愛のある生活//ジェーン・ドウ
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──愛のある生活//ジェーン・ドウ
ジェーン・ドウからの呼び出しがあったのは、ユージン・ストーンの拉致という仕事から7日後のこと。
私とリーパーはいつものようにTMCセクター4/2の喫茶店へ。
「リーパー、ツムギさん。仕事です」
ジェーン・ドウは挨拶もそこそこにそう切り出す。
「今回の仕事はみんな大好き護衛です」
「対象は?」
「大井医療技研の研究者です」
リーパーの問いにジェーン・ドウからデータが送られてくる。
「セオドア・M・マグレガー。脳神経系ナノマシンの専門家ですか」
「ええ。あなた方には彼がTMCで開かれる学会に参加している間の護衛を行ってもらいます」
護衛するセオドア・M・マグレガーさんは至って普通のおじさんで、目立った特徴もないように見えた。
「ところで、リーパー、ツムギさん。結婚相手に望むものはありますか?」
と、いきなりここでジェーン・ドウがそう話を振ってくる。
「結婚? 考えたこともない」
「結婚相手に望むもの、ですか。それならまずお金持ちであることですね」
リーパーと私はそう答える。
私も結婚なんて考えたことはないですが、まあ何はともあれお金持ちがいいです。
「私は結婚するならば私と同じくらいの知性を求めたいと思っています。私と同じくらい知性があり、真っ当に人生を生きているならば成功しているはずですし、話していて苦痛になりませんから」
「知性、ね」
「まあ、犬猫と同程度の知性しかないあなた方は論外です」
ジェーン・ドウは肩をすくめてそう言う。
「さて、今回のマグレガー博士はその点において実にユニークな考えをしています。彼はどうやら人間の女性に対して深い失望があるようでして、彼は面白い相手を結婚相手に選びました。どんな存在だと思いますか?」
「女に失望したということは男か?」
「いいえ。彼が選んだのはAIです」
AIが結婚相手……?
「彼はC-REAという限定AIと婚姻したと宣言し、彼女を遺産の相続人にしています。もっとも法的にC-REAとの婚姻が認められているわけではなく、法的にはグレーだと我々は解釈していますが」
「限定AIと結婚か。昔酔っぱらって接客ボットに告白している男を見たことはあるが」
「ええ。それと同レベルですよ」
限定AIというのは自律性がなく、自己学習と自己アップデートが文字通り限定されているAIとなる。
家事ボットや接客ボットに内蔵されているのが、その手の限定AIだ。
「自律AIではないんですよね?」
私は一応そう確認しておいた。
「自律AIならば彼はチューリング条約違反で刑務所行きですね」
「ふむ」
チューリング条約は過度なAI開発を規制する条約だ。
これは2045年問題──いわゆる技術的特異点への恐れから生まれた条約だ。
AIがより優れたAIを生み出し、その優れたAIがさらに優れたAIを生み出す。そして、そうなることで人類に理解不能な領域にAIが到達してしまうこと。
それを人類は恐れたのだ。
「限定AIと結婚か……。性的マイノリティってやつを俺は馬鹿にはしないが、これは行き過ぎてるな」
「そう思いますよ。ですが、いくら変人であろうとも我が社にとっては欠かすことのできない人材です。しっかり守ってください」
「想定される脅威は? 狙われる理由があるから警戒しているんだろう?」
リーパーの質問はもっともだ。
マグレガー博士が狙われる可能性がなければ、わざわざリーパーと言う最大戦力を起用する必要はない。それに大井の科学者ならば大井系列の民間軍事会社が警備すればいいのですから。
何か不味い脅威が存在するような気がしますよ。
「ええ。当然ながら脅威は存在します。ユージン・ストーンから得られた情報であり、相手はメティスです」
「またメティスか」
ジェーン・ドウから伝えられて、リーパーがそう漏らす。
「というのも、マグレガー博士は元はメティスの研究者であり、我々が多少荒っぽい方法で引き抜いたという経歴があります。そのためメティスはずっとマグレガー博士を狙ってきました」
「殺すためですか? 拉致するためですか?」
「両方の可能性があります」
なるほど。殺せば大井がこれ以上得ることはなく、拉致に成功すれば前に引き抜かれた研究者を奪還できる、と。
「あなた方にはマグレガー博士が殺されることのないように、拉致されることのないように徹底した護衛をしていただきます。しかしながら、万が一拉致されそうになった場合は────」
ジェーン・ドウが無慈悲に告げる。
「あなた方が殺してください。マグレガー博士にはもはや手放せないほどの大井が進めてきた研究の情報を握りすぎています。ここに来てメティスに拉致されてしまうのは最悪です」
「ほう。そういう仕事か。なかなかスリリングだな」
危険な香りはリーパーの好む香りだ。この男にとっては本当にぎりぎりの命の危険がある仕事ですらも、ただの高難易度のステージというものに変換されてしまうのだから。
「こちらでも学会が開かれている間、大井統合安全保障を動員しますが、身軽に動けるのはあなた方です。頼りにしていますよ」
ジェーン・ドウはそう言って私たちに仕事を与えた。
それから私とリーパーは喫茶店を出る。
「早速だがマグレガーに会いに行くぞ」
「ええ。そうすべきですね。学会は明日からホテル・ニューエンパイアで行われますから」
ジェーン・ドウからはマグレガー博士が出席する学会の情報も送られていた。
学会は明日から3日間、ホテル・ニューエンパイアで行われる。最終日には懇親会を兼ねたパーティも開かれるとか。
ホテル・ニューエンパイアは大井系列のホテルで、この学会そのものも大井が出資して開催しているものだ。つまり、今回はIDを偽装したりして、忍び込んだりする必要はないということ。
「マグレガー博士は…………彼もトーキョーヘイブン在住のようですね」
「アーコロジーで囲い込まれているのか。それはジェーン・ドウも心配するな」
アーコロジーという警備体制がばっちりの場所から、系列企業とは言え外部であるホテルに送り出すのは、敵に襲撃のチャンスを与えるようなものです。
ジェーン・ドウを含め大井の人間が心配するのも当然でしょう。
「AIと結婚した男の護衛とはな。なかなか面白い話だ」
「AIと結婚している以外に変な点がないといいんですけど」
別にマグレガー博士を性的嗜好で差別するわけではないのですが、価値観が違いすぎると護衛に支障をきたしそうで心配です。
「リーパー。ジェーン・ドウには考えたことはないって言ってましたけど、本当に好きなタイプの女性とかいないんですか?」
ここで私がそう疑問に思っていたことをリーパーに尋ねた。
「結婚する相手というのは考えたことは全くないな。俺のような仕事をやっている人間にとって家族は足かせにしかならないということもあるが」
「家族を脅される、とかですか?」
「いきなりふらりと出ていったまま二度と帰ってこないかもしれないという男に、相手が耐えられるかという忍耐の問題でもある」
「ああ。そこら辺、ちゃんと考えているんですね」
リーパーならゲーム感覚で女性と付き合うかもと思いましたが違うようです。
「ま、俺たちのような仕事の人間がまともな人付き合いなんて期待する方がおかしい。刹那的に生きてるんだ。結婚ってのはそんな刹那の生き方とは対照的なものだろう?」
「結婚は長期的なものですね」
しかし、本当にリーパーには女性の好みというのが存在しないのだろうか?
今度、エロ本でも隠してないか探してみましょうか?
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