極秘事項と千刃祭【五】
お化け屋敷の扉を開けた先は――薄暗い小さな部屋だった。
「……これは」
そこには大きな一枚の張り紙が掲示されていた。
薄明かりに照らされたそれは、このお化け屋敷の注意書きだ。
危険ですので館内では、走らないようお願い致します。
御気分が悪くなられた際は、その場で待機してください。すぐさま当館の使用人がお迎えにあがります。
一部操作系の魂装を使用した表現がございます。御留意いただきますようお願い申し上げます。
それでは――どうかくれぐれもお気を付けて、お進みください。
まるで本物のお化け屋敷のようにしっかりとした注意書きに、自然と期待が膨らんでいく。
「――リア、ローズ」
「は、はい……っ!」
「ど、どうしたんだ……っ!?」
少し声を掛けただけなのに――二人はビクッと肩を跳ね上げた。
(……大丈夫かな)
ちょっと、いや……かなり心配だけど……。
頑なに『怖くない!』と言い張っているため、どうしようもなかった。
「注意書きも読んだことだし、そろそろ先へ進もうか」
俺はこの部屋に一つだけある扉を指差した。
「え、えぇ、そうね!」
「あぁ、そうだな……っ!」
それから三人を代表して俺がゆっくり扉を開く。
するとその先は――左右に暗幕の降りた細い通路が続いていた。
ところどころにある薄青い照明が足元を照らし、さりげなく順路を示してくれている。
「へ、へぇ……っ。け、けけ、けっこう雰囲気あるじゃない……っ。ぜ、全然怖くないけど……っ」
「だ、だな……っ。会長たちもやるじゃないか……っ。ぜ、全然怖く無いが……っ」
「あはは、確かにいい雰囲気が出ているな」
二人の強がりを微笑ましく思いながら、一歩前へ踏み出したそのとき――背後から『カチャリ』と鍵の閉まる音が聞こえた。
「「ひぃっ!?」」
リアとローズは普段の二人からは考えられない悲鳴を挙げ――真後ろの扉に手を掛けた。
だが、扉には鍵が掛けられており、開くことはなかった。
「ど、どどど、どうしよう……アレン!?」
「と、閉じ込め……っ。閉じ込められたぞ……っ!?」
リアとローズは目を白黒させながら、俺の体を激しく揺さぶった。
ここまで動揺を見せる二人は珍しく、なんだかとても可愛らしかった。
「大丈夫だから、ほら落ち着いて……」
優しくそう言って、リアとローズを落ち着かせる。
「う、うん……ありがと……っ」
「ふぅー……っ。す、すまない、少し取り乱した」
そうして二人が冷静さを取り戻したところで、
「それじゃそろそろ先へ進もうか」
俺たちは、ようやくお化け屋敷の奥へと進み始めた。
俺が先頭を歩き――その右後ろをリアが、左後ろをローズが続いた。
二人の手は俺の制服の袖をギュッと握り締めており、とても歩きにくい。
しかし、カタカタと小刻みに震える二人へ「ちょっと歩きにくいんだけど……」と言えるわけも無かった。
(それにしても、さっきの『鍵の音』は不安を煽るいい演出だったな……)
人間やはり『閉じ込められた』という事実には、圧迫感や焦燥感、恐怖感を覚えるものだ。
そういう意味でも今のちょっとした仕掛けは、シンプルながら非常にいい『導入』だ。
(確か総監督はフェリス先輩だったよな……)
チラリと周囲を見回せば、割れた鏡・一足だけの上履き・半開きのロッカーなどなど――間接的に恐怖を煽る小道具が目に付いた。
(どれも気の利いた小道具ばかりだ……。恐怖心を煽ることに余念が無いな……)
さすがは去年、十人以上も気絶させたという恐怖のお化け屋敷と言ったところか。
(ふふっ、少し楽しくなってきたな……)
そのまま細く暗い道を進むと――腰の曲がった背の低い老人に扮した生徒が、杖を突きながらゆっくりとこちらへ向かって来た。
「おぉ、お前さんたち……っ! もしやまだ生きておるのではないか……っ!?」
彼はそう言うと、こちらの返事も待たずに語り始めた。
「儂ら『死霊』は、この館の最奥にある『要石』に縛られ、成仏することができんのじゃ……。そこでお前さんたちにお願いがある。この館のどこかにある『解呪のお札』を見つけ、それを要石に貼り付けて欲しいんじゃ」
どうやら彼のお願いを聞き、館に縛られた死霊を成仏させることが、このお化け屋敷をクリアする条件らしい。
「儂のように理性ある死霊もいれば、生者を見れば見境なく襲って来る悪霊もおる……。くれぐれも注意するんじゃぞ……っ」
そう言って彼は、どこかへ歩き去って行った。
「か、解呪のお札だって……」
「なるほど、まずはそれを探さねばならないようだな……」
はっきりとした目的を持ったことにより、二人はお化け屋敷の世界観へのめり込んでいった。
「さて、それじゃ解呪のお札を探しに行こうか」
「うん」
「あぁ」
その後――ここの空気感に慣れて来た二人は、俺と肩を並べて歩くようになってくれた。
そうして細い通路を右へ左へと進んで行くと、開けた広間に出た。
(これは、何かありだな……)
少し警戒しつつ、広間を横切ろうとしたその瞬間――凄まじい羽音と烏の不気味な鳴き声が響いた。
「「ひぃっ!?」」
リアとローズが思わず、俺に抱き着いてきたが――仕掛けはまだ終わらない。
四方から冷たい風が吹き荒れ、天井に貼り付けられた赤い服を着た大きな人形がガタガタと動き始めた。
「「あ、あ、あぁ……っ」」
二人の視線が天井へ釘付けになる一方で、
(これは『下』かな……?)
俺は素早く天井を確認した後、冷静に下の方へ視線を移した。
(あからさまに注意を引き付ける大きな人形。これはおそらく典型的な視線誘導だろう)
すると――俺たち三人の足首を掴まんとする『血塗られた手』が、フワフワとこちらへ向かってきた。
おそらくこれが注意書きにあった『操作系の魂装を使用した表現』なのだろう。
(やっぱりそう来たか……。しかし、なかなかリアルな『手』だなぁ……。粘土か何かで作っているのかな?)
俺はそんなことを考えながら、忍び寄る手を軽く回避した。
そして次の瞬間。
上の人形に気を取られたリアとローズの両足を、血塗られた手ががっしりと掴んだ。
「「――き、きゃぁあああああっ!?」」
完全に上へ意識を取られていた二人は、凄まじい悲鳴を挙げた。
「お、落ち着け落ち着け……っ! 大丈夫だから! 作り物の『手』だから!」
俺がすぐにネタバラシをすると、
「ほ、ほほほ、ほんと、だ……っ」
「び、びっくり、し、した……っ」
よほど怖かったのだろう。
リアとローズは、目尻に涙を浮かべながら声を震わせた。
「ほら深呼吸して、ゆっくりでいいから息を整えよう」
「う、うん……っ」
「あ、あぁ……そうだな……っ」
かなりのパニックを起こしているのだろう。
「「ひっひっふー……っ。ひっひっふー……っ」」
二人は同時に間違った呼吸法を実践した。
(ま、まぁ落ち着いてくれるなら何でもいいか……)
そうして彼女たちが、徐々に落ち着きを取り戻し始めたそのとき。
「「ひっひっ……ひぃ!?」」
天井から一枚の巻物が降ってきた。
床に転がったそれを拾い上げ、一応中身を確認する。
「……なるほど、ここの地図か」
それはこのお化け屋敷の見取り図が書かれた地図だった。
一か所だけ『赤いバツ印』が記されたこの場所に、解呪のお札があるのだろう。
(それにしても上・下・上、か……)
意識をあちこちへ向けさせる巧い仕掛けだな……。
「よし、それじゃ先へ急ごうか」
「「う、うん……っ」」
あまりここで長居すると、二人が夜中寝付けなくなりそうだ。
(……もしかしたら、もう手遅れかもしれないけどな)
俺はそんなことを考えながら、解呪のお札探しを再開したのだった。
(くっ、さすがはアレンくんね……っ。今のネタさえ、軽く見破るなんて……っ!?)
(どうするシィ……!? 予想通りだが、やはり彼はかなりの強者だぞ!?)
(こ、このままじゃ普通に突破されそうなんですけど……っ!?)
(だ、大丈夫よ……。まだまだ仕掛けはあるんだから……っ!)
■
その後、リアとローズは様々な仕掛けに苦しみながらも、勇敢にお化け屋敷を進んで行った。
リアは俺の右手を、ローズは左手を――それぞれがっしりと掴んで離さない。
歩きにくい、という問題はあるが……。
(そ、そんなことよりも……っ)
さっきから腕に当たる柔らかい感触が、気になって仕方がない。
一応、遠回しに何度か離れようとしてみたんだけど……。
彼女たちは、決して離れようとしなかった。
そんな何とも言えない状況で細い通路を進んで行くと、大きく開けた場所に出た。
(……ここが目的地で間違いないな)
地図を見れば、今いるこの場所にしっかりと赤いバツ印が付いていた。
(しかし、本当によく作り込まれているな……)
それはお寺のような場所だった。
正面に本堂があり、その左右に大きな塑像が置かれている。
そして本堂の真ん前には賽銭箱と――いかにもな白いお札が飾られてあった。
おそらくアレが解呪のお札だろう。
「あ、あった……っ。あったわよ、アレン……っ!」
「や、やったぞ……っ。これさえ、あれば……っ!」
ようやく目当てのものを見つけた二人は、喜び勇んで駆け出した。
だが――こんなあからさまな場所に仕掛けが無いわけがない。
「ふ、二人とも待て!」
咄嗟に静止を呼び掛けたが……。
恐怖と喜びに揺れるリアとローズの耳には――届かなかった。
「やったっ! 解呪のお札ゲット!」
「よし、これで後は要石を見つければ……っ!」
解呪のお札を手にした二人が、会心の笑顔を浮かべた次の瞬間。
「――返せぇえええええ゛え゛え゛え゛っ!」
二人の真後ろにあった賽銭箱から、血まみれの女性が飛び出した。
「「……い、いやぁああああああああああああああっ!?」」
恐怖の臨界点を軽くぶち抜いた二人は、お化け屋敷の奥へ全速力で駆け出した。
「ちょっ、リア!? ローズ!?」
……行ってしまった。
まぁ、これは会長たちが作ったお化け屋敷だ。
まず間違いなく、二人に危険は無いだろう。
「二人とも頑張ったな……」
怖いのが心底苦手なのに……よくもまぁ、今の今まで耐えていたものだ。
二人の根性に惜しみない称賛を送りつつ、お化け屋敷の奥へと進んだ。
その後――無事に解呪のお札を手に入れた俺は、会長たちが準備した様々な仕掛けを堪能した。
そしてついに――。
「これで終わり、かな……?」
館の最奥にあった要石へ、解呪のお札を貼り付けた。
すると教会で流れていそうな静謐な音楽が響き、要石の先にある扉がゆっくりと開かれた。
どうやらあの先が出口のようだ。
(うん、予想よりもずっと楽しかったな……)
無事にお化け屋敷のクリア条件を達成した俺は、光の指す出口へ足を進めた。
すると、次の瞬間。
「――わぁっ!」
白い幽霊装束を纏った会長が、柱の陰から飛び出してきた。
予想通りの展開だったので……特に驚きはない。
「――お疲れ様です、会長。凝った小道具に、意識の隙を突いた仕掛けの数々……とても楽しかったです」
俺が率直な感想を伝えると、
「……え? あ、ありがと……っ。って、そうじゃなくて……っ!」
彼女は一瞬キョトンとした後、すぐにムッと不機嫌な顔になった。
「ど、どうして一つも驚かないのよ! それに今の不意の一撃――人間だったら絶対に驚くと思うんだけど!?」
会長はもう破れかぶれと言った様子で、理不尽な怒りをぶつけてきた。
「あ、あはは……。すみません……っ」
俺は苦笑いを浮かべつつ、頬をポリポリと掻いた。
確かに最後の原始的とも言える驚かしは、心理的死角を突いた素晴らしい不意打ちだった。
解呪のお札を要石へ張り、全てが終わった瞬間――今まで緊張に凝り固まった心が弛緩する一瞬を正確に狙い澄ました素晴らしい一撃だ。
しかし、
「柱の陰から会長のいいにおいがしていましたので、残念ながら隠れているのがわかっちゃいました」
人間は予想外のことに驚く。
逆に言えば、予想していたことには驚かない。
すると、
「い、いいにおい……っ」
自らの失策に気付いたのだろう、彼女は顔を赤く染めた。
「はい。それじゃ俺は、リアとローズを探さないといけないので……ここで失礼します」
こうして俺は、会長たち特製三教室ぶち抜きのお化け屋敷を見事クリアしたのだった。