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#056 風邪

 晩秋に差し掛かったとある平日の朝。

 目が覚めたマコトは首だけを動かして時計を見上げる。


 6時半過ぎ。いつも通りの時間だ。


 母親であるアカリはすでに朝の支度を始めていて、マコトの隣にはいない。


(これは……)


 マコトは眉をひそめる。

 いつもと違う体の感覚に。


(やってしまった……)


 おねしょ……




 ではない。


 マコトは徹底しておねしょ対策はしている。

 夜寝る前は必ずトイレに行くようにしているし、水分を摂り過ぎないように注意していた。


 最後にやってしまったのはかれこれ……


 と、その話は今は関係ない。


 そうではなく。


(だるい……)


 体調を崩してしまっていた。

 昨日は想像以上に冷え込んで、体が対応しきれなかったのだろう。


 まだ体温調節が満足にできない体ということは身をもって分かっていた。季節の変わり目ということで注意していたつもりだったのだが、努力もむなしく終わってしまったようだ。


 後はミオさんが無事に出産を終えたことで、無意識に張っていた緊張がとけたのかもしれない。


 ただ本当のことを言えば、頭から水を被ったのが原因だろう。

 外遊びの後の足洗い中に男の子がホースを踏んでしまい、予想外の方向に水が飛んだ。よくあることなので安全圏に避難していたマコトだったが、たまたまスズカとシホがそのホースの傍で足を洗っていたため……


 マコトはぼーっとする頭で過去を振り返りながら、ただ運が悪かっただけだと思考を放棄し寝返りを打つ。


 視線の先にはアカリ(母親)が寝ていた布団。

 いつも通りの光景なのだが、そこにアカリがいないことが今日ばかりは心細く感じられた。


 少しでも楽になるかなと考え、マコトはしばしの間目を閉じる。


(これはさすがに無理かな……)


 むしろ自分の体調を正確に認識する事になった。頭痛に倦怠感、おそらく熱が出始めているのだろう。


 気力を振り絞って布団から出たマコトは、それほど寒くないはずなのにぶるっと体を震わせる。そしてアカリがいるであろうキッチンへと向かった。その足取りは、寝起きにしては少しばかりおぼつかない。




「……おはよう、おかーさん」

「あらまーくん、おはよう」


 いつもは寝ている(ふりをしている)はずの時間に、愛する息子(マコト)が起きてきたことに驚きながらも、アカリは着々と朝の支度を進める。


(あれっ……?)


 ふとマコトと目が合ったアカリはわずかな違和感を覚える。


 いや、違和感は普段から感じている。

 子どもにしては妙に賢いし物分かりも良い。アカリ自身も見落とすような細かい事も、よく気が付いてくれて助かっている。


 献立に必要な食材の買い忘れや、無くなりそうな調味料を指摘してくれる三歳児。時間や約束事はしっかりと守れる出来た子。さらには英語の番組を見たり新聞を読んだりと……


 本人はこそこそと隠して気付かれていないと思っているようだが、母たるアカリには筒抜けだ。マコトが思っている以上に、アカリはマコトのことを見ている。


 それらが違和感という一言で済ませていい物かどうかはさて置いて。


「まーくん、お熱測ろうか」

「うん……」


 赤みがかったマコトの頬を撫で抱き上げる。


 子どもの体温は高い。冬場になると無性に抱き着きたくなるくらいには。

 だが今日に限っては温かい、というよりも熱かった。

 



 布団へと再び戻されたマコトは、脇の下へと体温計を差し込まれる。

 ひんやりとした体温計の冷たさを心地好く思いながら、大人しく結果を待った。


「――37.6度ね」

「……」


 大人であれば完全に熱があると判断される数字だ。ただし幼稚園児にとってはそれほどでもない。少し高めではあるが、37度半ばまでは正常値だ。


「今日は幼稚園お休みしようね?」

「うん……」


 だが今は朝起きたばかり。動き始めてしばらく経った午後であれば問題にならなくても、体温が下がっているはずの朝だとすれば話は変わる。


「今日はお母さんが一緒にいてあげるね」

「うん……」


 アカリは今日の予定を変更する。


 仕事は繁忙期ではない……わけではないが、忙しいのはいつものことだ。マコトの体調が優れないのであればそちらを優先する。アカリにとっては当然のことだった。


 もしかしたら戸塚家が協力を申し出てくれるかもしれないが、生まれたばかりの双子のお世話をするのに忙しいだろう。風邪を移すようなことがあっても困る。


「ごめんなさい、おかーさん……」

「いいのよ。たまにはお母さんもお休みしたいんだから」


 アカリは愛する息子の気遣いを嬉しく思いながら、照れ隠しと本音が混ざり合う。


「うん……、ありがと、おかーさん」


 マコトもアカリの意図に気付いたのか、布団をかぶり少しだけ顔を出しながらそう言った。


「ごはん用意するから、それまで良い子に寝ててね」


 アカリはそう言って寝室を後にする。

 すると、その後を追うようにマコトが追いかけて来た。


「まーくん、すぐにはできないからそれまで寝てなきゃ……」


 聞き分けが良い子のはずなのに、と疑問を持つアカリ。


(風邪を引くと心細くなるもんね……)


 いくらマコトが賢い子であっても、寂しさというものには勝てないのだろう。

 親が恋しい子どもなら尚更。そんな我が子の心情を察したアカリだった。



 ……だったのだが。



「トイレ、行きたい……」

「……行ってらっしゃい。一人で大丈夫?」

「うん、大丈夫」


 他人の考えていることを正確に読み取るのは、それが仲の良い親子であっても難しい。

 だから、ちゃんと言葉にして伝えなければ。



◇◇◇



「まーくんが熱出したって……」


 アカリからの業務連絡(メール)を確認したミオは、その内容をミツヒサへと告げる。


「久しぶりだね。マコトが体調を崩すのは」

「そうね。子どもとは思えないほど自分の体調管理に敏感だもんね……」


 寒くなれば毛布を持ってきてスズカと一緒にくるまったり、暑くなれば扇風機をまわしてスズカと水を飲んだり。


 おかげでスズカも天候や季節の変わり目で体調を崩すことは少なかった。


 そんなしっかりしているマコトが風邪を引いた。

 

 そのことを知った二人は一見落ち着いているように見えるが。


「さて、どう伝えようか……」

「どうしよっか……」

 

 幼稚園に行く準備を終え、テレビに集中している長女(スズカ)を見やる。


「すーちゃん、幼稚園行けるかな……」

「……すんなりとは、いかない気がするねぇ……」


 これまでのスズカの行動方針を考えれば、容易に想像ができるだろう。

 ミオとミツヒサはお互いの顔を合わせながら、どう伝えるべきかと頭を抱えていた。


 スズカにとってマコトの存在は絶大だ。

 それこそミオやミツヒサに匹敵するほど……もしかしたらそれ以上かもしれない。親の立場としては寂しくもあるが。


 だがマコトがスズカのことを大切にしていて、その行動一つ一つがスズカへの思い遣りにあふれていることは知っている。

 だからこそ、スズカもそんなマコトにべったりしてしまうのも無理はない。


 そんなスズカが、マコトが幼稚園を休むと知ったらどうなることだろう。


「「…………」」


 時間ギリギリまで妙案を捻り出そうと頑張る戸塚家の夫婦だった。



◇◇◇



「セイコ、先生……」

「リコ先生、どうされました?」


 マコトのクラス(ばら組)の副担任であるリコは焦っていた。


「お、お休みで、先ほど、マコトくんが、電話で、今日、お母様から……」

「……」


 セイコは眉をひそめながら、日本語の文法の問題を解いていく。


(マコトくんがお休みですか……)


 今年のばら組始まってから、初めての状況だった。

 だがベテランは焦らない。


「夏休みもマコトくんはいなかったでしょう? その時と一緒ですよ。落ち着いてください」

「そ、そうですよね。夏休みと一緒ですよね……!」


 いつもと変わらない様子のセイコに、リコも平常心を取り戻す。


(夏休みはジュンちゃんや他のやんちゃな子たちもお休みでしたが……)


 知らないほうが、気付かないほうが幸せな事もある。

 セイコは再び授業の準備に戻った。妙に長い溜息をつきながら。


読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しく読ませていただいてます 読んでると親孝行したくなります
[一言] まことロスはかなり深刻...!
[一言] リコ先生はそろそろまーくんに頼りすぎるのやめないと今のクラス卒業してから大変だぞw
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