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【本編】婚約破棄された令嬢は竜王の運命の番でした

 

「マイラ、大好きだよ」

「わたしもアストラが好き」

「ありがとう。やっぱりぼくたちは運命の相手だね」


 祖父たちが決めた結婚相手だったが、マイラはアストラが好きだった。

 ヘルクス侯爵家の嫡子で二歳年上のアストラは、とてもかっこよくて優しくて、一緒にいると楽しかったからだ。


 マイラが生まれたときに決められた婚約は、アストラの家庭の事情もあったのだろう。

 アストラは両親を事故で一歳のときに亡くし、たった一人の肉親である祖父も病床にあった。

 そのため祖父の親友であるマイラの祖父――サセム子爵を後見人とし、孫娘との婚約を決めたようだった。

 しかし、ヘルクス侯爵もアストラが十二歳のときに亡くなってしまった。


「僕は一人になってしまった……」

「アストラ、私がいるよ。だからもう泣かないで」

「ずっとそばにいてくれる?」

「うん」

「本当? 約束だよ?」

「うん。約束ね」


 こうして、マイラとアストラは今までの以上に一緒にいるようになった。

 毎朝、マイラがアストラの屋敷を訪ねて日中を一緒に過ごす。

 時には祖父であるサセム子爵がアストラに領地運営などを教えることもあった。

 そのときもマイラは傍にいて一緒に学んだ。


「――ねえ、マイラ。これから遊びに行こうよ」

「それはダメよ。もうすぐお勉強の時間だもの」

「サボればいいじゃないか。別に勉強なんてしなくても、優秀な使用人を雇えば大丈夫さ」


 アストラは勉強が嫌いなようで、サボろうとよくマイラを誘った。

 マイラはそんなアストラを勉強させるために手を尽くしたが、時には一人で家庭教師の授業を受けなければならないときもあった。

 それでも、マイラとアストラは仲良く子供時代を過ごしていたのだ。――マイラの祖父、サセム子爵が急逝するまでは。


   * * *


 マイラはビーズを糸に通しながら、大きなため息を吐いた。

 そのとき、表に馬車の止まる音がして、急ぎビーズ刺繍の道具を片付ける。

 約束していたドラスト王国の商人たちがやってきたのだ。


「お父様、クレル商会の方がいらっしゃいましたよ?」

「ああ、私はいいからお前が対応しなさい。もう一人でもできるだろう?」

「それでは、リネアも同席するべきではないでしょうか?」


 サセム子爵家は先代の商才で財産を大きく築いたのだが、当代の子爵――マイラの父親はあまり仕事に熱心ではなかった。

 そして、サセム子爵家に男子が生まれることはなく、マイラがアストラの許に嫁いだのちは、妹のリネアが婿を取る予定だった。

 そのため、本来ならリネアが子爵家の仕事を学び、引き継ぐべきなのだが、本人にその気はないらしい。


「リネアはまだ十六歳だ。いきなり商談の席に加わるなんて可哀そうだろう」

「ですが……」

「我が儘を言うんじゃない。さあ、もういいから行きなさい」

「……はい」


 マイラが商談の席に着くようになったのは十四歳のときだった。

 アストラの祖父が亡くなった十歳のときから、将来のヘルクス侯爵夫人として、多くのことを学ばなければならなかったのだ。

 それなのに、リネアは未だに領地経営や商取引について学ぼうとせず、両親も何も言わない。

 婿に任せるにしても、少しくらいは知っているべきだろう。

 以前、注意したときには「お姉様がいるから大丈夫」などと呑気なことを言っていた。

 今後のことを考えて、マイラは先ほど以上に大きなため息を吐いて、商人の待つ部屋へと向かった。


「――今回も素晴らしい仕上がりですね。ありがとうございます」

「お礼を言うのは、私のほうです。いつもこんなに高値で買ってくださって。本当によろしいのですか?」

「ええ、もちろんです。マイラ様の作品は特別ですからね」

「そんな大げさな」


 クレル商会のリュノーと社会情勢とそれに伴う市場について話し合った後。

 マイラは子爵家とは関係ない、個人的な取引に移っていた。

 領地の特産品の一つであるビーズを使い、アクセサリーなどを作るのが幼い頃からの趣味だったのだが、それを身に着けていたとき、リュノーの目にとまったのだ。

 他にもあるのならぜひ見せてほしいと乞われ、いくつか見せると今度は売ってほしいと乞われた。


 それ以来、ビーズの装飾品については個人的な取引が続いている。

 いつもかなり高額で買い取ってくれるのだが、ドラスト王国でビーズのアクセサリーが流行っているとは聞いたことがなかった。


「大げさなどではありませんよ。一つ一つ丁寧に作られた作品には制作者の力が宿ります。その力がとても大切なのです」

「そうなんですね……」


 リュノーは優しく微笑みながら教えてくれたが、やはりマイラにはよくわからなかった。

 だがほとんどの人間が竜族についてはよくわかっていないのだ。

 それでも特別な存在だということだけは本能で理解していた。


 隣国のドラスト王国は竜王が治める竜族たちの国である。

 ただ、竜族はめったに自分たちの縄張り――要するに自国から出ることはなく、隣国であるヤークマ王国に訪れることもない。

 そのため、ヤークマ王国をはじめとした人間の国は、強大な力を持つ竜族を恐れずに暮らすことができていた。

 それどころか、人間たちは好んでドラスト王国を訪れて商売をし、定住することも多い。

 竜族たちは自国から出ることはなくても、他者を排除したいわけでもないようだった。


「それでは、お暇するのは残念ですが、そろそろ失礼いたします」

「……はい。またよろしくお願いいたします」


 リュノーが別れを惜しむ言葉を口にして腰を上げると、マイラも続いて立ち上がる。

 その際にさりげなく書類で代金の入った巾着を隠した。

 ビーズ作品の代金だけは、いつもその場でもらうことにしているのだ。

 書類なら使用人も家族も触らない。

 このお金だけはマイラのへそくりのようなものなので、家族にも存在を知られたくなかった。

 そして、リュノーを玄関まで見送ろうとしたとき――。


「マイラ!」


 出かけていた母親が帰ってくるなりヒステリックにマイラを呼んだ。

 マイラは申し訳なさそうにリュノーに微笑んでから、母親に答える。


「お母様、お客様がお見えになっていらっしゃるのに――」

「私に意見するっていうの!? しかもお客様って、ただの商人じゃない!」

「我が家の大切なお客様です」


 たとえ身分差があっても、仕事上は対等な立場なのだ。

 その態度を先代が貫いたからこそ、商人たちが取引してくれるからこそ、サセム子爵家は財を築くことができたのだ。

 また、祖父であるサセム子爵は領民も大切にし、農作業や工場での作業にもよく顔を出して労っていた。

 マイラも祖父に連れられて出かけた先で、領民と一緒になって働いたりもしたのだが、それも母親に知られて激怒されてからはできなくなっていた。


「お母様、お話は後で伺いますから――」

「私よりも商人を優先するっていうの!?」

「そういうことでははなく……」


 礼儀の問題であることを、母親はわかろうとしない。

 これ以上リュノーの前で彼を侮辱させたくなくてマイラが窮していると、当のリュノーが助けてくれた。


「マイラ様、私はもうここでかまいませんので、お気になさらないでください。奥方様、お邪魔いたしました」

「ふんっ」

「リュノーさん、ありがとうございます。またよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ」


 リュノーの挨拶を無視して、母親はつんと顎を上げて去っていく。

 それでもリュノーは気にした様子もなく笑顔だ。


「マイラ! 何をしているの!?」

「はい! 今行きます!」


 マイラは申し訳なく思いながら、執事に見送りを任せて、母親の後を追った。


「マイラ、どうして今日のお茶会に来なかったの!?」

「ですから、今日は商談があるので行けませんとお伝えしておりましたでしょう?」

「馬鹿なことを言わないでちょうだい! あなたはこのサセム子爵家の娘なのよ!? どうして商談などする必要があるの!? 大切なのはアストラ様とヘルクス侯爵家でしょう!? あなたが卑しい人たちと付き合いがあると思われたらどうするの!? だから未だに結婚式の日取りも決まらないのよ!」


 それなら自分の夫であるマイラの父親に言うべきだろう。

 だが、マイラは口をつぐんだ。

 婚約してからもう十八年、マイラは今年で十九歳になるというのに、二歳年上のアストラとはまだ結婚式の日取りさえ決まっていないのだ。


 このままだとマイラは嫁き遅れてしまう。

 今でも社交界では笑いものにされており、それが母は許せないのだろう。

 苛々している母親からそっと離れ、マイラは自室に戻ってようやくほっと息を吐いた。


 それからしばらくして、アストラがヘルクス侯爵邸でパーティーをしたいと言い出した。

 自分が侯爵となって、一度もパーティーを主催したことがないから、と。

 そこでマイラは今までの経験を駆使して、パーティー開催のために奔走した。


 ヘルクス侯爵家も祖父とマイラの手腕で財政状況は好転している。

 今なら、侯爵家に相応しいパーティーを催すことができるだろう。

 家格が違えばパーティーの作法も多少の違いがあり、知り合いの侯爵夫人に教えを請うていたことが幸いした。

 これも、幼い頃からアストラの妻になるという心構えがあったからなのだ。

 きっと、このパーティーでアストラはマイラとの正式な結婚を発表してくれる。

 マイラは期待に胸を膨らませ、パーティーの準備に勤しんだ。


「――ありがとう、マイラ。パーティーは大成功だね。おかげで僕はヘルクス侯爵として鼻が高いよ」

「うん……。それはよかったけど、もうすぐパーティーも終わりよ?」

「わかってるよ。でも、別に僕がすることはないよね?」

「……私とまだ踊ってないわ」


 婚約者だというのに、マイラとアストラはまだこのパーティーで一度も踊っていなかった。

 本来なら、最初に二人が踊り出し、皆が続くものなのだ。

 それなのにアストラはマイラではなく、妹のリネアと踊った。

 その理由を聞けば、マイラは忙しいだろうから、と。

 アストラは気遣ってくれたのかもしれないが、そのせいでマイラが笑われていることには気づかなかったらしい。


「あ、そうか。じゃあ――」

「嫌だわ、お姉様。ダンスを自分からねだるなんて、はしたないわよ」


 アストラが思い出したようにマイラにダンスを誘おうとしたとき、リネアがひょっこり現れて冗談っぽく言った。

 しかし、アストラは本気にしたようでためらう。

 婚約者なのだから、なぜためらう必要があるのか、そもそもはっきりマイラから誘ったわけではないのだから気にしなくていいはずだ。


「マイラ、招待客の見送りにいかないと」

「……ええ、そうね」


 そろそろ帰ろうとする招待客たちの姿が見られ、アストラは会場の出口へと向かった。

 マイラがその後を追うと、背後からリネアのくすくす笑う声が聞こえる。

 リネアは両親に甘やかされて育ったためか、何でも自分の思い通りにならないと気がすまないのだ。

 結局、それからマイラは見送りと後片付けに手を取られて、アストラと話をすることができなかった。



 翌日。

 遅い時間に起きてきた母親は、書斎で仕事をしていたマイラを部屋へと呼びつけた。

 マイラはつけていた帳簿を、きちんと並べられた書棚へと戻す。

 書棚に並ぶ帳簿は、祖父が亡くなってからずっとマイラがつけたものだった。


「お母様、お呼びだと伺いましたが――」

「どうして私があなたを呼んだのかわかる?」

「……わかりません」

「あなたには、ほんと呆れたわ。どうして私が怒っているかもわからないなんて!」

「……」

「何とか言ったらどうなの!?」

「いったい何があったのですか?」


 朝から――といっても、もう昼前だが、なぜ母親が怒っているかがわからない。

 そのため、マイラは正直に訊ねたのだが、それがまずかったらしい。

 いきなりマイラ目がけてクッションが飛んできた。

 マイラにぶつかって、クッションは床にボスンと落ちる。


「本当にわからないの!? あなたのような馬鹿な娘を持って、私がどれだけ恥ずかしいか!」


 そう怒鳴ると、母親はわざとらしく袖口で目頭を押さえる。

 マイラはソファに座る母親の足下に駆け寄り、ハンカチを差し出した。

 母親は煩わしいとばかりに、マイラの手を払ったが、その顔に涙はない。


「昨夜のヘルクス侯爵家でのパーティーで、あなたがアストラ様と一緒にいないから、陰でまた笑われていたのよ。ダンスさえしないなんて!」

「ですが、私からお誘いするのは……」

「リネアは二度も誘われて踊っていたわ! リネアほど愛らしくなれとは言わないわ。でもせめて、婚約者からダンスに誘われないなんて無様な真似はやめなさい!」

「ですが……」


 むしろ昨夜はアストラが責められるべきだろう。

 それなのにマイラが笑われ、母親に怒鳴られるなど、納得がいかなかった。

 マイラのその気持ちを母親は見透かしたらしい。


「何か不満でもあるの!? 文句があるなら、さっさとアストラ様と結婚してから言いなさい!」

「……わかりました」

「いいわね、絶対よ!」

「……頑張ります」

「では、今度の王室主催のパーティーで結婚式の日取りを発表しなさい! そうすれば、皆に祝福してもらえるし、主役になれるわ」

「お母様、さすがに王室主催のパーティーでは……」

「口答えは許しません! ほら、さっさと出ていって!」

「失礼します」


 勝手に呼びつけられ、こうして追い出されることはよくある。

 マイラは軽く頭を下げて部屋から出ると、深く息を吐いた。

 王室主催のパーティーは五日後なのだ。

 そのため、のんびりしていられないと、マイラはアストラを訪ねることにした。

 とはいっても、ヘルクス侯爵邸には領地管理の手伝いでよく出入りしている。


 侯爵邸に着くと、顔馴染みの執事が気まずそうに出迎えてくれた。

 どうやらアストラはまだ寝ているらしい。

 大人になってからは遠慮していたマイラだが、今日は違った。

 通された居間ではなく、子どものときのように勝手知ったる主寝室まで起こしに行ったのだ。


「アストラ、もうお昼過ぎ……よ……っえ?」

「なっ、何だよ! いきなり入ってくるな、マイラ!」


 マイラは思わず口を押さえて後ろを向いた。

 それから呼吸を整え、またアストラへと振り返る。


「……そちらはどなた?」


 アストラは上半身裸で起き上がったが、隣で寝ている女性を上掛けで隠そうとしていた。

 ちなみに女性も裸である。


「マイラには関係ないだろ!」

「……話があるので、居間でお待ちしています」


 マイラはそれだけしか言えず、ばたんと扉を閉めた。

 そのままゆっくり居間に戻ると、執事が申し訳なさそうに新しいお茶を運んできてくれた。


「――マイラ! どういうつもりだ!?」

「ごめんなさい。先客がいるとは思わなくて」


 急ぎ着替えたらしいアストラの姿は、ボタンの掛け違えられたシャツがズボンからはみ出している。

 髪の毛もボサボサで、そんな姿からマイラは目を逸らした。


「ほんとに可愛げがないな、お前は!」


 マイラは冷静さを装い必死に耐えていた。

 そんなマイラを見て、アストラは悪態をつく。


「その……あの方は放っていて大丈夫なの?」

「マイラが気にすることじゃない。それよりもさっさと用件を言ってくれ!」


 マイラの問いかけに、アストラは顔を赤くしつつ、強い口調で言い放った。

 それなりに恥ずかしくはあるらしい。

 マイラも言われて、ようやく何をしに来たのか思い出した。

 あまりの衝撃に目的を忘れるところだった。


「五日後の王室主催のパーティーまでに、結婚式の日取りを決めてほしくて」

「結婚式? 誰の?」

「あなたと私のよ、アストラ」

「何で?」

「母がパーティーで発表すれば、みんなから祝福してもらえるって」

「なるほど……主役になれるってわけか」


 マイラはあえてそこまで言わなかったが、アストラは母親と同じ考えらしい。

 びっくりしつつ、黙って頷いた。

 すると、アストラは少し考えてからにやりと笑う。


「わかった。いいだろう」

「本当に?」

「ああ。だが、パーティーには少し遅れそうなんだ。だから、先に一人で行ってくれるかな?」

「パーティーに私一人で? それは……そもそも王宮でのパーティーに遅れるなんて――」

「大切な用事なんだ! いいだろ!?」

「……わかったわ」


 よくはないが仕方ない。

 ここで機嫌を悪くして、欠席するとまで言われても困る。

 マイラは承知してから、少しだけヘルクス侯爵家の仕事をして自宅へと帰った。



 そしてパーティー当日。

 サセム子爵である父親と一緒に、マイラはパーティーに向かった。

 当然、母親もいるが、そこまで不機嫌ではない。

 結婚式の日取り発表をアストラがしてくれると伝えているからだ。

 それでも、二人ともいつもよりはマシだが、説教はされた。


「それにしたって、婚約者と出席しないなんて、困ったものだな。マイラ、アストラ様にはしっかり言っておきなさい。そもそも王室主催のパーティーに遅刻すること自体が無礼だぞ」

「ほんと、そうよ。マイラ、あなたがもっと可愛らしかったら、アストラ様も放っておかなかったでしょうに。リネアを見習いなさい」


 アストラと同伴しなかったことで、くどくど言われながら、マイラは周囲を見渡した。

 両親の大好きなリネアがいない。


「お母様、リネアはどうしたの?」

「あの子は将来を誓い合った方と一緒にくるそうよ。私たちが納得する、最高の相手だから秘密なんですって。絶対にみんな驚くそうよ。残念ね、マイラ。今夜の主役もまたリネアに取られてしまったわね」

「そんなことより、大丈夫なんですか? 秘密の相手って、お父様もお許しになるおつもりですか?」

「なんだ、マイラ。嫉妬か? 心配しなくても、リネアなら多くの男どもから求愛されていたからな。心配はいらん」


 両親の呑気さにマイラは眉をひそめた。

 いくらリネアが可愛くても、相手の男性が最高だろうと、サセム子爵家に婿に入ってくれなければならないのだ。

 しかも、子爵家をきちんと運営してくれないと困る。

 マイラが不安に思っているとき、パーティーは始まった。


 やがて、アストラが遅れてやって来たとき、マイラは驚いた。

 その腕にはリネアが絡まっており、皆が息をのむ。

 確かに、リネアの言うとおり、皆があっと驚いた。

 相手も侯爵で身分も申し分ない。――ただし、マイラの婚約者でなければ。


「アストラ、どういうことなの?」

「約束したとおりだよ。僕は今日ここで、結婚式の日取りを発表する」

「でも……」


 マイラが問い質せば、アストラは胸を張って答えた。

 今回については、さすがにマイラの両親も慌てている。

 アストラとリネアを見て言葉を失っていたが、そこに国王の声がかかった。


「ヘルクス侯爵、そなたの婚約者はその腕に絡みついている娘ではなく、サセム子爵の長女であるマイラだったはずだが?」


 先代サセム子爵――マイラの祖父は、国王の良き相談相手でもあったので、マイラとアストラの婚約については当然知っていた。

 また幼い頃のマイラを国王は可愛がってもくれていたのだ。

 そのせいか、国王の声は冷ややかで会場中が緊張した。


「お、恐れながら、陛下。私の婚約は祖父同士が交わしたもの。また約束としましては、私と先代サセム子爵の孫娘を結婚させるものとしているだけで、特に姉妹のどちらとは名指ししておりませんでした。よって、私は先代サセム子爵の孫娘であるリネアと結婚します!」


 緊張しながらも訴えたアストラの主張に、会場中がざわめく。

 実際の婚約がどのように交わされたのかマイラも皆も知らなかったが、当時リネアはまだ生まれていなかっただけで、孫娘なら確かにリネアでもかまわないのだ。

 しかし、今までずっとマイラが婚約者とみなされ、ヘルクス侯爵家を手伝っていたのも周知の事実である。

 今さらリネアと結婚するなど、マイラとの婚約破棄を宣言したも同然だった。


「……アストラ、私と小さい頃にした約束を覚えている?」

「約束……?」

「ずっと傍にいると……」

「ああ……そういえば、したかもしれないが、子どもの頃の戯言だよ」


 マイラが平静さを装って訊ねれば、アストラは考えるように眉間にしわを寄せた。

 そのため、マイラが震える声で言い足せば、どうやら思い出したらしい。

 そこに、リネアが割り込む。


「お姉様、ごめんなさい。でも私とアストラ様は愛し合っているの! どうか、身を引いてください!」

「すまない、マイラ……」


 悲劇のヒロインぶったリネアだが、可愛くて儚げな容姿には似合う。

 皆も一気に許されない恋に落ちた若い二人を応援する気持ちに傾いているようだった。


「陛下、どうかこの若い二人の結婚をお許しください」

「私がらもどうか、お願いいたします。無理にマイラと結婚してもお互い不幸になるだけです」


 マイラの両親までもがアストラとリネアの味方になり、国王に嘆願する。

 国王はどうしたものかと、マイラに同情する視線を向けた。

 だが、その顔には別の思惑もあるように思えた。


「マイラ、お前はどうしたい?」

「私は……二人が……アストラとリネアが結婚したいというなら、祝福したいと思います」


 マイラが両手を強く握り締め、感情を抑えた声で告げれば、会場中がほっと安堵の吐息を漏らした。

 中には修羅場にならなかったことにがっかりしている者もいるようではある。


「それでは、ヘルクス侯爵アストラ・ヘルクスとサセム子爵の娘である……リネアの結婚を許可しよう」


 国王はリネアの名前がすぐには出てこなかったようだが、二人の結婚の許可を宣言した。

 途端にその場がわっと沸く。

 国王の決定には誰も異議を唱えられるわけもなく、むしろ国王公認となったことで、母親の望んだとおりにアストラとリネアはこの場で主役になった。

 満足げにリネアも母親も笑って、皆からの祝福を受けている。

 その様子を見ながら、マイラは勇気を出して声を上げた。


「陛下、恐縮ではございますが、お願いしたいことがあります」

「……申してみよ」


 皆すっかりマイラの存在を忘れていたかのように、はっとした。

 国王だけはじっとマイラを見ていたので、大きな声ではなかったがすぐに返答して促す。


「ヘルクス侯爵との約束が無効になった今、私はこの国を出たいと思います」

「な、なにを言い出すんだ、マイラ。何もお前が出ていく必要はないんだ。そのうちお前にも結婚相手が見つかるさ」

「そうよ、マイラ。この場で拗ねた態度をとるなんてみっともないわよ」


 マイラの願いに国王よりも先に両親が反応した。

 だが、その言葉は婚約を破棄されたばかりの娘にかけるものではない。

 それどころか、この騒ぎの張本人であるアストラとリネアまでもが先に発言する。


「マイラ、傷つけて申し訳ないが、それでも出ていくなんて言わないでくれ」

「そうよ、お姉様。自棄になって、そんなこと言っても、あとで後悔するわよ」


 マイラは両親やアストラたちの言葉を耳を傾けることなく、国王の返答を待った。

 すると、国王は大きく息を吐き出して口を開く。


「国を出てどこへいくつもりだ? それにどうやって暮らしていく?」

「ドラスト王国で暮らしたいと思っております。生活には、今まで蓄えた個人的な取引での財産も幾分ありますので、それを元手に商売を始めたいのです」


 国王の問いは誰もが思っていたことである。

 しかし、マイラが臆せず答えると、周囲の反応は様々だった。

 今まで子爵令嬢として不自由なく育ったマイラに、他国で商売しながら暮らせるわけはないと笑う者が多い。

 それでも、ドラスト王国なら竜王の治世下でどこよりも治安がよく、女性一人でも暮らせるのだから選択は間違っていないと納得する者もいる。


「個人的な取引とは何だ!? マイラ、お前は我が家の財産をくすねていたのか!?」

「……いいえ。あくまでも個人的なものです。子爵領の特産品であるビーズを使った装飾品は、ドラスト王国では好評なようで、高値で取引してくださっていました。もちろん、ビーズなどの仕入れに関してもきちんと売上金から賄っておりましたので、子爵家の財産に手はつけておりません」


 マイラの決意を聞いた父親が責め立てたが、しっかりとした回答にそれ以上は何も言えないようだった。

 そのやり取りを聞いたほとんどの者が、父娘の会話に疑問を持ったらしい。

 なぜ子爵家の財産について、子爵が娘であるマイラに問いかけるのか、と。

 マイラが子爵家を運営していたことを知る一部の者は、この先の子爵家が没落していくだろうことを予見した。


「ふむ。マイラは今まで先代サセム子爵の遺志を継いでよく務めた。よって、マイラの願いを聞き入れよう」

「陛下! マイラは私の娘です!」

「そのようには思えなんだがな。まるで使用人のように扱っていたと、私は聞いていた。それでもマイラが不満を口にしなかったようなので、見守ることにしたのだ」

「誰です!? そのようなデタラメを陛下に吹き込んだのは!」


 国王へのマイラの願いに許可が下りた。

 それは揺るぎない決定事項であり、それに子爵ごときが異を唱えることはできない。にもかかわらず、食い下がる子爵に皆が距離を置いた。

 そこに、新たな声が上がる。


「私です、サセム子爵」

「お、お前は……」

「リュノーさん?」


 群衆の中から現れたのは、いつもとは違って正装した姿のリュノーだった。

 さすがに父親も顔は覚えていたらしい。

 リュノーを指さし怒鳴りつける。


「たかが商人ごときが陛下に嘘を吹き込むとはどういうつもりだ!? 無礼であろう!」


 父親の言葉に皆も驚き、ざわつく。

 正装した姿のリュノーは美しくも威厳があり、とても商人には見えない。

 それどころか、どこかの高貴な人物がお忍びでパーティーに紛れ込んでいると言われても信じられるほどだ。


「サセム子爵、先ほどからのそなたの見苦しい態度は、動揺しているがためとして許そう。だが、いい加減に黙れ」


 静かだが怒りが滲む国王の言葉に、父親はひっと息をのんだ。

 会場中もまた緊迫した空気に包まれた中で、国王はリュノーに声をかけた。


「陛下、どうぞこちらへいらしてください。皆に紹介させていただきます」


 国王の言葉にマイラも皆も首を傾げる。

 だが、当のリュノーは堂々と国王のいる壇上へと上がった。


「ちょっとしたアクシデントで紹介が遅くなったが、この方は隣国ドラスト王国の竜王陛下でいらっしゃる。皆、失礼のないようにしてくれ」

「り、竜王陛下……?」


 国王の紹介に父親は思わずといった様子で声を漏らした。

 マイラはわけがわからず唖然としており、他の皆も同じような状態だった。


「突然の訪問でこの国の皆を驚かせたこと、申し訳なく思う。ただ、今回のこの集まりでの噂を聞き、居ても立ってもいられなくなったのだ」


 リュノーはまっすぐにマイラを見つめて言った。

 その視線に熱を感じて、マイラはまさかと思った。

 今まで商談の途中で感じたことのあるもの以上の熱量に怯んでしまう。


「私はヘルクス侯爵とマイラ嬢の結婚に異議を申し立てるつもりだった」


 リュノーの告白に、会場がどよめいた。

 世界一の繁栄を誇るドラスト王国の竜王といえば、絶大な力で長年国を治めていると半ば伝説の存在なのだ。

 皆もまさかと思ったらしく、固唾をのんで次の言葉を待つ。


「マイラ嬢に約束を違わせてしまうことは、申し訳なく思っていたが、これで気がかりもなくなった」


 そう言って、リュノーは壇上を下りて、マイラの前に跪く。


「マイラ・サセム嬢、あなたは私の運命の番だ。どうか、私と結婚してほしい」


 会場内から黄色い悲鳴が上がる。

 伝説の竜王が一人の女性に跪いてプロポーズしているのだから、当然かもしれない。

 マイラは突然のことに戸惑い、何と返事をすればよいのかわからなかった。

 母親が傍で「早くお受けしなさい!」と発狂せんばかりに急かし、父親は未だにぽかんと口を開けている。

 ところが、アストラが抗議の声を上げた。


「ま、待ってくれ! 運命の番って何だ!? マイラはずっと僕を騙していたのか!?」

「え……」

「そなたはずいぶん身勝手なのだな。まあ、わかってはいたが」


 アストラを騙してなどいなかったが、確かに運命の番についてはよくわからない。

 竜族は夫婦ではなく番と呼ぶのだとは知っていた。

 しかし、『運命の番』は聞いたことがなかった。


「『運命の番』とは、どうしようもなく惹かれてしまう生涯ただ一人の相手のことだ。ただ、必ず出会えるというわけではない。むしろ、出会えるほうが少ない。マイラ、私はあなたに出会えた幸運に感謝している。だからたとえ婚約者がいても、あなたが存在してくれるだけでよいとずっと自分に言い聞かせていた。だがあなたがいよいよ結婚すると聞いて、やはり耐えられなかったんだ」


 マイラの心を読んだように、リュノーは跪いたままで説明してくれた。

 そのことに驚いたマイラは、今度は疑問を声に出す。


「まさか、竜族の方は心が読めるのですか?」

「いや、さすがにそれはできない。だが、空を飛んだり水や炎を操ることはできる」

「空を飛ぶ……」


 周囲は竜族の知られざる力を聞いて騒がしくなった。

 その中で国王だけが冷静なのは知っていたからだろう。

 マイラも驚きながらも、差し出されたままの手を見つめて迷った。

 この手を取ってしまえば、きっと楽になれる。

 それでも、とためらうマイラをリネアが押しのけた。


「お姉様よりも、私のほうが竜王様の番には相応しいはずよ!」

「っ――私に触れるな」

「きゃあっ!」


 リネアがリュノーの手に触れようとしたとき、一陣の風が吹き荒れた。

 会場内には悲鳴が上がり、皆がマイラたちから離れる。

 だが、風はリネアだけを襲い、場内には特に被害はなかった。


「リネア!」


 両親が慌てて駆け寄ると、倒れていたリネアはどうにか動けるようでのろのろと起き上がった。

 そして、母親にしがみつき泣き出す。

 その様子を見ていた者たちはパニックこそ収まったが、リュノーに対して畏怖の念を抱いたようだった。

 今まで竜王だというのも半信半疑だったのだろう。


「マイラ、いい加減に答えてやってくれんか? 竜王陛下を跪かせておくのはまずいだろう」


 国王の言葉でリネアに気を取られていたマイラははっとした。

 本当にリュノーは膝をついたままで、苦笑している。

 マイラは急ぎ考え、それからゆっくりと首を横に振った。


「竜王陛下、申し訳ございません。私にはあまりに突然のことで、まだ何も考えられず……」


 マイラの返答にその場は騒然となった。

 しかし、リュノーは残念そうに笑い、立ち上がる。


「まだ、ということは、この先はわからないよね?」

「……はい」

「では、まずはドラスト王国に来てほしい。そうすれば私も安心だし、毎日求愛することができる」

「毎日は……困ります」

「そうか。それじゃあ、二日に一回?」

「……三日に一回にしてください」

「仕方ない。それで我慢するよ」

「お店を開いてもいいんですか?」

「もちろん。それは他の人間たちと変わらない。歓迎するよ」

「ありがとうございます!」


 まさかの求愛に関する交渉が始まり、周囲は唖然とした。

 母親はまた「なんて馬鹿な娘なの!」と怒っていたが、マイラは気にしなかった。

 そして出店の許可を竜王直々にもらい、ここ最近で一番の笑みを浮かべる。

 そんなマイラをリュノーは愛おしそうに見つめ、国王は声を上げて笑った。


 その後、マイラが出ていったサセム子爵家は、ヘルクス侯爵家とともに運営がうまくいかず落ちぶれていく一方だった。

 アストラとリネアは結婚したものの、毎日ケンカばかりらしい。

 またサセム子爵夫妻は、再三にわたってマイラに戻ってきてほしいとお願いしているのだが、今後も叶うことはないだろう。

 それもマイラがドラスト王国で始めた店が軌道に乗り、今では何店舗も増えて忙しくも充実した日々を送っているからだ。

 そして三日に一度、リュノーはマイラがどの店にいても必ず突き止めて求愛に通っており、それもまた店の名物となっているのだった。



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