第四十三話「ゲリラ」
今回の投稿は某所で開催した引き籠もりヒーロー第2巻書籍化プロジェクトの「二ツ樹五輪 次回Web投稿作品選定コース(限定5名)」に支援頂いたみわさんへのリターンとなります。(*´∀`*)
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質屋が溢れてエラー出したり、ポケットワールドが本当にポケットサイズだったりと色々あったわけだが、そんな諸々の事情が重なって、とりあえず今週一杯……というか、九十九世界へ行くまでは大きな動きがない事が確定した。
極寒地獄が続くだろう第十一層以降に対応するだけの装備が足りないから< 修練の門 >を進む事は不可能に近いし、その装備を整えるための準備についても来週のゾーン拡張ピックアップを考慮して保留の一択だ。今の俺に一番足りないカードゾーンを増やすためのチャンスは最大限に活用したい。これまでの傾向からしてあまり使い道のないゾーンが増えたりする可能性は高そうではあるが、よほどの事がない限りゾーン数はイコールで力やQOLに直結するのだから、まず損はないのが大きい。
「そんな事を言ってるとインテリアゾーンばかり増えたりするのがウチの使徒さんなわけですが」
「変なフラグ立てないでくれますかね」
「もしくはあまり使い道のないゾーンとか」
「やめて」
神様が言うとシャレにならないから困る。そして、これまでの傾向的に有り得なくもないというのがまた困る。
いや、別にインテリアゾーンがいらないというわけではないのだが、同じのばっかりは困るな。あまり被りがないように神頼みしたいのだが、ガチャの神様はこの幼女だったよ。なんてこった。
そんなわけで、これまで以上にひたすらダンジョンをループする事になった。モンスターのポップ数の問題もあって細かく狩場は変更しているが、基本的にはルーチンワークだ。
ただし、ただ何も考えずにゴブリン狩りをしているわけではない。メインはチケット回収としても、俺たちには試行錯誤が足りていない。その経験不足を埋める訓練も兼ねているのである。それはアシスタントであるあかりについても同様だ。一応、その合間に第二ダンジョン< 採掘師の楽園 >の調査もしているが、こちらはほとんど進捗が見られない。せいぜい発掘できるカードの種類が増えたくらいだ。
積み重なっていくチケットを見て、ガチャを回したいという欲が膨らむものの、鉄の意思でそれを抑え込まないといけない。一回だけとか、そういうわずかな気の緩みが最悪の結果に繋がる事が明白だからだ。このあたり、俺は自分の自制心を信頼している。だからというわけではないが、探索のインターバルなどもあまり拠点に長居はせずに武装実験場や質屋、食堂などに避難している。
「御主人様、ガチャマシンに何か表示されているのだが。イベントとか」
「は?」
攻略のインターバル中、あかりと質屋に残されたカード群のチェックをしているとリョーマから呼び出しがあった。
一応ウインドウのほうも確認するが、こちらには何も表示がない。これまでならイベントは事前告知があったはずなんだが……ガチャマシンだけに表示されるイベント?
「なんじゃこりゃ」
怪訝に思いつつも拠点に戻ってガチャマシンを確認してみれば、そこに表示されていたのは確かにイベント告知だった。
内容としては別段おかしな事ではない。むしろプラスに働く告知だ。今でなければ全力投入すら考慮する。
[ ゲリラピックアップイベント発生! 今ならアンコモンレアリティの排出率三倍! 残り時間0:59だぞー! 急げー! ]
「ぐぬぬぬぬぬ……」
なんていやらしいイベントなんだ。何がいやらしいって、告知の隅のほうで残り時間を煽ってるのが神様なのだ。実に確信犯的なモノを感させる。
ピックアップされるのが、今ウチで一番戦力になるアンコモンというのもまたいやらしい。これがレア以上だったら三倍されたところでどうせ出ないし、持て余す可能性も高いからと諦められるのに。
「えーと、回すんですか? マスター」
「回さない」
あかりが聞いてくるが、当然の如く即答である。当たり前だ。何故来週に向けてチケット貯蓄を始めようという段階になって散財するというのか。この程度で鉄の意思は揺らがないのである。
「なら、質屋に戻ってカードチェックを……」
表示されている告知から、貼りついたように視線が動かない俺を動かそうとするあかりだったが、未練で離れられなかった。そもそも触れもしないのだが。
くそ、分かっちゃいるんだ。これは明らかに罠である。どうせ、一回だけ回したら微妙に役に立たないアンコモンがちょっと多めに出てもう一回って事になる決まっている。逆に、ちょっといい感じの排出だったらもうちょっとってなるのも明白だ。そうして際限なく貯蓄を使い潰すのだ。だから今ここで回す選択肢はない。一回ですらアウトだ。だがしかし、未練は残る。何故あの時引かなかったという未練は、今後ずっと引き摺る事になるだろう。これはガチャの呪いなのかっ!?
「気持ちは分からないでもないですが、マスターが言っていたように来週のピックアップのほうがはるかに重要かと」
「分かっちゃいるんだがな」
「とりあえず限定と煽られたら突撃するのガチャ依存の症状なので、使徒としてはいい傾向なのかもしれませんが」
「それは分かりたくなかったな……」
お前がガチャ中毒じゃなかったら誰がガチャ中毒なんだよという位置づけにあるのは認識しているが、あまり依存したくもないのが本音なのである。
「というか、コレって言ってみればただのランダムイベントなので、ある程度チケット持ってたら突発的に発生するものですし」
「そうなのか。じゃあ、アンコモンピックアップもそれなりに遭遇する?」
「……すいません、数が多いのでピンポイントで当たるかはちょっと」
「駄目じゃねーか」
まあ、そりゃそうだろうなとは思う。今パッと俺が思いつくだけでも各レアリティのピックアップにカテゴリーごとのピックアップ、ユニークピックアップとか対象は無数に存在するのに加えて倍率違いもあるだろう。そんな中でアンコモンを狙ってというのは厳しい。聞いてみれば、ゲリラの名の通り定期的に発生するものでもないとの事。今回は俺が近くにいたから確認できたが、ダンジョン攻略中ならまず見逃すはずだ。
そんなのを狙ってチケットを貯蓄できるなら、こんなに悩んでいない。たまたま当たったらラッキー程度の認識にしておくべきか。むしろ知らないほうが良かったまである。
「私かあかり嬢がいれば見逃す事はないと思うが、あまり意味はないな」
「あとからやってた事だけ伝えられてもな」
「かといって、ダンジョン攻略中だと伝える手段がないですねー。今のところ見るだけで一方通行ですし」
モブ夫たちを中継した際にも言っていたが、そういう通信機能は追加オプション扱いらしい。
「事前にチケットを入れておいてくれれば、回すのは私でもできるぞ。咥えれば投入も可能ではあるが」
「お前に投入させる必要性は感じないが、事前投入はアリっちゃアリだな」
「いつも御主人様が回しているが、一度やってみたいとは思ってた」
ランダム性が高くて判断に困りそうだが、判断基準について事前に打ち合わせしておけば、ある程度の判断はリョーマでもできそうだ。手順としても画面をタッチすればいいだけである。
神様的には俺が回さないと変なモノが出ないって考えそうだが、すべてがすべてそういうモノである必要はない。俺が回すと微妙に欲しいモノがズレる傾向があるから、むしろそのほうが安定感はあるかもしれない。
今回の事がなくとも、ある程度の余剰分……これくらいなら回してもいい程度のゴブリンチケットあたりを事前に投入しておくって手はなくもない。本格的に回す段になったら、その余剰分にも手を出してしまいそうなのは置いておくとして。
「ゲリラが発生した際の判断材料が蓄積される前に、連絡手段が確立できる可能性は高いが……」
「それならそれでもよかろう」
「その手のカードは色々ありますが、この場合は最低限アラームを一回鳴らすだけでも伝わりますしね。普通にコモンで出てきそう」
「伝わっても、時間内に戻ってこれるかって問題もあるんだよな」
よく考えたら、ピックアップ内容だけではなく発生時間にランダム性を持たせてくる可能性もある。今回は一時間らしいが、極端な話一分だけ開催で排出率十倍とか、そういうイベントだって有り得るのだ。そうでなくとも、すぐに戻ってこれる状況は意外と少ない。
「余剰分は別枠として用意する方向で検討する。ゲリラは基本一回目は見送りで、リスト化して判断材料を増やしていこう。ただし、明らかに見逃すのはもったいないっていう内容なら判断はリョーマに任せる」
大体十連一回分くらいのチケットは常時投入しておこう。
「一応聞くが、これって現在開催中のピックアップや、ゴブリンチケットで個別発生するゴブリンピックアップみたいなものと重複する?」
「しますね。多重に同じモノがピックアップされたらかなり確率も変わるはずです」
とはいえ、重複を狙うのは無茶だろう。よほどの事がない限り、狙った合致させるのは難しいし、そんなに待っていられない。
というわけで、唐突に発生したゲリライベントは無視する事にして質屋の確認作業に戻る事にした。
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神様の遠隔回収によってエラーカードを取り払われた質屋だが、おおよそ九割は完全なエラーカードで、ウチのシステムでは使えないものだったらしい。その九割には< ポケットワールド >のようにカテゴリーは存在していないけど使用可能なものも含んでいないので、俺のウインドウで使えるのが一割と言い換える事もできる。そういったものは安全性が確認できた時点で順次戻してくれる事になっている。
現在この質屋に残っているのはその一割。つまり使用可能なカードのみというわけだ。それでも在庫は大量で、店頭の質草枠は当然のように埋まっている。ついでにいうと漂着してくるカードは増え続けているらしいので、ここから更に増える事になるわけだ。エラーカードも異世界の手がかりではあるので、神様的には素直に喜んでいいのか判断の難しい状況が続く。
「やっぱりこの< 漆黒豹の全身鎧 >はいいな」
「悪役っぽい見た目ですが、ゾーンの数が節約できるのは大きいですね。一枚で武器と盾以外は網羅できますし」
あかりの言う利点はもっともだが、変態ルックからの卒業ができるのが一番のポイントだ。いざ装備するとなれば中二病的がビジュアルは恥ずかしいかもしれないが、そんなところはすでに過ぎ去った領域だ。たとえば現代社会でコレを着ていたら怪しい事この上ないだろうが、それでも何か現代ファンタジーのように見えなくもないし、最悪コスプレと言い張る事も可能である。しかし、現時点の俺の武装は怪しいとかそんなレベルではなく単に変態なだけだ。問答無用で逮捕である。まだ全裸のほうが言い訳できる分マシだろう。ガチ変態ルックと中二病なら当然の如く中二病を選択する。俺でなくとも同じだろう。
「今度の遠征報酬に一部に引換券をつけてくれるらしいからな。そしたら即交換だ」
「でも、こうして見る限りハイレアの質草で有用そうなカードは結構ありますが」
「即交換だ」
こうして確認作業をしているとどうしても目移りしがちだが、迷う余地などない。仮に今の変態ルックをなんとかしてくれるカードがあったとしても、全身を隠してくれるコレほどではないのである。特に枠の問題が大きい。
たとえば、同じハイレアの防具で< ミラーアーマー >という如何にも防御力が高くてひょっとしたら攻撃反射とかしてくれるかもってカードもあるわけだが、これで隠れるのは上半身だけである。下が< ファウルカップ >しかないのだから、むしろ変態度は上がっているように感じなくもない。直に身に着けるものでなくとも、< 耐熱耐刃防弾マント >なら隠す事はできるだろうが、それでもやはり変態ルックからの完全卒業には至らない。この問題を一枚でクリアできそうなのは、目につく限りでは< 漆黒豹の全身鎧 >くらいなのだ。
「マイナスの特性がついていたらどうしましょう? ここにあるのはあくまで鑑定前のカードですし」
「ある程度までなら許容するが、その懸念に関しては他のも同じだしな」
鑑定したら< 超重化 >が三つついてたりして、装備したら動けませんって事になる可能性はある。さすがにその場合は倉庫行きだが、他のカードも未鑑定なのだからリスクは同じだ。
並んでいる質草の中に一部鑑定済のモノはあるが、それは俺がすでに鑑定したモノと同名のカードである。やはり、手に入れたカードは片っ端から鑑定すべきというわけだ。
そんな感じで店内に飾られた質草のメモを作成していく。今回が一回目というわけでもなく、すでに数回実施済だ。ダンジョン探索の合間に休憩がてらやっている。今は俺がやっているが、その内モブ次あたりに投げてしまってもいいだろう。あかりがメモをとれるならそれが一番なのだが。
「やっぱりコモンは結構入れ替わるみたいだな」
「その辺は質屋共通の設定だと思います。それに加えて、この質屋はカードに付与されている特性に応じて延長されるっぽいですね」
「価値がありそうなものほど店頭に残り易いと」
何度か確認した中で、店頭の質草は結構入れ替わっている。< 漆黒豹の全身鎧 >をはじめとしてレアリティが高いカードはそのまま居座っているので、頻繁にチェックが必要なのは下位のレアリティになるだろう。
あかりなら詳細な時間も分かるかと思ったが、分かるのはあくまで一般的な質屋の仕様だけで個々のカードでどんな違いがあるかまでは分からないらしい。
加えて質流れの設定についても差があるらしく、店頭から消えたらイコールで質流れっていうわけでもないそうだ。この質屋に関しては一旦消えたモノと同名のカードが店頭に並んだのを確認しているので、多分ある程度は倉庫を循環させているものと思われる。単なる同名カードで実は質流れしてましたって可能性はあるので確定ではない。
そんな考察をしつつ、質屋に並んだ質草を手書きでリスト化。俺が欲しいかどうかは別にして、確認できる情報はすべて書き出しておく。大した量でもないから若干面倒なくらいだ。何回かやって慣れてきたらモブ連中に投げてしまおう。これがどれくらい意味のある作業かっていうのは正直微妙なところだと思う。どちらかといえば手持ちのカードで何ができるのかを模索しているという面が大きいのだ。正確にいえばその前段階である。
俺とリョーマとあかり、そしてモブ二人とついでにフライングバインダー。それぞれ行動に制限を持つ者をどう動かすのか、何ができるのかの検証作業に繋がっていく。これは別に質草のリスト化に限った話ではない。リョーマが日々熟している作業やダンジョン探索についても同様なのだ。
一番顕著なのはダンジョンのマッピング作業だろうか。あかりが投影する画面を見て、そこからマップを書き出したりしているのだが、正直有効性についてはかなり疑問が残る。相互通信ができず、リアルタイムでしか中継できない以上、書き出せるマップもかなり限定的だ。しかし、これはあくまで訓練であって、マップは副産物でしかない。オートマッピングのオプションがある事も確認している以上、将来的な意味などないかもしれないが、手探りでも試行錯誤する事が大事なのである。
スキルをはじめとしたカード群の検証と似たようなもので、これらは土台となるシステムの検証といえるだろう。
「だから、リョーマも将棋ばっかりやってないで他の趣味をだな……」
「いや、その理屈はおかしい」
なんでや。お前、強くなり過ぎなんじゃ。下手に気を抜こうものなら負けかねないから気軽に一局なんて事すらできなくなってるんだぞ。人間が犬に負けるわけにはいかんのだ。
「まあ、今ならやろうと思えばモブ夫やモブ次の手を借りてもいいわけだが」
「それはそれでどうなんだって気がしなくもない」
別に俺が寂しいとかそういう事ではない。実際、モブ夫かモブ次がいれば駒は動かせるのだから、手間はかかっても対局は可能だろう。しかし、それが積み重なってリョーマが対戦経験を積む事でレベルアップしたら手がつけられなくなる。更には、この中で俺が一番弱いなんて事になったら最悪だ。
読書は別にしても、なんとか他のボードゲームに誘導できないものか。麻雀は無理があるにしても、< リバーシ >か< 人生ゲーム~ブラック企業編~ >……。くそ、どっちも微妙だ。こう考えるとゲーム難度を含めて将棋が現環境にマッチしているのが良く分かる。
「ああっ!? リョーマ先輩、そこはダメっ!! そこ責められると真っ白になっちゃうっ!!」
リョーマとリバーシの対決をしているあかりが無駄に卑猥にもとれるセリフを叫んでいた。あまりに弱くて対面のリョーマも駒を動かす役のモブ次も困惑しているように見える。
……これは、あかりへのリバーシ指導って事でしばらく時間稼げるか? さすがにここまで弱ければ将棋の腕で抜かされる事はないだろうし。
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意味があるかどうかすら未知数な試行錯誤を繰り返しつつ、主にチケット収集をしていたらあっという間に数日が過ぎ、九十九姉妹回収の予定日がやってきた。
『なんか、最近やたら査定の結果がいいのよねー。やっぱり、時代は動画実況って事かしら? ひょっとしたらそろそろ昇格できちゃったりして?』
本日護衛で付いて来てくれる事になった二号は超ご機嫌だ。その査定結果が本当に実況動画の影響なのか、俺たちを手伝った結果なのか詳細は不明なので、あえて指摘するつもりはなかった。どっちでも別に損はしていないから問題ないはずである。尚、実際のところどうなのか神様に確認するつもりはない。
[ さて、開始時間までにまだ時間があるので、一応今回の作戦についての最終確認をしておきましょう ]
ここにはいない神様の声が響く。前回のように画面中継して作業する場合、ここよりも専用の施設のほうが都合がいいらしい。
作戦内容は事前に聞いているので、ここでいう最終確認は言葉通りの意味でしかない。準備はすでに終わっていて、抜けがないか内容をチェックするだけだ。
そこには問題が起きた場合の対処手順についても含まれている……というか、ほとんどそれがメインだ。何事もなく順調に進めば、むしろやる事はほとんどないのである。
作戦としては次のような内容になる。
< Uターン・テレポート >で九十九世界の渋谷へ転移。そこで待機している九十九柚子と合流した後、後追いで転移する二号を待つ。
無事合流できたら今回のために用意された< Jアンカー >をマテリアライズして設置しつつ移動。新宿駅にあるという九十九姉妹が使った世界間転移装置を目指す。
九十九姉妹全員に< Tアンカー >を配布した後、最終的な調整をしてから、世界間転移装置ごと回収というのが大雑把な流れだ。
< Jアンカー >は三十キロメートルの有効範囲を持ち、九十九姉妹の転移装置を囲むように三基以上の設置するのが最低限の目標となる。< Jアンカー >のJはジャパンであり、そこが自分たちの支配領域と主張するためのもので、この範囲内にいないと神々の権能が及ばない、つまり回収もできないという事らしい。
加えて、回収予定の人員には< Tアンカー >……九十九アンカーを所持してもらえば更に回収しやすくなるとの事だ。これは単にマテリアライズして渡すだけなので労力は少ない。ついでに達成ボーナスも少ない。
三基の< Jアンカー >の有効範囲内で、全員が< Tアンカー >を所持するのが理想の条件。最悪の場合、各アンカーを設置しない場合でも回収を試みる事は可能だが、失敗する可能性も上がる。逆にそれ以上設置しても回収難度は変わらないので努力目標になるそうだ。
目標である三基というのは有効範囲が重複する限界らしいので、できればそれぞれの設置間隔は十キロほど離したほうが影響を広げやすいとの事。俺のボーナスに必要なのは設置だけなので無理をする必要はないが、多く設置するほど俺のボーナスは増えるので、できる範囲で設置をしていきたい。
< Jアンカー >は< 界間通信塔 >同様に一枚一基で、マテリアライズすると直径一メートル、高さ三メートルの円錐が出現。設置すると下方向にドリルが伸びて固定される仕組みらしい。これがカードとしては十五枚。
< Tアンカー >はマテリアライズすると筆箱サイズの箱が物質化、その中に太めのペンのようなものが三十本入っていて、このペンがアンカー本体となる。カードとしてはこれが二枚。予備を含めて計十七枚が今回の作戦のために用意された。
余ったら< カード記念館 >に設置していいですかと聞いてみたところ、作戦成功したら< 界間通信塔 >を含めて別途カードを提供するから、余らせる事は考えるなと注意された。まあ当然といえば当然の話だ。
もしなんらかの要因でこの作戦が失敗に終わった場合でも、それで九十九姉妹の回収ができなくなるわけではなく、再挑戦は可能との事。失敗原因の洗い出しやアンカーの調整を含めて準備時間は必要になるが、ある程度の時間を置いて再度の挑戦となる。ただ、未知の現象が発生している九十九世界は、そこにいるだけでリスクが伴う。ある日突然姉妹の一人……あるいは全員が消失していました、なんて事も懸念される以上、初回で成功させたいところだ。
また、前回のように狭間の世界へ転移してしまった場合の対処もある程度決まっている。本来の作戦に比べれば緩い対処案だが、元々日本の神々の権能が及ばない空間なので、ある程度は仕方ないだろう。
この場合にやるべき事は、前回設置した< 界間通信塔 >の状況確認、前回からの経過時間の確認、予備< Jアンカーの設置 >、九十九桜と接触して< Tアンカー >を譲渡などが挙げられるが、その優先度は俺の判断に任せるとの事。しかし、最優先はあくまで狭間の世界からの脱出だ。これらの行動は予備案であって、目的は九十九姉妹の回収である。
とはいえ、狭間の世界の飛ばされた場合の対策も二つ用意してある。一つはアクセサリカード< サトリ殺しのグラサン >が三枚、もう一つはサブウエポンカード< カードレーダー(便座カバー) >一枚だ。
< サトリ殺しのグラサン >は以前神様とも話した陰陽師対策である。行使しているという読心術の仕様が分からないため完全ではないが、装備者への精神干渉を大雑把に阻害する効果を持つ。アクセサリカードではあるが、これはカードに付与された特性ではなくグラサン本体が持つ効果なので、マテリアライズして他人が使用する事も可能らしい。それを俺と吉田さん、桜の人数分用意したので、可能であれば譲渡する予定だ。これを渡す事で陰陽師に警戒される恐れはあるものの、どの道記憶を読まれれば警戒されるのだから、最初から対処しておいたほうがいいという判断である。
< カードレーダー(便座カバー) >はその名の通り< 便座カバー >のカードを探知する事に特化した装備だ。タブレット型で、画面上に< 便座カバー >の位置と距離が表示されるという、非常に限定的な代物である。しかも、あくまでカード状態でなければならず、マテリアライズして普通の便座カバーになった場合は探知対象外だ。目的がはっきりしていて機能を限定したほうが使いやすいのは分かるが、どう考えても今回のようなケースしか用途が思いつかない。
ただ、このプランが成立するのは前回と同じか近い場所に転移した場合のみ話だ。まったく違う場所や、そもそも狭間の世界ですらない場所に転移してしまった場合は無事帰還する事が最優先になる。
とはいえ、通常の時間の流れにあるような空間であれば俺の座標を元にして二号が合流可能だ。そうすれば大抵の問題はクリアできるだろうと見込んでいる。
特に戦闘を想定していなかった前回と違って、今回はモブ夫とモブ次が使えるという点も大きい。アンカーで枠を取られているのが厳しいものの、フリーゾーンは少しでも役に立ちそうなカードでいっぱいだ。
代わりにリョーマやあかりなどは完全にお留守番だが、適当に時間を潰していてもらおう。カードに戻しても良かったが、別にその必要性もないし。
[ そのまま九十九世界に移動して何事もなく回収できるのが一番ですが、私は半々くらいの確率で狭間の世界に飛ばされるんじゃないかと思ってます ]
「実績の積み過ぎとかそういう問題を無視するとして、神様的にはどちらがいいと思います?」
[ 難しいところなんですよね。一つの世界として見た場合なら九十九世界っていうサンプルはすでに存在するわけですが、今後九十九桜を回収する前提なら少しでも情報は欲しい ]
『護衛的には危ない真似は避けてほしいところなんだけど。一秒じゃ動画にしても意味不明だし』
何故実時間で動画にする事が前提なのか。普通なら単にスローモーションにすればいいと思うぞ。できるかどうかは別として。
『実際に行った人間としてはどうなのよ』
「……不思議な話なんだが、アレって世界を渡るなら必ず通る場所のような気がするんだよな。単に認識できるかそうでないかだけで」
[ 世界の狭間っていう言葉がそのままならそうなのかもしれませんね ]
この世界の周りは全部あの空間で覆われてるんじゃないだろうか。
『ガチャ子は九十九世界に直行。ガチャ太郎は再度狭間の世界を経由。なら、私はまったく別の世界に放り出されるのに賭けるわっ! それなら活躍の場があるかもしれないし』
「おいやめろ」
変なフラグを立てるんじゃない。
まあ、個人的にはまた行く事にはなるんだろうなと思う。毎回引っ掛かるようなら早急に対策は必要だな。あの世界自体にそこまで危険性があるわけではないが、化外の王に認識されるかもしれないというだけで十分危険だ。加えて陰陽師の問題もある。謎空間だから、それ以外の何かが起こる可能性だって高いだろう。
[ さて、そろそろ時間です。カウントダウンするんで、それに合わせて< Uターン・テレポート >の発動を ]
「了解」
ウインドウを開き、いつでも転移可能な状態で待機する。神様のカウントダウンが緊張を誘うが、これはこれで必要なモノらしい。作戦前に時計合わせをするようなものだ。
そうしてカウントダウンがゼロになるタイミングで< Uターン・テレポート >をスキルゾーンにセットした。
さて、どっちの目が出るか。
-4-
転移に伴うゆらぎのようなものをはっきりと感じる。走馬灯を連想させるそれは前回までにはなかったもので、自分が移動しているという感覚が伴うものだ。
だからはっきりと認識した。世界の間にある膜のようなものを。この世界を隔てる薄い膜の内側に狭間の世界が存在する事を。そして、俺が向かう先はやはり狭間の世界なのだという事を。
おそらく、前回あの場所を訪れた事で何かしらのアンカーが置かれたのだ。< ポケットワールド >のように他の手段での移動ならともかく、< Uターン・テレポート >では毎回ここを中継する事になる。そんな確信が生まれた。
「……それで、やっぱり檻の中に出現すると」
視界が切り替わった。いきなり暗い場所に放り込まれたから目はまだ何も捉えていないが、感覚的にそこが前回飛ばされた檻と分かる。< 暗視 >でも装備していればすぐに動けたのだろうが、そんな枠はないので大人しく目が慣れるまで待つ事にした。ちなみにグラサンはセットしたまま転移しているが、透明度調整で視界は阻害されていないので、見えないのはコレのせいではない。
暗闇に慣れてくると、前回マテリアライズした電車と犬小屋も目に入った。当たり前だがこんなシチュエーションはそうそう成立しないので、似たような別の場所という可能性は消えた。まず間違いなく同じ場所だろう。
巨大な電車はともかく犬小屋もそのままかよとは思ったが、そもそもこの牢獄自体使っていないから吉田さんも放置しているのだろう。何かの拍子に犬を飼い始めたら、ここに犬小屋があった事を思い出したりするのかもしれない。
薄暗い中、微妙に光が射し込んでいるのは電車が貫通している壁の亀裂だ。隙間から覗いてみればやはり真っ暗ではあるが、まばらに照明の光がある。それが射し込んでいるのだ。
ビルの外壁を伝って行く登攀能力があればここから外に出られそうだが、もちろん俺にそんな技能はないし、その必要もないだろうと普通に部屋から出る事にした。
「……あれ?」
しかし、牢屋の出口の扉が開かない。ノブの感触的に鍵がかかっているようだ。
……前回は吉田さんが開けて、律儀に鍵をかけたのだろうか。記憶を辿ってみるが、良く分からない。単にオートロックなだけかもとも思う。幸い鍵穴はあるようなので、鍵さえあればこちらから開ける事も可能だろうが……。
「まいったな」
入り口近くにツールボックスなどがあるのは分かるが、この薄暗い中で鍵を見つけるのか。少し家探ししてみるが、簡単な工具類は色々見つかるものの、鍵のようなものは見当たらない。
今の俺の膂力なら鍵を壊す事くらいは可能かもしれないが、ドアをぶち破るのは厳しそうだ。下手に鍵だけ壊して外から開けられなくなったら困る。何かの間違いで開いたりしないかなとドアを確認してみると、少し離れた位置にカードの読み取り装置のようなものがある事に気付く。……まさか、物理鍵とカードキーの複合型なのだろうか。やたら厳重だが、ここが牢屋である事を考えるならそこまでおかしくもないのか。
諦めてここで暴れて吉田さんが気付くのを待つか、壊れた外壁から外に出るか……。
「いや、もうもう一つ手があるな」
ちょっともったいないが、フリーゾーンに< 魔法の鍵 >がある。アレなら物理的な形状を無視して解錠できるかも。
本当にそれが可能なのかもちょっと気になったので、一つしかない< 魔法の鍵 >をマテリアライズして使ってみる事にした。希少とはいっても、単に俺の保有数が少ないだけで普通に手に入るものではあるからと自分を誤魔化す。
半信半疑ではあったが、鍵穴に物質化した魔法の鍵を突っ込んでみたら本当に扉が開いた。同じレアリティまでの鍵しか開かないっていう設定のはずだが、まさかダンジョン以外のこういう鍵はすべてコモン扱いだというのか。普通に悪い事ができそうで怖いんだけど。
廊下に出てみると、そこはもうビルの照明で明るい。雰囲気的にダンジョン探索しているような気になるが、別に警戒の必要はない。さて、これからどうするか。
「とりあえず吉田さん探すか」
アレからどれくらい時間が経過しているのか分からないが、彼の言葉そのままなら少なくとも一年以上は経っているだろう。
そこら辺の認識合わせもしたいし、可能であれば服も調達したい。ついでに飯をもらいたい。その後、屋上にいって< 界間通信塔 >の確認と、ついでに< Jアンカー >の設置もしておこう。
これからするべき事を脳内でまとめながら、同じ階にある給湯室を目指す。そこにいるかは分からないが、吉田さんはあそこにいる事が多いとか言っていたはずだ。
「……いねえ」
しかし、ハズレだった。以前と変わらない光景が給湯室がそのままあったが、肝心の家主がいない。
……何か引っ掛かりを覚えるが、違和感の正体が分からない。部屋を観察しても、違いのようなものは見当たらないのだが。
悩んでも答えは出そうにないと、気を取り直して近くにある衣類倉庫に移動し、服を物色する事にする。上から衣類を着る時に面倒だろうと< スタデッド・レザーブーツ >や< 鎖帷子 >はセットしてこなかったのだが、それで正解だったらしい。
「……なんだ、この違和感」
ここでも同じように違和感を感じた。別におかしなところがあるわけでもないのに、モヤモヤとした引っ掛かりだけが残る。
吉田さんが死んでいる懸念かもと思ったが、何年もこんなところで引き籠もりやってられるほうおかしいので、その可能性は普通に考えられる。つまり、それは別に懸念事項ではない。
勝手に飯をもらってもいいだろうが、妙な感じを抱えたままというのも気持ち悪いので、ビル内歩き回ってみる事にした。
いくつか部屋を覗いて、吉田さんがいないか確認しつつ移動。以前、桜を放り込んで鍵が壊された部屋の前まで来た。……あれから結構経っているだろうに、鍵は壊されたままだ。まあ、直す必要があるかと聞かれれば確かにないだろうが。
「違和感の正体はコレか」
そこで気付いたのは、あまりに変化がない事だ。何も変わってないのは逆に不自然なのだ。事実、その部屋の中を覗いてみれば桜が寝ていたベッドに乱れがあり、あの時に使った救急箱までそのまま残されている。
吉田さんが面倒臭がりといっても、数年経過していてここまで放置されるのはいくらなんでも不自然だ。思い返せば、ここまで寄り道した場所もほとんどが以前と変わらないままだったのだ。
違和感の正体に気付いたものの、なんでそんな事になるのかが分からない。やっぱり吉田さんが死んでいて利用者がいなくなった結果かとも思ったが、誰かが訪れていれば痕跡くらいは残りそうなものだ。俺や桜のように突発的に訪れる者は少ないにしても、定期的に現れるという陰陽師の存在がそれを否定する。というか、それならもっと埃が溜まってそうだ。
エレベーターに移動し、カゴが動いていない事を確認してから屋上へと向かう。エレベーターが動いているのに気づけば接触してくるだろう。それが吉田さんとは限らないが。
何事もなく屋上に辿り着き、俺が設置した時のまま変わらない< 界間通信塔 >の中へ入る。そこにはエラーメッセージが出力された画面。メールの再送信を繰り返して処理が停止したらしい。
どれくらい時間が経過したのか分かる時計機能でもないかと探してみるものの、見当たらない。探せばそういう機能もありそうだが、すぐには出てこなかった。
「さて、どうしよう」
とりあえず、< Jアンカー >は一基設置した。固定用のドリルで屋上のコンクリに少し罅が入ったが、直ちに影響はないだろう。
イクイップゾーンに< カードレーダー(便座カバー) >をセットして表示を確認してみれば、桜が持っているだろう< 便座カバー >の表示があった。距離はエラーを吐いているが、方向は通天閣方面である。
このまま桜との合流を目指してもいいが、できれば吉田さんには会っておきたい。あんまり考えたくはないが、最悪死体だけでも確認できれば……。
「あれ、加賀智君?」
そんな事を考えていたら、後ろから声がかかった。目的の男吉田さんだ。死んだとかそういう懸念は杞憂だったらしい。
一瞬、陰陽師が化けてるんじゃないだろうなとも思ったが、さすがにそれは杞憂だろう。そこまで俺を警戒しているとは思えないし、少なくともグラサンは精神干渉を感知していない。
「どうも、お久しぶりです」
「エレベーターを見たら上から降りてくるところだったから誰か来たのかと思ったけど」
聞いてみれば、吉田さんは別の階で漂流品を探していたらしい。そこでエレベーターが動いているのを見てここに来たという事だった。
「随分早いけど、無事通天閣には着いた?」
「……その事なんですが、俺と桜がここを出てどれくらい経ちました?」
「ああ、気になるよね。一週間くらいかな? 時計見ないと正確には分からないけど、二週間は経ってない」
……やはりそうか。数年放置されてそのままなのではなく、単純に時間が経過していないのだ。元の世界よりも時間が経過していない。
色々放置されたものは気になるが、一週間程度ならズボラって程度で納得できる範疇である。
「そろそろ例の陰陽師が来そうだから、移動したほうがいいと思うけど……ひょっとして会いに来たとか?」
「いえ、説明が難しいんですが……」
重要そうな事を省いて、一度元の世界に戻って再度ここを訪れた事を伝える。その経過時間も含めて。
「時間の流れが変わっている? ……いやまあ確かに私も正確に調べたわけじゃないが。陰陽師たちを除けば、君くらいしか外と比較できる人はいないし」
原因は……多分化外の王だろう。その個体の一つが移動して時流が変わったという事だ。もちろん正解かは分からないし、吉田さんには言わないが。
「となると、逆に陰陽師が来てない事がおかしいな。あいつら、外の感覚だとかなり早いペースでここに来てるはずだし」
「ああ、その陰陽師対策を持ってきました。良かったらどうぞ」
忘れない内にと< サトリ殺しのグラサン >をマテリアライズして渡す。
「これは? 暗いのになんでサングラス着けているのか気になってたんだけど、何かそういう機能が?」
「陰陽師に効くかどうかは未知数ですが、これを着けてると精神干渉を阻害できるらしいです」
「ほう!」
よほど陰陽師が嫌いという事なのか、ここにきて吉田さんが一番大きい反応を見せた。そりゃ心や記憶を覗かれるのは気分悪いだろうが。
「この横にある小さなダイヤルは?」
「右側のは透明度の調整です。左側のは精神干渉に対する攻性防壁の調整とかなんとか」
ちなみに、現在俺が装備しているグラサンは透明度マックスだ。外側からだと黒いままだが、内側からは普通に見えるので伊達メガネのようになっている。攻性防壁の調整は無効だ。
「つまり、これを最大にしておくと陰陽師にカウンターを仕掛けられると」
「あの、どれくらい反発があるのか分からないので、テストは必要かと思うんですが」
「そうだね」
吉田さんはそう言いつつ、当たり前のようにダイヤルを最大にした。……いや、止めはしないが。
無防備なところにカウンターが入ると最悪精神崩壊するかもと言われているが、そういう術や能力を使う奴が対策もなしに行使するのは考え難いとも聞いている。
「それで、なんか変なのが増えてるのはいいとして、君はこれからどうするんだ?」
「とりあえず桜と合流しようかと。その後はまた元の世界に戻ります。……多分、また来る事にはなると思いますが」
「なんか大変そうだね」
ものすごく月並みな言葉だが、吉田さん的にはほとんど無関係な立場だから仕方ないだろう。世捨て人のようなものだし。
対策があるから色々説明しても良いかもとも思ったが、まだ効果の確認ができたわけじゃないから、あまり不用意な事も言えない。
「そういえば、このグラサンに動画撮影機能もあるんですが」
「おっ、陰陽師の隠し撮りなら任せてくれ」
俺が依頼する前に良い反応が返ってきたので撮影機能の説明もする。俺のも現在進行形で撮影しているはずなのだが、確認する機能がないのが少しもどかしい。
その後、食事をもらう事も考えたが、現状時間の流れが怪しいところもあったので桜との合流を急ぐ事にした。気分を良くした吉田さんから再度移動用のリュックをもらい、そのままビルを出る。吉田さんはそのまま物資調達に戻ってしまった。
グネグネと上下左右に曲りくねる道路を前に意識を集中させる。なにか化外の王の気配でも感じ取れれば、対策はできないまでも避難は可能かもしれないと考えたからだ。
おそらく、この世界の時間の流れは化外の王との距離に影響を受けている。距離だけではないかもしれないが、少なくとも奴がわずかにでも移動すれば時間の流れる速度は変化を見せる。前回俺が九十九世界へ移動したのも、それが原因だろう。だから、兆候だけでも掴めればと精神を集中させる。
結果としては、朧気に気配が感じ取れた。……というよりも、気配はずっとあってそれを区別する事ができた。あの存在を認識していない人は気付けないだけで、この世界は奴の気配で満ちているのだ。
あまりにも巨大過ぎて判別が難しい。そういう天災のような存在が無数に存在し、複雑な相互干渉を引き起こした結果が時間の流れの違いなのだろう。吉田さんが言っていたのはあくまで体験談であって正確ではない。東京タワー側にあるという時流の限界点だって怪しいところだ。
しかし、気配を感じとれたからといって対策はできないし、兆候も判別できそうにはなかった。あまりにスケール感が違う。人間の感覚でいうなら、指を数ミリ動かしただけで途方も無い範囲が吹き飛ぶような、そんなスケールなのだから兆候もクソもない。
「……急いだほうがいいな」
今現在、ウインドウの時間表示は止まっているが、それが長く続く気がしない。吉田さんが言っていた時間の流れの差異は、化外の王が多く活動している事を意味していると考えたほうがいいはずだ。
だから、走る。片手に抱えたタブレットが邪魔だが、マラソン程度の速度なら大した時間もかからずに踏破できるはず。
俺の身体能力向上もあって、曲がりくねった道でも主観で数時間走れば目的地……桜と決めた合流地点の民家に辿り着く事ができた。前回では絶対に実現できなかったであろう速度に成長を感じるが、同時にホムンクルスとの差も明確に感じるようになった。
「くそ、いないのか」
レーダーを見れば< 便座カバー >の反応はまだ通天閣方面を向いている。距離が分からないので判別が難しいが、前回の到達ポイントまでですら辿り着ける気がしない。
ここまでも休憩ポイントごとに< Jアンカー >を設置してきたが、この民家にも設置する事にする。クソ目立つから陰陽師に目を付けられる可能性があるものの、ここまで設置したアンカーが迷彩にもなるだろう。
さて、どうするか。普通に考えるならこのままレーダーを頼りに通天閣へ向かうべきだが……何故だかとっても嫌な予感がする。そろそろ一秒分くらい化外の王が身動ぎするんじゃないかという根拠のない予感だ。
良く考えれば、ここは俺と桜だけが認識している合流地点だ。必要なものを渡すという最大の目的なら十分に果たせると判断した。合流は必須条件ではない。
「よし、ここにグラサンと< Tアンカー >を置いておく」
メモ書きさえ残せば確認するだろう。ここなら他者の干渉もまずないはずだ。
手渡す予定だった二つの物品、< Tアンカー >が三十本入った箱と桜用のグラサンをマテリアライズし、ちゃぶ台の上に置く。メモは暗号など考えず、平文でそのまま伝えるべき内容だけを記載した。
次に回収できるとか、現状の進捗や九十九姉妹の事は省いて、単にこのグラサンが陰陽師対策である事と箱に入ったアンカーが回収の必須条件になるから常に持ち歩けという事、そして俺の名前だ。
ついでに、意味はないかもしれないが、俺が書いたという事実を補強するために紙の隅に『便座カバー』と加える。書いてから、むしろ混乱するんじゃないかと思い至ったが、ボールペンだから後の祭りだ。
「……ま、まあ、合流できれば問題ないんだし」
ここからレーダーを辿って移動し桜と合流、諸々の情報を伝えて、可能であればここまで戻ってくるのがベスト。ダメでも保険は用意した。
合流地点の民家を出て再度移動を開始。十キロ程度走ったところで適当なところに追加の< Jアンカー >を設置するが、そこが俺の限界到達点だった。
朧気だった巨大な気配が動くのを感じた。気配を感じられたところでやはり避難など無意味だ。一秒に満たない時間で何ができるのかという話である。
時間が動く。時流が起こす歪みを感じる。
やれる事はやったつもりだが、転移が始まる直前、わずかに桜らしき姿が目に入ったのが心残りといえば心残りだった。
-5-
前回と同じ、それでいてより鮮明な感覚。
相変わらずの歪んだ、気持ちの悪い感覚。普通なら一瞬で終わるはずの時間が引き伸ばされ、意識だけが間延びしていた。俺という存在そのものがゴムのように伸ばされているようにさえ感じる。
感覚がこうまで鮮明なのは、おそらくは一度体験し、下手に認識してしまった事でなんらかの耐性ができてしまったのだろう。あるいは使徒として存在の格にも差があったりするのかもしれない。
< Uターン・テレポート >の転移によって、どこからどこへ移動するのか。
世界の狭間は、世界と世界を隔てる膜の間にあるという話だった。吉田さんから聞いた陰陽師の談だから話半分だとしても、それはそう間違ってはいないと思う。だから、俺の世界から九十九世界へ転移するならば、その膜を再度通過する必要があると思っていた。
何かが弾ける音がした。増幅された知覚は、それが世界を隔てる壁でありながら、別物である事を俺に伝えてきた。なのに、その先にあるのはやはり九十九世界なのだ。
全身で、凶悪なまで巨大なスケールの気配を感じる。そんな気配は無数に存在するのを感じる。無限に引き伸ばされたゼロにも等しい狭間の空間はそんな怪物を内包している。
恐怖が湧き上がる。認識するだけで常人なら精神崩壊を起こすような化け物だ。経験を経て、無闇に耐性を得てしまった事でより深く理解が及んでしまう。
どれだけ手を伸ばそうが絶対に手の届かない、こんな途方も無い怪物など理解できないほうが幸せだというのに。
奴らはこちらを認識していても興味を持っていない。こちらを見ているだけで、それは視界の片隅とも呼べない極小の存在でしかない。
しかし、このまま興味を持たれずに済ませられるのか。きっと奴らはやろうと思えば世界の壁を越えて干渉してくるだろう。
やり過ごさねばならない。自分は無害な存在だと、主張せずに、路傍の石ころよりも尚極小の存在だと偽らないといけない。
……ああ、知るという事はこんなにも恐ろしい事だったのか。
真実の一端を理解してしまった事で、より強く恐怖を植え付けられてしまった。
「っは!!」
体感時間が元に戻る。膝をついた感覚は九十九世界のビル屋上のものだろう。
意識が揺らぐ。しかし、手放さない。より深く理解した事で増強された恐怖を、耐性を得た俺の精神力がわずかに上回った。
「だ、大丈夫? カガチヤタロー」
「柚子か。……ゲロ吐きそうだけど、大丈夫」
死にはしない。大丈夫だ。俺はまだ大丈夫。それよりも、知ってしまった真実が俺の恐怖心を煽る。この場に存在している事自体が怖くて仕方ない。
少し間を置いて、空間の歪みを感じた。多分、二号が追いかけて転移してきたのだ。
『……その様子だとまた狭間に行ったみたいね。前よりはマシみたいだけど』
マシなのは単に慣れただけの事でしかない。
「ああ。向こうでやるべき事は済ませたんだが、代わりに余計な事を知っちまった」
知っていようが知っていまいが、やるべき事は変わらない。なら、知らないほうが良かった。
「くそ、やる事やって、さっさとここから抜け出すぞ」
『焦ってもしょうがないでしょ。焦って失敗したら目も当てられないし』
「失敗しても次回があるって聞いてはいるけど、あんまりこの世界に長居はしたくないかなー」
俺の考えている事を知らない二人は呑気なものだ。当たり前の事しか言っていないのに温度差に愕然とする。
『今回失敗したって、リトライまでは再調整を含めても最長一週間くらいじゃない? さすがにまだお米も残ってるでしょ?』
前回持ち込んだ俵の山は見当たらないが、単に移動しただけだろう。さすがにあの量を食いきれるとは思えない。ついでにいえば、簡易トイレも別物に変わっているように見えた。……良く分からないが、蒲公英が壊したんだっけ?
……無理やり思考誘導して平常心を保とうとするが、叶いそうにない。どうしても危機感が先に立つ。
「ダメだ」
『……何がダメ?』
「失敗はマズい。絶対に今回で九十九姉妹の回収を終わらせるべきだ。神様連中には、なんとしてでも成功させてもらう。多少リスクがあろうともだ」
できれば、この世界にも二度と来たくない。
『……何か理由があるのね?』
「ああ」
その、理解したくない、口にもしたくない真実を噛みしめるように吐き出した。
「……ここは……この九十九世界は、化外の王の腹の中だ」
リターンのWeb投稿は確定枠がひとまずこれで終了ですが、諸事情により最後の一枠が残っております。最後の枠はゆノじさんの提案により一般アンケートで決める事になります。詳細については別途Twitterや活動報告などで。
そんなわけなので、何選ぶか悩むように続きが気になる引きを目指しました。(*´∀`*)
終了次第普通に引き籠もりのほうに戻る予定ですがアンケートで選ばれても引き籠もりに戻ります。
引き籠もりヒーロー第2巻は発売が近づいてます(*´∀`*)
目標は7月頭?