賞金首と目覚め【三】
気絶したリアとローズを助けるため、一歩大きく前へ踏み出したそのとき。
「待って、アレンくん!」
会長はすぐに俺の手を引いた。
「その腕じゃ、まともには戦えないわ。気持ちはわかるけど、ここは一度冷静になって!」
そう言われて俺は、ようやく自分の状態にまで頭が回った。
いまだスプーンすら握れないほど深く傷ついた右手。
こんな状態ではまともに戦うことはできない。
「ふぅー……っ」
大きく息を吐き出して、熱くなった頭を冷やす。
「……会長、ありがとうございます」
「気にしないで」
彼女は優しい声音でそう呟くと――鋭い視線を目の前の巨漢に向けた。
「……あなた、ザク=ボンバールね? ここ数年消息不明と聞いていたけど、まさか黒の組織に入っていたとはね……」
「おぉ? 嬉しいじゃないか、あんたも俺のことを知ってんのかい?」
「アークストリア家に名を連ねるものとして、当然のことよ。……それにしてもこんな大物の侵入を許すなんて……っ。国境警備兵は何をしているのかしら……っ」
会長は苦々しい顔つきでそう呟くと、さらに別の話を振った。
「――それで目的は何かしら? 例の如く、また聖騎士の支部を焼き払うつもり?」
「ざはははっ! それも悪くないが、今日はちょっと仕事でな。リア=ヴェステリアって小娘をかっさらいに来たんだ」
そう言ってザクは、地に倒れ伏すリアに視線を向けた。
「リアさんを……? それに『仕事』って、黒の組織関連よね?」
「おうとも! 仕事をこなして成果をあげれば、俺も『キラキラ』になれる! 今のような鈍い光じゃない、もっと盛大に輝けるんだっ!」
「……『キラキラ』?」
そうして会長がザクと対話を続けていると、
「動くなっ! 貴様が通報にあった暴漢だなっ!?」
「聖騎士協会まで付いて来てもらうぞ!」
「市民のみなさま! ここは危険ですから、すぐに離れてくださいっ!」
三十を超える多数の聖騎士たちが、一瞬でザクを包囲した。
「ふふっ、お早い到着ね」
聖騎士の到着を確認した会長は、満足気に笑った。
どうやら今の今まで、時間稼ぎのために会話を繋いでいたらしい。
さすがは会長、冷静な判断だ。
「――聖騎士のみなさま、お待ちしておりました。私が先陣を切りますので、みなさまは援護をお願いします」
彼女はザクを視界に捉えたまま、聖騎士たちにそう告げた。
「君、何を言って……っ!? あ、アークストリア様っ!?」
会長が政府側の重鎮――アークストリア家の令嬢だと知った瞬間。
「か、かしこまりました! 総員、アークストリア様を援護せよ!」
「「「はっ!」」」
聖騎士はすぐさま敬礼をし、会長の指示に従った。
「ありがとうございます。それと、剣を一振りいただけますか?」
「もちろんでございますっ! どうぞこちらを!」
聖騎士は腰に差した剣を抜き、恭しく会長へ手渡した。
こうしてあっという間に得物を手に入れ、戦力を整えた会長はザクに切っ先を突き付ける。
「――大人しく降伏なさい、ザク=ボンバール。じきに上級聖騎士および五学院の理事長クラスが到着するでしょう。万に一つも、あなたに勝ち目はありません」
すると、
「理事長というと、あの『黒拳』か……っ! ざははっ、いったいどれほど『キラキラ』しているのか……心が躍るなぁ……っ!」
何を想像したのか、奴はだらしなく口元を歪ませた。
「ふぅ……まともな話しはできなさそうね」
会長が短くそう呟いた次の瞬間。
「――なぁ、お前たちは『キラキラ』しているか?」
一瞬で会長の背後を取ったザクは、既に巨大な剣を天高く掲げていた。
「……なっ!?」
「会長、避けてくださいっ!」
俺が咄嗟に注意を発したが――少し遅かった。
「――<劫火の円環>ッ!」
奴を中心とした巨大な爆炎が吹き荒れる。
凄まじい衝撃波が周囲の建物を破壊し、強烈な熱波が道路を焼いた。
「きゃぁっ!?」
爆炎に吹き飛ばされた会長は後頭部を強打し、そのまま意識を失った。
「ぐ、が……っ」
「い、痛ぇ……っ。痛ぇよ……っ」
「ば、化物め……っ」
あれだけの数を誇った聖騎士は、たったの一撃で壊滅状態となっていた。
「う、嘘だろ……?」
奴はまさに圧倒的、桁外れの力をまざまざと見せつけた。
「ざはははははっ! どいつもこいつも『キラキラ』が足りんぞぉっ!」
焦土と化したオリアナ通りに、ザクの笑い声が木霊した。
その後、ひとしきり会長たちを嘲笑った奴は、
「よっこらせっと!」
気絶したリアを小脇に抱えて、どこかへ歩き出した。
俺はその様子を――どこか遠い世界で起きたことのようにぼんやりと見つめていた。
(……どうして、こうなった?)
今日は自由奔放な会長に連れられて、慌ただしくも楽しい一日を過ごしていたはずだ。
陽も暮れ始めたのでそろそろ会長を屋敷まで送り届け、その後は寮に戻ってリアと一緒にご飯を食べて、ほどよい時間になったら同じベッドで一緒に眠る。
(そんないつも通りの幸せな一日を送るはずだったのに……)
どうして、こんなことになってしまったんだ?
「……おい、待てよ」
「ん……?」
俺の呟きに応じて、ザクはゆっくりと振り返った。
見れば、奴の小脇に抱えられたリアの肩から血が垂れている。
「……っ」
先ほど抑え込んだ怒りが、体の奥底からフツフツと湧き上がった。
「……返せ」
「なんだって?」
「……リアを……返せっ!」
俺は気を失った聖騎士から剣を借り、包帯でグルグル巻きにされた右手でしっかりと握る。
「……っ」
一瞬だけ鋭い痛みが走ったが、すぐにそれは消えて無くなった。
「――うぉおおおおおおっ!」
ザク目掛けて一直線に駆け抜け、
「八の太刀――八咫烏ッ!」
持てる全ての力を込めて、渾身の一撃を放った。
両手・両足・頭・首・胸・腹――八つの斬撃が奴の体へ殺到する。
「はぁ……。弱々しい光だ……<劫火の盾>」
奴が巨大な剣を軽く一振りすると、重厚な炎の盾が現れた。
目が痛くなるような赤色の盾は、八つの斬撃を瞬く間に飲み込んだ。
「なっ!?」
リアの<原初の龍王>を軽く凌駕する出力。
その力の差に俺が愕然としていると、
「そらよっと!」
ザクは続けざまに――強烈な前蹴りを放った。
「が、は……っ!?」
バキボキという嫌な音が腹部から鳴り響き、俺は大きく吹き飛ばされた。
「……く、そっ」
折れた骨が内臓を傷付けたのだろう、口の中に鉄の味が充満した。
視界が明滅する中で、俺はなんとか立ち上がる。
「待、て……っ」
「おぉおぉ、弱いのに体だけは丈夫じゃないか! ざははははっ!」
俺は奴の嘲笑に耳を傾けず、
「リアを……返せ……っ!」
満身創痍のまま、再び駆け出した。
「五の太刀――断界ッ!」
痛みに耐え、歯を食いしばり――全力で剣を振り下ろしたその瞬間。
「遅い遅い……剣が届くまでに寝てしまうぞ……。――<劫火の死槍>ッ!」
視界が炎で埋め尽くされた。
「そん、な……っ!?」
聖騎士に借りた剣が真っ二つに折れ――灼熱の劫火が俺の全身を包み込んだ。
「か、は……っ!?」
熱い。
痛い。
苦しい。
言い表しようのない苦痛が全身を駆け抜けた。
だが、
「ま、だ……だ……っ」
俺は引かなかった。
濁流のような炎に身を焼かれながら、一歩前へと踏み出した。
(絶対に……取り返す……っ。こんなわけのわからない奴に……リアは渡さない……っ!)
奴を斬るための剣は、もう折れてしまった。
それでも俺は諦めず、拳を固く握り締め――さらに一歩前へと進んだ。
「お、おいおい……お前、本当に人間か……? 普通死ぬぞ、これ……?」
絶え間なく押し寄せる劫火の隙間から、ほんのわずかにザクの顔が見えた。
(これが、最後のチャンスだ……っ!)
全ての力を込めた右ストレートを、奴の顔面目掛けて放った。
「うぉおおおおおおおっ!」
「ざははっ! 根性と忍耐力だけは一人前だが、実力が全く伴ってないなぁ! ――<劫火の盾>ッ!」
奴の眼前に巨大な炎の盾が出現し、
「ぐ、がぁあああっ!?」
その苛烈な炎が俺の右手を焼いた。
(まだ、だ……っ。こんなところで……終わってたまるか……っ!)
俺はもう一度右手を振りかぶり、炎の盾目掛けて再び右ストレートを放った。
「――うぅうううううがぁ゛ッ!」
その瞬間、俺の右手に凄まじい密度を誇る『黒いナニカ』が生まれた。
そこから溢れ出す漆黒の闇は――いとも容易く炎の盾を食い尽くした。
「なんだと!?」
さらに闇はその勢いを維持したまま、ザクを食い殺さんと突き進む。
「ぐっ、<劫火の死槍>ッ!」
奴は咄嗟にリアを放り捨て、灼熱の劫火を解き放った。
全てを飲み込む『黒』と全てを焼き焦がす『赤』が激しく激突する。
「うぉおおおおお゛お゛お゛お゛っ!」
「馬鹿、な……っ!? なん、だ……このふざけた出力は……っ!?」
そして、
「ぬ、ぐ、ぉおおおおおおぉっ!?」
漆黒の闇は奴の炎を貪り食い――それに飲まれたザクは、遥か遠方へと吹き飛ばされたのだった。