60 未来のために
ここからはアニメの続きの内容となります!
※これ以前の小説の掲載話にも、アニメで泣く泣くカットされたシーンが複数含まれていますが、ストーリーのメイン部分はアニメで全て描かれています!
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「――よし! ルーシャス、これはどうだ!?」
びゅんっと風を切る音のあと、騎士候補生のスヴェンがそんな風に声を上げた。
少年姿に男装していたリーシェは、目を輝かせながら拍手する。スヴェンが握る木剣は、とても見事な剣筋を描いたのだ。
「スヴェンすごい! いまの型、とっても綺麗だったよ!」
人が上達する姿というのは、外から見ていてもわくわくする。
リーシェの言葉に対し、スヴェンは一瞬嬉しそうに顔を綻ばせたあと、すぐさま引き締めるように居住まいを正した。
「まあ、俺ともあればこのくらいは当然だけどな。……へへっ」
素振りを何度も繰り返し、先ほどの感覚をなぞっている。反復練習は基本のひとつなので、積極的なのはとても良いことだ。
リーシェは自分の木剣を下げると、陽の高さでおおよその時間を確かめる。
「そろそろ時間だから、少し休憩したら訓練場を掃除しようか」
「ふん、俺はお前に掃除でだって負けないぞ。その前にちょっと、水でも飲んでくる」
「うん、いってらっしゃい」
井戸の方に向かったスヴェンを見送り、リーシェはくるりと振り返った。
「ねえフリッツ。さっきの手合わせで……」
「うわあ!」
「え!?」
声を掛けたとたん、後ろで素振りをしていたフリッツが木剣を取り落とす。どうやら驚かせてしまったようだ。
「ごめん! 集中してたんだね」
「あ、そ、そういうわけじゃないんだ! いや、集中はしてたけどさ!」
慌てて木剣を拾おうとしたフリッツの指が、同じく手を伸ばそうとしたリーシェの指に触れる。たった一度、ほんの一瞬だけ当たった程度だ。
それなのに、フリッツは声を上げて後ずさった。
「うわーっ!!」
「!?」
一体どうしたというのだろう。
「……あ、もしかして静電気? おかしいな、湿度のある季節には起きないはずなんだけど」
「違くて、ルー!! お前なんでそんなに指が細くて華奢なんだよ……!」
「ゆ、指!?」
そんなことを言われてぎくりとする。騎士だった人生において、ある人物に骨格で女だと気づかれたのを思い出し、慌てて笑顔でごまかした。
「普通じゃないかな、こんなものだよ。フリッツたちは鍛えてるから、手も人よりしっかりしてるのかも」
「そ、そっか……いまのが普通、普通なんだな……」
ぶつぶつと呟いているフリッツを見て、やっぱり心配になる。昨日も寝不足だと言っていたし、やっぱり体調が悪いのではないだろうか。
「フリッツ、大丈夫?」
「あーっと、大丈夫だ! それよりも、ルーの方こそ大丈夫か」
そんなことを尋ねられ、瞬きをした。
「うん。僕は大丈夫だよ、筋肉痛も落ち着いてきたし」
「ならいいけど、今日はなんだか元気がないだろ? いつも訓練中、どんなにキツくても落ち込んだ顔なんてしてないのに。さっきもちょっと俯いて、溜め息ついてたみたいだから気になったんだ」
「!」
思わぬところまで見られていたことを知り、リーシェは驚く。
(やっぱりフリッツは、騎士としての素質がすごく高いわ。周りを注意深く観察しているし、自分の訓練をしながらここまで人に気を配れるなんて、簡単に出来ることじゃない)
こういう騎士は、隊長職にも向いているのだ。フリッツを頼もしく感じつつ、心配を掛けてしまったことを詫びた。
「ごめん。実はちょっと、色々考えることがあって」
「そっか。無理に聞いたりはしないけど、俺に出来ることがあったら、なんでも相談してくれよ? 誰かに話すだけでも、すっきりするからさ」
「ありがとう、フリッツ」
「ははっ、いいって!」
フリッツは、歯を見せてにっと笑った。
「もうちょっと座って休んでろよ。俺が水を汲んでこようか?」
「ううん、平気だよ。でも、フリッツはちゃんと水分を取ってきて」
「ん。分かった、じゃあ行ってくる」
井戸に向かうフリッツに手を振ったあと、リーシェはゆっくりとベンチに座り込んだ。
(……でも、言えるはずないわよね……)
数年後に戦争が起こる未来を変えたいことも、目下の課題がコヨル国との友好関係であることも、口には出来ない。
仮にリーシェが『両国に対等な関係で同盟を結んでもらうには、どうしたらいいと思う?』などと相談したら、フリッツはどんな顔をするだろうか。
昨夜、バルコニーでの会話を盗み聞いたあと、リーシェはアルノルトと話を出来ていない。
正確には、当たり障りのない会話はしたのだ。しかし、夜会の客人や護衛騎士たちの目があり、込み入ったことを聞くことは出来なかった。
もっとも、仮にふたりきりになれていたとしても、彼がカイルと話していたことには触れられなかっただろう。
(――いままでの人生でも、夕べの出来事は起きていたのかしら)
夕べはあまり眠れなかった。
膝を抱え、その上に額を押し当てて、リーシェは考える。
(カイル王子がこの国に来たのは、私と殿下の結婚祝いが名目だもの。あれはもしかしたら、今回の人生で初めて起きたことなのかもしれない)
仮に、昨夜の会話に似たやりとりが過去の人生で起きていたとしても、ガルクハインとコヨルが同盟を組んだことは一度もない。つまり、すべて決裂していたはずだ。
改めて、今回を逃すわけにはいかないと感じた。
コヨルの悲劇を回避したいのはもちろんだが、リーシェの中には他にも思惑があるのだ。
ぐるぐる考え込んでくると、知っている気配が近づいてくる。
「――オルコット。早いな」
「ローヴァインさま!」
不意に声を掛けられたリーシェは、慌てて顔を上げた。
「どうかしたか?」
「す、すみません!」
反射的に身構えてしまったせいで、訓練場に入ってきたローヴァインが少し不思議そうな顔をする。ほとんど表に出したつもりはないのに、さすがの観察力だ。
だが、まさか『昨晩ずっとあなたの気配から逃げていたので、つい反射で』とは言えなかった。
「先ほど、フリッツ・ノーランドの悲鳴が聞こえたのでな。何かあったのかと来てみたのだが、君が体調を崩したのか?」
「いえ、僕は単純に休憩してただけで!」
服についた砂埃を払いつつ、リーシェは弁明する。
「ちょっと、情けないことを考えていまして。それで後ろめたくて、つい挙動不審になってしまいました」
誤魔化しの説明ではあるが、まったくの嘘というわけではない。
「情けない、とは?」
少し悩んだあと、リーシェはこう尋ねてみた。
「もしもここに来ている騎士候補生が騎士になったあと、どこかの国と戦争をすることになったら。……そのときは、みんなが戦争に行くんですよね」
「……そうだな」
ローヴァインは、少し掠れた静かな声で肯定した。
「騎士を目指したその先に、みんなが危険な目に遭う未来があるかもしれないですよね。……そう思ったら、なんだか怖くなって」
その思いは、少し前からリーシェの中にあったものだ。
騎士として戦っていたころのリーシェにとって、ガルクハインは敵国だった。
かの国の騎士たちは本当に強く、敵として大変な脅威だったが、彼らが誰ひとり死ななかったわけではない。
フリッツたち候補生を見ていると、夢をかなえてほしいと思う。
けれど、いまのままでは確実に戦争が起きてしまうことも、リーシェは知っているのだ。
すると、ローヴァインが口を開いた。
「私の息子は、先の戦争で命を落とした」
「――!」
ローヴァインは、柔らかい笑顔でふっと息を吐く。
「誇り高く戦った末の、素晴らしい最期だったと息子を讃えたい。……しかし、私はその感情と同じくらい、息子に生きていてほしかったのだ」
「ローヴァインさま……」
何も言えなくなったリーシェに対し、ローヴァインがなおも聞かせてくれる。
「いまを生きている若者には、どうか健やかに成長してほしい。その未来は、大いなる希望に満ちていて欲しい。……息子を亡くして以来、私は心からそう思う」
やさしいけれど、さびしい声音だ。
ローヴァインはいつも、自分たち候補生を見守ってくれる。そのまなざしが穏やかな理由を、ここに来てようやく思い知った。
「戦争は、誰かの未来を奪うものだ。そんなものは起きない方が良いに決まっているし、騎士を目指している身であろうと、恐れるのは当然のこと。克服するには、立ち向かうしかない」
「立ち向かう、とは」
「自分の願い、感情を否定しないこと。そして、それを糧にして前に進むことだ。自分に出来ることは何か、それを見極めなさい」
「……」
その言葉に、リーシェは考える。
(私の願い。――それから、私に出来ること)
リーシェもかつては騎士だった。
尊敬できる主君に出会い、その人たちを守り抜くと誓った。そのためならば命は惜しくなかったと、いまでもそんな風に考えている。
けれど、とも思うのだ。
大切な人が危険に晒され、仲間たちが命を落としていく光景は、決して見たくなかった。
「ありがとうございます、ローヴァインさま」
「ああ。何事もなかったようなので、私は一度戻る。また後程」
「はい」
リーシェは頭を下げ、ローヴァインが訓練場から出て行くのを見送った。
そのあとで、改めて考える。
(自由に生きたい。死にたくない。そのために戦争を止めたい。……だけど、それだけじゃない)
再び地面にしゃがみこみ、目を瞑って、自分の内面を覗き込む。
(コヨル国に滅んでほしくない。それに……)
それに、と、くちびるの動きだけで呟いた。
(……いまのガルクハインは、武力によって世界各国から恐れられている国。私の祖国の国王陛下だって、アルノルト殿下の不興を買いたくないと怯えていた。ガルクハインは圧倒的な強国だからこそ、対等で友好的な関係を築けている他国が存在しない)
好戦的な政治を行ってきたのは、アルノルトの父である現皇帝のはずだ。
しかし昨晩のアルノルトは、『自分と皇帝は同類だ』と言い放った。どこか自嘲的な響きも含まれていたあの声音を、リーシェは思い出す。
(アルノルト殿下は、『他国と手を組むよりも、侵略する方が性に合っている』と仰っていた。――だけど、本当にそうなのかしら)
ガルクハインに来て一月半が経つ。そのあいだ、ずっと傍で見てきたアルノルトのことを考えると、リーシェはそうは思えなかった。
(アルノルト殿下が、ご自身をそういうものだと捉えていらっしゃるのであれば)
ゆっくりと、目を開く。
(――私は、そんなことはないのだと、あの方に伝えたい)
そのことを、アルノルト自身が知らないとしても。
言葉で告げるだけではなく、アルノルト自身にも分かってもらえるように。
(……ガルクハインが支配するのでもなく、敵対関係になるのでもない。そんな国が、コヨルだけではなく世界中に増えていったら、アルノルト殿下の未来の行動も変わるかもしれない)
リーシェはゆっくり立ち上がると、深呼吸をしたあとに自分の頬を叩いた。
それから、しっかりと前を見据える。
(考える、自分の願いを叶えるために進む! どうせ時間は進んで行くんだもの、行動しなくちゃどうにもならないわ!)
自分に発破を掛けていると、水を飲みに行っていたスヴェンとフリッツが戻ってきた。
「ルー、お待たせ。……あれ、なんかちょっと元気出たか?」
「うん。考えるのは必要だけど、悩むのは意味がないって気が付いたんだ」
まずはこの訓練が終わったあと、どんな行動を取るか計画する。
フリッツの言う通り、少し元気が出てきた、その矢先のことだった。
***
「――……諸君らの訓練を、特別にご覧いただくことになった。このお方こそ、諸君らが命を賭してお仕えすべき主君であり、この国の皇太子殿下であらせられる」
「……」
訓練の開始後。
訓練場に並ばされていた訓練生たちは、現れた人物の姿にざわついていた。
騒いではいけないと分かっているが、みんな興奮を隠しきれない様子だ。リーシェの隣に立つフリッツなど、最初に彼の姿を見たときは、驚きすぎてよろめいていたほどだった。
そんな中でリーシェだけが、悪い方に表情が引き攣りそうなのを必死にこらえている。
だというのに指導役のローヴァインの声は、容赦なくその人物の名を紡ぐのだった。
「アルノルト・ハイン殿下だ」
「――――……」
リーシェは頭を抱えたくなる。
目の前に立つ、世界一美しい色の瞳を持った男が、不機嫌そうな表情でリーシェを見ていた。