ロールキャベツ
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますがあまり活躍はしません。
・店主はふつうのおっさんです料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・初めてご来店のお客様はツケでの食事が可能です。
冬の身も凍るほど寒々しい風が擦り切れて指が通るほどの穴が開いたフード付きのマントとその下のボロ布同然の服を抜けていく感触に、サリアは思わず身震いをした。
「寒っ!」
思わず叫び声のような悲鳴を上げて、フードをさらに目深に被って延々と続く道を恨めしげに見る。
(道はこっちであってるはずなんだけど……)
故郷の村を出てから、一体どれだけ歩いたろうか。サリアたちが平和に暮らせるという都は遠く、靴に穴が開き、足にはいくつもの血マメが潰れた痕が残るほど歩いたというのに、未だにたどり着く気配はなかった。
(お腹空いたな……)
歩く道すがら、切ない鳴き声を上げた腹をおさえ、それから麻で作ったボロ袋の中を見て、ため息をつく。
袋の中にはもう食べられるものは何も入っていないし、ついでに財布の中には銅貨が数枚入っているだけであった。
都についたらなんとか兄を探し出さないと早々に干上がるのは明白であった。
(お兄ちゃん、まだ生きてるといいけど……)
ただただ歩く痛みを忘れようと色々なことを考える。
サリアが都に行くことを決めたのは、何年か前に家を出た兄からの誘いを受けてのことだった。
サリアと違い、戦う加護に優れていた兄は己の力を試したいと言って、何十年も前の戦争の頃に曽祖母が使っていたというボロ剣を盗んで家出した。
それから都に出て冒険者になったとかで、それなりに成功した……らしい。
あの兄のことだから盗賊にでも身をやつしているのかと思っていたが、どうも村を訪れる人間の行商人によれば都に小さな店を構えてそこそこ美人の妻を娶って、幸せに暮らしているらしい。
それならば、とサリアが故郷の村を出て兄のツテを頼ろうと思ったのが数ヶ月前のこと。
戦う力は弱いが体の丈夫さと夜目がきくことには自信があったサリアは、女だてらに一人で歩いて都を目指していた。
(もうお昼か……夕方までにたどり着けるかなあ)
夜目が聞くとはいえ、女一人での野宿はやはり怖いものがある。
出来るならばその前に都に入りたい。
そう考えて、少し足を早めた、その時だった。
(え? なにあれ?)
いきなり目の前に現れたそれに、昼の明るさで細まっていたサリアの瞳孔が思わず驚きに開く。
街道筋の森の木々の合間に立つ黒い扉。
サリアには慣れ親しんだ目を持つ猫の絵が描かれた扉が、ポツンと森の中に立っていた。
(なんだろ、これ……)
元来好奇心が強い方であるサリアは思わず扉に近づいて、観察する。
こんな森の中にある割に、泥も埃もついていない、綺麗な黒い扉。
よく磨かれた真鍮の取っ手が、サリアに触ってくれと言わんばかりに光っていた。
「……えいっ」
取っ手を回すと鍵はかかっていなかったらしく、チリンチリンと鈴の音を響かせながら扉が開く。
「……あっ」
きゅう、とお腹が鳴る。
開いた扉の先は、ぼやけていて何があるのか分からない、明るい部屋。
だがそこから漏れてくるのはなんとも食欲をそそる香りを帯びた、温かい空気だった。
思わず、サリアはその扉をくぐり、未知の場所へと入っていく。
「わあ……」
その扉をくぐった瞬間、ぼやけていた部屋の中が鮮明に見えて、サリアの瞳孔が細まる。
部屋の中では、何人かの人間が料理を食べていた。
「お前さんは分かっとらん! この世で一番可愛い孫はサラに決まっておろうが!」
「何をいうか。帝国の誇る至宝たる我が孫アーデルハイドが王国人に劣るわけがなかろう」
何やら茶色いものを口に運び、硝子杯に満たされた麦酒を飲みながら老人二人がどちらの孫がより可愛いかで言い争っている。
「ほう。やるじゃないか。まだ潰れないなんて、人間にしとくのが惜しいよ」
「光の神に仕える高司祭なんてやってると人生の楽しみっつったらこれくらいだからね。それよか、アンタだろ。最近公国で噂になってるウメシュの出処は」
その近くでは落ち着いた雰囲気のドワーフと人間の女が静かに、すごい勢いで杯を重ねている。
「それで、話って何?」
「ああ、エレン。そろそろよぉ……」
かと思えば食事を終えたらしき、サリアと同じくあまり楽な生活を送っているようには見えない若い男が、同じような格好の女に対して、何かを言おうと一大決心を込めて見据えている。
(なんなのここ? ……メシ屋?)
恐らく、メシ屋なのだろう。見たことも無い料理ばかりだが。
明るい部屋で食べられる、温かな料理の香りがサリアの鼻をくすぐり、胃袋に悲鳴を上げさせる。
「いらっしゃいお客さん。ここ、初めてかい?」
呆然と立っていると若い人間の男に声を掛けられてサリアはビクリと肩を震わせ、慌ててフードを深く被りなおしつつ、声のした方を見る。
目の前に立っていたのは、サリアより少し年上に見える青年であった。
髪も肌も汚れ一つ無く、着ている服もサリアのボロ布とは比べ物にならないほど仕立てがよくて清潔な白いシャツと黒いズボンを履いている、清潔な男であった。
その青年はお世辞にもあまり綺麗とは言えないサリアに対しても人懐こい笑みを浮かべて、答えを待っている。
「あ、あの……はい」
目を合わせないように少し俯きながらサリアは応える……顔を覗き込まれたらきっと気持ち悪がられるから。
「そっかそれじゃあ……ようこそ。洋食のねこやへ。席へご案内します」
そんなサリアの答えに青年は笑みを浮かべてことさら丁寧にサリアを席へと案内しようとする。
「あ! その……すみません。お金が無いんで失礼します……」
美味しそうな料理に後ろ髪を引かれながらも、サリアは恐縮して答えを返す。
財布の中には銅貨がたったの数枚。サリアのような服装でも入れるような場末の酒場でも料理一つか酒一杯頼むのが精一杯な持ち金だ。
とてもじゃないが、こんなところの料理が食べられる持ち合わせとは思えなかった。
「ああ、大丈夫ですよ。うちは初回だけは持ち合わせなくても料理出してますんで」
だが、青年はそんなサリアにこともなげに驚くようなことを言う。
「え?」
「いえね、どうもうちの店の入口って変なところにばっかりあるみたいで、最初は誰も料理屋の入口だって思わないみたいなんですよ。当然、お金持ってきてない状態でくぐる人も多いですし、うちの料理気に入ってもらえるかも分からないんで、最初だけはお代はツケでってことにしてるんです」
驚いたような顔のサリアに、青年は店のシステムを説明する。
「そんなわけでお代は次に来た時で結構ですんで、何か食べてっちゃ見ませんか? 自慢じゃないですけどうちの店、結構評判いいんですよ」
そんな話をしつつ、綺麗に整えられた卓の椅子を引いてみせつつ、言う。
「今日の日替わりはロールキャベツです。体あったまりますよ」
気取ってそんな言葉を言う青年に。
「……じゃあそれ、ください」
サリアは少し笑って見せた。
幸い、料理はすぐに来た。
「すみませんね。うちのバカ孫がサテン仕込みの接客とやらでちと調子に乗ったみたいで」
料理を持ってきたのは白髪の老人であった。恐らくはここの料理人で、話からすると先ほどの青年の祖父らしい。
詫びを入れつつ、ことりとサリアの前に緑の大きなものが浮いた深皿に入った赤いスープを置く。
「今日の日替わりのロールキャベツだ。パンは言ってくれれば幾らでもお代わり持ってくるから、遠慮しないで言ってくれ。お代はいくら食べても変わんないから」
そんな言葉と共に、綺麗な茶色いパンが純白の皿に置かれる。
「それじゃあごゆっくり」
そう言って老人が去ってすぐ、サリアは耐え兼ねて料理に手を伸ばす。
スープを掬いやすそうな、銀色に輝く大きな匙を手に取り、真っ赤なスープに沈めて、匙にスープを満たす。
持ち上げた瞬間、鼻に飛び込んでくるスープの香りにこくりと唾を飲んだあと、スープを口に運ぶ。
(……美味しい!)
少しだけ酸味がある、肉と野菜の味が溶け込んだスープをゴクリと喉を鳴らして飲む。
サリアのよく知る、ほんの少しだけ屑野菜が浮いているだけの水みたいなスープとは比べ物にならないほど濃くて美味しいスープが舌を通り、喉を通り、腹の中に落ちていく。
ほう、と胃袋に満ちた暖かさを吐き出すようにため息を一つ。
それは、久方ぶりのまともな料理であることを差っ引いてもサリアにとって生まれて初めて食べる美味だった。
手が止まらず、スープを何度も掬い上げては口へと運ぶ。
スープを飲むのに邪魔なフードを取り払い、飲んでいく。
(これ、スープだけでも十分美味しい……)
スープを飲んでいくうちに段々と見えてきた緑色の塊を見て、少し嬉しくなる。
この料理のメイン……先ほどの青年が言っていた『ロールキャベツ』という料理は察するにこの赤いスープに緑色の塊なのだろう。
再びゴクリと唾を飲みつつ、傍らにあったパンをむんずと掴んで口に運び……そのほのかな甘みと柔らかさに目を見開く。
付け合せの、先ほどの老人の言葉を信じるなら、いくら食べても値段は一緒という、おまけのような存在ですら、とてつもない美味だった。
「すみません! パン、もう一つ、いや二つください!」
思わず別の客の給仕をしていた青年に大きな声でもっと持ってきてくれと伝える。
「はい! 少々お待ちください!」
そんなサリアの言葉に青年は、よく通る声で返してくる。
(そ、それじゃあ今のうちに……)
そして、次のパンが来る前に、サリアは緑色の塊であるロールキャベツに手を伸ばす。
ゴロリと、赤いスープの深皿で泳ぐロールキャベツを、匙で切る。
よく煮込まれてスープを吸った緑の塊はあっさりと切れ、中身を見せる。
(……これ、お肉?)
緑色の葉野菜に包まれたそれの中身。それは煮込んだ肉の色をしたものが詰まっていた。
肉がたっぷりと詰まった緑色の塊をサリアは匙で掬い上げて、しげしげと見る。
スープに濡れて光って見える少しだけ赤みを帯びた緑の野菜と、煮込まれた茶色い肉がみっしりと詰まったロールキャベツ。
今すぐ食えとサリアの食欲がサリアに命じる。
それに抗うことなくサリアは思いっきりかぶりつく。
(……はぁ。お肉だ。お肉だよこれ!)
噛み締めるたびに溢れる肉汁が、葉野菜から溢れる酸味のあるスープと混じり合い、じゅわりと温かく口に広がる。
それだけでサリアの身体は温まり、心に嬉しさが満ちていく。
その嬉しさが愛おしくて、サリアは何度も何度も緑の塊を切っては口に運んでいく。
最初に見たときは結構大きく見えた塊は、あっという間にサリアの胃袋の中に消えていった。
「ほう……」
久しぶりに食べたまともな食事に、サリアは満足げにため息をつく。
美味しかった、とても。けど、まだ足りない。
「お待たせしました。パンのお代わりをお持ちしました……ロールキャベツのスープも、お代わりお持ちしますか?」
「はい! ……あ」
だからこそ、お代わりのパンを持ってきた青年に思わず全力で向き直り、真っ直ぐに目を見据えて言葉を発したサリアは、己の失敗を悟る。
(み、見られちゃった!)
慌ててフードを被り直して顔を隠すが、もう遅い。
バレてしまっただろう。自分の目が縦に割れた猫の瞳を持つこと……サリアが『魔族』であることを。
魔族を恐る人間は、まだまだ多い。
魔族が怖がられることなく暮らせる場所などサリアが目指していた帝国における魔族の都たる『魔都』くらいであろう。
「そ、その見ましたよね……」
おずおずと聞いてみる。これから追い出されるのではないかと、不安になりながら。
「え? なんか問題がありましたか?」
だが、サリアの予想に反して青年は不思議そうに首をかしげる。
「……え?」
「……えっと、綺麗な目ですね。なんていうか、猫みたいで」
思わず再び新顔の客に見つめられ、もしかしたら目がちょっと変わってるのを気にしているのかと気づいた青年は、お客さんに笑顔を向けて言う。
……残念なことに青年は女の子への褒め言葉はいつも恋人にダメだしされるくらい苦手としているため、あまり上手い言葉とは言えなかったが。
そして、その笑顔に答えるように、荒々しく扉が開かれ『常連』の一人が入ってくる。
「おう! カツドンだ! カツドンをくれ!」
「……ええ!?」
その入ってきた客……サリアより頭二つはでかい獅子の顔を持つ大男が、サリアとは比べ物にならないほど強烈な加護を受けた魔族であることに気づいて、サリアが驚いた声を上げる。
「……まあ、うちの客は変わった人が多いんで。ちょっと位変わってても大丈夫ですよ」
そんなサリアに引き続き料理を楽しんでもらおうと、青年は言葉を紡ぎつつ、そっとサリアの皿にパンを置く。
「それじゃあ改めて……ごゆっくり」
そして客の要望に応えるべく、厨房へとロールキャベツのスープを取りに行くのであった。
今日はここまで