33 ギュゲースの指輪
わたしはちょっと首を傾げた。
「……一般の人には宝石加工の方が革細工加工よりも難しいのかと思われてしまうかも……?」
わたしはどちらもできるけど、必要な技能が違うだけで、どっちの方がより難しいということはない。
「そうだね。錬金術師の七級が魔銀なのにこちらは彫金師が八級に来ていたりと、名前と実際の実力に相関関係はないが、あくまで取引価格の相場をもとにしたイメージと思ってもらえれば」
「なるほどぉ……」
わたしはあいまいに相槌を打った。
原価が高いほど相場も高くなるから、取引価格順ならこんなもんかな?
「君には十分な実績があるから、魔杖級からの授与としたい。審査用に、何か一つサンプルを貸してくれないだろうか」
「わたしの作ったものを……ですか?」
「そうだ。魔力紋がはっきり君本人のものだと分かるものだよ」
そういえば、わたしの魔力紋が百パーセント出ている魔道具って一個もない。
商品を作るときはいつも家族の紋様に合わせてきた。
わたしはお店を継いでまだ日も浅いけれど、ひとつ分かったことがある。
それは、職人にとって魔力紋は自分の作品であることの証だから、真似させない人がほとんどってこと。
父母だって、本当にわたしが雑用しかできない娘だと思っていたのなら、代理なんかさせなかったはず。わたしが作った粗悪品のせいで自分の名声が傷ついたら嫌だもんね。
でも、両親はそんな心配、一度もしていなかった。
わたしの作るものがいいものだと、無意識に理解していたからなんだと思う。
わたしの名前が絶対に表に出ないようにしていた理由も、今なら少し分かる。
『娘のほうがいいものを作る』と言われるのが、嫌だったんだ。
だから必要以上にわたしをグズだと叱りつけて、恐怖心でコントロールしようとした。
ディオール様に出会えていなければ、わたしは今でも姉や両親に怯えながらこき使われていたんだろうなぁ。
……よし。
わたしがお店を継ぐんだし、家族のことは終わりにしよう。
わたしが作れる最高のものを提出して、盗まれた成果も、わたしが得るべきだった名誉も、全部取り返そう。
わたしが作ったものを、わたしのものだと、胸を張って言おう。
「何を出したらいいでしょうか? うちの店は手広くやっていたので、作ろうと思えば何でも作れるのですが」
王子は自分のポケットから魔石を取り出した。
「アルテミシアからもらったものだけど……これも君が作ったものかな?」
「はい」
「それなら、君にしか作れないものを作ってもらいたい」
王子はわたしをまっすぐに見て言う。
「ギュゲースの指輪を」
***
ギュゲースの指輪。
それは神話に登場するアーティファクトで、着用者の姿を透明に変えてしまえる力を持つという。
姿隠しのマントと原理はほぼ一緒。
ではなぜこれが現実に存在しないのか。
単純に、小さすぎるからだったりする。
マントであれば、表面いっぱいに姿隠し用の魔術式を記述できる。
小さな指輪では、魔術を書き込みきれない。
機能を絞って、着用者の裸体にだけ反映させるとかすれば少しは見込みもありそうだけど、それではダメなのだとアルベルト王子に言われてしまった。
――ちょ、ちょっと、無理ではないでしょうか……
腰が引けてるわたしに、アルベルト殿下はきっぱりと言った。
――君にならきっとできる。純魔石を作る技能に、鷹の幻影を投影する技術、どちらもすばらしかった。
アルベルト王子に(というより姉から押しつけられて)以前作った、鷹が飛ぶエフェクトの剣飾りも、幻影魔術を組み込んである。
あの小さな面積に組み込むために、わたしは寝ないで研究をしたのだ。
風景同化の透明化技術も、原理的にはその応用だった。だから、技術的には不可能ではない。
「ただし、そうすると指輪が直径五メートルとかになっちゃうんだよねえ……」
圧倒的に容量が足りない。純魔石であればかなりの魔術式を詰め込めるけど、それにしたって限りがある。指につけるサイズの魔石では不可能だというのが、わたしの実感だった。
それに、魔力もかなり食う。着用者から吸い取るにしろ、魔石を消費するにしろ、それだけで指輪の容量は超える。他の機能を付ける余裕なんてない。
でも、悩んでいても仕方がないか。
手を動かせばいつかは終わる、と考え直して、わたしはとにかくやれることをやってみることにした。
まず、魔術式について考え抜いて、可能な限りの圧縮をかけた。
「五メートルが一メートルくらいにはなったけど……」
一メートルもあったのでは実用性に欠ける。せいぜいベルトがいいところだけど、ギュゲースのベルトで許してもらえるのかなぁ。ダメだろうなぁ。
わたしは来る日も来る日も魔術式とにらめっこしながら、傍らで取引のあるお店に素材を卸したり、ウラカ様やディオール様の注文をこなしたりした。
お部屋の机でうなっていたら、深夜に人が訪ねてきた。
「まだ起きていたのか」
ディオール様だ。
「いい加減に寝ろ。ここのところずっと深夜も明かりがついているじゃないか。無理をするようなら店もやめさせるが」
「す、すみません、あとちょっとっ……」
「ダメだ、貸しなさい。明日の朝まで没収する」
「きゃー!」
わたしの抗議もむなしく、ディオール様は紙を取り上げた。
「……ん?」
ディオール様は紙をめくっては、中身に目を通していった。
ディオール様、読むの早いなあ。
十数枚に渡る式をざっと見終えて、ディオール様は顔をしかめた。
「……まるで読めない。何の文字だ、これは?」
全然読めてないだけだった。
「お、おばあさまが教えてくださった魔術式はこれなんです……魔道具師は技術を盗まれないように、暗号を使うことが多いんです。うちではずっとこれを使ってました」
「非効率的だな」
「それは魔術師の意見ですね」
魔術は術者の腕前で威力に差が出るライブ感覚なパフォーマンスだけど、魔道具は違う。
少し素養のある人が環境を整えて丸ごと式を書き写せば、誰にでもコピーできてしまう。
「しかし数式は共通だな。そこだけ少し分かる。何を計算してたんだ?」
「ええっと、小さい魔道具に強い魔術効果を付与するので、式を極端に短くしないといけなくて……」
「どのぐらい短くするんだ?」
「最低でも、円周六センチ以下の指輪に載るように」
「不可能だな。指輪じゃないとダメなのか? 別のものは?」
「王子殿下の指定が、指輪だったので」
「例の等級授与式の課題か。無茶を言う。それが可能なら、伝説の鍛冶神だって脱帽するだろう」
ディオール様はぶつぶつ言いながら、わたしの紙を返してくれた。
「無理ですよねぇ……わたしもどうしたらいいのか分からなくて、途方に暮れてるんです」