40.北の曇天
北部のケルヴィム領の街ではあれから連日、不死魔獣を掃討するべく、皆さん準備に大忙しです。
「フローラちゃん、次のお水を持って来ておくれ!」
「お任せください!」
「こっちは瓶に詰め終わった、空いてる瓶はまだあるか?」
「硝子屋の親父さんが新しいの作ってくれたよ!」
あちこちで活気の良い声が飛び交う中、わたくしも聖水の準備を街の皆さんと共にお手伝いしています。
先日のシチューを作ったお鍋も、ギルバートさん達が丁寧に洗ってぴかぴかに磨いてくださって、今では聖職者さんが湧き水を聖水に変える為の器として大活躍です。
台座に湧き水を満たした鍋を置くと、聖職者様が祈りはじめ、それを見て周りの子供たちやお年寄りも一緒に祈ります。
聖職者様曰く、祈る人数が多ければ多いほど、加護の強い聖水が出来上がるのだとか。お鍋を中心に、手の空いている人も集まってきて、ぐるりと囲んで祈り、わたくしも末席に交ぜてもらっています。
鍋の横に立っているバーバラさんは、柄杓でゆっくりとかき混ぜています。濃度を均一にしているのだとか。
「うんうん、素晴らしい出来だ。ヒーッヒッヒッヒ」
「……婆さん、その笑い方、わざとだろう……怪しい儀式をしている集団にしか見えなくなってくる……」
お手伝いを頑張ってくれる子供たちを笑わせる為のおふざけに、水の入った酒樽を抱えたギルバートさんと傭兵さん達が半笑いしています。確かにちょっとだけ……遠目から見たら怪しい光景かもしれません。
ドルフさんは私兵団員さん達と、投石器を作っています。
不死魔獣を封じた結界の上部だけを先に解除して、聖水で清めた石を投げ込んで数を減らす作戦だそう。
「いやぁ、まさか石を清める日が来るとはなぁ……」
「何が役に立つかわからないので、案外色んなものを清めておいてもいいかもしれませんね……」
そんな事を言いながらも、石に使う聖水を作る聖職者様はどこか楽しそうでした。
◆◆◆
不死魔獣の掃討作戦決行まであと二日という頃、空は厚い雲に覆われ始めました。
「そろそろ雨季に差し掛かる。雨が降れば足元も視界も悪くなるからな……」
領主であるケルヴィム伯爵が空を睨んでいます。
「雨の中で、聖水の加護は消えたりはしませんか?」
「大丈夫ですよ。聖水というのは、簡単に言えば、聖職者の加護を器に移し替える為の触媒のようなものです。一度清めて加護を宿した武器はそのままですよ」
疑問を口にすれば、聖職者様が穏やかに笑んで教えてくれます。
「我ら聖職者は、加護をそのまま治癒や浄化として顕現させるだろう。だからこそ聖水を介する必要がある。一方で、器に加護を直接、祝福として与えるのが魔法使いだ」
西方大教会の司祭様が補足して、隣でバーバラさんが頷いています。
「……ただ魔法使いの祝福は厄介でねぇ。何が起こるかわからない」
それを聞いて、バーバラさんはくすりと笑いました。
「まぁだいたいは、祈った内容に沿った事が起きるさ。例えばお鍋なら、お腹いっぱい食べてほしいと祈ればそれが起こる。ミシンなら、これから使う人にとって便利であれと祈れば、それに見合った効果が付いたりね」
それからバーバラさんは、聖水を作り続けたお鍋を撫でました。
「ただ祝福はね、この間司祭様が言ってた通りさ。掛け合わされば増幅される。一人だけの祈りが全てを決めるわけじゃないからねぇ。ほら、フローラちゃんがあたしの鍋を使うと、よりご機嫌になるだろう? そんな風に強くなるからこそ、逆に予想がつかない時もある」
うんうんと頷きながら、笑みを浮かべて司祭様が続けます。
「ドルフさんも、そういう意味では職人であり、魔法使いでもあるな」
「そうだねぇ。魔法使いは本当はどこにでもいるんだ。無私の祝福を持つ者は皆そう。その中でも特に標と増幅の力が強い者を、不思議な事を起こすから魔法使いと呼ぶ人が居るってだけだね」
どこにでも居る、というのは素敵な事に思えました。戦う力は無くとも、子供たちも街の皆さんも、街の平和や家族の安全の為に毎日祈っていましたから。それが掛け合わさって、やがて祝福という魔法になるならば。
作業を終えて、夕飯の支度をしていると、街が騒がしくなりました。
「怪我人だ! 治療を頼む!」
騎乗した私兵団員さんが、見慣れない盾と鎧を身に着けた傷だらけの男性を馬に乗せています。
「おい、その盾、ジエメルド公爵領の騎士じゃないか! どうしたんだ一体……」
「ジエメルド領にも状況を確認する伝令に向かったんだが、関所が封鎖されていて先に進めなくてな。どうしたものか迷っていたら、途中で彼を見つけたんだ」
「最低限の治癒は施しましたが、私は結界が専門で、治癒はあまり得意ではなくて……」
伝令に随行していた聖職者様は青褪めた表情です。怪我人を教会に運び込んで、治癒と回復が得意な聖職者様が集まり、治療を始めました。
「……なんてことだ。いや、予想はしていたが。やはりジエメルド領も同じ状況なのだろうか……」
「そんな。誇り高きジエメルドの騎士団が、掃討をしくじるなんて、あるのか……?」
領主ケルヴィム伯爵の呟きと共に、街に不穏な色が広がりました。
その後ろでは、ライオネル様とギルバートさんも考え込むような険しい表情をしています。