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ブッシュドノエル

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・一部ケーキのホール購入は事前予約が必要ですのでご了承ください

帝都より離れた離宮の一室で、帝国第一皇女アーデルハイドは病に臥せっていた。

熱があるようで透けるように白い肌は赤く染まり、冬の寒さを微塵も感じさせぬほどに暖炉で十分に温められた部屋にいることもあってひっきりなしに汗を掻く。

目を閉じてはいるが眠れないのかまぶたはピクピクと震え、時折苦しそうに息を吐く。

赤くなった頬からとめどなく流れ落ちる汗を上質な布で拭いながら、アーデルハイドの側仕えであるハンナはじっと己の主人を見る。

(……皇女殿下は、お元気になられたのですね)

今まさに病魔に犯され、少し苦しそうに眠る皇女殿下を見ながら、先程離宮に詰めている御殿医から聞かされた診断の結果に大きな安堵とわずかばかりの寂しさを感じる。

アーデルハイドは今、病に犯されている。

だがそれはほんの数日、しっかりと休養すれば簡単に治るような軽い風邪。

……今、彼女を蝕む病魔はたったそれだけであった。

(ついに貧民殺しを退けられたのですね、殿下)

予兆はあった。

ハンナが病に倒れたアーデルハイドに仕えてもう二年……それぞれの個人差はあれど、貧民殺しが癒えるだけの時間が過ぎていた。

この二年、心穏やかな離宮での暮らしに馴染んだアーデルハイドは、日を増すごとに元気を取り戻していった。

帝国一の美人であると評された美貌には、離宮に移った頃には無かった生き生きとした光が宿り、よく笑うようになった。

女盛りである十八となって少しずつ女性らしい丸みを増し、それでもなお均整の取れた身体は女であるハンナから見ても惚れ惚れするほどで、きっと大陸一の美人に違いないとハンナは思っていた。

最後にアーデルハイドが貧民殺し独特の、かすれるような咳を零すのをハンナが聞いたのは一体いつのことだったか……と、ハンナは遥か彼方に通り過ぎた陰鬱な日々を思い起こす。


子供の頃に寝物語に聞いた吸血鬼のように蒼白い顔で、暗い絶望の光を瞳に宿し、しょっちゅう死の匂いを孕んだ咳を零していた皇女殿下の姿は、もうない。

今やアーデルハイドは父である皇帝陛下より帰還するように言われればいつでも戻れる状態であった。

(もうすぐ、お別れなのですね)

ごく普通の風邪を引いた主人を甲斐甲斐しく世話しながら、ハンナはそっと小さくため息を吐く。

アーデルハイドの快癒を喜びつつも、これから確実に訪れる別れはやはり憂鬱であった。

元々ハンナがアーデルハイドに仕えることになったのは、アーデルハイドが貧民殺しにかかっていたためだ。

それ故に見習い程度ながら癒しの祈りを捧げることが出来て、古い没落貴族の家の出であったハンナは貧民殺しにかかる危険を犯しながらアーデルハイドの身の回りの世話をしていたが、その貧民殺しが治った今では、アーデルハイドにハンナの世話は必要ない。

アーデルハイドに帰還命令が出ればハンナ自身もお役御免となり、恐らく本来住む世界が違うアーデルハイドとの付き合いもこれまでとなるだろう。

「……ねえ、ハンナ。一つお願いがあるの」

そんなことを考えながら世話をしていると、アーデルハイドの方から言葉をかけられる。

「はい? なんでしょうか? 殿下」

普段、離宮に篭もりきりなせいかほとんど頼みらしい頼みをしてくることがないアーデルハイドがそんなことを言いだしたことに、不思議さと、微かな嬉しさを感じながらハンナはアーデルハイドに尋ねる。

そんな、己を慈しむような瞳で見つめられ、アーデルハイドは少しだけ赤みを増した頬でほほ笑みながら言う。

「……実は今日、お友達との大切な約束があるのだけれど、この状態ではかえってご迷惑になると思うの。それでね、ハンナに今日は来れないと伝えてきて欲しいの」

「お友達とのお約束、ですか?」

アーデルハイドの口にした言葉に、ハンナは思わず目を見開いて尋ね返す。

ハンナはアーデルハイドの側仕えである。それ故にアーデルハイドがその日常のほとんどをこの部屋で過ごしていることを知っている。

来たばかりの頃のように体調を崩してベッドに臥せることは減ったが、それでも外出は身体に障るからと大抵は部屋から出ずに本を読んだり、帝国のご家族に手紙を書いたり刺繍をしたりと静かに過ごしていたのだ。

一体どこで友人を作ったのか、二年間は付き合い続けて来たハンナにもわからなかった。

(殿下は七日に一度はお散歩に出てましたからその関係でしょうか?)

その可能性を考えてみる。

アーデルハイドは七日に一度、ふらりとどこかに散歩に行く趣味がある。

皇族にだけ伝えられた秘密の抜け道でもあるのか、護衛の騎士やハンナ自身を含めた供を一人も連れて行かないまま姿を消してしまうのだが、夕方までに必ず戻ってくるため、ハンナは気にしながらも詳しい行き先を知らなかった。

「ですが、本日はお友達も出かけるのは無理ではないでしょうか?」

そう言ってちらりと硝子に隔てられた外を見る。

真冬の真っ只中でもある今、外は盛大に吹雪いていた。

それこそ魔物の類でも無い限り、出かける者などいないであろう天気であった。

「いいえ、それは問題にはなりません」

だが、そんなハンナの疑問に、アーデルハイドは首を振って否定して見せたあと、部屋の一角を指差す。

その指差す先にあるのは、猫の絵が描かれた黒い扉があった。

普段は隠蔽の魔法でも掛かっているのか姿が確認できないものだが、こうして時折姿を見せることはハンナも知っている。

その先を勝手に調べるのはどんな問題になるか分かったものではないので、扉を開けてみたことはないが、思えば扉が見えた日は必ずアーデルハイドが『お散歩』に出ることをハンナは知っていた。

「……あの扉の先が、待ち合わせ場所につながっています。

 ラナー様はいつもこれくらいの時間に訪れますし、何より今日は前のドヨウの日にしたお約束もあるもの。待っているはずです。

 ですからハンナにはあの扉の向こうに行って、ラナー様に事情を説明して欲しいの……それと、ケーキの受け取りも」

「……分かりました。殿下はゆっくりお休みください。私が代わりにご説明して参ります」

心底済まなそうに言うアーデルハイドに、ハンナはゆっくりと頷く。

正直この吹雪の中、本当に誰かが待っているかは疑問だが、それでも敬愛する殿下の、病床での頼みとあらば、断るわけにはいかない。

もしかしたら噂に聞く、王都の大賢者が古代のエルフの秘術を再現したという転移の魔法の類でもかかってるのかも知れない。

ハンナが頷くと、アーデルハイドはホッと安心したように笑崩れる。

「良かった……では、私は少し休みます。よろしく、お願いしますね」

そう言うとゆっくりと目を閉じる。

「お休みなさいませ。殿下」

そんなアーデルハイドに一礼したあと、ハンナは黒い扉の前に向き直る。

(この先に、何があるのでしょう?)

扉にかける手が、緊張で少し震える。

今まではただ、離宮の外に繋がる隠し扉の類だと思っていたが、アーデルハイド自らこの吹雪の中問題ないと言い切られてしまうと、この扉の先がどうなっているのか想像もつかない。

だが、他ならぬアーデルハイドの命令……否、頼みとあらば行かなくてはならないだろう。

「……よし」

少し悩んだ後、ハンナは覚悟を決めて黄金色に輝く取っ手に手をかけて、扉を開く。


チリンチリンと響き渡る鈴の音を聞きながらハンナは扉をくぐった。


扉の先は、眩しい部屋であった。

(えっと、どういう場所なのでしょうか? ここは)

雪に閉ざされ、重苦しい灰色の雲が空を覆う、離宮の昼間より明るい部屋に、ハンナは戸惑う。

部屋の中は先程までいたアーデルハイドの部屋と同じように暖かく、冬の寒さを全く感じさせない。

(あ、あそこにいるのは魔物、ですよね? ここは一体……)

一様に見慣れぬものを食べている辺り、ここは食事処なのだろうか?

だが、魔族や亜人種たちはともかく、魔物の類にまで料理を供する食事処など、聞いたことがない。

だが、アーデルハイドの頼みを果たすまでは帰るわけにも行かない。

「いらっしゃいませ。ヨーショクのネコヤへようこそ。お客様、初めてのご来店ですよね」

そうして入口に立っているとこの店の給仕らしい娘が近寄ってきてハンナに近づいてくる。

手入れが行き届いた金髪に漆黒の角が生えた魔族の娘で、ここの給仕服なのか裾の短いスカートを履いている。

「はい。実は我が主、アーデルハイド様のご命令で来たのですが……」

近寄ってきた魔族の娘に、ハンナはほっとしたように言葉を紡ぐ。

ハンナとて生粋の帝国人である。魔族は見慣れていた。

「アーデルハイド様……ああ、ケーキのご注文を頂いていた方ですね」

幸い、給仕の娘の方も用件を把握しておりすぐに答えを返してくる。

「あら、アーデルハイドの使いなら、私の客でもあります。こちらにいらしてくださる?」

そして、店の中での会話を器用に拾ったのか、近くの席から声がかかる。

「え? ……あ」

その言葉が届いた先にいたのは、一人の少女だった。

(茶色い肌……もしや、砂の国の民でしょうか?)

漆黒の髪と、茶色い肌の豊満な肢体を持ち、優雅に微笑むその姿に、ハンナは弟から最近帝都で見かけるようになったと手紙で聞いた砂の国の商人を思い浮かべる。

東大陸様式のそれとは随分と違い、大胆に肌を露出する作りだが整っていて、きらびやかな艶のある質の良い布を使い、随所に金と宝石をあしらった装飾品をつけた身なりからして、アーデルハイドに釣り合う、高貴な生まれであることは察することが出来た。

「もしや、あなたがラナー様でしょうか?」

半ば確信を持ってハンナが尋ねると、ラナーは優雅に頷いて応える。

「ええ。私がラナーです。アーデルハイドから常々話は伺っていますわ、ハンナ」

「ああ、それは良かった。実は本日、アーデルハイド様は体調を崩されておりましておいでになれない、とラナー様にお伝えするよう頼まれたのです」

「そう。それは残念ね」

ハンナが用件を伝えるとラナーは少し眉尻を下げてため息を一つつく。

そして、何かを思いついたようににっこりと笑いながらハンナに向き直る。

「でしたら、少しの間、私にお付き合いしてくださらない? 今はお兄様もいないから、少し暇なのよ」

「へ!? わ、私がですか?」

突然の申し出に思わず驚いて、ハンナは聞き返す。

ラナーがどこの誰かは分からないが、没落貴族である自分と釣り合わぬ存在であることくらいは分かる。

「ええ。気にしなくてもいいわ。今の私は、ただのラナーという小娘。そう思って付き合ってくれれば、それでいいわ」

言外に対等の地位で、と伝えてくるラナーに対し、ハンナは困りつつも席に着く。

これ以上断っては失礼に当たる。それはともすれば主人であるアーデルハイドにも迷惑をかけることになるだろう。

「そ、そういうことでしたらお付き合いいたします。その、ラナー様」

「敬称はいらないわ。ただのラナーで十分」

「わ、分かりました、ラナー」

ぎこちなく笑みを浮かべながら、ハンナは席に着く。

「今日は、前のドヨウの日に注文したブッシュドノエルという菓子の味見をしようと思っていたの……アレッタさん、よろしいかしら?」

ハンナが席に着いたのをにっこりと微笑みながら確認し、アレッタというらしい給仕の娘を呼びつける。

「はい。ご注文、お決まりですか?」

対するアレッタという娘も慣れたもので、朗らかに笑いながら注文を尋ねる。

「ええ。ブッシュドノエルと、温めたミルクを二人分、お願いします……ハンナさん、それでよろしいですか?」

「ええ。もちろんです」

一応確認されるが、この店のことを知らぬハンナには選びようもないので頷く。

「では、お願いね」

「はい。少々お待ちください」

そう言ってアレッタが奥に行ってしまうと、ラナーはハンナに向き直り、心配そうに話しかける。

「……それで、アーデルハイドさんは大丈夫なのかしら? 確か帝国は冬になると空から白い氷の粒が降ってくるほど寒いと前に聞いたことがあるけど」

「はい。今は病に臥せっておりますが、ただの風邪ですので、ゆっくりお休みになれば大丈夫だとお医者様からも言われております」

どうやら『雪』を知らないらしいラナーの様子に、やはり異国の人なのだなと感じながら、ハンナは質問に応じ、世間話に興じる。

普段はここへは兄とともに来るのだが、今はその兄が少し旅に出ていて、ラナーは一人でここを訪れているらしい。

彼女の暮らす砂の国は一年中暑くて、雨すら数年に一度程度しか降らないという話に目を丸くしながら、ハンナはいつしかおしゃべりに熱中する。

「お待たせしました。ブッシュドノエルとホットミルクをお持ちしました」

そうして話をしているうちにアレッタが銀色のトレイを持って二人の卓へと訪れる。

純白のカップに満たされた温かな湯気を漂わせた乳と、見慣れぬ焦げ茶色の菓子がハンナとラナーの前に並べられる。

「それでは、ごゆっくりどうぞ」

そう言ってまた他の客の注文を取りに行ってしまうアレッタを見送ったあと、ラナーが笑顔で言う。

「さ、まずはいただきましょう。ここのお菓子はとても美味しいと聞いていますから、きっとハンナも気にいると思うわ」

そう言うと、一口食べて見て……真面目な顔になる。

「……なるほど。ここはアイス以外のものも美味だったんだな」

どうやらラナーの予想以上に美味だったらしい。

(では、せっかくですのでいただくとしましょうか)

そのことに苦笑しつつも、ハンナもまた、目の前のブッシュドノエルなる菓子を食べることにした。


目の前にある菓子は、全体的に黒に近い茶色をしていた。

表面はやや薄い赤みを帯びた茶色に包まれ、中心部分は黒みが強い茶色。

そしてその黒みが強い茶色の間には、表面と同じ色をした茶色いうずまきが出来ていた。

そのすぐ隣には真冬には似つかわしくない、異様に大きなベリーに細かい白い粉がかけられたものが飾られて鮮やかな赤を見せているため、余計に茶色さが強調されているように思えた。

(……まるで切り株みたいですね)

木の表皮を模したようにデコボコした表面と年輪のように刻まれたうずまきに、ハンナはそんな感想を覚えつつ、小さなフォークを手に取る。

見た目は輪切りにした切り株に見えるが、実際は柔らかく、銀色のフォークを縦に押し当てればアーデルハイドが使う上質な布団のような柔らかさで沈み込んで行き、切り分けられる。

(それにしても、この茶色いものは何なのでしょうか?)

一口分切り取ってみて、しげしげと見てみる。

切り取った菓子はどうやら異様なまでに柔らかい焼き菓子に何かを塗っているようだ。

(……これは多分、シュークリームの中に入っているものの色違い、ですかね)

その塗られた何かに、ハンナはふと、時折思い出したようにアーデルハイドから下賜される不思議な菓子の中身のことを思い出す。

みんなには内緒だと言われているので他の者に語ったことはないが、白と黄、二種類入った中身のうちの白い方に、そこはかとなく似ている気がする。

シュークリームはハンナにとって生まれて初めて食べる美味であり、流石偉大なる帝国の姫君ともなれば食べているものも自分のような庶民同然のものとは違うと関心していたが、今にして思えばそのシュークリームの出処はここだったのだろう。

そう考え付けば現金なもので、急に得体の知れない菓子であったブッシュドノエルが美味しそうに見えてきた。

ハンナは小さく切り取ったブッシュドノエルを口の中へと運び……

「ほう……」

うっとりとため息を吐いた。

その菓子は、見た目からは信じられぬほど美味であった。

(ほんの少しだけ苦味があって……でもそれが甘味を引き立てていて……)

菓子に塗られた表面と内部のうずまきに使われている茶色いものは、確かにシュークリームの中身の白いものに似た味だった。

察するに白いものに茶色い何かを混ぜ込んだものだろう。

その茶色いものは独特の香りと苦味を含んでいるものらしく、白いものに茶色い色とほんの少しの苦味を与えている。

そして、その苦味が甘さを引き立てていて、全体で言えば帝国の高級な菓子より遥かに甘味が少ないにもその菓子の甘味を十分に感じさせた。

(それにこの生地の方も……)

表面のクリームを存分に味わった後必然的に食べることとなる、土台として使われている生地の素晴らしかった。

今まで食べたどんなパンよりも柔らかく、軽いその生地にはかすかにミケーレの香りと、酒の風味が込められていた。

そしてその冬に似つかわしくない爽やかなミケーレの風味と、鋭い苦味を持つ酒の風味が茶色い生地の甘くて苦い風味とよく合い、同時に苦味を抑えて甘味が強めになっている表面のものと調和し、一体となっていた。

子供であれば少し嫌がるかも知れないそれは、既に成人したハンナには素晴らしい美味に感じられた。

(本当にこれは、菓子なのでしょうか?)

今まさに菓子を食べながら、ハンナは矛盾したことを考えてしまう。

これは菓子だが、自分の知る菓子とは出来栄えの良さが違いすぎた。正直同じものだとは思えなかった。

そして、そんなことを考えつつもハンナの手は止まらず、いつの間にやら皿の上に盛られていたブッシュドノエルは消え、後にはぽつりと異様に大きいベリーが残るだけとなっていた。

(これで終わりですか……!?)

そのことを残念に思いながら最後に残ったベリーにフォークを伸ばし……それが細かな砂糖を振られただけの、新鮮なベリーであったことに驚愕する。

(そんな馬鹿な。この冬の真っ只中に新鮮なベリーなんて、エルフの魔法でも使ったのでしょうか?)

冬にベリーが取れるはずがないことを知っているハンナは混乱しつつ温かなミルクを手に取ってのみ、ほんのりとした甘みを感じる、自分のよく知る味にほっとしたあと、思わず前を見て、ここまでずっと招いたラナーとおしゃべりもせず無言で食べ続けていたことに気づいたハンナがその無礼に赤面する。

「そ、そのすいませんでした。あまりの美味に思わず……」

「いいのよ。私も同じく味わうことに専念していたから、話しかけられなくてちょうど良かったくらい」

その言葉は嘘ではなく、ラナーの前に置かれた皿もまた、空になっていた。

「しかしちょうど良かったわ。前のドヨウの日に注文しておかなければ、もうひと皿頼まなくてはならないところだったもの」

その言葉に惹かれるように、奥から一人の男が現れ、二つの袋をラナーとハンナに渡す。

「お待たせしました。ご注文のブッシュドノエルの準備が出来ましたのでお持ちしました。お会計は予約のときに済ませていただいてますので、そのままどうぞ。生菓子ですので涼しいところで保存して、お早めにお食べください」

その言葉にハンナが袋の中を覗き込めば、中にはかすかに甘い匂いがする細長い箱が入っていた。

(そう言えば殿下はケーキを受け取って来てくれと言っていたような)

「ええ、ありがとう……さて、うちの料理長はどんな反応をするやら」

察するに同じものを受け取ったとおもしきラナーもまた、笑みを浮かべて中身を見ている。

「それでは、行きましょうか。アーデルハイド様にも、よろしくお伝えくださいね」

「あ、はい。お供いたします」

そう言って立ち上がったラナーに追従するようにハンナは側に寄り添って共に扉をくぐって外に出る。

(……あれ? ラナー様は何処に?)

「お帰りなさい。ハンナ。それで、ケーキは受け取ってきてくれましたか?」

扉をくぐった瞬間、ハンナは最初に扉をくぐった時と同じ、アーデルハイドの部屋に戻ってきていた。

確かに少し前を歩いていたはずのラナーは消えてしまい、代わりに熱っぽい顔ながら笑顔であるアーデルハイドに出迎えられる。

「はい。ケーキというのは、これですよね? 涼しいところに置くように言われております」

アーデルハイドの言葉にハンナは先程男から受け取った袋から箱を取り出して見せる。

「そう、受け取ってきてくれたのですね……後は早く身体を治さなくてはいけませんね。せっかくのお菓子なのですから」

箱を見てそう呟くアーデルハイドの声には既に活気が戻ってきており、本当にすぐに治りそうに思えた。

「それではハンナ。そのブッシュドノエルは火の気の無い部屋に保存しておいてください。明日までには体調を戻しますから、その時は貴方も一緒に食べましょう。ネコヤのこともそのときに詳しいことを教えます」

一日で病気を治すと宣言するアーデルハイドに、迷いは感じられない。

それは確かに帝国の姫君であると同時に、偉大なる初代皇帝の孫娘であることを感じさせた。

「……はい。楽しみにしています」

そんな主人の姿にハンナも自然と笑崩れ、応じるのであった。

今日はここまで

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