#032 戸塚の裏女神
すみません、遅くなりました。
私のプライベートが、というよりも戸塚家が幸せな理由に、この家族の存在が欠かせないだろう。
八代家。
ミオの小学校時代からの幼馴染で親友の八代朱里さん。
そしてアカリさんの息子である誠。
この二人は、私たち家族にとってかけがえのない存在だ。
アカリさんはミオとの会話の中に度々登場していた。
初めて会ったのは結婚式でのスピーチの打合せ。ミオの友人代表として挨拶をしてくれた。
第一印象は真面目なキャリアウーマン。ビシっとスーツを着こなす姿が目に浮かぶ。
聞くに小学校の頃から成績優秀で、今は銀行の総合職に就いているということだった。
ミオと親友ということなので、家族ぐるみの付き合いになるのは自然な流れだったのだろう。
ミオのお腹が大きく膨らみ、出産のカウントダウンが始まろうとする頃。
アカリさんも子を授かった。
ミオと私はもちろん喜び祝福した。
「私たちの子は女の子だから、男の子だったら結婚させようね~」なんて。ほぅ……。……だがミオには逆らえん。
だがある日、ミオに相談があるとアカリさんが我が家にやってきた。
話を聞いたときは思わず言葉を失ってしてしまった。
結婚を約束していた男には逃げられ、実家に頼ろうとしたが無下なくおろすように言われ半ば勘当状態。
それでもアカリさんはこの子を生みたいと、まだ膨らんでもいないお腹に手を当てる。
以前の私だったら迷わず止めただろう。
実家からの援助も期待できない。
仕事だってハードだ。金銭的にも体力的にも厳しくなるだろう。
子どもの将来を考えても、デメリットの方が多く思い浮かぶ。
それにアカリさんはまだ若い。結婚を考えるなら子どもが枷になることだってある。
――私の考えはたぶん間違ってはいない。
現実はそう甘くない。社会人になってからは嫌というほど実感してきた。それでも社会人としては若い世代……に入るのだから、まだ見えていないことだってたくさんあるだろう。
だけどミオと出会ってから、そういう固定観念というものを幾度となく壊された。
「アカリがその子に会いたいというなら、その子の幸せを願うのなら、私は応援する」
「その子の幸せだって大事だけど、アカリの幸せだって大事! どっちも大事よ」
「そもそも”両親がいるのに幸せじゃない子”だっているんだから、その逆の”片親でも幸せな子”はいるでしょ。つまり私たちがみんなで愛情いっぱいに育てればいいのよ!」
「それにアカリは収入も安定してるしね! ――――え? 銀行員の給料が世間と差が出て来るのは30歳くらいから? ちなみに今のお給料は? ふむふむ……。 ……な、なんとかなるでしょ! いやするしかないでしょ!」
最後の方は勢い半分のところもあったが、ミオの想いはアカリさんに伝わったようで、その表情からは迷いが消えていた。
再び言うが、私の考えはたぶん間違ってはいない。
だけど、正しいとも限らない。
そもそもこの問題に正解なんてものはないだろう。
人それぞれ考え方や置かれた環境が違うのだから、過去の事例は結局参考であって正解ではない。
無責任かもしれないが、なんとかなるような気がした。
”愛”があったから。
まだ生まれてはいなくても、母として宿った命を愛おしく思う気持ち。
父になろうとしている私にも、その思いは十二分に理解できる。何物にも代えがたい頑張る原動力になっているから。
その日の夜。緊急家族会議。
ミオがいつになく真剣な表情で私と向かい合う。議題は当然アカリさんのこと。
「たぶんアカリは、お腹の子をおろしたら罪悪感できっと駄目になっちゃう。真面目だから……」
「ミツヒサさん、私たちだけでも大変だろうけど、出来る限り協力してあげたいです」
「わたしも今までアカリにたくさん助けてもらったから……」
ミオが頭を下げる。
ミオもそろそろ臨月だ。ストレスになるようなことはさせたくない。
そしてお腹の子――スズカの将来だってある。
もう答えは決まってる。
「いいよ」
「……いいの?」
「もちろん。頑張ってアカリさんも含めてみんなで幸せになろうよ」
「…………み゛ーぐん、あ゛り゛がど~」
「泣くには早いよ。まだ何にも始まってないんだから。それにまずはミオが一番大変なんだから」
「う゛ん、がんばる゛。…………み゛ーぐん、あ゛い゛じでる゛~」
「はいはい俺も愛してるよ。鼻チーンして」
「……ちーん」
アカリさんが駄目になったらミオも駄目になりそうだ。親友を見捨てて平然としていられるような女性じゃない。
私は迷わず頷いた。
その後、ミオが出産した。
アカリさんが立ち会ってくれた。お互いに仕事が忙しかったが、アカリさんは勉強という意味合いも含めて精力的に協力してくれた。
そして私が仕事で家に帰れないときは何かとお世話になった。
ミオも落ち着いて、子育てにも慣れ始めた頃、アカリさんが男の子を出産。
その子は”誠”と名付けられた。
マコトが生まれてからというもの、アカリさんは生き生きとしている。
母となったことでさらに気合が入ったのか。
彼女が精神的に安定しているのはマコトのお陰なのだろう。
マコトのために頑張るという気持ち。そこについては非常にわかる。私もスズカが天使すぎるから。
ミオもアカリさんという子育て仲間がいることで、毎日が楽しそうだ。
そして母からの愛情を一心に受けて育つマコト。
……言葉がアレなのだが、こいつがまた奇妙な子どもで。
一言で表すと、非常に落ち着いた賢い子。
泣くこともほとんどなく、想像以上に手がかからない。
歩き始めるのも言葉をしゃべり始めるのも早かった。
大人たちの言葉をちゃんと理解して動いている節がある。
スズカより半年以上遅く生まれたはずだが、スズカより成長が早い。早いと言うか完成している?
まぁ、親からすれば苦労は減っているし可愛いので、何の問題もない。……ない?
平日の日中はアカリさんが仕事で家にいないので、我が家で預かっている。
なので、ほぼ毎日スズカと一緒に遊んでいる。
スズカがベランダに出そうになればその身を挺して止めて、料理をしている近くに近付こうとすればおもちゃで気を引いて止めて。トイレに行きたがればマコトがミオを呼ぶ。
ミオも安心して見ていられると絶賛していた。
2歳になる頃には家事のお手伝いもしてくれるようになった。それを真似するようにスズカも。
スズカがハンカチを畳んでくれたと聞いたときは涙が出た。もうこのハンカチは広げられない。額縁に入れよう。……ミオに呆れられてクローゼットの中に。
スズカもそんなマコトが大好きなようだ。いつもくっついている。羨ましい。
一緒にいる影響か、なんとなく雰囲気が似てきた。
ぼーっとしてるスズカがこれがまた滅茶苦茶可愛い。もちろん携帯電話の待ち受けにしている。仕事がキツい時はこの写真を見て頑張ろうと思える。そして早く帰りたいとも。
話がスズカに行ってしまった。戻そう。
マコトには父親がいないが、そんなことを気にも留めず逞しく育っている。
だが父親という存在から学べるものは多い。私も父の背中を見て育った。
幼いころは父親との関係の中から外の世界を知っていった。
だから少しでも私が父親の代わりになれればと思っている。
「おーい、マコト、ボウリングやるぞ」
「えぇ……また……?」
息子ができたようで楽しい。ついつい構ってしまいたくなる。
始めはどうなることかと思っていたが、今ものすごく充実している。
良き隣人に恵まれた。
愛する妻と娘に囲まれて、さらにはもうじき生まれて来る娘たち。
こんなに幸せな毎日なのに、まだ幸せが待ち構えている。
5年前の自分からは想像もできない。
「ありがとう」
「さっきからホントにどうしたの?」
「口に出さないと胸やけしそうで」
「なにそれ」
ミオが可笑しそうに笑う。
「感謝ならアカリにもちゃんと言ってあげてね?」
「うん……?」
「私たちが不況の中でもお給金に困ってなかったのはアカリの助言のお陰なんだから」
「……どういうこと?」
「アカリは”銀行員”ってこと」
つまるところ……。……え、まさか?
「――経済とお金の流れを見るプロってことよ。本人曰くまだまだひよっこだし、偶然だったらしいけどね~」
……。
とりあえずお隣さんの部屋に向かって拝もう。
菓子折りも持っていくべきか。会社から。感謝状もいるか……?
戸塚家は八代家と共にある。これからもずっとそうなるだろう。
読んでいただきありがとうございます。
連載を開始して早くも一ヵ月。
ここまで続けてこられたのも皆様が読み続けてくださるお陰です。本当にありがとうございます。
今後も引き続き読んでもらえると幸いです。
次回は…いつも通り何も決まってませんが早めに上げられるように頑張ります。