85 公爵さま、不遇職の解説をする
わたしとフェリルスさんは位置について、よーいドンで木が生えているゴールを目指すことに。
ふふふ、あれからブーツの魔術式はかなり書き換えて、飛距離を飛躍的に増大させました!
わたしはひとっ飛びでゴールに飛び、ふわりと着地。
フェリルスさんが僅差で横を駆け抜けていく。
「今のはわたしの勝ちですよね!」
「そんなわけない! 俺のほうがハナ差で早かった!」
判定は――わたしの爪先勝ち!
「フェリルスさんを抜いてわたしが百キロマラソン走に勝つ日も遠くなさそうですね!」
「な、生意気なぁ……! 人間の脆弱な精神力でそれほど魔力が持つわけないだろう!」
「人間は魔石が使えるんですよぉ!」
「なぁにぃぃぃ! 卑怯だぞ! このーっ!」
フェリルスさんときゃいきゃい追いかけっこして、疲れてぐったりしながら椅子に座ったら、生ぬるい笑みのディオール様と目が合った。
「君はフェリルスとよく遊んでくれるな」
「何を言っているんだ、ご主人!? 俺がリゼと遊んでやってるんだ! 俺がこんな生まれたての小娘と同レベルの遊びで満足すると思っているのか!?」
「フェリルス、取ってこい」
ディオール様がその辺に転がっていた石をものすごく遠くに飛ばすと、フェリルスさんは大はしゃぎでどっかに行った。
「なんか気が合うんですよねぇ」
「そうか。まぁ、君が負担でないのなら構わんが。そのブーツは新しく作ったのか?」
「はい! テウメッサの狐から逃げきれる装備品をと思いまして、一般の人でも使えるようにって」
わたしはその場で跳んだり跳ねたりしてみせた。
ディオール様は無表情ながらも、少し感心した口ぶりになる。
「……軍用ブーツ並みの威力だな」
「あ、わかっちゃいます? おばあさまが昔内緒で納品してた技術からの流用です」
ディオール様は血相を変えて前のめりになった。
「リゼ、それは、大丈夫なのか? 機密保持の契約はしていないのか」
「期限切れですよ! おばあさまが第一線で騎士団の装備を作ってたのはわたしが生まれる前だそうですんで」
騎士団の配給品の型落ちとはいえ、一般用のグレードまで落として、誰にでも安全に使えるようにするとなると、まだまだ改良が必要なんだよね。
「おばあさまのブーツは魔獣素材を使ったハイグレード品なので、機能も豪華なんですけど、わたしのは一般的な革靴にギリギリ乗せられる限界の機能を目指そうかなって」
魔力豊富な魔獣素材と、普通の革製品に魔力なめしを施したものとでは、やっぱり乗せられる魔術式の量が違う。
廉価版には廉価版の苦労があるよねぇ。
「まだテウメッサの狐は倒されそうにないんですよね? これが普及すれば、被害も減るかなと思いまして」
言いながら、わたしはハーヴェイさんのことを思い出した。
そういえば、あれからどうしてるかな。
狐に遭遇していたりしないかな。
「ご主人んんんんん! 取ってきた! 取ってきた取ってきたぞぉぉぉーっ!」
「よくやった」
ディオール様はよだれまみれの石を拾うのを嫌って、また別の木の棒を拾って、塀の外に放り投げていた。
「ウワァァァオォォォォンッ!」
フェリルスさんはまた走っていった。その後ろ姿には喜びがみなぎっていた。
フェリルスさんはいいなあ。いつ見ても生き生きしているなぁ。
「あの、ディオール様、もしも駆け出しの冒険者が、強い魔獣と遭遇してしまったときは、どうするのがいいんでしょうか?」
わたしは冒険者の装備を言われるままに作っていただけなので、使ってくれる人の目線でどうすればいいのかは知らない。
ディオール様はこともなげに、
「倒す」
と、言った。
「……逃げないんですか?」
わたしは逃げるのが一番だと思ってた。
「逃げられるものならな。魔獣の多くは馬車より早く走る」
「そこでこのブーツなんですよ!」
「それも選択肢の一つとしてありだろう」
ディオール様は優しい目つきでわたしを見守っている。
「基本的には複数人でパーティを組んでいるだろうから、全員でうまく撤退できればいいが」
「ソロの場合は?」
「ソロをする意味が分からない」
えぇ……とわたしは困った。
「フィールドワークだったら、ソロが多いんじゃないですか?」
「きのこ採取で魔獣に襲われるようなやつらのことか」
「そ、そんな言い方……」
「どうしようもないだろう。今の時期にソロで採取をするやつは自殺志願者としか思えん。どうせ助からないのだからいちかばちかで攻撃してみればいいんじゃないか。傷のひとつも負わせられれば後に残された人間が喜ぶだろう。必要な犠牲だったと納得してもらえるはずだ」
言われてますよ、ハーヴェイさん……!
わたしはここにいないハーヴェイさんに向かって思わず呼びかけてしまった。
「そ、それはちょっと冷たすぎじゃないでしょうかぁ……やむにやまれぬ事情があって採取してる人だっていると思いますしぃ……」
「なんだ、そういう客でも来たのか?」
わたしがふくれっつらでうなずくと、ディオール様はちょっとだけ笑った。
「どうしてもというのなら、防御用の魔術ぐらいは最低でもマスターしていくべきだな」
「魔術を覚えたての初心者なら……?」
「……結界用の護符でも持っていけば、多少は助かる確率が上がるんじゃないか」
回答が投げやりになった。
「た、多少ですか?」
「まあ、十中八九アレだ」
アレかぁ……
「テウメッサの狐も出ることだから、ソロはやめて、強力な魔術師と組むようにすべきだと思うが。理想は結界担当の魔術師と攻撃担当の魔術師で組むことだな」
「……騎士さんは?」
「分け前が減るから必要ない」
「ふ、不遇職……」
「結界がしっかり操れる騎士であれば重宝されるだろう。まあ、結界で防御がこと足りるなら剣で攻撃する必要性も薄いが」
「ふ、不遇職……!」
「騎士が剣の腕一本で戦う時代はとっくに終わっている。どれほどの剣豪であっても不注意による負傷は起こり得て、軽傷を魔術で治せはしても失った血液はそう簡単に戻らない。戦場での死因第一位は失血死だ。騎士として戦いたければ、まず魔術を身に着けねばならん」
「つらい……お仕事なんですね……!」
ハーヴェイさんが来たら、今度は結界用の護符を薦めてあげよう。
「だから、君もいざというときのために結界は張れるようになっておくといい。たった一度の結界に命を救われることもあるだろう」
「ご主人ーっ! 見てくれー! 俺の! 優秀な! 捜査能力を見てくれーっ!」
大はしゃぎのフェリルスさんが木の枝をくわえてきた。
フェリルスさんをなでてあげているディオール様を横目に見ながら、わたしは結界について考えてみた。
結界用の魔術式は何度も書いたことがある。
でも、暗記はしてないから、そらで詠唱は無理だ。
そして覚えられるほど頭よくない……!
わたしが魔術師に向かない理由全部これのような気がしてきた。
仕方がない。
わたしが使えるくらい簡単に切り詰めて、なるべくシンプルなやつを一個作って、万が一に備えておこう。