64.観覧討伐①
王都北部に位置する古い闘技場は改修が終わり、まるでこれから競技試合でも始まるかのような様相を見せている。一般開放されている観客席には王都に住まう民衆が押し寄せていた。
すり鉢状の観覧席の北側中央は周囲より数段高く設計され、国王や高位貴族の為の貴賓席が設けられている。
石造りの基礎の上に分厚い木板の張られたアリーナには、王国騎士団の騎士達が隊列を組んで並んでいる。
下級騎士としてその場に参加しているケビンは、まるで祭でも始まるかのような空気に溜息を吐いた。
──こんな、見世物じみた不死魔獣討伐をして大丈夫なのか……。
世話になった上官や、見知った顔のうち何人かは既に王国騎士団を辞してこの場には居ない。ケビンも叶う事なら同じように盾を黒く塗りつぶして、元団長であるライオネルを追いたかった。
しかし王太子アレクシスに頼み事をされて、ケビンはそれを引き受けてしまった。
元より平民の下級騎士の分際で断れる相手でも無かったが、内容を聞いて否とは言えなかった。だから今もこうしてここに居る。
会場のざわめきはやがて歓声に代わり、それは更にひときわ大きくなった。
中央の貴賓席に、国王と、それからエリオットとエミリーが現れたからだ。英雄の登場に、集まった民衆は歓喜の声を上げている。
討伐は、これからだというのに。
ケビンの視線の遥か先に居るエリオットは、討伐には不釣り合いな儀礼用の豪奢な軍服に身を包んでいる。隣に立つエミリーも、淡いレースを幾重にも重ね宝石が散りばめられたドレスを纏い、まるで物語の姫君のようだ。
見ていられない気分になって目を逸らすと、ケビンは会場の様子を検めた。
会場の周囲と観客席には宮廷魔術師の結界が張られている。聖職者はやけに少なく、その誰もが不安げな表情をしていた。
──王太子殿下の心配ごとが杞憂で、何事も無く終われば、それに越したことは無いんだけどな……。
自分自身も妙な胸騒ぎがして落ち着かない。
楽隊がファンファーレを鳴らし、上級騎士達が中央に進み出る。幾重にも張られた結界の一部が取り除かれると、南側の開口部から十数体の中型の不死魔獣が板張りのアリーナに現れた。
その姿に、不死魔獣を見慣れていない貴族や民衆には、恐れ慄いたようなざわめきが走る。
しかし、貴賓席からアリーナに移動した聖騎士エリオットが上級騎士達の後方に姿を見せ、その剣を抜いて天に向け掲げれば、生じた恐怖は期待と熱気に姿を変え、観客達の空気を染め上げた。
現れた不死魔獣は、更に個別に魔術師の結界に閉じ込められているようで、解き放たれたとも言い難い実に奇妙な光景が広がっている。
獰猛な獣を檻に閉じ込めているのと変わりない。
何もかもがまるで、猛獣との戦いを見せる興行でも始めるような雰囲気だ。
順番に結界が解かれて、進み出た上級騎士が演舞でも披露するかのように、不死魔獣を仕留めて行く。首が落とされてその屍が砕け土に還るたびに、観客席からは大きな歓声が上がる。
下級騎士であるケビンのこの観覧討伐での役目といえば、隊列の人数合わせと、不測の事態に備えた補欠のようなものだ。今は遠目からじっと眺めている事しか出来ない。
ケビンは睨むようにして、エリオットの動きを目で追っていた。
──……聖剣って、あんなだったか……?
ふいに違和感を感じた。戦場で見慣れたはずのそれは、遠目からは姿かたちに変わりは無い。淡く光り、その存在を周囲に示す様子も。
エリオットが聖騎士になって以来、縁遠くなってしまったケビンは、戦場でも遠目からしかその実体を見ていない。それでも聖剣を持つ彼と一年、戦地に共に居たのだ。
頭の片隅に引っ掛かるような違和感があった。
ケビンが思案しているうちにも討伐は進んでいる。不死魔獣の最後の一匹が結界から放たれ、エリオットは聖剣を手にそれと対峙していた。
走り出すと流れるような動作で、すれ違いざまに首を落とす。見事な一閃で不死魔獣を屠る英雄の姿に、歓喜に染まった地響きのような観客の声が空気を揺らした。
直後に、床が揺れた気がした。始めは鳴り止まぬ歓声がそう錯覚させているのかと思った。
しかし地響きのような音は足元から聞こえ、やがて立っていられないような揺れが来て、ケビンは慌てて姿勢を低くする。それから視線を再びエリオットの居る方向へ戻すと、息を飲んだ。
アリーナの北側の床が、まるで山のように隆起している。床材に使われている分厚い木材が音を立てて軋み、やがて砕け始めた。分厚い木材の砕ける凄まじい音を立てて、何かが迫り出してくる。
──竜型……!? いや、そんなもん、こんな場所に居るはずか無い。何だ……あれ……。
大型の、竜型魔獣の首にも似た太さの何かが突き出して、エリオットや上級騎士達の前に聳え立っていた。
──これも、用意された演出のうちなのか……?
数合わせの下級騎士には、観覧討伐の内容の具体的な詳細など知らされていない。上級騎士達が自分同様に驚愕し硬直している姿に気付いてケビンは唇を噛んだ。
床は今も尚がたがたと揺れていて、動くことが出来ない。
竜型魔獣の首のようなそれは、よく見れば頭が無く、ミミズのような姿をしている。それはもぞりと波打つと、北側の、国王やエミリーが居る貴賓席の方に傾いた。
かと思えば、それが突き出している床が北側に向かって更に裂けて行き、貴賓席の正面まで床が崩れる。
そこには、国王や高位貴族の安全確保の為に、幾重にも張られた魔術師の結界があるはずだった。
しかし新たに床の裂け目から現れた太い触手のような姿の何かが、貴賓席の端にある壁を破壊した。