74話:北の兵乱4
父に派兵を受け入れるつもりだと伝えて三カ月、準備にかかった。
僕だけじゃなくて兵を揃えるところから軍の形式を決めたりと時間がかかる。
兵乱が起きている時に悠長とも思えるけれど仕方ないし、公爵たちの協力もありとても早くことがまとまった出兵だとも聞いた。
数千人の移動のためには準備が必要だ。
それに各所とのやりとりは避けられないし、とくに国際問題となるロムルーシとの交渉には、本来時間がいくらあっても足りない。
向こうのやる気のなさから交渉を持ちかけるとしても、極小地域ながらも領地の割譲だ。
きちんとしとかないといけなかったし、その割りに随分早く準備が整ったのは本当、派閥の力の強さを見せつけられた気分になる。
「というわけで、僕はちょっと家の都合で帝都を離れることになりました」
蒸留酒の工場にある、僕用に台所が造られた混合室。
ここへの出入りは限られた者しか許されておらず、ディンカーを名乗る僕の前には、モリーに三つ子のレナート、テレンティ、エラストがいた。
「どういうわけだよ?」
紫色の被毛のエラストが渋い顔で割愛した箇所を指摘する。
「家の都合だからそこは置いておいて。問題は、一年は確実に戻れないだろうってところなんだ」
「それと、俺も帝都を離れるからな」
ヘルコフはもちろん僕の付き添いで一緒に行くんだけど、そこは言わない。
第一皇子が出兵することは、帝都でも噂になってる。
ヘルコフはその側近、しかもロムルーシ出身の獣人だから行かないわけないのは、モリーたちもわかってるはずだ。
「叔父さんはいいよ。けどディンカー、家のほう待遇良くなったって言ってたじゃないか」
黄色と白の被毛のテレンティは子熊のような顔で訴える。
もしかしてこれは誤解されてるのかな?
「なったよ。別に追い出されるわけじゃないから。僕は帰ってくるよ」
「本当か? だったらなんで新たに錬金術の道具なんて俺たちに頼んだ?」
橙の被毛のレナートが疑うように聞くのは、どうも依頼した仕事が原因らしい。
「あ、できてる?」
三つ子は顔を見合わせて、カバンを机の上に置いた。
見た目は木製の四角いカバンが五つ。
頑丈そうな革と鋲、金具での補強もされてて、五つを重ねてひとまとめにもできるよう設計されていた。
革のベルトを外して、厳重に止めてある金具も開けると、中には布張りとベルトでしっかり固定されたガラス器具が鎮座している。
他のカバンを開ければ、金具だけでできた器具や、組み立て式の部品も入っていた。
「わ、すごい! ありがとう。注文どおりだ」
この部屋にある物と違って、僕が新しく作ってもらった物は小型だ。
それでも全て錬金術を行うための実験器具で、旅行専用の一式を依頼していた。
その上壊れないよう専用ケースも作ってくれている。
これなら旅先で錬金術に使える素材が手に入った時、すぐに加工して持ち帰れる状態にできるだろう。
「なぁ、ディンカー。帝都に残れないのか?」
テレンティが不安そうに聞くけど、レナートやエラストも同じような表情をしている。
「蒸留器、新しくするのも試作機作ってる途中だし」
「どうしてもディンカーが行かなきゃいけないことでもないだろ、子供だし」
次々に向けられるのは引き留めの言葉。
「なんで僕? 戦地に行くヘルコフじゃなくて?」
「いや、叔父さんは今さらだろ」
「心配する必要ないし、するだけ損だ」
「いい大人捕まえて、逆になんでだよ」
「おい…………」
甥たちの無情な言葉にヘルコフが声を低くする。
そこにモリーが僕に近づいて、視線を合わせた。
「ねぇ、ディンカー」
「はい?」
「私の養子になる気ない?」
「はい?」
にこにこ笑みを浮かべたモリーは、僕が状況を飲み込めないのに早口で続ける。
「ちょっと私の実家のある大陸南部に渡ってもらう必要があるけど、私の一族は竜人以外も一族に迎え入れることには寛容なの。それにディンカーの才能ならもろ手を上げて歓迎されるわ。そうね、移動と馴染みと儀式で一年くらい。帝都もそれくらい経てば静かになるだろうし戻ることももちろん可能よ」
「おい」
僕が困惑して動きを止めると、ヘルコフが割って入るようにモリーの肩を引っ張る。
それまで笑顔だったのに、モリーはヘルコフ相手には責めるような顔を向けた。
「何? 子供の不遇も放置して気づかないような親、もう親じゃないわよ。それでさらに生まれ育った場所から追い出すなんてそれで本当に愛していると言える? 言う奴いたら私は指差して笑うわよ。とんだ勘違い野郎だってね」
「こっちにも事情があるんだ。妙な勘繰りをするな」
「事情があってもディンカー大事にしないならいなくたっていいだろ」
エラストもまた、責めるようにヘルコフへ言葉を向ける。
するとレナートとテレンティも大きく頷いた。
「ディンカーを悪くしか扱わないならいなくてもいいだろ」
「俺たちのほうがずっと大事にするしモリーもそうだ」
何故だかヘルコフが一斉に責められる状況になってしまった。
そしてこれは、もしかしなくても僕の身元ばれてる?
(やっぱり殿下から取った偽名がまずかったかな?)
(ヘルコフの勤め先で出会い、年頃、知識の幅、身に着ける物の質から予想可能)
セフィラが言うには思ったよりバレバレだったようだ。
ということは、気づいても知らないふりしてくれていたことになる。
その理由が欲だけじゃないことは、僕を戦地から逃がそうとしてくれる言葉から察せられた。
(けど大事にされてないって何処からだろ?)
(弟皇子を暗殺未遂という噂は広まっています。何よりモリヤムは貴族と通じる商人。悪評は多い反面、何一つ功績も人となりも話題に上らない主人の不遇は相応の知性あらば察して余りあると断言)
今日はよく喋るなセフィラ。
いや、そう言えば宮殿だと、軍のほうがどういう話になってるか探りに行かせてるから、ここのところ近くにいないんだった。
セフィラも軍関係の書類走査して読み込むことを楽しんでる風だったし。
「あなたがちょっと目を離した隙に行方不明にでもすればいいのよ」
「できるか!」
「いっそロムルーシなら、叔父さんが連れて家に来ればさ」
「実家なら匿えるよ、広いし地下もあるし」
「あ、俺たちも里帰りとか言って迎えに行ってもいいぜ?」
おっと話がどんどん不穏な方向に行ってるな。
「心配してくれてありがとう。けど、今回のことは僕から向こうの思惑に乗るべきだって進言したことだから心配しないで。父も最初は突っぱねてくれたから」
本当のことを言っただけなのに不審顔をされてしまった。
そこはさすがにヘルコフもフォローを入れる。
「父親だからって、このディンカー相手に丸め込まれないと思うか? ディンカーが丸め込む方策もなしに言い出すと思うか?」
なんか予想外のフォローまがいの言葉にモリーたちは唸る。
僕ってそんな印象なの?
「普通に今なら危険も少なく優位取れるよっていう話をしただけなのに」
「それで自分を餌にするあたり、子供がすることじゃないんですよ。しかも読みどおりだし。そうさせてしまう大人として、本当お守りする以外にないんですから」
なんでかヘルコフが、四人がかりで責められた時より落ち込んでる。
小熊たちを見回すと、モリーが代表して僕に聞いて来た。
「ディンカーに考えがあるのはわかったわ。けど、本当に大丈夫? 危ないと思ったらすぐにヘリーを盾にするのよ?」
うん、完全に僕が一緒に戦地へ行くとわかって言ってるね。
「そっちは専門家任せで行くから大丈夫だよ。しくじっても僕には痛手はないようにするし。逆に僕が怪我を負ったら、ヘルコフ以外の責任問題として有効活用するから心配しないで」
「逆に心配になること言わないで…………」
ちゃんと大丈夫だよって言ったはずなのに、モリーは額を押さえて俯いてしまう。
そして大きく息を吐きだすと白い髪をかき上げて僕を見据えた。
「いい、ディンカー? 戦場には魔物が住むとされるのよ? どんな勇猛な将軍も、どんな英知を持つ軍師も、たった一本の矢が通っただけで死ぬの」
そう言えばモリーは軍にいてヘルコフと知り合ったと言っていたから、これは何か面白い話が聞けそう?
なんて思ったけど、何故かその後、初めてのお遣いをさせられる子供のように口々に注意事項を言い聞かせられることになったのだった。
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