56 リゼ、しどろもどろになる
と、思いもよらないようなことを言った。
なにに使うんだろう? と思っていたら、アルベルト王子が何でもないというように微笑んだ。
「私の姿は目立ちすぎるからね。姿を隠して街を散策したり、あとは、移動中を狙われたりしないように、透明化して馬車に乗ることができたら、どんなにか安心だろうと思うよ」
なるほど。
わたしもこないだ暗殺者メイドにやられたから、気持ちはちょっと分かる。
いつもあんな人たちに狙われてるとしたら、大変だ。
全然心が休まらないよね。
「君が作ってくれたものもとても便利なんだけど、『姿隠しのマント』『ギュゲースの指輪』――どちらも欠点がある」
確かに。
燃えやすいマントとすぐ壊れる指輪じゃあ、安全とは言えない。
「分かりました。どこまでできるか分かりませんが、ちょっと研究してみます」
「ありがとう。もしできたら、次はもっと珍しいお菓子を持ってお礼に来るよ」
「そ、そんな……! いいのに……!」
わたしは隠し切れないにっこにこを、両手で頬を挟むことにより、なんとか誤魔化した。
「何か私に手伝えることはない? 研究に必要なものがあれば、用立てるよ」
「そうですねえ……」
ほしいものはたくさんある。
「魔獣の素材があれば、丈夫な『姿隠しのマント』を作れる可能性はあります」
魔獣素材、あんまり街の魔道具師までは流れてこないんだよね。たいてい騎士団が討伐して、消費しちゃうから。
「たとえば、どんな魔獣?」
「なんでもです。魔力が強ければ強いほど、乗せられる魔術は強くなりますが、そうですね、着心地のよさや頑丈さも追及するなら――」
魔織を作る職人ならば誰もが欲しがる、あの名工の一品。
「蜘蛛の魔獣が出す粘糸がいいかもしれません」
けっこうな無茶を言ったのに――
王子はためらわずにうなずいた。
「分かった。どのぐらいの量が欲しい?」
「あればあるだけ安定します」
「ギリギリのラインは?」
わたしはうーんと唸った。
「素材を見ないとなんとも言えません……素材そのものの強度はもちろん、魔糸を作る人の腕にも左右されます。ちょっと引っ張ったら崩れてしまうくらいの強度でよければ、このくらいで十分です」
手で小さく幅を取ると、王子は少し考えてから、また口を開いた。
「では、通常の服と同じぐらいの強度が欲しいときは?」
「それは未知数です……麻袋いっぱいに持ってきてもらえれば確実かと」
「分かった。なんとかしてみよう」
わたしは心配になった。
「あの……蜘蛛の魔獣って、強いですし、粘液に搦めとられたら悲惨ですよ……」
めったに市場に出ない理由でもある。
蜘蛛の魔獣は、基本的に巣ごと焼き払うものなのだ。
糸を残して倒そうなんて舐めた戦い方をすると、こちらがやられてしまう。
養殖業者もいないことはないけれど、幼獣であっても危険で、ちょくちょく捕食されるブラックな世界だ。
アルベルト王子は、茶化すようにウインクした。
「私は王子だから、そのくらいはね」
わー。頼もしい。
冒険者から買い付けてきてくれるのかな?
レア素材は大好きなので、楽しみがひとつ増えた。
蜘蛛の魔獣の糸、早く成分分析してみたい。
***
「いらない」
ディオール様に一刀両断された。
「店の権利書はやると言っただろう。借金にしなくていい。プレゼントだ、貸金ではない。違いが分かるか?」
「はい……」
わたしはすごすごと引き下がった。
ディオール様の前だとなんかうまく説明できなくなっちゃうの、どうしてなんだろう……
顔が怖くても、いい人って、もう分かってるんだけどな。
強く言われると、なんか恐縮しちゃう。
わたしは早々に説得を諦めた。
最近来てくれた頼もしい助っ人にヘルプを要請しよう!
わたしはアニエスさんに拝み倒した。
「ディオール様にお返ししようとしたんですけど、にべもなく断られちゃいました! わたしだと言いくるめられちゃってうまく行かないと思うので、一緒に説得してもらえませんか?」
「いいけれど……」
アニエスさんは不思議そうだった。
「受け取る意思がないのなら、もらっておけばいいんじゃないの?」
「でも、わたしは返したいんです! なんていうか……感謝の気持ちなので!」
アニエスさんはまだ解せないという顔をしている。
「婚約者なのでしょう? ありがとうって、笑顔で受け取れば、それで感謝の気持ちは十分示したことになると思うのだけれど」
「それではダメなんです」
うまく言えないけど、もらいっぱなしなのは悪い気がする。
「わたしがお金を持ってないときは、ご好意に甘えるしかなかったんですけど、今ならわたしだってちゃんとした魔道具師ですし、お金だって稼げます。だから、何かの形でお返ししたいんです」
でーもー、ディオール様にはさっぱり伝わらないんだよねぇ。
どうすればいいんだろう。
「……そうね。婚約をいずれ解消するのなら、金銭関係はのちのちトラブルになりやすいわ。早い段階で清算しておくのもいいかもしれないわね。いいわ、手伝うわよ」
「よろしくお願いします!」
こうして強力な助っ人も得て、わたしはディオール様にお店まで来てもらうことにした。
お菓子の家の屋根(一番おいしいところ)を食べてもらいつつ、権利書の件を蒸し返す。
ディオール様は無表情だった。
「いらんと言っただろう」
「で、でもぉ……やっぱりこういうことは、金額をはっきりさせて、書面でけーやく? を残しておいたほうがいいと思いますしぃ……」
しどろもどろになっていたら、横からアニエスさんがさらっと口を挟んだ。
「リゼは好きでもない男に大きな借りを作りたくないそうよ」
わたしは飛び上がりそうになった。
そ、そそそ、そんなこと、誰も言ってなくない!?
「……は?」
ディオール様は普段の無表情が崩れて、怒ったような顔になっていた。
「どういう意味だ? 私が嫌がるリゼを金で買ったとでも言いたいのか? 権利書は与えたものだ、何度説明させれば気が済む?」
いつもより五割り増しで声も低い。
「私は貴族だぞ。食客に与えると決めた褒賞を借りだなどと言われてはそれこそ恥だ」
「そ、そういうことじゃなくってぇ……」
「くどい。絶対にいらん」
ディオール様は怒ってしまった。
ありゃー。どうしよう。
意地になっちゃってるし、もう受け取ってもらえないかも。
アニエスさんは涼しい顔で口を開く。
「そう思っているのなら、その旨公証人の前で宣誓した上で、一筆『全額贈答した』と書いてもらえればいいのよ」
「いいだろう。実にくだらないが。今すぐ呼んで来い」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
これじゃ逆じゃん!
なんで全額タダでもらうことになってるの!?
わたしはもう真っ白だった。
「わ、わたし、借りを作りたくないっていうか、それはそうなんですけど、そうじゃなくて、もっとディオール様に恩返しがしたいっていうか……!」
わたしは喉が詰まった。
「……ご、ごめんなさい、なんて言ったらいいか……」
アニエスさんはわたしの様子を見ていて、ちょっと困ったようだった。
「時間をいただけるかしら? 公爵閣下。少し裏で相談させてちょうだい」
「好きにしろ」
わたしはアニエスさんに連れられて、裏に回った。