#000 シャチク
3話連投予定です
#000 2020/10/14 18:00
#001 2020/10/14 21:00
#002 2020/10/15 00:00
男の名は佐竹社。二十九歳独身。
彼女いない歴=年齢の、今や珍しくもなんともない至って普通のアラサー男。
とある大手IT企業に勤めるサラリーマンで、朝から晩まで仕事に追われ、一人暮らしのアパートには風呂と寝に帰るだけのワーカホリック。誰かが名前をもじって社竹と呼ぶ奴もいたくらいだ。
食事は専らコンビニ弁当かスーパーの売れ残り惣菜。最近気になるのは、廃棄削減のために在庫を減らしているのか、仕事帰りの深夜に立ち寄っても何も残っていない事がある。
環境には優しいがヤシロには厳しい世の中になっている。
土日は次の週のコンディション調整のためのインターバルでしかない。とにかく休む。ひたすら休む。なぜなら休みだから。食事の準備をすることすら面倒になり、宅配を頼む。しかしそれすら面倒になり、一日一食なんて日も珍しくない。
大学時代にはそれなりにいた友人たちとの付き合いも次第に減っていき、今では連絡すら来ることもなくなった。
お陰でそれなりに貯金は溜まるが金の使い方を忘れる。最近買った高価なものといったらお掃除ロボット(二台目)くらいだ。
日がな一日二台のお掃除ロボットを眺める事もある。最初はよく衝突していたのだが、最近では住み分けができるようになってきた。ロボットが成長している。ちょっとした安らぎ。
そんな日々を送っていれば、案の定というか、当然というか。
ヤシロは倒れた。
始発ではあったが駅のホームという一人っきりの時じゃなかったのが不幸中の幸いか。
そして近くの病院に入院した。
診断結果は過労と栄養失調。
この件を機にヤシロの会社は世間から非難を浴びることになり、就業規則や労働時間の管理方法の見直しが行われた。
ヤシロの管理をすべき立場であった上司は厳しく指導されることになり、減給と昇進の見合わせとなった。
勤務体制が是正され、倒れる以前より働きやすい環境にはなっていたが、ヤシロは会社に戻ることはなかった。
退職願を提出し、存在も忘れていた有給休暇を使って二週間が過ぎるのを待とうとしたが、今すぐ抜けられると業務が滞ると部下に泣きつかれたので渋々面倒を見る。
ヤシロが抱えていた業務は膨大で、整理したタスクを引き継ぐことになった人や部署は呆然としていた。
複数プロジェクトの進捗管理。人員調整。客先との窓口。スケジュール遅れの帳尻合わせ。根回し等々……
それらのタスクの大半の、本来の持ち主であったヤシロの上司。
同僚たちから彼にどのような目が向けられるのかは想像に難くないだろう。
退職日ギリギリまでタスクの引継ぎや説明に忙しくするヤシロ。
就業規則に基づき使いきれなかった有休の買い取りを願い出ようとするも、針の筵となっている上司は恨みをぶつけるかのようにネチネチと御託を並べ、話は進まず結局面倒臭くなって諦めた。
そうしてようやく無事退職したヤシロは、療養生活という名のニート生活に入った。
ニートと言ってもダラダラしているわけではない。
自炊を始めてみたり、ランニングを始めてみたり、株や投資の勉強を始めてみたり。
今まで時間が取れずにやりたくてもできなかったことに手を付け、新しい生活をスタートさせていた。
◇◇◇
退職から二カ月が過ぎようとしていたある日。
早朝ランニングから返ってきたヤシロは、シャワーを浴び、朝食の準備に取り掛かる。
炊き立ての米に焼き魚、昨日の残りの味噌汁、ほうれん草のお浸し。漬物。時間に余裕があるヤシロは和食に挑戦していた。
「炊き立てのご飯はやっぱり違うな~。焼き魚は……ちょっと焼き過ぎたか……? レシピ通りの時間のはずなんだけどな……。ん……? グリルに入れる時の……」
満喫していた。
朝食を取り終えたヤシロはノートパソコンを開き、日課となった株価の確認をする。
もともと大手IT企業で株価のチャートを表示するアプリケーションの開発にも携わったこともあったので、理解するのは苦ではなかった。
アプリを作るのと実際に使って利益を出すのは別分野だったが、いろんな人のブログや記事を見て今ではプラスを維持している。……と言っても、家賃光熱費食費その他もろもろを賄うにはほど遠いが。
(そろそろ昼時か……)
パソコンを閉じ一息ついたヤシロは、最近調子の良い腰を上げる。
――ピンポーン!
「……宅配便です」
冷蔵庫の中身を見てどうしようかと考えていたヤシロの思考を中断させるようにチャイムが鳴る。
(あれ……、宅配なんて頼んでいたっけ……?)
疑問に思ったが、すぐに出なければという日本人によくある気遣いを発揮し、相手の顔も確認せずに戸を開ける。
「はーい、今出まーす」
ガチャリと開けたその先には、帽子を目深にかぶった黒ずくめの男だった。
「!?」
ヤシロはとっさに戸を閉めようとしたが、相手はすでに身体を滑り込ませていた。
(くそっ! まじかっ!)
黒ずくめの男の手には、筋引包丁が握られていた。料理に凝り始めていたヤシロは、相手の持つ細身の刃物の種類まで言い当てていたが、状況は最悪だ。
包丁を持って人様の家に上がり込むのは、どう考えても殺意があるようにしか見えない。浮気現場に乗り込む女のようだと思ったが、残念ながらヤシロに女性の交友関係はゼロだ。それに相手は男だ。
ヤシロは一目散に背を向けて逃げるようなことはせず、逆に相手に詰め寄る。そして投稿動画を見て学んだ自己流の合気道を披露する。
相手の刃物を持つ右腕を掴み脇の下で挟み、壁に相手を押し込む。
(初めての壁ドンが男にとは……)
壁に手をつかず腕で首を押さえているので、だいぶ物騒な壁ドンだが、こんな状況ながら、綺麗に技がきまったおかげで思考にも余裕が見え始めていた。
それがいけなかった。
押さえつけられた黒ずくめの男は、壁をずりながら玄関のドアを背後にする。そしてドアノブを捻る。
――ガチャリ
外開きのドアが開く。そして押さえつける壁がなくなったことで、黒ずくめの男とヤシロは一緒に倒れ込んだ。
「うぐっ……!」
「うぉっ!?」
下敷きになった黒ずくめの男の方がダメージは大きいようだったが、拘束から抜けられてしまった。
しかし、手からは包丁は落ちて、ヤシロの足元に転がっている。
(このまま逃げてくれ……)
睨みあう格好となった二人。
得物がなくなった黒ずくめの男に淡い期待を寄せるが、次の瞬間絶望に変わる。
「……まじ……か…………」
男はポケットに手を突っ込み、何かを取り出す。
その造形をヤシロは何度かニュースで見たことがあった。3Dプリンターで作ったと思われる乳白色の樹脂製の物だ。
(銃とか卑怯だろっ……!)
二つの銃口が向けられる。
狂乱した男に他住民が撃たれる姿が頭をよぎり、ヤシロは大声を上げるのをためらった。
とっさの判断で部屋に駆けこもうとするが、男が引き金を絞る方が早い。
――パシュッ――カツンッ――
――パシュッ――
黒ずくめの男が手に持ったそれから、どこか抜けた音と共に弾丸が飛び出す。
左手の銃から放たれた一発目がヤシロの額を掠るように飛んでいき、ドアに跳弾するが逸れていく。しかし、右手の銃から放たれた二発目は胸へと命中し、鋭い痛みにヤシロは足を縺れさせる。
「…………ぐっ………い……っ……」
痛みに耐えるように這いながら部屋に入ろうとするが、追ってきた黒ずくめの男がそれを許さない。
「うぐうぅ………」
黒ずくめの男はヤシロを仰向けに蹴り転がし、手に持った包丁を迷わず振り降ろす。
「ヒヒッ! テメェがッ! たおれたッ! せいでッ! オレのッ! 人生がッ! めちゃくちゃにッ! テメェのッ! くそッ! せっかくッ! しねッ! しねッ………」
ヤシロが最後に見た光景は、無精ひげを生やし、憎悪の目の下に深いクマを作り、嗤いながら包丁を自分に突き刺す、元上司の姿だった。
読んでいただきありがとうございます。
改稿履歴
2020/10/24 01:34 [コメントより]3Dプリンターで造った拳銃は単発以外が考えにくかったので修正。元上司の装備を増やしました。
2021/03/29 00:08 章タイトル追加に伴うサブタイトルの変更
2021/06/27 13:54 文章全体の見直しとサタケの人物像が分かる文言の追加(2021/06/27時点での話の流れへの影響はなし)