第98話 チュートリアル
新四騎臣の一人となったメリダ村のハンナは、かつてはククルカン山と呼ばれていた、メリダ村と湖を見下ろす山の山頂へと跳躍して行く。
山頂には崩れた古い石柱と、焼け焦げた跡のある黒い岩舞台がある。
ハンナは岩舞台の手前にヒラリと舞い降りた。ハンナの手には小さな宝珠が握られていた。
それは色とりどりの石を素朴な紐で繋いだ、ささやかなネックレスに見えた。
「アントランテア、力を貸して」
ハンナはネックレスを自分の首に掛け、岩舞台の上に立つ……
従者の鎧の力で浮かんでいる為、岩の上を直接踏む事は出来ないが……確かにハンナは、岩舞台の上に登った。
ハンナのネックレスが……微かに光った。
「邪なる竜よ。ククルカン神殿の血脈の最後の生き残り……メリダ村のハンナはここにいるわ!」
ハンナは、自分が知らない言葉を口にしていた。
山頂を撫で上げ、吹き降ろす風が、ハンナの髪を揺らす……背の低い草が微かに揺れる音だけが、辺りを包んでいる。
ハンナは一度目を閉じ、開いて……今度は自分の言葉で話す。
「私を殺さないと気が済まないんでしょう? 貴方がそうしたいのなら、私はここに居るわ! 貴方は私の両親の仇! 村の仲間の仇!」
時折斜面を吹き上げて来る乱れた風が、山頂で渦を巻き、微かな砂埃を巻き上げる……朝の光が照らす山頂で……少女の声はただ、風に吹き流される……
「力に驕る臆病者! 逃げ惑う、か弱い村人じゃないと殺せないの!? 自分に立ち向かって来る者が恐ろしいの!?」
ハンナの叫び声が、山の頂に、眼下の湖に、彼方の山々に、響き渡る。
「そう……」
ハンナは呟いた。
「……お父さん……ごめんなさい……お父さんから貰った命……ここで……使わせてもらうね。私、ちゃんと生きたよ。お父さんから貰った命でこんなに生きたんだよ」
ハンナは……義父に見つからないよう、ごく小さな……裁縫に使う、糸を切る為の小さな刃物を、服の袖口に隠し持っていた。
「私はこの世界が好きなの……みんなの喜びも悲しみも……働いて、ご飯を食べて……おかしくて笑ったり、心細くて泣いたり、約束したり内緒にしたり嘘をついたり謝ったり……全部好き……この三か月間、お父さんと見たこの世界が、全部好き……」
ハンナは微笑みを浮かべたまま、瞳を閉じ……その刃を、自分の喉元に当てる。
「この世界が無くなって欲しくないの。私が見た世界が、お父さんが見せてくれた世界が……全部好きなの! だから……私!」
―― ドゴォォォォォォォオオオ!!!!!
ククルカン山山頂で。何かが炸裂した。
「ハンナっち――――!」
山頂よりさらに上空数百メートルで待機していた四騎臣の一人、ビリーは、眼下で起きた爆発目掛け急降下を開始する。
「なんだ……あれ!!」
山頂の岩舞台を中心に起きた爆発。爆発によって発生した砂塵。その中に浮かび上がった、禍々しく黒い、巨大な……魔法陣……
「ハンナっち! どこだああああ!」
ククルカン山山頂に、広がって行く……醜悪な、魔法陣……
その上空に実体化して行く……邪悪な影。
古代の呪い。古の帝国に一度は封印された呪い、そして……現世に蘇ってしまった呪い……
赤黒い鱗と翼、長い尾……
それは今や、全長100mを超えようかという、竜の姿をしていた。
その巨体はメリダ村を襲った竜の比ではない。
だが間違いなく、三か月前に現れた竜だった。
ハンナはかなり吹き飛ばされていたが、あの瞬間に従者の鎧の中に頭まで隠れていたので、何とか命はとりとめていた。
しかし爆風に弾かれ、岩肌に何度も叩きつけられた衝撃までは無効化出来なかった……気絶する程の衝撃。それは三か月前の彼女であったら、従者の鎧の力を持ってしても耐えられなかっただろう。
「う……た……立たなきゃ……」
周囲を確認しようと従者の鎧から顔を出した彼女が見た物は……大きく裂けた口を開いた、迫り来る巨大なドラゴンの頭部だった。
「ハンナぁぁぁぁ!!」
ビリーはようやくハンナを見つけた。しかし巨大なドラゴンの頭部は、もうハンナの目前にまで迫っていた。
ドラゴンの顎が……ハンナを捉えようとしたその瞬間……
白い閃光が散った。ドラゴンの巨大な頭部が、ほんの一瞬……弾かれ、後退する……
「ぁぁぁぁああああ!!」
次の刹那。迷わず突進した超高速の四騎臣、獣人のビリーが、ドラゴンのまさに鼻先を掠めて飛び、ハンナを……死地から攫い出していた。
「ビリー……ちゃん!」
ハンナの胸元で、光を失った宝珠の紐が切れた。色を失った石はこぼれ落ち、宙に消えて行く。
竜は……目の前から消えたハンナを追い……上空へと首を向ける。
「こっちだぁぁぁぁああああ!!!!」
次の瞬間、大きく跳躍し、自分の体の数倍もあるドラゴンの頭部へと突進したのは、勇者ガードナーだった。
竜は。飛び込んで来るガードナーに向かい、大きく口を開いた……
「勇者の……《大盾》!!」
守護者の四騎臣、ガードナーが叫ぶと、その瞬間その体の前方に、白く光り輝く巨大な盾が現れる。この直径10mの大盾を作り出す、勇者だけの魔法。
十分な質量を持ったその《大盾》が、竜の鼻先へと叩きつけられる。
その刹那、竜は数百数千の爆雷を吐き出した。激しい炎は《大盾》へと叩きつけられたが《大盾》はその炎を通す事も、揺らぐ事も無かった。
元々は物理攻撃を防ぐだけな上、大き過ぎて使い勝手の悪い盾だったのだが、ロブロトロスの角と従者の鎧を手に入れた今では、最強の盾となったと言っていい。
「今だァァァァアアアア!!」
全長10mの漆黒の刃が、虚空から突然現れた。
ここまで気配を消し忍び寄っていたのは、四騎臣の最後の一人。『異界の』ブレイドだった。
「うおらァァァァアアアア!!」
《ブレイド》も《大盾》も、振り回す事で重力を支配し、加速する事が出来る魔法だった。さらに従者の鎧の力も合わせ、ガードナーとブレイドは、瞬間的にならビリーよりさらに速く飛ぶ事も出来るようになっていた。
その《ブレイド》が。ガードナーを狙い盾に阻まれ、瞬間的に無防備になった、巨大な竜の首めがけ……振り下ろされた!
―― ギャァァァアアアアアアアアアアアア!!!!
巨竜の咆哮が、衝撃波となり周囲を襲う。《大盾》のガードナーは揺るがなかったが、ブレイドは衝撃に圧され、数歩の後退を余儀なくされた。
「やったか!?」
「……まだだ!」
状況的には千載一遇の好機だった……しかし……巨竜の背中側の鱗は非情な程に硬く……《ブレイド》をもってしても、致命傷を与える事は出来なかった。
竜の大きさがせめてこの半分の時であれば、今ので終わりだっただろう……ブレイドは、そう思った。
「俺の後ろから出るなブレイド!」
「……頼む!!」
二人はそれぞれ《大盾》と《ブレイド》の能力で、ほぼ同時に飛翔する。
「上空に行かせるな! 手に負えなくなるぞ!」
ガードナーは巨竜を上から抑えつける作戦に出る。しかしそれは同時に、装甲の厚い背中から攻撃しなければならない事を意味する。
「翼を狙え!!」
「ああ!!」
ガードナーは盾を振り上げ、反動をつけて竜の首めがけ空中を突進する。
―― グゥォォォォオオオオオ!!
巨竜が羽ばたいた。凄まじい砂塵が巻き起こる。
「押せんのか……!?」
「やるぞ!!」
ガードナーは竜の首筋へと盾を叩きつける。
ブレイドの剣は巨竜の左翼を深く切り裂く。
「ぐわっ!?」「ぐっ……!!」
しかし次の瞬間、二人は巨竜に軽々と弾き飛ばされた。巨竜はガードナーとブレイドには目もくれず……上空を見上げ、一気に飛び立った。
「ビリー!! ハンナを逃がせ!!」
ガードナーが叫ぶ。
「くそおおおおおお!」
ブレイドは最大限の反動を振って上空へと跳躍する。
「早く!!」
少し遅れて、ガードナーも後を追う。
「やばい!こっち来る!」
ビリーはハンナと共に上空に居た。ビリーが背後から抱えているので、ハンナが下降する事はない……しかし、巨竜は、旋回しながら上昇して来る!
「逃げるぞ!」
ビリーはそのままハンナを抱えて逃げようとした。しかし。
「あっ……」
ハンナはビリーの手から逃れ、急降下して行った。
「ハンナっち!!」
従者の鎧には下が見えにくいという欠点があった。また咄嗟の事でもあり、ビリーはハンナの位置を見失ってしまった。
急上昇しようとしていた巨竜。
ビリーから離れ急降下を始めたハンナ。
ブレイドにはその動きが全て見えた。
「ハンナ……!」
ハンナに食らいつこうと、巨竜は向きを変え、待ち構える。
その巨体の胸部が……上昇するブレイドから丸見えになった……
ブレイドが、光と化した。
あの日、己が拳に纏わせた赤い光を、六尺棒に、従者の鎧に、全身に纏わせた。
「私は……メリダ村のハンナはここよ!!!!」
ハンナは声を限りに叫んだ。
邪な竜は、巨大な口を開き、ハンナを一呑みにする勢いで迫る。
「うあああああああああああああああ!!!!」
紅の閃光を放つ、巨大な剣と化したブレイドが……巨竜の心臓部を深々と貫いた。