モーニング
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・お手伝いさん募集。日当銀貨10枚。賄いあり。
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
異世界食堂の日曜日の朝は、片づけから始まる。
前日の『特別営業』での最後の客に大鍋を渡した後、店主は虫などがわかないよう厨房はちゃんと片付ける。
だが、店の片付けのほうは翌日に後回しになることが多い。
今の店主が先代より店を継いで10年。
若い頃と比べて料理の腕前は上がったが、体力は落ちた。
最近歳を取ったことを少しだけ感じる。1人で切り盛りをする土曜日の明けた日曜日は特に。
(まあ、きっちり片付けねえと月曜から困るからな)
平日月曜、すなわち通常営業には雇っている厨房担当の料理人やウェイトレスが来る。
それまでに店をきっちり片付け終えて始めて特別営業は終わるのだ。
そんなわけで朝、習い性と言う奴でいつもの時間に起きた店主はいつものように地下の厨房に下りてきて……
何かを踏んづけた。
「うおっ!? 」
ぐにゃりとした柔らかい感触。その感触に驚きの声を上げ、思わず自分の真下を見る。
「……誰だこれ? 」
そこには腹を踏んづけられ、身を起こした寝ぼけた少女が1人と店主が朝食べるように取っておいた昨日の残りもののコーンポタージュの、今は空になった小鍋。
「んうっ……?」
全体的に着古されてくたびれた粗末な服と大きな帽子を被った少女。
大きな帽子からは赤みがかった濃い金髪が覗いている。
身を起こすと同時にぱさりと、頭全体を覆う大きな帽子が脱げ、こめかみの上に生えた、小さな巻き角があらわになる。
少女は少しの間赤みがかった茶色い瞳をこすりながら寝ぼけていたが、癖なのか頭に手をやった瞬間慌てた様子で帽子を拾い上げ、再度被る。
そしてホッとした顔で脇を見て……店主の姿を見て固まる。
「……へ?……う、うわ!?ゆ、夢じゃないの!? 」
そうして自分が何をしたのかを思い出したのか、思い切り頭を下げて謝り……再び帽子が落ちる。
「あ、うわ!? 」
慌てふためく少女の姿に。
「……まあまずは落ち着け」
店主は冷静さを取り戻して少女に落ち着くよう促し、なんでここにいるのかを尋ねる。
それが、少女……アレッタと店主の最初の出会いであった。
時刻は前日の夜中まで遡る。
「ううっ……また首になった……」
天井と床に穴が開き、ドアも残っていない廃墟でボロボロの毛布に包まりながら、アレッタは己の身を呪った。
煌びやかな王国の都、王都。
この世界で最も栄えていると言われているこの街には、必然としてスラム街がある。
スラム街。
この、世界一豊かな街の影の部分。
貧乏人や行くあての無い民がひっそりと暮らす、都市の闇。
アレッタは両親を病で亡くしてすぐ『同族』の住む村を離れ王都へとやってきた。
痩せた土地しかない村で、女1人ではどうしようもないとの考えからだったが……結局は王都でもこうして最低の暮らしをしている。
それは、彼女がコネも何も無い若いだけの少女だったからと言うのもあったし、何より『種族』が問題だった。
アレッタは魔族なのだ。
魔族。
邪神を信奉し、その降臨により世界を己がものにしようと欲した、邪神の眷属。
元は人間やドワーフ、ハーフエルフといった人に近い種族であったが、邪神を信奉するうちに彼らは人ならざる部分を抱え、人とは異なる種族となった。
その力は他の種族を圧倒し、その魔力はエルフに迫るものもいる。
そしてその魔族の間で使われている魔術には、魔物を使役し、戦わせる技術もある。
彼ら魔族はこの世界で恐怖と憎悪の化身として長らく他の種族との戦いを繰り広げていた……アレッタが生まれる、50年ほど前まで。
その頃、魔族が切り札として、最後の勝利の条件として用意した、邪神の復活。
それにより現世に再び降臨した邪神がその力を充分に取り戻す前に3人の人間と1人のハーフエルフの手で討たれたとき、魔族の繁栄も終わった。
邪神の加護を失い、力も魔力も大幅に減退した魔族に、既に人間を始めとした他種族と争うだけの力は残っていなかった。
あるものは他種族の目が届かぬ、寂れた場所にひっそりと隠れ住み、またあるものは人間のフリをして街で息を殺して暮らすようになった。
アレッタは、魔族ではあるが、同時に限りなく人間に近い、弱い魔族である。
魔族たる証は、耳の上のこめかみの部分に生えた小さな山羊の角。ただそれだけ。
あとは何処にでもいるごく普通の村娘である。
だからこそ、アレッタは角を隠せる大きな帽子を被り、王都で暮らそうとした……上手く行かなかったが。
邪神との戦いからざっと70年が経った今では魔族への風当たりもそれほどは強くない……魔族と分かれば即殺すというわけではない、と言う程度には。
だが、魔族ということが分かればやはり仕事は続けられず、こうした廃墟同然の住みか以外は見つからない。
実際にアレッタも魔族と知れたことで3つの勤め先を失い、こうして寂れたボロ屋で食うや食わずの生活をしている。
「ううう……おなか減ったよう……」
時刻はもう深夜だったが、空腹で眠れなかった。
手元にはもう、銅貨1枚すらも無い。
今までは日雇いのきつい仕事でギリギリ食いつないできたが、もう限界が近い。
……『最悪の手段』で金を得ると言う考えがちらりと頭をよぎったのを、慌てて首を振って振り払う。
そして、無理にでも眠ろうとした、そのときだった。
「いい匂い……? 」
ふわりと、どこからか良い匂いが漂ってきた……気がしてアレッタは反射的に身を起こした。
草木も眠る真夜中のこの時間にするはずが無い、甘い、食べ物の匂い。
そんな匂いに思わず少しだけ感じていた眠気が吹っ飛び、思わずキョロキョロと辺りを見渡す。
(……あれ?あんなところに扉が?)
そして気づいた。廃墟の瓦礫に埋もれた場所に、黒い扉が見えているのに。
(……あったっけ?あんなの)
アレッタがこの廃墟を根城にして5日。昼間は必死に仕事を探し、夜は寝に帰るだけの暮らしだったが、あんな扉があれば気づくはず。
そう考えてアレッタは首を傾げるが、同時に気づく。
(やっぱりあっちから、匂いがする……気がする)
極限の空腹で研ぎ澄まされた感覚で、アレッタはそれを掴んだ。
甘い、かいだことの無い……食欲を刺激するかすかな香り。
腹の虫が更なる空腹を訴える。
それに突き動かされるように、アレッタは扉に近づく。
「……なんだろこれ?猫……かな? 」
満月の月の下、扉を見る。
金色の取っ手がついた、黒い木の扉。
その扉には猫らしき絵が描かれている。
よくよく見ればその扉は年季が入った様子はあるが、同時によく手入れがされているのが見える。
そして、胃袋に後押しされるように扉をそっと開く。
チリンチリン
「きゃっ!? 」
扉が立てる音に思わず驚きの声を上げる。
「び、びっくりした……」
どうやら扉には鈴が取り付けられているらしく、アレッタが開くと同時に音を響かせた。
扉の向こうには部屋があった。
(まっくらだ……あ、香りがする)
ぽっかり開いた暗い空間。
それだけでアレッタは思わず扉を閉じそうになり……踏みとどまる。
奥から食べ物の匂いがする。
おずおずと部屋の中に入り、扉をそっと閉じる。
(ほ、本当はダメなのに……)
アレッタの理性の部分が自らの行動をとめようとする。
自分が今やろうとしていることは泥棒。
その自覚はあった。だが……
「いい匂い……」
甘くて温かな食べ物の匂いに抗えない。
アレッタは部屋に無数に置かれた卓と椅子を避けながら、奥の部屋へと向かう。
奥の部屋。そこは『銀色』の部屋だった。
(な、なにここ?)
暗い空間で目が慣れたせいか、部屋の大まかな様子が分かる。
人の気配が無いそこには、無数の、何に使うか分からない銀色の扉が取り付けられていた。
(変なところ……)
最初の部屋……卓と椅子が無数に置かれた部屋はまだ分かる。
だが、こんな銀色の扉がたくさんある部屋はアレッタの想像の埒外にある。
だからこそ、アレッタは納得する。
(もしかして……夢、なのかな……)
きっと空腹の余りみてしまった夢なのだろう。
そう確信する。
考えてみれば最初からおかしかったのだ。
見たことも無い、手入れの行き届いた黒い扉をくぐった先にある、銀色の扉の部屋。
そんなものが現実であるはずがない。
(……夢なら、いいよね)
その納得を武器に、アレッタは大胆な行動に出る。
その部屋の、台の上に置かれた銅の小鍋。
先ほどから甘い良い香りを漂わせていたそれの蓋を、思いっきり開く。
「わあ……! 」
開けた瞬間、辺りに満ちる香りを胸いっぱいに吸い込みアレッタははしゃいだ声を上げる。
小鍋一杯に入った、甘い香りを漂わせるスープ。
それを嗅いだ瞬間、予期せぬ獲物に出会ったアレッタの胃袋が咆哮を上げる。
アレッタはその鍋に入っていた大きなお玉でスープを掬い上げる。
(……ゆ、夢なのに……夢だから? )
その匂いの正体に気づいたアレッタはこれが夢であるという確信を深める。
これは王都名物の『騎士のソース』に良く似た匂いなのだ。
アレッタが時々、匂いだけ嗅いでいたスープ。
故郷の貧しい村では見たことも無かった高級品。
時折見かけながらも値段を見て諦めていたそれが願望として夢に現れたのだろう。
(だ、だったら……いいよね? )
アレッタは溢れそうになる唾を飲み、お玉でスープを掬い上げる。
小さな、何か粒のようなものが入ったスープ。
甘い匂いを漂わせるそれを口許へと運び……
「なにこれ!?あ、あまい!? 」
ごきゅごきゅと、音すら立ててスープを飲む。
まだほんのりと温かいスープは……甘みがあった。
塩気もあり、更には乳の風味も持っていて……なんと甘い。
「んっ!んっ……こふっ、こふっ!……ん」
アレッタは生まれて始めて食べる美味を、勢いがつきすぎて咽せながら貪る。
それほどの美味……生まれてはじめて食べる味に夢中になる。
滑らかな口当たりで、甘いスープ。
時折混じる小さな粒がまた噛み締めると甘い汁をじゅっと出して、おいしい。
それが咽を通り、胃袋に流れ込み、ロクなものを食べていなかったアレッタの胃袋に温かさを分け与えていく。
大きなお玉で小鍋のスープを掬い上げ、口に持っていく手が止まらない。
元より大した量を残していなかったスープは、瞬く間に空になった。
「ふうっ……」
空になった鍋を名残惜しく感じながらも、久しぶりに感じる満腹感に、アレッタはほう、と息を吐く。
いつぶりだか分からない、満ち足りたお腹。
まるで夢のようだ……実際アレッタにとっては夢なのだが。
「ふわっ……」
そして、空腹が満たされたことで、今度は眠気が襲ってくる。
「んっ……」
これが夢だと確信しているアレッタは躊躇せず、床に寝転ぶ。
床は固いが、隙間風も入ってこないここは、アレッタにとっては充分安らげる場所。
ほどなくして暗い部屋……厨房にアレッタの静かな寝息が響いた。
「……なるほどな。アレッタさんはそれを夢だと思っていたと」
「ひゃ、ひゃい……ごめんなさい……」
一部始終を聞き出した店主は、目の前で縮こまっている、アレッタに目を向ける。
それは何気ない視線だが……アレッタは更に縮こまってしまう。
(ど、どうしよう……まさか魔術師様のお屋敷だったなんて……)
アレッタは自分のやらかしたことに震える。
元々王都はこの世界でも屈指の魔術師の都でもある。
何しろ大昔に魔族が信奉していた邪神を倒した英雄の1人、大賢者アルトリウスが住んでいる都でもあるのだ。
そこに優れた魔術師が居るのはおかしいことではない。
それにアレッタは先ほど目の前の男が魔術を使うのを見た。
壁に手をあて、パチリと言う音を立てたとたんに、真っ暗だった部屋に白い光が満ちたのだ。
先ほどまで真夜中のままに真っ暗だった部屋は、今や昼の外のように明るい。
それを見せられてはアレッタとしても逃げるわけにもいかず、こうして震えながら沙汰を待つことになったのだ。
「まあ……この際コーンポタージュはどうでもいいんだが……」
客用に作っていた分ならともかく元々自分用に取っておいた分だ。
自分が食べるか、余ったら廃棄するしかないものを食われたくらいなら、構わない。
「……俺のほうも腹が減ってるんだよな……」
思えば昨日、例の自称女王であるところの大柄な常連がビーフシチューを持ち帰るのを見届けた後、疲れていた店主は軽い食事だけで晩飯を済ませてしまっている。
それは今朝までにすっかり消化しつくされ……腹が減っていた。
当然朝食を作るつもりなのだが……
「……お嬢さん。アレッタさんだっけ?アンタも朝メシ食ってくかね? 」
まさか目の前に年頃の娘さん残して1人で食うわけにもいかないだろう。
店主は目の前の角付きの少女であるアレッタに尋ねる。
「い、いえそそそそんなの!?お、お金も無いですし何よりこれ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきません! 」
「……いや、そう思うんならむしろ食べてってくれ。タダでいいからさ。
俺1人だけで食ってても居心地悪いし……何より1人で食うよか2人の方がうまいだろ」
恐縮しているアレッタに諭すように店主は言う。
「た、タダ!?い、いただきます! 」
その温かな言葉にアレッタは思わず頷きを返す。
「おう。じゃあ……ちょいと待っててくれ」
店主は頷くと、さっと料理に取り掛かる。
柔らかなパンをオーブンに入れ、冷蔵庫から卵とベーコンの切れ端を取り出す。
黒光りするフライパンをコンロの上に置き、火にかける。
まずはベーコンの切れ端を手早く薄切りにしたものをフライパンにかけて、炒め物用の油を出させる。
(塩、胡椒にミルクとチーズを少々……っと)
仮にも『お客さん』に出すものなのでいつもよりちょっと凝った卵液を作り、フライパンに流し込む。
手早くかき混ぜて空気を含ませ、半生の状態で火を止めて蓋をしめる。
そのまま慣れた手つきで生野菜を小鉢に盛って、ドレッシングを一振り。
オーブンで熱々にしたパンをバターの塊と一緒に皿の上に乗せて、最後に別の皿に余熱でふんわりと仕上げた卵とベーコンを盛り合わせる。
これこそが。
「ほい。普段は店では出してない特製『モーニングセット』だ」
ことりとアレッタの前に置かれた皿を見て、アレッタが目を皿のように丸くする。
(こ、この人凄いお料理上手なんだ……)
アレッタの知る、どんな料理人よりも手際よく現れたご馳走。
まるで手品でも見るような、流れるような動作だった。
目の前には卵と燻製肉の盛り合わせに、生の草の盛り合わせ。
そして、バターとパン。
「生憎とスープは切らしてるんでな。食後にはココアでも出すからそれで我慢してくれ」
そう言うと店主はさっとどこからか椅子を持って来てどっかりと座り。
「いただきます」
手を合わせ、食前の祈りをする。
「あ、あっと……我等魔族の神よ。私に今日を生きる糧を……あ!?い、今の無しで! 」
それにつられるようにアレッタも祈りを捧げ、慌てて否定する。
アレッタは知っている。
魔族の神は邪神と呼ばれ、今なお人間の間では恐れられていると。
「うん?どうかしたか?なんか嫌いなもんでもあったか? 」
だが、そんなアレッタを店主は不思議そうに見るばかり。
店主は向こうの事情は分からないが、まあ魔族とやらなら魔族の神に祈るものなんだろうとしか考えていなかった。
「い、いえ。なんでもありません……なにこれ!? 」
それを誤魔化すように慌ててアレッタはパンをほお張り……驚いた。
それはパンというには余りに柔らかかった。焼きたてのパンのように温かく、かすかに甘い。
口の中一杯に広がる、小麦の香ばしい香り。
それはまさに、ご馳走だった。
(うそ!?これも……これも!? )
それがきっかけとなり、アレッタは凄い勢いでモーニングセットを食べる。
どれも信じられないほど美味しかった。
酸っぱくて、しょっぱい汁が掛けられた野菜は生の野菜らしい苦味やアクがまったく無かった。
野菜もまったくしなびておらず新鮮そのもの。
噛み締めるたびにしゃくしゃくと心地よい音を立てる。
メインの料理なのであろう燻製肉も美味だ。
ただ焼いただけにみえるそれも、材料が良いのだろう。
程よく油が抜けた燻製肉はしっかりと肉の旨みがする。
塩もしっかり利いており、その肉の旨みがまたパンとよくあう。
そして、卵。
タダでさえ高価な卵を、惜しげもなく料理したそれは、素晴らしい出来栄えだった。
最初に浅い鉄鍋で炒めるとき、最初に置いておいて油を出した燻製肉の旨みをたっぷりと吸った卵。
それだけでも十分ご馳走なのに、さらに味付けに塩と胡椒、さらにはミルクとチーズまで入れることでそれらが混ざり合い、アレッタにとって未知の美味へと昇華していた。
そして、最初に食べたパン。
白くて、柔らかく甘いパンが皿の上に盛られたどの料理ともよく合う。
パンだけでも素晴らしいのに、料理とあわせると美味しさが爆発的に跳ね上がるのだ。
かくしてアレッタの皿の上に置かれた2つのパンは瞬く間にアレッタの胃袋に消え……
「おかわり、いるかい? 」
店主の言葉に帽子が落ちるほどの勢いでブンブンと首を縦に振る。
「ははは。そんだけ旨そうに食べてもらえれば料理人冥利につきるな」
店主が物凄い勢いで食べるアレッタを微笑ましく思いながらおかわりのパンを渡す。
……そして5分後。
「美味しかったです……」
朝からこんなに贅を尽くしたものを食べて良いのかと不安になりながら、アレッタが満足げに息を吐き出す。
「そりゃどうも」
店主の方も機嫌が良い。
鼻歌交じりに小鍋でミルクを温め、茶色い粉を入れたカップに注いでかき混ぜる。
「ほれ。食後のココア。甘くて旨いぞ」
それを受け取り、甘いミルクの味にうっとりとするアレッタに、店主はふと尋ねる。
「……そう言えばアレッタさん。アンタ働き口を探しているって言ってたよな」
「……はい」
その言葉に、現実に引き戻されたアレッタはしゅんと落ち込む。
そうなのだ。今回はこの魔術師様のご好意でこんな素晴らしいご馳走を頂けたが、それは本当にタダの幸運。
あとはまた、必死に働く道を探す必要がある。
(これからどうしよう……)
そうして美味しい料理で得た幸せな気持ちがしぼんでいこうとした、そのときだった。
「よければ、週に……7日に1度ウチで働いてみないか?」
バッと、アレッタが顔を上げる。
「仕事は明け方から夜中まで。仕事の内容は料理の給仕と皿の片付け。
皿洗いは食器洗い機があるからなし。この条件で1日で、バイト代はいちま……向こうの相場だと銀貨で10枚ってところか」
「そ、そんなに!?そんなことでですか!? 」
仕事の内容からすると破格の値段にアレッタは驚いた。
普通、学も無く、力も余り無く、おまけに魔族であるアレッタが1日身を粉にして働いて得られる金額は“銅貨”で10枚を越えない。
それが“銀貨”である。おまけにそれが10枚。
若い娘1人なら1ヶ月なんとか暮らせるのではないかと言う値段である。
「うん。まあ休み時間抜いても勤務時間14時間くらいあるからな。
それと、メシは1日3回出す。まあ賄いになるけどな」
「や、やります!やらせてください!お願いします! 」
一も二も無く、アレッタは頷く。
これは天に召された邪神様が自分に下さった特別の幸運。
これを逃したらもはやのたれ死ぬしかない。
そんな勢いだった。
「よし。商談成立だな。じゃあ今日のところは研修だ。うちの仕事を教えるから、覚えてくれ。一応仕事だから、真面目に頼むぞ。
それと、一応うちの制服も支給するから、こっちに来るときはそれに着替えてくれ。来週からよろしく頼むぜ」
「はい! 」
かくて、異世界食堂に新たな『従業員』が加わることになる。
小さな山羊の角が生えた魔族の、異世界風の装束に身を包んだ異世界食堂の給仕。
彼女がその次の仕事の日、初めての仕事の日にこの異世界食堂の『客』に大いに驚くことになる彼女の物語は、始まったばかりである。
今日はここまで。