#071 祖父母との顔合わせ
母上に手を引かれながら、僕は母上の実家へと足を踏み入れた。
気を付けるべきはファーストインプレッション。
愛想よく、礼儀正しく。母上が母として僕を立派に育てているということがわかるように……
「――おかえり」
「ただいま、お母さん」
「お邪魔します」
脱いだ靴を揃えると、一人の女性が顔を出す。
ダークブラウンの髪を肩辺りまで伸ばし、たれ目で柔らかい雰囲気の女性。背も母上より低く、女性としては平均的か。
化粧をしているため素の顔立ちはちょっと分かり辛いが、母上には似ていないような気がする。
母上に「お母さん」と呼ばれたワンピース姿の女性が、僕の前までやって来て膝をついて目線を合わせる。
「はじめまして。アカリのお母さんです。まーくんにとってはおばあちゃんだよ~」
「はじめまして。マコトです」
「ちゃんと挨拶出来て偉いね~」
「あ、ありがとうございます」
「お礼も言えるなんて、まーくんは良い子ね~」
スッと伸ばされた祖母の手が、僕の頭へと乗せられる。
無駄に身構えていた僕は、その和らかな雰囲気にポカンとせざるを得ない。
近所のおばちゃんを相手にしているような気分だった。
とりあえず祖母への初対面の印象は良さそう。
母上を見上げると、どこか得意げな顔をしている気もしなくもない。
「お父さーん? アカリたち帰って来たわよー?」
母上から手土産を渡された祖母は、家の奥に向かって声を張る。
そして間もなくその人が現れる。
「……おかえり」
「ただいま、お父さん」
「お、お邪魔します……」
大きな影だった。
チノパンに菱形模様が沢山のセーター姿の男性。
余計な脂肪は付いておらず、ピンと伸びた背筋も相まって背が高く見える。母上と並んでもそれより高い。ミツヒサさんほどではなかったが……
苦労の人生を送ってきたと言わんばかりに顔には深い皺が刻まれているが、ヒゲを完全に剃っているためそこまでの老いは感じられない。
そして短く整えられている髪には白髪が混ざっていて、顔立ちは何処か母上の面影が見て取れる。実際は逆なんだろうけど。
……頭皮は問題なさそうだ。
「ほらまーくん。この人がまーくんのおじいちゃんだよ」
「……はじめまして、マコトです」
「うむ……、よく来たね」
母上に促されて、僕は祖母と同様に挨拶をする。
仏頂面から放たれた声は少し冷たい気もするが、そこにとげとげしさは感じられず、不機嫌そうな様子というわけでもなさそうだった。見下ろす視線も僕を見下すようなものではなく、ただ身長差があるだけ。
「「…………」」
言葉もなく、真っすぐに僕の目を見てくるので、何となく視線を外し辛い。
男と見つめ合っても楽しくないんだが。スズカのように、むふぅでもすれば好印象になるのだろうか……?
「――ほらお父さん、いつまでも玄関にいてもしょうがないでしょ」
「あ、あぁ……」
「まーくん、手洗いに行こっか」
「う、うん……」
祖母と母上によって膠着状態を抜け出した祖父と僕。
祖父が僕にどういった印象を抱いたのかよく分からなかったけど、ひとまずは合格……だと思いたい。
一息つきながら母上に連れられて洗面所に向かい、踏み台に乗って手を洗う。
ちょっと催してもいたのでお手洗いも借りる。
近付くと勝手に蓋が開き、温かい便座に座って、用を足し終われば自動で流れる。年季の入った家に似つかわしくない、綺麗なトイレだった。
「大丈夫だった?」
「うん」
我が家のトイレと勝手が違うし、初めての家のお手洗いということで、上手くできるかと母上が心配そうにしているが問題ない。吉倉家も同じタイプだったし。あっちは音楽流れるけど。
そして向かったのは暖房が効いた八畳和室。
初めて来たのにどこか懐かしさを感じるのは、僕が日本人であり、そこに畳があるからだろうか。
入って右手には、奥から床と仏間と押入れが並ぶ。
その反対側には新しいテレビ。ついこの間地デジに完全移行したので、それに合わせて買い替えたのかもしれない。
「まーくん、おじいちゃんのお父さんとお母さんにも挨拶しよっか」
そう言われて、母上と一緒に仏壇に手を合わせる。
もちろん隣をチラチラと確認しながら。
心の中でご先祖様に挨拶を終えると、長方形のちゃぶ台を前に、母上の膝上に抱かれるように座る。
僕の座布団も用意されているので、そっちでも良い気がするけど、とりあえず母上のされるがままに。
対面には祖父が座っており、お茶菓子を持ってきた祖母もその隣に並ぶ。
改めて祖父母と向き合った母上と僕。
どう対応すればよいか分からないので、とりあえず祖父母には営業スマイルを見せておく。あ、ちょっと頬がつりそう……
「まーくん大きくなったわねぇ。いくつになったの?」
「……四歳になった」
「四歳になったんだねぇ。幼稚園は楽しい?」
「うん、楽しい、よ」
「お友達はできた?」
「うん、いっぱい」
「そうなの? いっぱいできたんだねぇ。すごいねぇ」
祖母がニコニコしながら問いかけて来るので、あえて敬語を使わないように気を付けながら言葉を返す。
「まーくんはクラスでも人気者だもんね?」
「まぁそうなの!? まーくんすごいのねぇ」
「う、うん……」
母上も会話に加わり、主に幼稚園の話題を中心に話が続く。
予想以上に和やかで、多少の面を食らいながら。
「ほら、お父さんも何かしゃべったら?」
「あ、あぁ……」
祖母が話に入ってこれず、お茶をちびちびと飲んでいた祖父に助け舟を出す。
「……マコトは、何して遊ぶのが好きなんだ?」
祖父の圧のある声が響き、思わずピクリと体が反応してしまう。
「……もう、お父さん。もうちょっと柔らかい口調で言わなきゃ。それでなくても私たち嫌われてるかもしれないんだから……」
「すまん…………」
「まーくん、おじいちゃんは怒ってる訳じゃないからね?」
「う、うん、大丈夫……」
祖父が祖母に窘められ、僕は母上にフォローを受ける。
「まーくん、何して遊ぶのが好きか、おじいちゃんに教えてあげて?」
「えっとね……、ス……お友達と遊ぶのが好き」
「そ、そうか……。確か、運動も得意なんだってな」
「うん、かけっこはクラスで三番目に早いよ」
「すごいじゃないか。俺……おじいちゃんもな、小さい頃は――」
そこには初めての孫との会話に喜んでいる祖父の姿があった。
その後も、お茶菓子として出されたお饅頭を食べながらおしゃべりしたり、アルバムを引っ張り出して来て母上の小さい頃の写真を見たりして……
二時間ほど滞在して、祖父母の見送りを受け、夕日に照らされる帰り道。
僕は正直戸惑っていた。
小さい頃……一歳過ぎの頃、母上が電話越しに実家と話をして落ち込む姿を見て、その様子から実家との仲は良くないと思っていた。
母上や自分の置かれている状況や、大人たちの会話の断片から、何となく事情を察して。
僕が今日まで祖父母に会ったことが無いのも、それが理由なんじゃないかと思っていた。もしかしたら、僕自身も疎んじられているんじゃないかと思って、それに対する心構えをしていた。
だがいざ蓋を開けてみたら、多少距離感を測りかねていると感じるものの、険悪さは全く感じられない。母上に対しても、僕に対しても。
今日の出来事を振り返ると、母上と祖父母の仲はそう悪くないと感じた。
もしかしたら僕の知らないところで、大人たちはお互いに少しずつ歩み寄っていたのかもしれない。
それに僕が祖父母に今まで会えなかったのは、僕が祖父母を怖がっていると母上たちに思われていたからという理由もあるようで。
僕が一番の障害だったんじゃ……
そう考えると、ネガティブ思考が加速する。
もし母上たちがとっくに仲直りを済ませていて、最後にそれが原因で歩み寄り切れなかったのだとすれば……
もし母上の子育てのやり方をめぐって喧嘩をしていたのであれば、僕にも原因が色々とある可能性があるわけで……
母上たちに聞いたわけじゃないから本当のことは分からないけど、罪悪感がね……
……
とにもかくにも、僕が祖父母に抱いていた印象は変わった。
好きになれるかと聞かれれば、正直すぐには無理だ。
今までの感情が今すぐ消え去るわけではない。少なくとも僕が産まれてすぐの頃は険悪な雰囲気だったし、そのイメージが強く残っているから。
まぁだから、これから次第だと思う。
時間をかけてゆっくりと。
僕も感情を整理する時間が欲しい。
「まーくん、おじいちゃんとおばあちゃんとおしゃべりしてみてどうだった……?」
「……うん、楽しかったよ?」
「たまには……一ヵ月に一回くらい会いに行く?」
「……うん」
「あ、でもお母さんもお仕事忙しいし、三ヵ月に一回くらいにしとこうか」
「うん、そうする」
まぁ……たまにね。
いつでも会おうと思えば会えるんだろうから。
それに孫するのも、結構疲れるんだよ……
読んでいただきありがとうございます。
マコト視点ではこんな感じになりました。
次回は大人たちの事情の説明回になります。
残りは清書するだけなので、たぶん早めに上げられるかと…