15.酒場の主
「ロザリモンド様、くれぐれも離れないでください」
「リーシャ様、恐れてはなりません。一日だけのお約束なのですから民の暮らしを知るのに積極性を持っていかねば」
現在旦那様は北部の村々をまとめている人物と会談している。
不法な炭鉱事業を行って首になった後に旦那様がその座に据えた人。
なかなか苦労してそうだった。
旦那様からは一日だけの約束でミシェルだけを表に引き連れて市井の暮らしを見学することになった。
もちろん、隠れて護衛はいるけど、ここは小さな炭鉱村。
人数は少数。大勢いても不審人物みたいになる事は間違いない。なにせここの住人はみんな知り合いみたいな感じなのだから。
外からの人間はすぐに分かる。
「では、まずは情報収集しなければなりません。つまり、こういう所ではお酒を飲むところと相場が決まっております」
「えっと、昼間ですけど……夜じゃなくていいんですか?」
「昼間に呑んだくれている人こそ、仕事のない人です。彼らからこそ話を聞くべきだとわたくしは考えております」
ミシェルもお手上げという感じで、従っている。
わたしも何も言うまい。
「考えようによっては夜よりかは危険じゃないかもしれませんよ」
ぼそりと言うミシェル。
店の中でわたしたちを守るのはミシェルだしね。
期待してますよ。
「では、行きますよ」
ロザリモンド嬢が堂々と入って行く。
慣れていない筈なのに、まるでこの店の常連のように中に入る。
入ってすぐ、ミシェルが一歩わたしの前に出た。というのも、中はほぼ満席。しかもガタイのいい男ばかり。
中にはまだ若い青年もいたが、誰も彼も雰囲気が暗かった。
そんな雰囲気の中新しく入って来た客が女二人と可愛い顔立ちの小柄な男のミシェルでは、かなりの場違い。しかも、見知った相手でもないので、すぐに視線が集まった。
鋭い目つきに、わたしは思わずミシェルに向かって呟いた。
「夜よりましって言わなかった?」
「普通はそう思うでしょう?」
ですよね……。まさか昼間から酒場に人が集まっているって思わないし。
「でも、様子はおかしそうですね」
昼間から飲んでいるのかと思いきや、お酒の匂いはほとんどしない。
むしろ、重い話でもしていたかの様子だ。
ここを選んだのが、広く多くの人が集まれる場所だったからなのかもしれない。
酒場とは、基本的に男の社交場なので集まりやすかったというのもあると思う。
「一波乱ありそうな雰囲気」
言わないで、ミシェル! それが本当になりそうだから!
それから、できれば余計なことは言わないでくださいね、ロザリモンド嬢。
一応袖を掴んで引っ張ってはいるけど、ロザリモンド嬢はこの店に集まった人とその雰囲気に眉をひそめている。
わたしの心の声はきっと届いていない。
彼女はぐるりと目で店の中を一周し、つかつかと店の主の元へ。
誰も何も言わずわたしたちを見ているけど、完全な部外者の乱入に一部の男たちが苛立っている様子が感じられた。
まあ、普通にお酒を楽しく飲んでいても、男の社交場に女が出しゃばるのは快く思われない。
当然、逆だって同じ。
ロザリモンド嬢は、その辺の心理をあまり理解する気は無いようだ。
わたしは内心びくびくしながら、ミシェルは警戒しながらロザリモンド嬢について行くと、店主に向かって質問した。
当然、声を潜めてなどという配慮は無い。
「これは、どういうことなのでしょうか? 今日はお休みですか?」
元から静まり返っているこの空間で、ロザリモンド嬢の声は良く響く。
幾人かが、ロザリモンド嬢の言った喧嘩を売るような言葉で立ち上がる。
乱入したわたしたちを快く思っていない人たちだ。
「ロザリモンド様!」
ミシェルはとっさに彼女を抑えようとしたけど、彼女は止まらなかった。
「お放しなさい。わたくしは質問しているだけですよ。止められる理由などないはずです」
「ロザリモンド様、一回出ましょう! ここにいる全員から話を聞くのは大変だと思います!」
炭鉱村で暮らしているであろう男連中が全員集まっているような場で、これ以上余計な事を言ってほしくない。
この人たちがなぜここに集まっているのかなんとなく理解したわたしは、とにかくロザリモンド嬢を引き離したくてしょうがなかった。
ミシェルもわたしと同じ事を考えているようで、ロザリモンド嬢が言いそうな言葉が彼らにとって好ましくないと判断している。
彼らは、おそらく――
「お休みならともかく、そうでないのならこのようなところにいるべきではありませんわ。それとも、休憩中なのでしょうか?」
ミシェルが手で顔を覆った。
ごめん、ミシェル! 止めるのが遅かったみたいだよ……。
本当にこの人は何も知らないのだ。
暗い雰囲気だったのが、一気に火が付いたように場の空気が変わる。
「おい、それどういう意味だよ」
怒りを押さえたその放たれた言葉は重く、低い。
まだどこか幼さを感じる声音は、ここに居る男たちの中では一層幼さを感じた。
「どういう意味とは、どういうことなのでしょうか?」
「俺たちが遊んでるって事言いてーのかって事だよ!」
「違います!」
間髪入れずに否定しても、遅すぎた。
彼らは、仕事をさぼっている訳でも遊んでいるわけでもない。
そう、働きたくても今は出来ないのだ。
なにせ、ここを統括していた人物がいなくなり、彼らを焚きつけ統括者と甘い汁を啜っていた引率者もこの地の領主が近くまで来れば、逃げ出すだろう。
どんな罪を犯していたのか理解しているのだから。
そうすれば、統率者を失ったここは仕事どころではない。
炭鉱夫はただ炭鉱を掘る人たちで、その石炭がどこに運ばれてどのように売られているかなどの販売経路を知るはずもなかった。
上がいなくなれば、当然まともに給与は支払われないし、仕事どころではない。
こんな小さな村では、その事実はすぐに知れ渡るはずだ。
ここに居る人たちは、仕事の内容はともかく、真面目に働いてきた人たちなのだ。
騙されて働かされて、知らないとはいえ罪を犯している。それでもきっと言われた通りに働いてきた。
そんな人たちにロザリモンド嬢の言葉は怒りを誘う以外のなにものでもない。
「違う? じゃあなんだよ!」
「そ、それは――……」
声高に叫んでいるのはまだ年若い、わたしと同世代くらいの男の子。
きっと、彼がここにいる全員の気持ちを代弁している。
「し……視察を――……」
「はぁ? 視察だ?」
明らかに信じていない響きだ。
「そ、そうなんです。こちらのご領主様はここの現状を憂いております! それでわたしたちが先だって視察を命じられたんです!」
本当ではないけど、嘘でもない。
ここで何か事業を起こすのなら視察は必要だし、現状把握も必須だ。
ただそれは今ではないし、旦那様が明日ここに来てから正式に行う予定になっている。
「わたしたちは女性の仕事を視察させていただきたくて……ほかにも男性を何人か連れてきておりますの! 他の方は外で待っています。炭鉱の事も知りたいのでどなたか案内してくださると助かります!」
「リーシャ様――わたくしは……」
「ぜひ、お願いします! 炭鉱の現場というのはどのくらい過酷なのか体験もできればと思います!」
ロザリモンド嬢の言葉を遮るようにわたしが一気に言い切った。
ざわつく空気に、でまかせ半分のわたしは背に汗が流れる。
ここで暴動にでもなったら、事業どころではない上、悪感情は今後の交渉にいい影響はない。
特にこの閉鎖的な小さな村ではきっと顕著だと思う。
「いいだろう――……」
静かな声は後ろから聞こえてきた。
振り返ると、店主がこちらを見ている。
「嘘か本当か、そんなのは分からんが――。少なくとも言葉だけの奴らとは違う。穴を掘るだけの楽な仕事――そんな事を言うやつらとはな。炭鉱の仕事が過酷だという事を理解している時点でまだましだ」
その三白眼は冷静な知的さを感じた。
彼の言葉を否定し止めるものはいない。それだけで彼の人物がここにいる全員の中心人物である事には違いないと確信した。
叫んでいた若い彼も不貞腐れたような顔をしていたけど、口をつぐんでいた。
むしろ、もしかしたら男連中だけでなく、この村全員の中心人物なのかもしれないと感じた。
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