96 魔狼、狐と相対す
「おい、リゼ、何をしている?」
「ハ、ハーヴェイさんをたたた助けにいかないと……!」
「馬鹿だな! リゼが行っても……」
フェリルスさんは途中で言葉を呑み込んだ。
「……あいつにはリゼを助けてもらった借りがあるからな! 俺も力を貸そう! これでチャラだ!」
「ありがとうございます……!」
「心配するな、俺がついてれば、魔獣なんて怖くない!」
わたしはフェリルスさんに勇気づけられて、まっすぐに最短距離をいった。
途中で大きな市街壁に阻まれる。
ブーツでひとっ飛びすると、フェリルスさんもついてきてくれた。
「位置的には、このあたりだったはず……」
耳をつんざく咆哮。
大きな異形の化け物が、四つ足で地に伏せていた。
壁の上のわたしをぎろりと睨む。
わたしはさーっと全身から血の気が引いた。
テウメッサの狐……!!
そしてあれは、跳びかかってくる直前の『伏せ』だ!!
わたしはとにかく壁の上から飛び降りた。
着地点なんて考えてなかった。
ここにいたら食われるとはっきり感じていた。
わたしが飛んだ一瞬後に、狐も跳んだ。
市街壁が細長いマズルからは想像もつかないほどの凶悪な顎でかみ砕かれ、一部が崩落する。
こ……こわああああ!?
市街壁は見た目通りの煉瓦壁じゃない。結界ももちろん張られてる。
一発でかみ砕くんなら、わたしの結界だってどこまで通用するか怪しい。
噛まれたら、終わり。
わたしは恐怖に呑まれて、もう一度跳びかかってこようとするテウメッサの狐から全速力で逃げ出した。
途中で『アリアドネの魔織』を織りあげ、わたしの姿を草原と同化させる。
それでもテウメッサの狐は、わたしの行く方向にぴたりと鼻先を合わせている。
匂いでわたしを感知してるってことだよね?
視覚だけを誤魔化しても意味がなさそう。
「あいつ、俺がいるのに歯向かってくるのか! なかなかの勇気だな!」
フェリルスさんがわたしの隣でバウバウ喜んでいる。
そうだ、フェリルスさんがいた!
「何とかしてくださいよう!!」
「説得してみるか!」
フェリルスさんはくるりと背を向けて、テウメッサの狐に向かって吠えた。
テウメッサの狐が立ち止まる。
目の前の小さな狼に戸惑っているみたいだ。
「この場は退け、何物にも捕まらない者よ! わが友に手を出すことまかりならん!」
フェリルスさんが急に難しいことを喋り始めた。
テウメッサの狐は毛を逆立てて、フェリルスさんに威嚇のポーズ。
「わが言葉が届かぬか! 哀れな同胞よ、獣に堕ちたな!」
フェリルスさんが何か言ってるのを無視して、テウメッサの狐はフェリルスさんに飛びかかった。
フェリルスさんがするりと水の中の魚みたいに避けて、テウメッサの狐にガブリと噛みつく。
二匹は互いの尾を追いかけ合うように、ぐるぐると周りながら戦い始めた。
そういえば、ハーヴェイさんはどこだろう?
わたしは警報システムのビーコンを探して――
ハーヴェイさんの倒れた姿は、少し離れた草の茂みに隠れていた。
「ハーヴェイさんっ!」
意識を失った状態で倒れていた。
う、うひゃあ、血まみれ……!
わたしは慌てて怪我の場所を探す。
ひ、左腕がない……!!
わたしは失神しそうになりながら血止めのポーションで左腕をざぶざぶ洗った。
腕……!! 腕どこ……!?
斬られてすぐの腕は魔術でくっつくこともある。
取れた腕を探したけれど、草原のどこかに紛れてしまっているのか、見つからなかった。
魔織を急いで織って、腕をぐるぐる巻きにする。
怪我はポーションで治るけど、戦闘時の死因一位は失血のしすぎってディオール様もこないだ言ってた。
ハーヴェイさんぐらい血まみれだったら今すぐお医者さんに見せないとまずい。
わたしはハーヴェイさんを気合いで担ぎ上げた。
『七里の長靴』の力を借りて、ハーヴェイさんごと飛ぶ。
市街壁のてっぺんに跳んで、もう一回ジャンプ。
内側に着地したら、なぜかテウメッサの狐もついてきた。
すぐ横に巨体がドシャッと着地してきて、わたしは震えあがる。
「リゼ、走れ!」
フェリルスさんが激しく吠えてテウメッサの狐を威嚇する。
わたしはブーツの力で大通りを跳んで逃げた。
「テウメッサの狐だ!」
「きゃあああ!」
通りの人たちが逃げ惑う声がする。
わたしは罪悪感にかられて足を止めた。
わ、わわわたしが連れてきたせいで、みなさんに危険が……!
「う……ここは……」
担いでいるハーヴェイさんが意識を取り戻した。
「よかった、今お医者さんに」
「近寄っては……いけません」
ハーヴェイさんがわたしから離れて、自分で立つ。
血を失いすぎて目まいがするのか、頭を抑えている。
「自分には魔獣を引き寄せる魔香がかかっています。店主さんにも移るかもしれません」
な、何それぇ……?
初めて聞いたよ。
人を魅了する魔香はときどき聞くけど。
「で、でも、ハーヴェイさんのケガをなんとかしないと……!」
治療ならお医者さんだけど、香水関係はおそらく専門外だ。
薬の範疇だから、薬師か、錬金術師に頼まないと。
わたしの知っている範囲で一番頼りになる錬金術師はディオール様。
「匂い消しを作ってくれる錬金術師さんに心当たりがあります。その人のところまでがんばりましょう」
「しかし、巻き込んでしまう」
「大丈夫です! その人、英雄だそうなので! テウメッサの狐も一発で凍らせてくれるはずです!」
ハーヴェイさんも思い出したみたいだった。
「あの、試験会場の……」
「ハーヴェイさん、自分で歩けそうですか?」
「……意識はだいぶはっきりしてきました」
「じゃあ、これ履いてください。振り切りましょう」
わたしはブーツを手渡した。
「魔剣……」
ハーヴェイさんがわたしの手荷物に気づいた。
「それがあれば……」
「おいリゼ、何をぼーっとしている!? 走れったら走れ! こいつ、執念深いぞ! どこまでも追ってくるつもりだ!!」
フェリルスさんとテウメッサの狐がすぐそばに来て乱闘を繰り広げ、あたりの店や道路が破壊された。りんごやオレンジが転がっていき、日よけのテントが骨子から外れて吹っ飛ぶ。
「……何か手は……」
わたしは夕暮れで長く影が伸びるテウメッサの狐を見ていて、ふと子ども騙しのようなトリックを思いついた。
とりあえずやってみよう!