#092 散ったばら組
「おはよー、すーちゃん!」
「おはようございます!」
「へろー」
「おはよー……」
ひつじ組の教室に入り、すぐさま元クラスメイトのお友達に囲まれるスズカ。
引っ込み思案だった彼女がその勢いに飲み込まれながらも、しっかりと挨拶を返せるようになったのは、ばら組で過ごした一年間があったからだろう。
「すーちゃんもひつじぐみ!」
「おんなじくらすぅ!」
特にスズカと仲が良かったシホをはじめとした女の子たち。
彼女たちはスズカと年中さんになっても同じクラスだと喜びスズカの手を引く。
マコトがばら組の長であれば、スズカはばら組の姫。
そのきっかけは先生の傀儡の傍にいたことや、親の転勤に向けてこそこそと動いていた者がいたこともあったのかもしれないが、その可愛らしくも落ち着いた雰囲気と、マコトのお手伝いや妹たちのお世話から学んだ面倒見の良さもあって、最後は実力でその立場を確立していた。
そんな彼女の傍に人が集まるのは自然なことだろう。
これが年頃になれば嫉妬によって面倒なこともあるのだろうが、まだ皆純粋で、加えてばら組の子どもたちは仲が良かった。
スズカとシホを中心とした女の子グループが幅を利かせ始めるひつじ組。
そして、ローズレンジャーが目ざとく平和を守るきりん組。
マコトと同じクラスでなかったことに、元ばら組の子どもたちは少なからずショックを受けてはいた。だがそれぞれの教室に支柱となれるグループがいたことで、幸いにも彼がいないからと言って駄々をこねたり癇癪を起すような状況にはならなかった。
元ばら組の子どもたちは、大人たちが思っている以上に逞しく育っていた。
そんな彼らの親玉とも言えるマコト。
緊張感も不安も見えない抜けた表情の彼は、新しい教室――うさぎ組に足を踏み入れていた。
教室の間取りは年少の時と変わらない。
なのに新鮮な気持ちになるのは向かって正面、廊下と反対側の窓から見える風景が園庭や足洗い場ではなくベランダと滑り台であるからか、それともそこにいる子どもたちのほとんどが新しい顔ぶれだからだろうか。
(なんか……、アウェーだなぁ……)
無反応というわけではないが、教室に入ってきた彼にちらりと視線をやるも「誰だお前」と言わんばかりに気にも留められない状況。
有名人のごとく群がられた場合に、喜ぶよりも鬱陶しいと思ってしまう側のマコトではあったが、去年度との温度差に思わず苦笑する。
「――あっ! まこときた!」
その中から飛び出す男の子。
一人ぽつんと、教室に入ってくる新しいクラスメイトを気にしながら、思っていた人物ではなかったと気を落とすを繰り返していた彼。
「おはよ!」
「おはよう、ユウマ。年中でもよろしくね」
「うん! よろしく!!」
その姿はようやく帰宅した飼い主にじゃれつく忠犬のようでもあった。
そんなユウマの相手をしながら、マコトは教室後方のロッカーに向かう。
前日に幼稚園職員が入れたと思われるネームプレートから自分の名前を探し出し、お道具箱とリュックサックをしまう。この辺りは年少の時もそうであったため迷うこともなかった。
そして子どもたちが全員揃うまでの短い自由時間。
マコトは人間観察の傍ら、ユウマとしりとりをしながら時間をつぶしていた。
(あっちに”大将”……とその一味。で、そっちに”お嬢”……とその取り巻き……。”博士”と”関西”はまだっぽいな……)
年少では違うクラスで確かに初めましてであるが、同じ幼稚園に通う同級生。合同で授業や遊びをすることもあり、加えてママ友の世間話を盗み聞きしていたマコトにとって、噂も聞いたことがないまったくの初見という子どもはそれほどいない。
さすがに全員の顔と名前を合わせて覚えているわけではないが。
「まこと! つぎは”ず”だよ!」
「あぁ、ごめんごめん。ず……、ズワイガニ……」
ユウマにせっつかれながら、しりとりを返し、教室を見渡すマコト。
(”ご令嬢”の名前もあったけど……、やっぱり来てない感じかな……)
教室を見渡し、うさぎ組がどんなクラスになるのかを、そしてどういう立ち回りが求められるのかを想像する。
念のために言っておくと、マコトが先生に協力するのは先生に良いように扱われるからだけではない。
正直なところ、退屈なのだ。
マコトにとって幼稚園生活の中で学べることは、残念ながらそう多くない。
視点を変えれば見えるものも変わるのかもしれないが、どうしても手持無沙汰になる時間が多い。
真剣に授業に取り組むスズカの邪魔をしないよう、頑張る姿を眺めて気を紛らわしてはいたが、何事にも限界がある。
そんなマコトにとって先生からの頼み事は退屈しのぎの刺激にはなるのだ。
それにずっと子ども扱いされるというのも、なかなかに辛いものがある。
大人とまではいかないまでも、普通に頼られるくらいが丁度良いのかもしれない。
さらに言えば、親御さんへのアピールにもなって、意外な人脈が見つかるかもしれない。
実際すでに吉倉家や後藤家、今井家には何かとお世話になっており、今後もお世話になる。
見えない将来に向けて楽するために、今のうちに苦労するのは間違っていないのだ。
(まぁでも、変ないざこざには巻き込まれたくないけどね……)
先生たちが責任を負ってくれるというのであれば、協力するのもやぶさかではない。眺める対象がいないクラスとなれば、むしろ……
そんなことを考えていると、音もなくマコトとユウマの傍に男の子が寄ってくる。
「――あっ、おはよ!」
「おはよう」
ユウマが気付き、マコトもそれに続く。
「……おはよう」
もごもごとだが挨拶を返す彼の名は守橋虎太郎。
自己主張が苦手ではあるが、好きなゲームやアニメの話には興味を示すことをマコトは知っている。
しりとりから春休みの間に見たアニメへと話題を変えるマコト。
ポケットのモンスターがなんやら、ダンボールがどうたらと。そこにユウマもしっかりと乗ってくる。
会話が成り立っているわけではなく、好き勝手に主張をしているだけではあるが、楽しくおしゃべりする二人。温かい眼差しを向けているマコトも、友人たちの話題についていくために、ともっともなことを言いつつ、なんだかんだで楽しく見続けていたりする。二人と違って、おもちゃやゲームを欲しがったりはしないが。
そこへ――
「――とうっ!」
「――ぉわっ……!?」
マコトの背中に衝撃が走る。
「まこと! またあったなっ!!」
「……そうだね、会っちゃったね」
「あ! じゅんだ! おはよ!」
「おっは!」
「挨拶してるとこ悪いが早く降りろ。そして荷物しまって来い」
「おぅ!」
年中になっても相変わらずなジュンであった。
(揃ったか……)
うさぎ組が、ではない。
元ばら組が、だ。
ユウマ、コタロウ、ジュン、そしてマコト。
この四人が、うさぎ組になった、元ばら組の子どもたちだった。
読んでいただきありがとうございます。
平日がようやく終わり、お話書いていたら、いつの間にか休日も終わっている…
改稿履歴
2021/07/05 20:45 サブタイトル変更