゼル様の机に向かうと、ひょいと抱き上げられて定位置に着席させられた。
横抱きでナゼル様の膝に置かれた私は、端正な彼の顔を見上げて首を傾げる。
「ナゼル様も怒っています? 今朝はケリーも様子が変だったのですが……」
「アニエスは、皆の様子をよく見ているね」
「ケリーに聞いたら、ナゼル様から話してもらうようにって」
「うん、話すよ。君にも関係があることだからね。でも、俺はアニエスを愛しているし、ここでの暮らしを捨てるつもりはないからね」
「ん?」
ナゼル様の言葉を聞いた私の心に、不穏な雲が立ちこめる。
そうして、ナゼル様は一枚の手紙を机に置いた。
「これは……?」
「読めないと思うけれど、ミーア殿下の直筆だよ」
「暗号ですか?」
「普通の文字だけれど俺にも読めなくて、ケリーに解読してもらったんだ」
王女殿下は悪筆みたいだ。
手紙によると、ミーア殿下は私とナゼル様の結婚を解消させ、ナゼル様を自分の伴侶として王都へ戻したい……と考えているようだった。
城で滞った業務全てをナゼル様に押しつけ、自分は愛人に格下げされるロビンと今まで通り遊びほうける計画らしい。
「……酷いです」
ナゼル様を、一体なんだと思っているのだろう。
彼は都合の良い道具ではなく、れっきとした感情のある人間なのに。
「もちろん、俺は王女の戯言を断る気でいるよ。ロビンの嫌がらせで辺境に迷惑をかけられるのもうんざりだし。そろそろ、一連の騒動に決着をつけようと思う」
「もしかして、王子殿下たちと協力して……?」
「ああ、彼らの悪事の証拠は揃った。こちらから王宮へ乗り込む。ちょうど、城で催しがあるみたいだからね?」
「催し?」
「うん、王女殿下の出産祝いパーティー」
「ええっ、この間出産されたばかりなのに、パーティーに参加して大丈夫なんですか!?」
「心配しなくても、パーティー自体は一ヶ月後だ。それに、ミーア殿下は育児をしていないよ。王族や貴族は皆そうだけれど、乳母がいるからね」
決戦は一ヶ月後。それまでにナゼル様たちは着々と準備を進めていくようだ。
「私もお手伝いしたいです。当日は私も一緒に行っていいですよね?」
「ありがとう。アニエスには不快な思いをさせてしまうかもしれないから、できれば領地にいて欲しいな」
「嫌です、ナゼル様と一緒に戦います。妻ですから」
ミーア殿下の提案は腹が立つし、王宮で嫌な思いをするかもしれないけれど、ナゼル様の傍にいたい。彼の力になりたい。
その後、粘りに粘った私は、ついに王都への同行を勝ち取ったのだった。