ヴェステリア王国と親衛隊【六】
耳まで真っ赤に染めたクロードさんは、
「み、見るなぁっ!」
両手で胸を隠しながらそう叫んだ。
「す、すみません……っ!」
我に返った俺はすぐに背を向けた。
同時に彼女はお風呂場へ駆け込み、荒々しくカーテンを閉めた。
(く、クロードさんは……女の人だったのか……っ!?)
佇まいや喋り口調から、てっきり男性だと勘違いしていた。
大きな鼓動を刻む胸を落ち着けていると、カーテンの奥から彼女の震えた声が聞こえた。
「き、き、貴様……っ! いったい何故、私の部屋に……っ!? ま、まさか……夜這いか!? そうか、そうやってリア様を落とし込んだんだな!?」
「ち、違います! そんなわけないじゃないですか!」
その勘違いは本当にまずい。
俺は慌てて即座に否定した。
「では何故、私の部屋にいた!? 理由如何によっては、聖騎士へ突き出すぞ!」
「す、素振りに行くので、クロードさんにひと声掛けようと思ったんです! ですが何度ノックをしても返事が無く、取っ手を回すと鍵も掛かって無かったので――」
「――それで女の部屋に無断で入ったと?」
……女性に対して『男だと思っていました』と言うのはあまりに失礼だ。
それぐらいは俺にだってわかる。
「それはその……すみません」
彼女を傷付けないためにも、俺は黙って謝罪することにした。
「……」
「……」
クロードさんが黙り込み、お互いの間に気まずい沈黙が降りる。
お風呂場から聞こえる水滴の垂れる音が、やけに大きく聞こえた。
それから少しして、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……責任を取れ」
「責任、ですか……?」
「お、女の裸を見たんだ……っ。男として責任を取る方法は、一つしかないだろう……っ」
「そ、それってまさか……!?」
「あぁ、お前も男なら腹をくくれ……っ」
クロードさんはそう言って、カーテンの奥から何かを放り投げた。
それは床と接触し、カランカランと乾いた音を響かせる。
「こ、これは……?」
「護身用の短剣だ。――さぁ早く切腹をしろ」
「せ、切腹……っ!?」
彼女の――女性の裸を見たことについては、本当に申し訳なく思っている。
だがしかし、切腹は行き過ぎじゃないだろうか?
「き、生娘の裸を見たのだ! 当然だろう!? さぁ、早くその命をもって償え! そうすれば全てを水に流してやる!」
「い、いや、その……さすがに命だけは……っ」
「問答無用! さぁ、早く腹を切れ! 私が風邪を引いてしまうだろうが!」
そう言って彼女は、甲高い声で怒鳴り散らした。
(……今回の件はクロードさんを男と勘違いしていた俺が悪い)
彼女を辱めたことについては、全面的にこちらに非がある。
だがしかし、こんなところで死ぬわけにはいかない。
「……し、失礼しますっ!」
俺はそう言い残して、部屋から飛び出した。
「なっ!? おい、待て!」
その後、真向かいの自室へ戻った俺は、椅子や箪笥を扉の前に置いてバリケードを作った。
明日は俺とリアにとって、とても大事な決闘が行われる。
一睡もせずに――徹夜の状態で臨むわけにはいかない。
「よし……。これだけ固めれば、クロードさんも無音で入ることはできない……はずだ」
無理に扉を開けようとすれば、必ず大きな音が鳴り、すぐに目を覚ますことができる。
つまり寝込みを襲うことは、ほぼほぼ不可能な状況だ。
(これで……少しは落ち着いて寝られるだろう)
そうして俺は、扉の方に神経を集中させながらベッドに横たわったのだった。
翌朝。
「おはよう、アレン。……大丈夫? クマができてるよ?」
わざわざ起こしに来てくれたリアは、俺の顔を覗き込んでそう言った。
「あぁ。おはよう、リア。……昨日はちょっと寝付けなくてな」
結局クロードさんの夜襲が気になって、一睡もできなかったのだ。
「でもまぁ、一晩徹夜したぐらいどうってことないさ。安心してくれ」
俺の連続徹夜記録は三十五日。
時の牢獄での最後の一周――あの世界を斬るべく、ひたすらに素振りしていたときに達成した記録だ。
だから実のところ、一日の徹夜ぐらいどうということはない。
「そう? それならいいんだけど……無理はしないでね?」
「あぁ、ありがとう」
廊下でそんな会話をしていると、真向かいの扉がゆっくりと開き、クロードさんが姿を現した。
「……おはようございます、リア様」
「おはよう、クロード。……あれ? あなたも眠れなかったの?」
見れば、彼女の目の下にはクマができていた。
「はい。少し気が高ぶってしまい、寝付くことができませんでした」
……多分、怒りに震えて眠れなかったのだろう。
「そんなことよりもリア様、そろそろ朝食の時間でございます。どうぞ、こちらへ。――お前もだ。ついてこい、変態ドブ虫」
そう言ってクロードさんは、ギロリと俺を睨み付けると、ツカツカと歩き始めた。
(へ、変態ドブ虫……)
どうやら昨日の一件で『ドブ虫』から『変態ドブ虫』へと、ランクダウンしてしまったようだ。
■
その後、食堂で舌鼓を打った俺たちは、馬車に乗って大闘技場へと向かった。
「おぉ、これは凄いな……っ」
飛行機の移動中にリアから少し聞いていた、ヴェステリアの観光名所の一つ――大闘技場。
それは石造りの巨大な円形闘技場だった。
風雨により多少の劣化は見られるが、歴史と力強さを感じさせる建造物だ。
「決闘の開始まで、あまり時間も無い。さっさとついてこい」
そう言って早足で進むクロードさんについて行くと、選手控室に到着した。
部屋の中には――剣に手斧、槍に大槌と多種多様な武器が飾られている。
「ここでは規則により、武器の持ち込みは禁止されている。よって闘技場が用意したこの武器の中から、戦ってもらうことになる」
「わかりました」
武器の良し悪しで、勝敗が左右されないように配慮されているようだ。
「よし! アレンにぴったりの武器を探すわよ!」
そう言ってリアは、剣が大量に並べられた区画へ向かって行った。
(……これだけ離れれば、聞こえないだろう)
俺はこの機を逃さず、小さな声でクロードさんに話し掛けた。
「その、クロードさん……。昨日の件なんですが……」
「……なんだ、変態ドブ虫」
まるで羽虫を見るような、冷たい視線が突き刺さる。
「あの、本当にすみませ――」
「――私の裸を見て、タダで済むと思うなよ?」
彼女はそれだけ言うと、プイと明後日の方角を向いた。
謝罪すら受け取ってもらえない……やっぱり関係の修復は絶望的なようだ。
(それに……今の口振り)
どうやらこの後、何かしらの攻撃を仕掛けてくるようだ。
(はぁ……。どうして俺ばかりがこんな目に……)
俺が小さくため息をつき、肩を落としていると、
「ねぇ、アレン! これなんかどうかな?」
一本の剣を手にしたリアが、こちらへ駆け寄ってきた。
「これは……確かに、いい剣だな」
綺麗な刃紋だし、刃渡りもちょうどいい長さだ。
それに握り心地も悪くない。
「ありがとう、リア。それじゃ、これを使わせてもらうよ」
「うん! 応援しているから、頑張ってね!」
そうして彼女から剣を受け取ったところで――実況のアナウンスが鳴り響いた。
「――みなさま大変お待たせいたしました! これより大闘技場、開演となります! 本日は予定されていた全ての決闘を中止して――スペシャルマッチを執り行います!」
その瞬間、会場から割れんばかりの歓声が巻き起こった。
ここからでは観客席は見えないけれど、どうやら凄まじい数の観客が押し寄せているらしい。
「まずは西門! 我らがリア様を毒牙にかけた最低最悪のペテン師! アレン=ロードルゥウウウッ!」
実況の酷いアナウンスを受け、俺が控室から舞台へと上がると、
「引っ込めっ! このゴミカス野郎がっ!」
「リア様に手を出すとは、いい度胸だな! えぇ!?」
「口だけのペテン師が! 無事に帰れると思うなよ!」
凄まじい罵声と野次が雨のように降り注いだ。
よくよく見れば、観客はそのほとんどがヴェステリア城にいた衛兵――つまり、グリス陛下の『身内のみ』で固められていた。
(この感覚、なんだか懐かしいなぁ……)
グラン剣術学院にいた頃は、いつもこうだった。
みんなが俺のことを嫌い。
みんなが俺の敗北を望み。
みんなが俺の失敗を笑う。
そんなつらく苦しい毎日が、俺の日常だった。
だけど――今は違う。
「頑張れーっ! アレンーっ!」
俺の耳にはリアの声がしっかりと届いている。
俺はもう――一人じゃない。
「そして東門! 力仕事なら任せとけ! ヴェステリア随一の剛腕――ガリウス=ランバーダック!」
アナウンスの終了と同時に、
「うがぁああああああああっ!」
身長二メートルを越えるスキンヘッドの男が舞台を駆け上がった。
顎周りを覆う無精髭。
右頬に走った太刀傷。
筋骨隆々の体。
その右手には一メートルほどの巨大な金棒が握られていた。
(どう見ても、同年代とは思えないな……)
すると、
「ちょ、ちょっと! どう見ても同年代じゃないでしょ!?」
舞台に飛び出したリアは、大きな声を張り上げ、特別観覧席に座るグリス陛下を睨み付けた。
すると、その声が聞こえたのだろう。
「へへっ、確かにおらぁ明日二十歳を迎えますが……。今はまだぴっちぴちの十代なんですよ、リア様?」
ガリウスさんは、凶悪な笑みを浮かべながらそう言った。
どうやらギリギリではあるが、一応同年代らしい。
「そ、そんなの詭弁よ! ズルよ!」
「すんませんね、リア様。陛下は問題ねぇって言ってましたんで――このままやらさせてもらいますぜ!」
そう言って彼は、大きな金棒を肩に背負った。
「そ、そんな……」
不安げな彼女を安心させるように、俺は優しく笑いかける。
「大丈夫だよ、リア。俺は絶対に負けないから」
「アレン……。わかった、信じてる」
そうして彼女が舞台から降り、俺とガリウスさんが向かい合ったところで実況が口を開いた。
「さぁ両者、準備はよろしいでしょうか!? それでは第一戦――はじめっ!」
開始と同時にガリウスさんは、意外にも素早い身のこなしで俺との距離を詰めた。
「先手必勝! おらぁああああああっ!」
そして既に振りかぶられた巨大な金棒を――力いっぱい振り下ろした。
速度と体重の乗った素晴らしい一撃だ。
「アレン、避けて!」
悲鳴のようなリアの声が、やけに遠く聞こえた。
(……俺はリアと過ごす毎日が好きだ)
彼女と過ごす千刃学院での日常が大好きだ。
それが……こんなところで終わるなんて絶対に嫌だ。
だから、今日――この日だけは絶対に負けられない。
(たとえ相手がどんな強敵だろうと――絶対に勝つ!)
その瞬間、体の奥底から不思議な力が湧きあがった。
そして、
「――ハァ゛ッ!」
俺の放った横薙ぎの一撃は、ガリウスさんの金棒を容易く両断した。
「なっ!? ぐはぁ……っ!?」
痛烈な横薙ぎが胴体を直撃した彼は、闘技場の壁に激突し――白目をむいて倒れた。
誰も予想だにしない展開に、大闘技場はシンと静まり返る。
そしてたっぷり数拍の間があってから、実況が勝敗を宣言した。
「が、ガリウス=ランバーダック戦闘不能! 勝者、アレン=ロードル!」
その瞬間、一気に会場全体がざわめき始めた。
「今の一撃、マジで見えなかったぞ!?」
「ど、どういうことだよ!? 陛下は口だけだって、言ってたよな……!?」
「お、おいおい何だアイツ……。めちゃくちゃ強いんじゃねぇか!?」
ふと顔を上げると、特別観覧席で歯を食いしばるグリス陛下と目が合った。
「ぐ……っ。アレン=ロードル……ッ!」
「……すみません。今日の俺は――少し強いですよ」
こうしてガリウスさんを一撃で倒した俺は、体の奥底から湧き上がる力を手に――第二戦へと臨むのだった。