79 やたらと距離が近いのですが!
ここからはアニメの続きの内容となります!
※これ以前の小説の掲載話にも、アニメで泣く泣くカットされたシーンが複数含まれていますが、ストーリーのメイン部分はアニメで全て描かれています!
※漫画版のコミック6巻では、こちらの3章スタート回が含まれています。
★アニメの続きは、コミック7巻からではなく6巻内に収録されていますので、こちらもご留意ください!
アルノルトから指輪を贈られた、その夜のこと。
夜会のホールに向かう道すがら、アルノルトの隣を歩いていたリーシェは、ふと思い立って口にした。
「アルノルト殿下はどうして、あのとき私に求婚なさったのですか?」
出会ったばかりの頃、何度か彼に尋ねた問いだ。
あのときははぐらかされたのだが、そろそろ教えてくれるのではないだろうか。そんな風に期待して見上げると、アルノルトは真顔でこちらを見る。
そのまま、平然とした表情で口にした。
「言ったはずだが。お前に惚れていたからだと」
(……だからそれ、ぜったい嘘じゃないですか……!)
出会った瞬間を思い出しても、アルノルト・ハインに好かれそうな要素は見当たらない。
そしてあのアルノルト・ハインが、その場の勢いによる求婚なんてするはずもないのだ。リーシェはいささか拗ねつつも、取っておいた言質を差し出した。
「……そのあと、『お前を利用するつもりで求婚した』とも仰いましたよ」
「そうだったな。――まあ、理由などはなんでもいいだろう」
(殿下にとっては、そうかもしれませんけど!)
リーシェにとっては人生の分岐だ。すべてを知りたいとまでは言わないから、もう少しくらいは情報が欲しいところである。
不服な気持ちを顔に出したら、アルノルトは面白がるように笑った。この調子で、どうやったって求婚の理由を教えてくれるつもりはないらしい。
薬指の指輪をじいっと見つめ、リーシェはひとつ決意をする。
(そろそろ、次の段階に進むべきね)
***
「そんなわけでテオドール殿下。――お父君とアルノルト殿下の関係について、教えていただきたいのですが」
「……君、けっこう思い切ったところに踏み込んで来るよね……」
芝生に寝転んだテオドールは、リーシェが向けた問い掛けに呆れた顔をした。
降り注ぐ陽光が眩しいのか、彼はリーシェを見上げたあとで目を擦る。
気乗りしない様子ではあるものの、律義に体を起こしてくれるのだから、兄同様にとてもやさしい。
「婚約者とそのお父さまとのお話は、私にとっても重要ですので」
テオドールの傍にハンカチを敷いたリーシェは、その上に座って膝を揃える。
「テオドール殿下といえば、アルノルト殿下のことに最も詳しいお方。きっと何かご存知ではないかと、こうして頼りに来た次第です」
「ふふん、まあそれほどでもある。兄上に関する知識であれば、この世界の誰にも負ける気はしないな」
リーシェがぱちぱち拍手をすると、テオドールは誇らしげに胸を張る。そのあとですぐさま膝を立て、その上に頬杖をついて口を尖らせた。
「……って期待されたところで悪いけど、それに応えられる気はしないな。いくら義姉上の頼みといえど、報酬に兄上の新情報を差し出されようと!」
「と、言いますと」
「僕は父上と喋ったことがない。兄上と父上の関係について、探れる範囲では探ってみたけど、父上と兄上は公の場で会話をしないからね」
芝をぷちぷちと毟りながら、テオドールが続ける。
「父上から命令が下るときも、兄上はひとりきりで謁見の間に呼ばれるんだ。オリヴァーや父上の従者たちも、その場に同席することは許されないって」
(……つまり、徹底的な人払いがされている……?)
「でも。母君のことなら、ちょっとは知っているよ」
俯いていたリーシェは、思わぬ言葉に顔を上げた。
「確かアルノルト殿下の母君は、テオドール殿下の母君とは違うお方なのですよね」
「まあ、そんなのは珍しくない話だけどね」
そしてテオドールの母であった女性も、すでに亡くなっていると聞いている。
ガルクハイン皇帝のいまの妃は、兄弟にとって血の繋がらない相手だ。
「……覚えてる? 兄上が、実の母親を殺したって言ったこと」
どこか寂しげな無表情で、テオドールに尋ねられた。
リーシェは頷き、そのときは聞かなかった問い掛けを口にする。
「一体何があったのですか?」
「兄上の母君は、ずっと兄上を憎んでいたらしい。兄上を遠ざけて、顔を見たら罵詈雑言を浴びせて。そんなことが長年続いていたある日、兄上が母君を剣で刺したそうだよ」
テオドールは、静かな声でこう続けた。
「左胸を、まっすぐに剣で貫いたって」
「……」
リーシェは不意に思い出す。
六度目の人生において、アルノルトの剣によって死んだこと。
彼の差し向けた剣尖が、リーシェの心臓を刺したのだ。
「そのことは、確かなのですか?」
「公には隠されているけれど、この国の重鎮であればみんな知ってる」
テオドールは、どこか苦い表情でこう続ける。
「兄上の母君は、とある国のお姫さまだったんだって。父上の命令で、人質同然に嫁がされたらしい」
「……以前、殿下に教えていただきました。皇帝陛下は、アルノルト殿下の妻の条件として、『他国の王族の血を継ぐこと』を課したのだと」
リーシェの場合、故国の王家につらなる血を引いている。
遠縁ではあるが、それによって認められたのだとアルノルトが言っていた。
(母君のことが分かれば、アルノルト殿下が私に求婚した理由……この結婚によって何をするつもりなのか、その片鱗が見えるかも)
だが、この考えは甘いだろう。
(それが分かったところで、数年後の戦争を回避する策に繋がるかは分からないわ。やっぱり戦争開始の発端となる、父親殺し……現皇帝へのクーデターについて、調べないといけない気がする。それに、あの件についても)
色々と算段をつけていると、テオドールが大きく伸びをして立ち上がった。
「ふわあ、そろそろ戻るかあ……」
「ごめんなさい。休憩中に、お邪魔でしたよね」
「本当だよまったく! まあ、兄上の話が出来る時間は何物にも代えがたいから良いけど。あー、いま何時かな……」
「お昼の三時過ぎですね。太陽の位置から計算すると」
「……」
さっくり言い切ったリーシェを見て、テオドールは若干引いたような顔をした。
「時報を聞いたり時計を見たり、そういう動きをしてから即答してほしいんだけど」
「あくまでおおよその計算ですから、時計ほど正確ではありませんよ。……そういえば、テオドール殿下」
ずっと気になっていた件について、リーシェは未来の義弟に尋ねてみる。
「あちらに見下ろせる城下町、尖った塔の綺麗な建物がありますよね。あれは?」
以前、アルノルトにも尋ねたことのある問いだ。
テオドールは塔に目をやると、すらすらと答えてくれた。
「ああ、教会だよ。この大陸で二番目に大きくて立派だとかで、他国からも礼拝に来ることがあるんだって。月に一回集まって祈ったり、年に一回集まって歌ったり。それなりに重要な建物らしいけど」
「そう、なのですね」
やはり、確かめなければならないことがあるようだ。
リーシェは静かに目を伏せ、計画を立てる。
***
テオドールにお礼を言い、彼と別れたあとは、離れた場所で待機してくれていた騎士たちと離宮に戻った。
そうしてアルノルトの執務室を訪れ、彼とふたりきりにしてもらうと、それぞれ向かい合った長椅子に腰を下ろす。
リーシェは膝の上に手を重ね、真摯な気持ちで名前を呼んだ。
「アルノルト殿下」
「……大真面目な顔をして、一体どうした」
「この度は、とある勝手なお願いがありまして」
視線で続きを促され、リーシェはきっぱりと口にする。
「――正式な、婚約破棄をしたいのです」
「…………」
アルノルトが、静かな視線をこちらに向けた。
「あ。といっても、もちろん以前の……」
リーシェが言い掛けたところで、アルノルトが立ち上がる。
そうかと思えば、リーシェの隣に腰を下ろした。間近からじっと見据えられて、リーシェは僅かに息を呑んだ。
「……お前がそれを願うのなら」
「? はい」
最後まで説明していないのだが、アルノルトは続きを求めてこない。
(アルノルト殿下のことだから、今回も私の思考を先回りして、意図を汲んでくださったのかも)
そう思っていると、形の良い手が伸びてくる。そして、珊瑚色をしたリーシェの髪を梳くように撫でた。
「ひゃ」
先日、直接触れてもいいと伝えてからというもの、アルノルトは時折こうしてリーシェの髪を撫でる。
耳の横に触れるようなやり方のせいで、妙にくすぐったいし落ち着かない。アルノルトからしてみれば、何らかの動物でも撫でているつもりなのだろうが、不意打ちなせいで心臓に悪いのだ。
挙げ句の果てに顔が近くて、追い詰められているような気持ちになる。
「っ、殿下?」
リーシェの知る限り、世界で一番美しい顔をしたその男は、いつもより僅かに低い声でこう囁いた。
「その場合、俺はいかなる手段を講じても、お前の邪魔をしなければならないが」
「……え」
その宣言に、絶句する。
どうしてこんなことを言われたのかと考えたあと、すれ違いがあることに気が付いた。
「お、お待ちください!! 私の言葉が足りませんでした、やっぱり最後まで説明します!! なのでちょっとだけ離れてください!」
「離さない。お前はいま、婚約破棄をしたいと言ったのだろう?」
「そうですが、そうじゃなくて!! アルノルト殿下の企みから逃げ出すつもりなんてありません、私が正式に破棄したい婚約というのは……!!」
――――以前の婚約者との。
「……」
そう付け足すと、アルノルトは深く眉根を寄せたあと、大きな溜め息をついたのだった。