食べかけの桃(三十と一夜の短篇第7回)
いつもお務め、有難うございます。
おや、今日は膳の内容がいささか違っておりますね。
そうですか、判りました。私の刑の執行が明日なのですね。貴方がそのようなお顔をする必要はございません。
え? どうしてわたしが国主様に逆らうような罪を犯して獄に繋がれているのか、と仰言るのですか? とても罪人のようには見えないと。
私は国主様に逆らっておりません。むしろ従順に過ごしてまいりました。
私の罪は何も学ばずに、年齢を取ったことでしょう。
貴方はお笑いになりますね。私はまだ豎子と呼ばれてもおかしくない容子なのに、老人のようなことを言う奴だと。
私は馬齢を重ねた男なのです。
今はこのように背が伸び、骨ばった長い手足、そしてその手足を覆う体毛、髭が生え、ざらざらとした顔に、油っぽく男臭い肌。喉仏が出て、低い声しか出せないようになりました。
それが子どもから大人になる証拠だと、貴方は仰言るし、世の中はみなそうして童の成長を喜ぶものなのでしょう。
きちんと髭を剃り、髪を整えて衣服を改めれば、見られる姿になるだろう、若いのだから少しばかり鍛錬すれば、立派な漢として役に立つだろう、そう仰言ってくださいますか。有難うございます。
でも私にとって成長は有難くないものだったのです。
童の頃は、ふっくらとした手足に滑らかな肌をしておりました。頬が豊かで、棗のような丸い目が生き生きとしていて愛らしいと言われておりました。声も小鳥がさえずるようだと褒められておりました。
変な顔をなさらないでください。当たり前のことを嘆く私はさぞかし滑稽なのでしょうね。
しかし、貴方も国主様のご趣味をよくよくご存知でいらっしゃいましょう?
ええ、そうです。私は国主様に侍っていた美童の一人だったのです。
幼い頃の容子がお役人に目に留まり、宮中に連れて行かれました。国主様のお気に召すよう、朗らかに、無邪気に振る舞っておればよいのだとしか言い聞かせられませんでした。私は国主様から特に気に入られ、片時も側から離されぬほど可愛がられました。
あの頃は夢のようでございました。国主様と同じ卓で同じ皿から取り分けられた食事をしました。初めて口にする美味に匙や箸の使い方がなっておらず、口の周りを汚すのを国主様はお笑いになりながら、拭き取ってくださいました。共に遊び、同じお床で休みました。
国主様は私の腕白を咎められるようなことは一切なさらず、むしろ興がっておいででした。お休みする時の国主様のお振る舞いは恐ろしく感じることもありましたが、夢のような生活をする代償なのだと、幼いながらも知っておりました。それに温かいお湯を使って身綺麗にして、真綿の布団で休めるのです。それは些末な出来事でございます。
私は国主様からの温情に増長し、宮中での仕来りを習得せず、学問を身に付けようとしませんでした。私は愚かでございました。
国主様が決裁を終えられた後、私に字を教えようとなさいました。真剣になっていたのは初めだけで、すぐに悪戯心が芽生えてまいりました。わざと筆で手を汚し、墨を竹簡になすって遊んでしまいました。私の手だけでなく、服も汚してしまいましたが、国主様は私の態度をお怒りにもならず、私とともにお笑いになられました。
ある夜に、私を宮中に導いた役人が人を通じて、郷里の私の母が病になったと伝えてきました。それも重篤であるというのでした。どうしても母に会いたいと、私は国主様の車を使って郷里に行こうと考えました。国主様の車であれば使われる馬も御者も素晴らしいものですし、どこへ入りこもうと止められる心配がないので、早く到着します。国主様以外の者が専用の車を勝手に使えば足斬りの刑と知っておりましたが、たとえ膝をいざって歩く者となっても、母に会いたかったのです。そこで私は国主様からの許しを得ていると嘘を吐きました。
郷里に着いて、母を看病できました。お陰様で母は小康を得ました。
お叱りを覚悟で、私は宮中に戻りました。
国主様は私をお許しくださいました。
「どのような罰を受けるか判っていながら、母のためにそれを忘れるとは。孝行者を罰することはできぬ」
私は安心しました。それと同時に驕りも生まれたのでしょう。私はそれからも変わらず悪戯好きの子どもと振る舞っていました。
夏の日に、宮中のお庭の桃園に桃が実りました。国主様やお付きの者たちと、桃をもぎにまいりました。
実に手が届く者は手を伸ばし、私は木に登り、桃を取りました。各々摘んだ桃の実を食べておりましたが、国主様は自分の桃は水っぽくて不味いと仰せになりました。私の食べていた桃は甘い物でした。
「私の桃は甘くて美味しうございます。その美味しくない桃とお取り換えしましょう」
お付きの者たちは口にこそ出しませんでしたが、礼儀がなっていないと私を見ていました。私は気にしていませんでした。国主様は破顔され、お喜びになられました。
「汝は余を大事に思ってくれているね。自分の美味しい桃を余に譲ってくれるとは嬉しいぞ」
私は得意になっておりました。周囲は気にせず、国主様の機嫌だけを見て、喜ばれるようにしておりました。
しかし、この一、二年で急に背が伸び、声が変わりました。私は国主様好みの童の姿ではなくなってきました。そして新しい美童たちが何人か宮中にまた召されてまいります。
童から男へと成長してきて、国主様の興味は私から失せてしまわれました。このまま側仕えを続けられるような知恵や礼儀を身に付けておれば、まだ良かったのですが、大人になりつつある者が童のような言動を続けているのが目障りになってこられたのでしょう。また、私は国主様の側に仕える者や廷臣たちを味方に付けていませんでした。私を宮中に差し出した役人はとっくに別の美童を探し出してきているのでした。
遂に国主様は私に仰言いました。
「この者は余の許可を得たと偽りを申して余の車に乗った。いつぞやかは余に食べかけの桃を食べさせた」
誰も国主様をお諫めいたしませんでした。
今頃言い出すのであれば、何故その都度罰せられなかったのでしょう。私は過去に笑って済まされた罪で、罰せられることとなったのです。
ええ、男色、それも美童というものは愛でられる盛りが短いのです。それを全く知らずに過してまいりました。嘆いても仕方ありません。
世の中、漢としてこれからの年齢で、私は役に立たなくなった者として斬の刑を受けます。
女人であれば子を生すこともあり、飽きられても斬刑に処せられることもなかったろうにですって?
甘いことを仰言います。
国主様に侍り子を生した女人はご令室様だけではございません。何人かいらっしゃいますし、ご寵愛を受けただけの者ならば、美童同様もっといるでしょう。
お子様方が必ずしも国主様の期待に応えられる才の持ち主であるとは限りません。
女人だとて若さ美しさの盛りがございます。年齢を重ねて妖艶さを増す方もいらっしゃるでしょうが、それが国主様の好みに叶うかなど誰にも判りません。後宮の女人たちは老け込まぬよう一生懸命です。化粧や衣装に工夫をしたり、身体をしなやかに、心を和やかにしようと歌舞音曲の嗜みを欠かそうとはなさいません。
君寵は気紛れでございます。今日愛されても、明日棄てられるかも知れません。
その意味では美童も、女人も、血を分けたお子様がたも例外ではございません。国主様にとっていくらでも取り換えが効く物に過ぎないのです。飽きられた女人、生まれてきても喜ばれなかったお子様は、余程の悪事を企まぬ限り、宮中に閉じ込められて薄暗い中で過すのです。国主様がお隠れになれば、後嗣となられたお子様とその母君からどのような仰せを下されるか、身を縮めて待つしかございません。
貴方は獄吏の仕事をどう思ってお勤めになっているのですか?
気紛れに左右されない、法と秩序を守るお仕事は立派ではございませぬか。
今更、おまえは許された、何処へでも行けと言われても、私は鍬や鎌の使いようを知りません。網を投げて魚を漁る術も知りません。学問も修めておりません。市井に放り出されても、たつきの道を知らぬのです。
当てにならぬ君寵で一時国主様とご一緒の贅沢な経験をしたのです。わたしは君命に従います。それが君寵を受けて時めき、やがて飽きられた者のさだめでございます。
容色を愛でられた者は容色が衰えれば寵も衰え、秋の扇のように棄てられると、皆様の前で晒し者になるのが、私の最後の役目でございます。