52◆魔神の猛威
ダルクさんの大剣が、中身ベリアルちゃんの黒い鎧にぶち当たった。
横薙ぎに振るわれた大剣をまともに食らい、ベリアルちゃんが吹っ飛ぶ。先ほど破壊されたばかりの窓から外へ飛び出した。
「アリト君、だいじょぶ?」
「ダダダダルクさぁーん! なんてことしてくれたんですか!」
「ふえ? てかキミ、襲われてたんじゃ……あれ?」
傷ひとつない俺の姿や、たった今破壊された窓以外に争った形跡がないのに気づいたらしく、ダルクさんには珍しく冷や汗を垂らしている。
ゆっくり説明している暇はない。
とにかくベリアルちゃんだ。
俺は窓に駆け寄り、外に身を乗り出した。この部屋はちょうど店舗入り口の真上。店の前の道に、黒い鎧が両手足を広げた格好でうつ伏せに倒れていた。
ぴくりとも動かない。
俺はすぐさま部屋を出ようと駆け出した。
「アリトさん、ご無事で――」
「ごめんなさい説明は後で!」
ちょうど部屋に飛びこんできたセイラさんの横を通り過ぎ、階段を駆け下りて外へ出た。
「ベリアルちゃん、大丈夫!?」
側に寄り、【解析】スキルで状態を読み取るまでもなく、返答がくる。
「おなか、すいた……」
ああ、うん、そうかあ……。この子、本当にいつも腹ペコなんだな。
「えっと、ケガはないっぽいけど、痛くはない?」
「ちょっと、驚いただけ。向こうも、たぶん手加減してた。今はとにかく、おなかすいた……」
「さっきけっこう食べたよね? 空腹もすこし治まってたと思ったんだけど」
また状態が『極度の空腹』になってるぞ。
「この鎧、着ると、すぐこうなる……」
「え、そうなの? 俺はなんともなかったけど」
まあ、原因が鎧にあるなら、脱がせたほうがいいだろう。とはいえ往来だ。人通りは少ないけど、中に連れていこう。
そう思い、肩を貸そうとしたものの。
「重い!」
装備したときは鎧の特殊効果でどうにかなっているけど、そのままだと一人じゃ持っていけない。
「はいはーい、ちょっち貸してみ? 家に連れてけばいいんだよね?」
困っていると、ダルクさんがひょいと黒い鎧ごとベリアルちゃんを担いだ。すたすたと店に入っていったのを、俺は慌てて追いかけた。
俺の部屋、は窓が破壊されて危険なので、セイラさんのお部屋にお邪魔する。あんまり入ったことないんだけど、余計な物がいっさいない片付いたお部屋だ。
鎧を脱がし、ベッドにベリアルちゃんを寝かせる。台所には生の野菜しかなかったのだけど、念のため持ってきたら寝たままがりがりニンジンとかを齧りはじめるベリアルちゃん。
俺はその間、ダルクさんとセイラさんに事情を説明した。
「いやホント、申し訳ない……」
「勘違いしていました……」
二人はしょんぼりしてベリアルちゃんに頭を下げた。
特に気にした様子もなく、彼女は生野菜を齧っている。
ダルクさんもセイラさんも、街を覆う黒い霧の原因が魔神ベリアルのものだと考えたそうだ。で、鎧を持つ俺の身が危険だと急いで街へ戻ってきたが、なぜか俺のギリーカードと通信できなかった。(魔神の影響らしい)
それで焦りに焦りまくり、ダルクさんは問答無用でベリアルちゃんを攻撃したとのこと。
「おなか、すいた……」
生野菜を食べつくした女の子は相変わらずのマイペース。
「お詫びを兼ねて、わたくしが腕によりをかけてお食事をご馳走しますっ」
「んじゃ、アタシは待ってる間用になんか買ってくるよ。なに食べたい?」
「肉まん」
即答だった。
そうしてこうして、どうなったかというと――。
我が家のダイニングルームが、いつにも増して賑やかになった。
「さあ、できましたよ。たんと召し上がれ」
セイラさんがニコニコ顔で何段にもなった蒸し器を運んできた。湯気とともにいい香りが鼻に届く。
ダルクさんが買ってきた肉まん(二十八個)をぺろりと消し去った(比喩に非ず)ベリアルちゃんを見て、セイラさんの料理人魂に火が点いたらしく、食材や蒸し器を買い漁ってきて肉まんパーティーが開催される運びとなった。
ベリアルちゃんは目を輝かせ、でき立て熱々の肉まんをヒュンと(比喩に非ず)口に放りこんだ。もぐもぐごっくん。ふわあっと蕩け顔。
「慌てて食べると、のどに詰まらせちゃうよ?」
セイラさんの後ろからは同じく蒸し器を持ってきたリィルがいた。
二人も席に着き、肉まんをひとつ手にしたわけだが、その間にも目に見えて肉まんは消えていく。
「彼奴の口は異次元にでも通じておるのか?」
呆れ声はクオリスさんのものだ。騒ぎを聞きつけてしれっとお酒を持って参加している。
「いちおう胃袋には収まってるみたいですよ? 状態がちょっとずつ改善されてますから」
今度はダルクさんが呆れたような声を出す。
「ちょっとずつって……。まあでも、ホントさっきはゴメンね」
「気にして、はむ、ない、はむ。誤解は、はむ、誰にでも、はむ、ある、はむはむ」
「君ちょっとお行儀悪いよ?」
食べながら受け答えはどうなのか。
「てかさー、この子ってぜんぜん魔神っぽくないよね。話がわかるつーか」
「そういえば、そもそも『魔神』ってどういう存在なんですか?」
俺は三度の転生を経て135年ほど生きているが、魔神が現れたとかいう話は一度たりとも聞いたことがない。
「基本はやりたい放題だねー。だからいろいろ衝突があってさ。『魔神』なんて呼ばれちゃってるワケ」
「でも中には分別のある魔神もいましたね。ベリアルさんはそういった方なのではないですか?」
「ま、ほとんどが悪さをし過ぎて、いつしか異界に追いやられてな。あちらの居心地が良いのか、こちらには姿を見せぬようになった」
お三方はそう語る。
「まるで見てきたみたいに言いますね」
ぎくり、と三人の肩が跳ねたような?
「そこはほら、アレじゃん? 古い文献とかに載ってたし」
「そそそそうです! 冒険者たるもの、そのくらいの知識はあって当然です」
「えーっと、錬金界隈でも、そのあたりは常識? ということでひとつ……」
なんだか言い訳じみているけど、まあ、実際に見たわけじゃないだろうな。遥か昔の話らしいし。
「で、ベリアルちゃんはその異界ってとこから来たの?」
俺が尋ねると、こくりとうなずいた。
「そっか。じゃあ、鎧も見つかったし、もう帰っちゃうのかな?」
ぴたりと、肉まんに伸ばした手が止まる。
なぜか俺をじっと見た。
そして、衝撃的なひと言を口にする。
「どうやって、帰れば?」
いや、俺に訊かれましても……。助けを求めてお三方を見るも、
「アタシ、知らないけど……」
「わたくしも……」
「そもどうやって来たのだ?」
ベリアルちゃんはほんのわずか眉間を寄せて、しばらく黙したあと。
「においを、たどってきた」
「鎧の匂いを? だったら今度は、異界にあるものの匂いを辿るとか……? あ、来た道があるんだから、それを逆に行けばいいんじゃない?」
ベリアルちゃんはふるふると首を横に振る。
「道は、閉ざされた。においは……わからない」
しーんと沈黙が降りる。肉まんのいい匂いが、漂うのみだ。
クオリスさんがぐびーっとジョッキを空にした。ぷはっと息を継いで、ぼそりと言う。
「身寄りも行く宛てもない。ここは拾った者が責任を取るべきであろうな」
「えっ」
そんな犬猫じゃないんだから……。
「魔神を野放しにはできまい?」
「一人では心細いでしょうし……」
「そだね。ここに住んじゃえば?」
え、あれ? なにこの流れ……。
「それじゃあベリアルちゃんは、リィルと一緒のお部屋にしようか」
リィルもノリノリである。
ベリアルちゃんは肉まんをひとつ平らげてから俺に体を向け、ぺこりとお辞儀した。
「世話になる。よろしく」
いやまあ、べつにそれでも構わないと、このときは思ったのだけど――。
異変はやってきたときと同じく、唐突に立ち去った。
街を覆い尽くしていた黒い霧は晴れ、みなが不思議がったものの、街は平穏を取り戻していく。
しかし、である。
朝、大量の食事がテーブルに並び、ものの五分で消え去った。
我が家の食卓の総責任者であるところのセイラさんが、冷や汗を垂らしながら俺に告げた。
「今月分の食費が、二日でなくなったのですけど……」
魔神の猛威に対し、俺たちはあまりに無力だった――。