81 想像していた通りです
(でも、まさか本当についてきて下さるなんて)
大神殿に向かう馬車の中で、リーシェはぼんやりと考えた。
向かいの席のアルノルトは、黙々と書類仕事を続けている。酔わないのか心配になるのだが、ずっと涼しい顔だった。
彼の傍に積まれた書類の束は、従者であるオリヴァーが死にそうな顔をしながら渡してきたものだ。なお、別の馬車にこれとは別の束が積まれている。
(まあ普通は無茶よね、皇太子がなんの準備もなく一週間も国を空けるなんて! オリヴァーさまごめんなさい。アルノルト殿下が居て下さるお陰で、一定区間ごとに新しい馬を借りられて、想定以上の順調さで神殿に向かえています……)
道中で摘んだ薬草の処理をしつつ、リーシェは心の中で謝罪した。
「……それにしても、さすがはガルクハインですね」
そんな風に話しかけながらも、解毒剤に使える花のがくを解してゆく。
「大神殿までの道が、こんなに綺麗に整備されているだなんて。そうでなければ、いくらドマナ聖王国がお隣の国とはいえ、これほど楽に移動はできなかったと思います」
馬車での長旅とくれば、振動のせいで疲れも溜まりやすいのだが、舗装された道のお陰で負担も少ない。
アルノルトは無関心な表情で、書類をめくりながら答える。
「この道の補修には、潤沢な予算が組まれている。大神殿へ礼拝に向かう人間が多いおかげで、街道周辺にある町からの税収が高いからな」
「人が長距離を移動すれば、それだけでお金が動きますからね。……とはいえ往来があるということは、ガルクハインには敬虔な信徒が多いのですか? 教団が大神殿のすぐそばまで往来することを許しているのは、ガルクハインからの街道だけですし」
リーシェはそれも気になっていた。なにしろガルクハインと教団の力関係は、世界でも他に類を見ないものだからだ。
教団は、国家の枠を超えた力を持つ。
そのため本来ならば、大国やその王族が相手であろうとも、一切の優遇をしない。
教団にとって特別なのは、女神の血を引くと言われる血筋の姫君だけだ。
それなのに、ガルクハイン国を相手にしたときだけ、教団は少しだけ違ったそぶりを見せるのである。
世界で二番目に大きな教会が、ガルクハインに存在することもそのひとつだ。教会によって権威の差が出ることのないよう、他の国々の教会は、どれも同程度の規模で造られているはずなのに。
(教団がガルクハインを特別視しているだけじゃない。ガルクハイン側だって、教団のあるドマナ王国には侵略していないのよね)
ドマナ聖王国が『隣国』なのは、ガルクハインとドマナ国のあいだにあった国々が、戦争によってガルクハイン領になったからだ。
(教団の本拠地であるドマナ聖王国は、強い武力を持つわけではないのに。ガルクハインは侵略することなく、自国の南側に存在を許している)
現皇帝であるアルノルトの父は、積極的に戦争を仕掛けてきた男だ。アルノルトの言葉の端々からも、好戦的な人物であることは察せられる。
それなのに、『政治的に重要だが戦力は乏しい』という国を相手に、どうして友好関係を保ったまま放置しているのだろう。
(商人人生であちこちを飛び回っていたときの噂では、『ガルクハイン皇帝は信心深い』なんて聞いたこともあったけど……アルノルト殿下が教会を焼くのは、そんな信心深い父君との確執のせい?)
「そんなことより」
アルノルトは書類から顔を上げ、リーシェの目を見た。
「本当に、侍女を同行させなくて良かったのか」
「はい。いまの時期、大神殿は立ち入ることの出来る人が限られますから。神殿への滞在中、近くの街で待機させるくらいなら、離宮に残ってもらった方がいいです」
「――祭典か。間の悪い時期に重なったものだな」
(むしろ、その祭典準備に重なるように日程を組んだとは言えないわね……)
そんなことを考えていると、馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。
リーシェは窓の外を見てみるが、ここは街道の途中にある森の中だ。目的地でもなければ、休憩が出来そうな場所でもない。
にもかかわらず、やがて馬車は完全に停まった。アルノルトが動こうとした気配を察知して、リーシェは彼の袖をしっかりと掴む。すると、アルノルトは眉根を寄せた。
「……異常が起きたらしい。お前は馬車の中に残れ」
「二度も置いていかれるつもりはありません。閉じ込められたところで無意味だということも、殿下はとっくにご存知でしょう?」
アルノルトと乗っている馬車に異常が起きるのは、これで二回目だ。
前回はアルノルトに遅れを取ったが、今回はそうはいかない。
「……まったく」
アルノルトは溜め息をついたあと、自分が先に馬車を降りて、リーシェに手を差し伸べた。
リーシェは微笑み、その手を取って馬車を降りる。皇太子用の馬車の前には、護衛の騎士が乗った馬車が停まっていて、馬車の外に出た騎士たちが困惑した表情を浮かべていた。
「何があった」
「アルノルト殿下。それが、他国の馬車が街道を塞いでいるようでして」
その報告を聞き、リーシェは嫌な予感がした。
(まさか……)
とある人物の姿を思い浮かべると、ほとんどそれと同時くらいに、想像した通りの声がする。
「――ぜったいに嫌なの! 嫌い嫌い、嫌なんだから!!」
明るく澄んだ少女の声が、辺りの森に響き渡った。
アルノルトがそちらに視線を向ける。純白の馬車の扉が開いて、中から十歳くらいの少女が飛び出してきた。
「こら、聞き分けなさい! なにが不満だと言うんだ。白い馬車はお前の希望通りだし、さっきまでは機嫌よく乗っていたじゃないか!」
「さっきとは気分が変わったの!! 今度は黒い馬車じゃなきゃ嫌。ぜーったい嫌!! じゃないと……」
そして少女がこちらを見る。
人形のように美しい容姿と、ぱっちりした大きな瞳。淡い紫色をした髪は、豊かなウェーブを描いている。
フリルのついたレモン色のドレスは、十歳という年齢にしては少々幼いものの、愛くるしい彼女の容姿によく似合っていた。
つやつやに磨かれた靴を履いたその少女は、リーシェたちが乗っていた馬車の色が黒であることを見とめるなり、決死の覚悟という顔で叫ぶ。
「決めたわ!! パパが私の言うことを聞いてくれないなら……っ」
そうかと思えば、全速力で駆けてきて、リーシェの腰に抱きついてこう叫んだ。
「この人たちの馬車に乗せてもらっちゃうんだから!!」
「ミリア!! よそ様にご迷惑をおかけするのはやめなさい!!」
(あああ……)
リーシェは少女を見下ろすと、心の中でそうっと溜め息をついた。
(相変わらずですね。ミリアお嬢さま)
彼女こそ、リーシェが侍女の人生で仕えていた家の令嬢であり、今回の『目的』のひとりなのである。