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89 変わってきたと言われましても!

 

 ***



 結局のところ、『リーシェが皇太子妃の身代わりである』というレオの誤解は解かないままにしておいた。

 彼の目は確信に満ちており、リーシェがいくら弁解しても信じてもらえそうになかったからだ。


 神殿に戻ったリーシェは、ひとりの食堂で小さく息をついた。そして先ほどの、レオとのやりとりを思い出す。


『あの……ええと、私は身代わりではなくて……』


 迷いながら口を開いたリーシェに対し、レオは大真面目にこう言った。


『身代わりは皆そう言うんだ。多分だけど』

『そうかもしれないけれど! そもそも皇太子殿下ならともかく、その婚約者や妃にわざわざ身代わりは立てないというか』

『心配しなくていい。あんたはさっき、俺が森に入ったことを「誰にも言わない」って言っただろ?』


 レオはまっすぐにリーシェの目を見て、真摯な表情をする。


『だから、俺も約束する。あんたが偽物だってことは誰にも言わない』

『……』


 こうして妙に頼りがいのあることを約束されては、曖昧なお礼を言っておくしかない。


(まあ、特に訂正する理由もないものね……。それにしてもレオは、基本的にはつっけんどんなのに、妙に面倒見がいいというか)


 そんな風に思いながら、ナイフとフォークを動かした。

 ひとりで使うには広い食堂だが、アルノルトはなかなか現れない。どうやら夕刻にミリアが起こした騒動によって、公務に遅れが生じたようだ。


 やがてリーシェが食事を終え、食後のお茶を飲んでいると、オリヴァーがやって来てこう言った。


「我が君を夕食にお連れできず、申し訳ございません。……そしてリーシェさま。教団とジョーナル公爵閣下から、とある嘆願が来ておりまして」

「もしや、ミリアさまのことで?」

「ええ。薄々お察しかもしれませんが、『祭典の準備にリーシェさまのお力が借りられないか』という要請です」


 部屋の入り口に立ったオリヴァーは、胸に手を当てた姿勢でこう続けた。


「何よりも、ミリアさまご本人から、『リーシェさまがいい』と強いご希望があるようで」

(お、お嬢さま……!)


 胸の奥がきゅんとして、即座に快諾したくなる。

 けれどもリーシェの立場上、独断で返事をするわけにはいかないことだ。


「そのお話は、アルノルト殿下にも?」

「いいえ、先にリーシェさまのご意向を聞いてからと思いまして」

「……それはつまり、殿下への伝え方をなんとかしないと、確実にご機嫌を損ねるからですよね?」

「はははは」

「……」


 オリヴァーは爽やかな笑顔を浮かべるが、まったく誤魔化せてはいない。

 リーシェは額を手で押さえ、ティーカップをソーサーに置いた。


(どんな理由かは分からないけれど、殿下は私と教団が接触するのを嫌っていらっしゃるようだったわ。祭典の手伝いなんて要請を知ったら、どんな反応をなさるか……)


 少なくとも、あまり穏便な光景ではなさそうだ。

 リーシェは色々と考えて、オリヴァーに告げた。


「オリヴァーさま。この件は、私からアルノルト殿下にお話ししたいのですが」

「いいえ、リーシェさまにそのようなお役目をさせる訳には参りません」

「ですが……」

「お怒りは自分が引き受けますので。どちらかと言いますと、リーシェさまにはその後の回復をお助けいただきたく」

「か、回復?」


 よく分からずに鸚鵡返しをする。

 とはいえ、ここはやはりオリヴァーでなく、リーシェからアルノルトに交渉するのが筋だろう。


(お嬢さまとご一緒できるのは、私にとっても好都合だもの。ジョーナル家に接触する理由があれば、お嬢さまの『呪い』や公爵閣下の変化、レオの怪我についても探れるし……)


 それに、『祭典』の準備に携われることが出来れば、教団に対するアルノルトの思惑も分かるかもしれない。


(私がやりたいことのために、オリヴァーさまが怒られるのは理不尽だわ)


 そんなことを考えていると、オリヴァーが苦笑した。


「リーシェさまはお優しくていらっしゃる。だからこそ、ミリアさまもリーシェさまにお心を許すのでしょう。あそこでミリアさまに抱きつかれたのが我が君であれば、事態を余計に悪化させていましたよ」

「私が特別どうということはございませんが、アルノルト殿下とミリアさまの交流は想像がつきませんね……。そもそもが、殿下はお子さまがお好きでないと仰っていましたし」

「……」


 そう言うと、オリヴァーは呆れたような表情を浮かべた。


「……それは、間違っても未来の奥方に言うようなことではないですね」

「え」


 思いもよらない返事をされ、目を丸くする。

 そんなリーシェの心情を知らず、オリヴァーは大真面目に頭を下げた。


「申し訳ございませんリーシェさま。我が君には後ほど自分のほうからも、きつく申し上げておきますので。まったくあの方は、いずれお世継ぎを教育する立場になる自覚が――……」

「あーっ、いえいえ全然大丈夫です!! まったく気にしないで大丈夫ですから、あの! それよりえーっと!!」


 オリヴァーの言葉を掻き消しつつ、リーシェは慌てて話題を変える。


「お子さまっ、そう、お子さま時代!! 幼少の砌のアルノルト殿下は、どのようなご様子だったのですか!?」

「わ、我が君のですか?」

「はい! 是非ともお聞かせいただきたいです!」


 咄嗟に思い付いた質問だったが、確かに聞いてみたいことでもあった。リーシェに気圧された様子のオリヴァーが、戸惑いがちに口を開く。


「素晴らしく優秀な皇太子殿下でしたよ。自分が初めてお会いしたのは十年前ですが、我が君の評判はそれより前から聞き及んでいました」


 そうしてオリヴァーは、こんな風に教えてくれた。


「あの方の大変な神童ぶりは、国内の噂のみに留まらず。たとえば砂漠の国ハリル・ラシャから当時の国王陛下がいらっしゃる際には、必ず御子息を伴って、我が君との意見交換や剣術の手合わせをなさっていたそうです」

(『御子息』というのはきっと、ザハド王のことね)


 そういえば砂漠の王ザハドは、アルノルトと何度か面識がある様子だった。


 商人人生のリーシェに、『アルノルト・ハインが戦争を始めた』という事実を早急に伝えてくれたのがザハドである。

 そのときのザハドの好戦的な表情を、リーシェは不意に思い出した。


(アルノルト殿下とザハド王。……おふたりは年齢こそ近いけれど、国力がほぼ均衡する国の王族同士で、なによりも性格や考え方が正反対だわ。ものすごく気が合わなさそう……)


 そもそも砂漠の国ハリル・ラシャは、アルノルトが戦争を起こす未来において、ガルクハインと対等に渡り合う国のひとつだ。婚姻の儀でふたりが対面した場合、あまり円滑に交流が進まない予感がして遠い目をする。

 しかし、いまから憂いていても仕方がない。


「オリヴァーさまが九歳の殿下にお会いした際も、やはり噂通りのお方だったのですか?」

「……自分は皇城に呼び出され、謁見の間に跪いてあの方がいらっしゃるのを待っていました。眼前の椅子に我が君が腰を下ろし、顔を上げることを許されたあと、とても驚きましたね」


 オリヴァーは、苦笑に近い微笑みを浮かべた。


「初めてお目通りした際の我が君は、全身に痛々しい傷を残したお姿でした」

「――……」


 リーシェは思わず目を見開く。


「小さな頬には大きなガーゼを貼り、こめかみに包帯を巻いて、腕や指先にも多くの傷が見て取れました。首筋の傷がなかなか塞がらないのか、喉元までを覆う包帯には鮮明な色の血が滲んでいた。……大の大人であろうとも、傷そのものの痛みや、それに伴う発熱などで苦悶するはずの傷でしょう」


 アルノルトの首筋には、古傷の跡が残っている。

 刃物で何度も刺されたかのような、大きくて深い傷跡だ。無意識に、ドレスの裾を握りしめる。


「ですが幼い我が君は、平然と椅子にお掛けになっておいででした。苦痛の色など一切浮かべず、それどころか凍り付いたように冷えた目で、椅子の肘掛けに頬杖をつきながら」


 見たことすらない光景なのに、ありありと脳裏に浮かぶようだ。

 九歳という年齢は、いまのレオやミリアよりも幼い。それなのに、大怪我を負ってなお無表情でいるアルノルトの姿は、想像してみるだけでも異様だった。


「当時から整ったお顔をされていましたから、その顔立ちによる雰囲気も相俟ったのでしょうか。幼い子供が放っているとは思えないほどの、凄まじい威圧感でしたね。周囲に控えていた者たちなど、我が君に気圧されて震えていた」

「……お昼に聞いたお話では、『臣下を殺めた』とのことでしたが」

「はい。我が君に侍従が少ないのは、その事件以降の慣例です」


 事も無い調子で言い切られ、リーシェは口を噤む。

 軽やかに語るオリヴァーだが、その件に関しての仔細を話すつもりはないのだと分かったからだ。


「そのときに色々なことがあり、自分は我が君にお仕えすることを選びました。お怪我が回復するにつれて、我が君はより一層その才覚を発揮するようになりましてね。……ですが、どれほど皇太子としての成長を遂げられても、ひとりの人間としてはどこか歪なままでいらした」


 オリヴァーが、弟のことを語る兄のようなまなざしでリーシェを見下ろす。


「だからこそ。……リーシェさまのような方をお妃に選んでくださって、ほっとしていますよ」


 思わぬ方向に話を振られて、リーシェは瞬きをした。


「私は、アルノルト殿下のお役に立つようなことは何も」

「そのようなことはございません。それに、我が君はとても楽しそうでいらっしゃいますよ。あれほど穏やかに誰かの名前をお呼びになるところを、自分は一度も見たことがありませんから」

「う……」


 そんな風に言われると、ただ名前を呼ばれるだけのことが気恥ずかしく感じられる。

 リーシェが小さく俯くと、オリヴァーが「おや」と瞬きをした。


「リーシェさまも、以前とご様子が違いますね」

「え!?」

「ガルクハインにいらしたばかりの頃、『あんなに楽しそうな我が君を見るのは初めてです』とお伝えした際は、それほど嬉しくないご様子でしたから。順調に絆を育んで下さっているようで何よりですよ、ははは」

「い、今のは……! 違います、なにか特別な意味を込めたつもりではなく!!」


 でなければ、なんだと言うのだろうか。


(……いまの私は、殿下が笑うと嬉しいもの)


 それは確かな事実なので、どうにも困ってしまうのだ。

 リーシェは慌てて立ち上がると、オリヴァーに一礼した。


「私、アルノルト殿下をお呼びして参ります。いくらご公務が終わらないといえど、食事は取っていただきたいので!!」

「ありがとうございます。リーシェさまにお声掛けいただければ、あの方も公務を切り上げるかと」

「で、では失礼します!」


 リーシェは顔を上げ、急いで食堂から廊下に出た。オリヴァーの方を振り返らず、神殿の東側へ歩き始める。




「……我が君も、未来の奥方に残酷なことをなさる」




 オリヴァーが呟いたその言葉は、聞こえないままだった。




 ***




(妙なことを考えたせいで、ほっぺたが熱い……)


 客室棟を出たリーシェは、回廊を通ってアルノルトのいる塔へ向かう。涼しい夜風に当たったお陰で、火照りは少し冷めただろうか。


 アルノルトの気配を辿り、彼が司教たちとの会議に使っている部屋を探していると、不意にこんな声が聞こえてきた。


「――それにしても。リーシェ殿は、あなたさまの素晴らしいお妃になられるでしょうね」

(!?)


 大司教の補佐をしているという、シュナイダーの声だ。


(ま、また妙な話題が……!? それにこの気配……)


 リーシェが慌てて足を止めると、廊下を曲がった向こう側からは、アルノルトの声も聞こえてくる。


「教団の人間に、我が妻の評価をされる謂れはない」


 響いていた足音が、ぴたりと止まった。


 この先にいるのは、アルノルトとシュナイダーのふたりだけらしい。

 リーシェが気配を殺していると、シュナイダーが苦言を口にする。


「アルノルト殿下。すべての婚姻は、女神と教団の祝福によって結ばれるもの。我々はあなた方の結婚の関係者ですよ」

「黙れ。……第一に、彼女がどのような妃になるかなど、意味のない議論だ」


 アルノルトが、普段よりも一層冷たくて無機質な声で言い放った。



「――あれは、飾りの妻にする予定だからな」



 曲がり角の死角になる場所で、リーシェはこくりと息を呑む。


「な……何を仰るのです。先ほどは、仲睦まじいご様子だったではないですか」

「あれには利用価値がある。婚姻を結ぶまでは、仕方なく尊重しているに過ぎない。……正式な妻として迎え入れた暁には、指一本触れることもなく、離宮に閉じ込めて飼い殺すだけだ」


 いささか不機嫌そうではあるものの、その言葉には重みが感じられた。

 傍で聞いているシュナイダーが、困惑したようにこう述べる。


「か、飼い殺すなど……! 奥方にそのような接し方をするのは、女神の意向に反しますぞ!」

「そんなものは、俺の知ったことではないな」

「アルノルト殿下!」

(…………)


 リーシェは少し考えたあと、足音を立てずに後ろへ下がる。

 たっぷり十秒ほど数え、こつこつと靴音を鳴らしながら、アルノルトたちのいる方へと廊下を曲がった。


「……こ、これは、リーシェさま」


 司教のシュナイダーがこちらを見て、いささか動揺した顔をする。

 リーシェはにこりと微笑んで、「こんばんは」と挨拶をした。


 そのあとで、シュナイダーの隣に立つアルノルトを見上げ、表情を変えて口を開く。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] なんというか、皇太子妃の位で太公息女を「お嬢様」呼びは違和感が笑 いやまあ、前世がもとになっているからそうなのは理解していますけども。
[一言] ワァ~なんだか、スゴイこと聞いちゃった。 この話は、表向き的な発言なのか、本心からなのか。 今までの、アルノルトを思うと、表向きと思いたい。 リーシェも傷つくかもしれないが、そのあたり、アル…
[一言] この時点で戦争するつもりがあって、でもリーシェのことは離宮に隠して守るつもりかな…… 変にアルノルトがリーシェを愛していると知られて狙われないように。
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