マトリクスゴースト//容疑者
本日2回目の更新です。
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──マトリクスゴースト//容疑者
私たちの前に現れた南部博士────そのマトリクスゴースト。
「俺たちは大井の人間の依頼で、あんたの死について調べている」
『聞いている。協力できることがあれば協力しよう』
リーパーが言うのに南部博士は頷いて返した。
「聞きたいのはまず誰かから恨みを買っていなかったか、だ」
『それでは容疑者が多すぎるな。私は自慢ではないが、大井医療技研の中では優れた方の研究者だった。私の成功を妬んでいた人間は数多い。周囲から恨まれていることは自覚していたほどだ』
「ふん? つまり同業にはほとんど動機があると?」
『そうなるな』
それでは確かに容疑者が多すぎますね。
「金銭的なトラブルや人間関係でのトラブルはありませんでしたか?」
『難しいな。金銭で揉めるほど裕福ではなかったし、同業を除いた人間との関係は良好だったと思っているが……』
「では、同業の中でも特に争っていたライバルなどは?」
『……いる』
私の質問に南部博士は少し躊躇いながらもそう答える。
『同じバイオマス転換炉の研究をしていた人間で、名前はエブリン・チャンドラー。彼女とは成果を巡って争っていた。最終的に結果を出したのは私の方だったが……』
「そいつはどこに住んでいる?」
『私と同じトーキョーヘイブンだ』
「なるほど」
リーパーがそう質問したのは、アーコロジーというのは閉鎖的であり、外部の人間があれこれするのは難しいからだ。
そもそもトーキョーヘイブンというアーコロジーの目的はその運営者である大井が自分たちの研究者や技術者を囲い込んで、外部からの引き抜きや暗殺などを阻止することである。
それなのに外部の人間があっさりと南部博士を殺せるのはおかしいのです。
つまり、殺人犯はアーコロジーの中にいる。
「他に同じトーキョーヘイブンに暮らす人間で、あんたに対して殺しを選択肢に入れるような人間はいるか?」
『思いつくのはやはりチャンドラー博士ぐらいだな。彼女からは恨まれていた』
「ついでに聞いておくが、あんたの技術を狙った動きはなかったか? 別のメガコーポから引き抜きの誘いがあったとかは?」
『そんなことがあれば大井の保安部がすぐさま検知するよ』
考えられる候補としてはリーパーの言う通り、別のメガコーポの存在だ。
メガコーポであれば私たちのような傭兵や民間軍事会社の非正規作戦部隊を使うなどしてアーコロジーに押し入り、研究者を拉致することや殺害することは不可能ではない。
だが、それもないとなると、いよいよ容疑者はエブリン・チャンドラー博士ということになってくる。
「リーパー。どうします?」
「まずはチャンドラーとやらを調べるか。ジェーン・ドウからは殺人事件を調査しろとだけ言われているのが現状だ。まずは犯人を見つけて、調査を完了する」
「了解です」
私はそれで納得しかけたのだが、あることを思い出した。
「南部博士。最後に聞きたいのですが、どうして大井系列の情報保全企業ではなく、アンリミテッド・メモリー社にマトリクスゴーストの作成を依頼したのですか?」
『あ、ああ。それか……。単純にここの技術が優れていると評判だったからだよ』
「そうですか」
結構、軽い理由だったんですね。
「それでは失礼します。またお話をお聞きするかもしれません」
『分かったよ。いつでも来てくれ』
私たちは南部博士──のマトリクスゴーストに別れを告げて、アンリミテッド・メモリー社の社屋を出た。
「とりあえずジェーン・ドウにエブリン・チャンドラーという女について警戒するように連絡しておく。それからこのままトーキョーヘイブンに向かうぞ」
「トーキョーヘイブンで聞き込みを?」
「こちらでもエブリン・チャンドラーを押さえる。だが、俺はただ話を聞くだけだ。推理はお前がしろ」
「はいはい」
探偵の真似事が仕事になるとは。人生は思いがけないものです。
「リーパーは犯人はチャンドラー博士だと思いますか?」
「さあ? だが、本人に会えばすぐに分かるだろう。お前が心を読めばいいんだ」
「それもそうですが、ノックスの十戒に抵触しますね」
「ノックスの……何だって?」
「ノックスの十戒。別に厳密なルールとかいうわけじゃないですが、推理小説でやるとダメなことを10個上げたものですよ」
「それに違反するのか?」
「ええ。探偵方法に超自然能力を使ってはならないってありますから」
「違反するとどうなる?」
「まあ、読者が面白くないと感じるくらいでしょうか」
別に拘束力がある国際条約とかではないので、違反しても何もないですと私。
「なら、暴力を使って解決するのはいいのか?」
「特に禁止はされてなかったと思いますが」
「じゃあ、推理の代わりに拷問でもやるか」
「それはもはや推理小説ではありませんね」
クライムサスペンスになってしまいます。
「さて、そろそろ到着だ」
私たちが乗るSUVの窓から、トーキョーヘイブンが見えてきた。
びっくりするほど高いビルが3本聳え、そのビルに絡みつくように生い茂った木々の青さが日差しに映える。
さらにそのビルの下には変わった形状のドームがあり、その屋上にはビルに向かって太陽光を反射するパネルがいくつも設けられていて、それらが集光式太陽光発電施設として機能している。
これがトーキョーヘイブンだ。
「ジェーン・ドウに連絡できました?」
「メッセージを送ったら、やはりトーキョーヘイブンでエブリン・チャンドラーを調べろと指示が来た」
「そりゃそうですよね。トーキョーヘイブンに入るための手段も送られてきました?」
「ああ。ビジターIDを受け取った。ほら」
リーパーから私にトーキョーヘイブン内で機能するビジターIDが送信される。
「最優先事項はエブリン・チャンドラーの確保。次に周囲への聞き込みと現場の確認だ。エブリン・チャンドラーが逃げてなければいいが……」
「それが問題ですね」
殺人を犯していた場合、いずれバレるだろうそれから逃れるために、アーコロジーの外に逃げている可能性はあった。
何せ相手は部分的にとは言え、アーコロジーの無人警備システムを一時停止させただけの技術がある。アーコロジーから逃げるのは、そう難しいことではないだろう。
「一応カンタレラにも連絡した。報酬を分ける約束で、TMC内でエブリン・チャンドラーを探させているところだ」
「流石ですね。逃げた場合も考えておかなければいけませんから」
「この手の仕事で獲物を逃がすのは三流だからな。カーチェイスだろうとパルクールだろうとQTEだろうとこなして獲物をしとめるさ」
やっぱりリーパーはゲームとして仕事を考えているようです。やれやれ。
そして、私たちはトーキョーヘイブンの駐車場に車を止めて、エントランスに向かう。エントランスはドーム状の建物の中にあった。
もちろんエントランスには重武装の警備ボットと大井統合安全保障のコントラクターだ。さらに良く見ればリモートタレットも配備されている。
「失礼。ID認証を」
警備ボットがスキャナーで私たちをスキャンし、ビジターIDを検出。
「ようこそビジター様。どうぞお通りください」
警備ボットはそう言って私たちに道を譲り、私たちはエントランス内へ。
エントランスがある1階フロアには巨大な案内所が設置されており、何台もの接客ボットがアーコロジー内の住民の要望に応じていた。
「おい。ちょっといいか?」
リーパーはそのような住民たちを押しのけて、接客ボットの前に出る。
「エブリン・チャンドラーを探している。どこにいる?」
「トーキョーヘイブンのプライバシーポリシーにより住民のプライバシーにかかわる問い合わせにはお答えできません」
接客ボットはそう返してきた。
「…………ほう。このIDを見ろ。管理者IDだ。これを見てもまだ同じことが言えるか?」
「管理者IDを認証。失礼したしました。こちらがエブリン・チャンドラー博士の現在地点です」
「ご苦労さん」
リーパーはどういうわけか管理者IDを持っていた。
「それ、どうしたんです?」
「ジェーン・ドウにねだった。すぐに送ってくれたぞ」
「凄いですね……」
ジェーン・ドウにはトーキョーヘイブンのようなアーコロジーで通用する強力なアクセス権も自由に持ってこれるというわけです。
彼女は何者…………?
「それよりエブリン・チャンドラーに会いに行くぞ。そして取り押さえる」
「了解ですよ」
私たちはエレベーターに乗ってエブリン・チャンドラーがいる部屋に向かった。
「この部屋だ」
「ドアはロックされていますね。ノックでもしてみます?」
「それをやってショットガンで出迎えられたらかなわん。ここは押し入る」
リーパーは扉を“鬼喰らい”で引き裂いたあとに、扉を蹴り破る。
「これは…………」
「慌てて出ていったみたいですね……」
チャンドラー博士がいるはずの部屋には、既に彼女はおらず、あちこちに衣類や電子機器が散らかった光景が広がるのみ。
「おかしいな。アーコロジーのAIはここにチャンドラーがいると示していた。それがどういうわけか姿が見えない。となると……」
リーパーは部屋の中を進み、お風呂に続く扉を開いた。
「ビンゴ」
お風呂には僅かな血が散っており、洗面台には取り外されたチップ、それに接続された電子機器があった。
「まさか埋め込み式のチップを外して、この電子機器で偽装したバイタル情報を?」
「それ以外に考えられるか?」
「では犯人はやはり……」
ここまでしてチャンドラー博士がトーキョーヘイブンから逃げた。
それは彼女が南部博士を殺したと言っているようなものだ。
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本日の更新はこれで終了です(/・ω・)/