53.崩れゆくもの
エリオットはロイドを連れ、王城の廊下を歩み騎士団の詰め所に向かっていた。人の話し声が聞こえ視線をやると、中庭を隔てた回廊の向こう側に、マリアンヌと、侍女に支えられるようにして歩くエミリーが居た。
「エミリー……? どうしたんだ?」
声を掛けるとマリアンヌはこちらに気付き略式の一礼を寄越すが、エミリーは気付いてもいないのか、俯いたままだ。そのまま侍女に付き添われ去って行く。
「……何か、あったんだろうか……?」
エリオットが居ればすぐに気付き、駆け寄ってくるのが常だったエミリーの、見た事も無いような憔悴した様子に、戸惑っていた。
「確か、王都北東部のはぐれ不死魔獣討伐に、上級騎士の慰問も兼ねて参加していたはずだな。ちょうどマーカス達も戻って来たようだ。話を聞いてみるか?」
ロイドの言葉に頷けば、廊下の先に見える門扉の内側に、討伐から帰還した上級騎士達が見えた。こちらに気付いて駆け寄ってくるマーカスとリチャードは、どこか顔色が優れない。
「討伐で何かあったのか? 聖女エミリーの様子が少しおかしい気がした」
「い、いえ……、討伐は、無事に、恙なく完了しました!」
報告するマーカスの声はいつもより歯切れが悪い。リチャードも、エリオットの顔を見て何か考え込むような表情をしている。
「本当に何も無かったのか……? お前達も少し様子が変だぞ」
「何か、あったというわけでは……」
それからマーカスは小声でぽつりぽつりと不死魔獣討伐での出来事を話した。
「……エミリーが、不死魔獣から逃げた……?」
エリオットは信じられない思いで呟く。マーカスから事情を聞いても、釈然としない。だが、語るマーカス達の気落ちするような沈んだ様子は、嘘を吐いているようにも見えない。
「エリオット副団長、俺達は、もしかしたら、何か勘違いをしていたかも、しれません」
マーカスは苦しそうにそう言って俯いた。
「あの……、エミリー様は、治癒や回復魔法はまだ苦手で、浄化魔法だけ僧侶レベルで、それも不安定で時間が掛かるから、まだ見習いなのだと、聞きました。……確かに、一番最初にはそう言っていたのを聞いた記憶が、あるような気がします……」
エリオットは目を瞬いた。いつもなら声量も大きく溌剌とした喋りをするマーカスの、一変して惑うようなたどたどしい声色が耳に残る。
「傷が酷い時は、聖職者が先に治癒を済ませていたと……。確かに、そうだった記憶が、あります」
エリオットは己の記憶を遡る。戦地でエミリーが『聖職者に嫌われているようだ』と相談してきた事があった。その話を聞いていたから、割り込んで治癒魔法を掛けてくる聖職者を、不快に思った事さえあった。
「治癒は傷が治っていくから、目で見えますけど。浄化は……俺達には、効いてるのか、終わってるのかなんて、見た目じゃ、わかんないですもんね……」
「……腐敗が始まるまで、最低でも二日猶予がある、浄化はそれまでに掛けてもらえばいい、それならば、待ってでもエミリー様にやってもらおう。最初の頃は、確かに、そんな風でした……」
マーカスとリチャードの声は沈んでいく。他の上級騎士達も覚えがあるのか、気まずいような暗い表情を浮かべていた。
「だが……」
記憶を思い返すほどに、彼らの語る話はどれも心当たりがあった。言葉が続かずに沈黙していると、後方から複数の人の近寄って来る気配がした。
振り返れば、従者を連れた王太子アレクシスがこちらに歩んで来ている。
エリオットもその場に居た騎士全員も、道を空けるように廊下の両脇に並び、略式の敬礼姿勢を取った。
「やぁ、楽にして構わない。すまない、あまりに面談の時間を取って貰えないものだから、直接訪ねてみたんだ。どうやらその甲斐があったようだ」
王太子アレクシスは、穏やかな表情でエリオットに声を掛けた。
「もう君にとっては清算済みの過去だとしても、一応、報告しておきたかったんだ」
アレクシスは、そう言って笑むと騎士団の詰め所に入って行く。後ろに続けば、アレクシスは詰め所のテーブルに、侍従から受け取った書類を数枚並べていた。
「随分前から、面談を申し入れていたんだけどね。私はどうにも相性が悪いようでね」
アレクシスは苦笑するが、並べられた書類を目にしてエリオットは眉間に皺を寄せたまま、動けずにいた。そのうちの一枚は、遠い記憶に見覚えのある、署名入りの借用書だ。
「まぁ、言うまでもなく見れば一目瞭然だろうけれど」
ロイドも、マーカスとリチャードも、驚愕の表情をしている。
「君たちはリストでしか把握していなかったようだから、実物を見るのはこれが初めてかな。凱旋の後、これの事を、気にしていただろう?」
そう言って、アレクシスは借用書を一枚手に取ると、別のものに重ね、署名部分が見比べられるように並べる。
「見ての通り、署名を精巧に模写し、偽造されたものだ。全て調べたが、どれも類似した手口によるもの。これらの借金の事実そのものが存在しなかった」
エリオットは、アレクシスの声が遠くに聞こえるような気がした。耳鳴りがして、微かに眩暈も覚える。だが一方で、驚愕と、言いようの無い不快感と共に、頭の片隅には、やはりそれが真実だったかと納得している自分が居た。
突き付けられた真実の先に見えてくるのは、自分自身の酷く歪んだ思い込みだ。
──あの時は、フローラが悪妻であった方が、自分にとって都合が良かった。俺は無意識に、そう考えて……。
今更脳裏を過ぎる、過去の自身が下した結論に、嫌悪が湧き、吐き気を呼ぶ。
妻ではない別の女性に惹かれている状況に対する、恰好の言い訳だ。
だから、都合良く信じ込んだ。そのような事をする女性ではないと、知っていたのに、疑いもせず。
エリオットは黙り込んだまま、今立っている足元の地面すらもう無くなっているような感覚に囚われていた。
硬直したように立ち尽くし顔色を無くしているエリオットに、アレクシスは一呼吸置いて、声を掛けようとした。
「聖騎士エリオット、そして上級騎士の皆も、聞いてほしい。これは──」
しかし、言葉を遮るように詰め所の扉が開いた。ディラン・アグレアス・ジエメルドとその従者が入室して来る。
「ああ、王太子殿下、こちらにおいででしたか。陛下がお呼びでしたよ。急を要する話があるのだとか」
穏やかな口調で告げるアグレアス伯の後ろには、確かに息を切らせて走ってきたような、伝令の近衛兵が居た。
王太子アレクシスは一瞬顔を顰めると、忌々し気に息を吐く。それから侍従に書類を片付けさせ、その場を後にした。
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