１０コマ目　初めての魔法

「ログイン完了。後は転移を、」

いつも通りに伊奈野はゲームへログインした。そしてそのまま腕輪で転移しようとしたのだが、彼女は気づかぬうちにあるものへ触れてしまう。

それが、彼女の前に表示されていた、

《限定イベント『弱者の意地』へ参加しますか？　Ｙｅｓ／Ｎｏ》

という選択肢。

彼女は気づかないままＹｅｓに触れてしまい、望んでいないイベントへと参加することになったのだ。

さてこのイベントだが、当然ながら目的が存在する。

ゲームのシナリオ的なことを言えば始まりの街の新人プレイヤーたちしかいないところに　魔物の群れが襲ってくるというものなのだが、その内容は純粋なレベルが低い者達に向けた効率の良い経験値稼ぎ。

普段より少し経験値量が多い敵が群れになっているので、それと戦うというものとなっている。

これは新人プレイヤーたちが先駆者たちに追いつくための救済策のようなものであり、敵を多く倒せば倒すほど、強い敵を倒せば倒すほどレベルが急速に上がっていく。

一度キルされてしまうとこのイベントから退場させられてしまうのだが、ＰＳのあるプレイヤーが成長するには適した場所なのである。

「ん？ここ、どこ？」

もちろん伊奈野はそんなことを知らず。

見覚えのない景色に首を傾げた。

「うおおおおおぉぉぉぉぉ！！！！！！」

「剣の錆にしてやるぜぇぇぇぇ！！！！！」

「どけどけどけどけどけどけぇぇぇぇ！！！！！！！！！！俺に経験値をよこせぇぇぇぇぇ！！！！！」

雄たけびを上げながらモンスターへと群がるプレイヤーたち。

彼らはレベルを上げるため、必死な様子でモンスターに群がっている。あるものはスライムのような弱い魔物なら危険なく倒せると考えひたすら弱いものを狙い、あるものは一発逆転とばかりに大きな獲物を狙い。

そして多くの挑戦者たちは、狩るものから狩られるものへと変わり、その姿を消していく。

「ん～。えぇと、何？退出とか書いてあるけど………あぁ～。何かのイベントに巻き込まれたのかな」

伊奈野とてゲームの知識はある。退出と書かれた文字をタップしてみれば、本当にイベントから退出するのかという確認の文章が現れたのだ。ここまでくれば分かるというものである。

「退出………してもいいけど、そういえば魔女さんから貰ったものがあったね。あれだけ使っとこ」

そういって伊奈野がアイテムボックスから取り出すのは、魔法陣の書かれた紙。

少し前に魔女さんから貰ったものであり、魔女さんによると試したことはないけどとてつもない威力の魔法であるということらしい。

「えぇと。『サクリファイス』」

伊奈野が魔法名を唱える、紙に書かれた魔法陣が薄く光る。魔法が発動したようだった。

後は効果が表れることを待つだけなのだが、

「じゃあ退出します、と」

伊奈野は魔法の効果が発揮されることを待つなんて言うことすらせず、退出ボタンを押してその姿を消した。

後はいつも通り図書館に行って勉強道具を取り出し、

「聞いてくださいよ魔女さん。なんかこういうのに巻き込まれて………」

「………へぇ。そこで魔法を使ってくれたんですね！どうでした？」

「とりあえず即効性のある何かではなさそうでしたね。そんなに長く見てないのでその後は知らないです」

「あぁ～。そうですよね………まあとりあえず魔法陣が光って紙が燃えてないのならギミックは正常に発動しているでしょうし、初期段階に異常はないんでしょう」

魔女さんに報告するだけ。

やることはそれだけで、気づくことなど何１つないのだ。

《称号『弱者の英雄』を獲得しました》

というログにも、

《称号『大量虐殺者』を獲得しました》

というログにも。

そしてそれ以外にも流れている、大量のキルログやスキル＆称号獲得ログにも。

「いやぁ～。今日も勉強がはかどりますねぇ」

伊奈野がイベントフィールドから退出した後。

出てきて魔法を使ってすぐに消えた１人の少女など気にするものなど誰１人として存在せず、変わらずモンスターとの攻防が繰り返されていた。

モンスターが２，３体倒されれば数名のプレイヤーがどこかで吹き飛び。プレイヤーがキルさればどこかでエリートのようなモンスターが大量の経験値を振りまきながら倒れる。

「このままいけば、レベル１００いけるぞ！」

「よっしゃぁぁぁ！！！トップのやつらをぬかしてやるぜぇ！！」

「気合入れてくぞぉぉぉ！！！」

中にはＰＳの高い連携力のあるパーティーなんかもいたりして、着実にレベルアップを重ねていた。

消えていくモンスターの死体の上には、消えきる前に新たな死体が積み重なる。彼らの討伐速度の速さを示していた。

しかし、

「ん？なんだ？」

「魔法陣、か？」

「誰か変な魔法使ったのか？」

彼らの動きを止めるのは、突如として彼らの足元に現れた魔法陣。

彼らの足元にとはいうがそのサイズは彼らが収まるかどうかというどころではなく、イベントフィールド全体に広がるほどの大きさ。

何かが起きるのは誰しもが理解できたが、ここまでの規模の魔法陣など見たことがなく、誰もが首を傾げた。

そんな中、

「………ォォォォ」

「ん？」

「こ、声？」

魔法陣から聞こえてくるのは、小さな声。

しかし、それこそがこのフィールドの、ひいてはイベントの崩壊を示していて、

「な、なんか出てくるぞ！？」

「やべぇのがくる！ボスか！？」

「デ、デカい！手だけでこのサイズって！？」

魔法陣の中心から少しそれた場所、２か所からひときわ大きな声が上がる。そこには、それぞれ人が何人も乗ることができそうなほど大きな手が現れていた。

もちろんそれだけでは終わらず、その手を使ってよじ登ってくるかのようにしてその本体が姿を現した。

「やばいやばいやばいやばいやばいやばい！」」

「ふざけんなよ！なんだあのサイズ！？」

このイベントに現れる敵の中に、そこそこ大きいモンスターはいた。

それこそ家よりも大きいのではないかと思うほどの巨体を持つドラゴンだっていたのだ。

だが、そんなものでも比べ物にならないほどの巨体が姿を現した。それは人型の、怪物。

「グオオオオオオオオオオオォォォォォォォ！！！！！！！！！」

怪物が産声を上げた。

空気が震え、このフィールドにいるすべての存在の精神を恐怖で染め上げる。システム的な効果によるものなのか、弱いモンスターはそれだけで消滅していた。

プレイヤーたちもキルこそされていないが、足がすくんで誰１人として動くことができない。

「何だよあれぇぇぇぇ！！！！」

「だ、誰か攻撃しろよ！」

その存在が何なのかと叫ぶ者がいれば、その怪物へと攻撃を仕掛けないのかと声をあげる者もいる。

だが、正体など分かるはずもないし、攻撃を仕掛ける者もいなかった。認識をすれば、そしてされれば、死ぬ。そんな気さえするのだから。

だがしかし、認識してもされてもいなくとも、

「ゴォォ………」

「えっ！？」

「こっち来、」

「あ、これ無理で、」

ゆっくりと迫るその巨体から発せられた何か。

それはプレイヤーたちが何かを言う前にプレイヤーたちを飲み込んだ。一瞬にして消え去るプレイヤーたちに、誰しもが理解が追い付いていないといった顔をする。

それから少し遅れて、

「「「「ギャアアアアアアアァァァァァァァァ！？？？？？？？？」」」」

悲鳴が響き渡った。

だがそれには何の意味もなく。

後はただ退出するという選択肢すら忘れてしまったプレイヤーたちと、そもそも退出など不可能なモンスターたちがひたすら蹂躙されるだけであった。

フィールドには、怪物以外残るものは何もない。