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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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 変な夢を見る。

 そんな話を、マツイさんは背伸びをしながら口にした。

「映画なら終わりましたよマツイさん。最上級につまらなかったですけど」

「えーウッソまじかよミーちゃん。宇宙から飛来した珪素生物が散布した催眠粉で村の住民がラリったところなんかサイコーだったじゃんよ」

 そんな内容だっただろうか。まったく頭に入ってこなかったので記憶にない。

「村にたまたま居合わせた祈祷師キメラタクヤがいなかったらヤバかったねぃ。鬱映画まっしぐら間違いなし」

「そのなんか頭痛くなるストーリーをこれ以上話さないでもらえませんかね」

 気が狂いそうだった。

 鬼やら神やらを生み出したのは人間の想像力だと、いつかミキは言っていたが。

 本当に恐ろしい話である。人は、人の想像の産物で人心を掌握できるのだから。想像の産物で、人を滅ぼすこともできるのではないか。

「で、話戻しますけど。常時夢見てラリってるような人が、変な夢も何もないでしょう」

「ラリってないもん! いや、ていうかコレ、あたしだけの話じゃないし」

 どういう意味です? と、ノリで聞いてしまう。あまり関わらない方がいいぞという経験則と、切り捨ててはいけないという例の勘が入り混じって、嫌な気配だった。

 マツイさん曰わく。先週あたりから、妙な噂が広がりつつあるらしい。この夏臥美町の住民の一部が、同じような夢を見るのだという。

「妙って言うか、まあ妙に妙だよ。町をさあ、ただひたすら彷徨ってる夢、というか」

「妙ですか? それ。普通にあり得るでしょ、そんな夢なら」

「妙に妙だよ。リアルなのに身体は勝手に動く感じ? それが一人二人じゃなく、大勢の間で共通してたらおかしいジャン? 私が直接確認しただけでも七人いたし、家族や友達が同じ夢を見たって話はもっと聞いてる。ミーちゃんとこの高校でもそうじゃないの?」

 じゃないの? と言われても分からない。そういう話は昔から、どういうわけか俺の耳には入ってこないものだった。耳に入らないことには、勘も働きようがない。俺はアオと違って、千里眼でも地獄耳でもないのだ。

「ミキには聞いてみました? アイツの好物でしょう、そういう話」

「調べてみるとは言ってたよ。ただ、別になんか実害ある事件ってわけじゃないし、調べようがないような、ネ。夢を見るって言っても、毎晩見るって人もいれば、一回しか見てないって人もいるのよな。あ、私が一回だけの人で、ゆかちゃん先輩が毎晩の人ね」

「またかよあの人」

 あの先輩はなんでそういつもいつも、ろくでもない目に肩までどっぷりなのか。

 そんな不幸体質で、よく春の自殺事件を生き延びたものである。が、しかし春と言えば、ゆかちゃん先輩は当時の恋人と離れ離れになった時期である。結局別れてしまったらしく、本人的には苦い思い出でしかないのだろうが。それで意気消沈して、上手いこと標的から外れられたと思えば、この上なく幸運の部類であっただろう。

「あ、そうそう忘れてた。ゆかちゃん先輩からミーちゃんに伝言があったんだった。えーっと、そんな夢ばっか見て、ノイローゼで超死にそうだから、またお見舞いに来てねー! だって」

「なんか元気そうなので遠慮します」

 悪い人ではないが、ゆかちゃん先輩も所詮はオカ研所属の変人である。自ら好んで会いに行きたい人ではない。加えて、性癖という一点において、その危険性はマツイさんすら凌ぐ勢いなのだから。

「夢って言えばサ?」

「はい」

 マツイさんは上体を倒し、ぐてっとテーブルに突っ伏した。言われずとも、二人分の紙コップを待避させる。

 観賞のお供にと出されたミステリードーナツは既に底を突いていたが、冷めきったコーヒーはどちらも若干残っていた。

「ミーちゃんの後輩に、なんかこう、一家言ある子がいたんじゃなかったっけ」

「ん? カミヤのこと言ってます?」

 そうそれ、とマツイさんは親指を立てた。

 厳密には後輩ではないのだが。単に先輩と呼ばれているだけで。

「アイツがどうかしました?」

「ゆかちゃん先輩が興味を示してた」

「頭ぶん殴って記憶から消去してください」

 中学生に手を出そうというのかあの大学生。マジかよ信じられねぇ。今すぐ警察に捕まってしまえ。

「えー。実はあたしも興味あるんだケド」

「アイツ別に、宇宙人でもなければUMAでもないんですけど」

「ミステリィのかほりがするの! ローカル誌を沸かせた奇跡の少年ってその子でしょう? 神谷 満くん」

 しまった、そっちか――と、思わず頭を抱える。

 マツイさんの守備範囲の広さを侮っていた。これは迂闊にカミヤの名前を出した俺の落ち度だ。雑誌には顔も実名も載っていなかったはずだが、その程度はマツイさんの前では障害足り得ないのだろう。

「本人は至って普通の中学生ですよ。主治医とかを当たった方が実入りあるんじゃないですかね」

「それはそれ、来週の話。ついでにカミヤ君とお話したかったんだけども」

 来週?

 まさか、もうアポ取ってるのか?

 そのローカル誌とやらの刊行って、今月の話ではなかったか。

 フットワークが軽いというか。むしろ浮かんでるんじゃないかこの人。

 元々浮いてはいるのだし。

 というか、地方大学の趣味サークルにいちいち応じるなよ医者。暇じゃないだろ。どんだけ人がいいんだ。

「そう気軽に会いに行ける関係でもないんですよ、俺たちだって」

 辟易しながら答える。

 いやな感触に手が震える。

 物理的な距離の話ではない。

 そもそも俺は『そのカミヤ』とは、顔を合わせたことさえなくて。ネット上のプライベートBBSで、散発的に言葉を交わしているだけなのだ。

 俺たちは未だに、そこから先へ進む糸口を見つけられず。もどかしさばかりを、無限に積み重ね続けている。

 他人以上。知り合い未満。

「ははぁ。青春の塩味なのだな。分かるぜボーイ。人はそうして大人になってゆくのであるよ」

 うんうんと、マツイさんは何度も頷いた。

「何が分かると?」

 少しだけ苛立っているのが分かったから。初めて読む台本をなぞるように、意識して平坦に言った。

「恋ダロ?」

「ちげぇよ」

 その気楽さが羨ましいわ。

「気持ちの悪いことを言わないでくださいよマジで」

「あーもぅ、まぁたそういうひねたことをこのミーちゃんは。人権集団がいよいよアップを始めたゾ」

「押し付けるなっつってんですよ」

「はいはい。ミーちゃんは健全なオトコノコ。ついでに言うとロングヘアフェチなんだろう?」

「なぜそんな話になる」

 いつものこととは言え、脈絡がなさすぎる。どういう脳内構造をしているのだろうか。一度解剖してもらって、人類史に貢献するべきではないか。

「ミキさんがあんなだから、てっきり胸かなぁと思ってたんだけどサ。黒川ちゃんはそんなじゃないじゃん。あたしといい勝負じゃね?」

「知らねぇ。いや、あれ、マツイさん面識あるの?」

「通称アケミネーション・ネットワークの繋がりでチョロッとな!」

 なんだそれは。

 知らない間に、また新しい邪教が生まれてたのか。

 生まれすぎだろ夏臥美町。カルトの聖地になってないか。

「ていうかあたし、あの子が生徒会長に就任したとき、まだ夏高にいたもん。見たことくらいはあったよ」

「……ああ、そうか」

 そう言えばそうか。そうなるか。

 自分が入学する前の高校というのは、どうも異世界じみているというか、現実味がない。

 そもそもに。俺と入れ替わりで卒業していったマツイさんと、こうしてだべっていることが不可思議で、特例的なのだ。察しろと言う方が無理だろう。

「ま、有名だったしねぃ、あの子」

 思い出すように言って、マツイさんは指先でテーブルをなぞる。

 よく分からないが、似顔絵でも描いている感覚なのだろうか。

「陸上部でも活躍してたし、模試の成績もけっこー上って話だったもん。順当なトコだったんじゃないかナ」

「はあ、なんというか。生徒会長になるべくしてなった、みたいな感じですよね」

「ん、そう? 眼鏡掛けてないジャン?」

 それはそんなに大事なことだろうか。いや、違うと思うのだが。

「んま、選挙なんて有名度チェックみたいなもんですよって。今はどうか知らんけど、ちょいとお節介焼きなところがあったらしくてね。変な子だって、煙たがってた人もいたみたいだから。『なるべくしてなった』ってほどでもないかも知れなくもなくなくない」

 それは、確かに。

 万人に好かれる人間などいない。そのような方法があるとすれば、この世に人間関係で悩む人間はいなくなるだろう。

 誰かと仲良くなるには、思い切って踏み込むことも大事だし。

 突然目の前にまで踏み込まれて、拒絶したくなる人間だって当たり前にいる。

 だから、だと思う。

 俺の中で、根本的に合わない人間として。黒川 知世鈴はインプットされてしまったから。

 自分から踏み込むことに、あんなにも緊張してしまったのだ。

 アオの勘ではなく、俺自身の感覚で。たぶん俺は、黒川に苦手意識を持っているのだ。

「んで、ミーちゃん? デートってどこまでヤるの? A?B?」

「そのクソ古い言い方をやめてください。はっ倒しますよ」

「ええ!? ま、まさかD!?」

「Cどこいった」

「Dをソツギョー!?」

「おっさんかよ」

 炬燵内足蹴り合戦が繰り広げられる。あまりの程度の低さにマツイさんはゲラゲラと笑っていたが、結構容赦なく蹴ってくるので痛い。とても痛い。

「なんて聞いてるか知りませんけど。向こうに話があるってだけで、デートなんてもんじゃないんで」

「話? ミーちゃんに? 何を?」

「ミキ絡みでしょう、どうせ」

 酷い話であるが。

 俺が何らかの形で、ミキの手伝いをしている――という話は、既に知れ渡っているらしい。

 ミキの人気は凄まじいものだ。それこそ、教師生徒の分け隔てなく。嘘か真か、最近はその親族にまで影響が及んでいるという話さえ聞こえてくる。

 万人に好かれる人間などいない――それはミキも例外ではないが、少なくとも学内において、ミキを嫌う人間はいないだろう。黒川とミキの違いはそこにあって、しかし正常なのは黒川の方だ。一歩引いてよく考えてみれば、ミキのそれは崇拝にも近く、危険で空恐ろしいものでしかない。

 いわば狂信だ。そんな中で、ミキと近しいなどと噂になれば、何らかの嫌がらせが生じるのではないかと思った。少なくとも夏まではそう確信していたし、だから誰にも言わなかった。

 結果的には何も起きなくて、拍子抜けだった、けれど。

 考えてみれば、俺が想像できる範囲の話だ。ミキの手に掛かれば、そんな歪みを起こさないでいるくらい、訳のない話なのだ。

 ミキは誰も軽視しないし、誰も見落とさない。

 すべての人を愛していると豪語する、その本質はどうあれ。一人一人を尊重し、その性質を見極めようとする姿勢を、彼女は確かに維持し続けている。

 それが、どれほどの偉業――いや、苦行なのか。数百人の個人を把握し掌握する心労は、一体どれほどのものなのか。俺は未だ、想像することさえできないでいる。

「ふぅん?」

 マツイさんは、何やら不思議そうに首を傾げていた。

「ミキさんの話なら、本人に直接言うんじゃないん? 実際、今までに何度も機会はあった訳だし」

「そりゃあ、本人には言いづらいことも……」

 あるだろう、けど。

 しかし逆に、俺になら言いやすいことがあるとも思えなかった。

「……なんですかね」

「さあ?」

 互いに疑問符を投げ合う中で。

 俺の中にはもう、答えらしきものは見えていた。

 もし、そんなものがあるとすれば。

 それはもう、ミキには断られた話なのかも知れない。

「あたし普通の乙女心とか分かんないし」

「普通じゃない乙女心がまず分からないんですが」

 いや普通の乙女心も分からない。

 そもそも、俺の辞書にそんな単語自体が載っていない。なんだ、乙女って。架空の概念だろうか。

 乙女心が分かっていない同士、なるほど通じるものがあるのかも知れない。黙ったまま、二人同時に天井を見上げる。いや、そんなんで通じ合いたくないけども。

「行きたくない……」

「ま、恥かかないようにだけ気ぃつけなな。これ以上変な噂が広まると、今後の人生が生きづらくなっちゃうゼ」

「なによりアンタにそんなん言われたことがもう大損害なんですが」

 変な噂という意味で、この人を上回ることは流石にないだろう。

 ないと思いたいが。

 ないよな?

 ないはずだ。

「ううん?」

 マツイさんがまだ首を傾げていた。皺の寄った眉間から小振りな顎へのラインが、床と平行になる勢いだ。

「別に、ここでそんな考え込んでも仕方ないでしょ。行けば分かる話ですよ」

「ん? いやいや」

 そういう話じゃなく。

 マツイさんはそう断って、いかにも解せないといった顔をした。

 それがなにか。理由までは分からなかったけど――。

「んー、でもま、あたしの勘違いでショウ! 最近物騒だったしネ! 気にせんどいてな」

「はあ」

 それで、この話は終わりを告げた。後ろ髪引かれる思いを残しつつ、それでも終わって、何でもない雑談に移り変わった。

 ただ、なんとなく、勘で。

 いやな予感だけは、していたんだ。

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