02.夏を迎える2
「リーディア……」
アルヴィンは私をくるりとひっくり返し、自分に向き合う体勢にする。
目と目が合ったのはほんの一瞬で、彼の顔が近づいてきたかと思うと。
キスされた。
着ている騎士服はヨレヨレ、髪もボサボサだし、目の下には濃いクマがある。
消臭の魔法を使ってても誤魔化しきれない数日風呂に入ってないなという気配。
血と埃と鉄の匂い。
――死の匂い。
私がかつて身を置いていた世界の匂いが懐かしく燻る。
もしや、これは……。
アルヴィンは一度唇を離し、そしてまた私にキスしようとする。
「ちょっ……」
止めようとしたがアルヴィンの動作速度の方が早い!
驚異的な俊敏さで、もう一度キスされた。
三度キスしようとしたアルヴィンだったが、すんでのところで今度は間に合い、私は彼の唇を手のひらで受け止めた。
全力で押し戻しながら、彼に尋ねる。
「アルヴィン、ダンジョンに行きましたか?」
「ああ」
短い返事には獣のような獰猛さがこもっていた。
やはり。
魔法使いにとってダンジョンは魔素が濃すぎる場所だ。
魔法使いは魔素が少ないと魔法を行使出来ないが、濃すぎても魔素酔いと呼ばれる症状を起こす。
我々魔法使いは吸収した魔素を体内に取り込み、魔術回路を通じて魔力に変換し、魔法を発動する。相性の良い属性の魔素は魔力に変換しやすく、相性の良くない属性の魔素は変換しにくい。どちらにせよ、余剰の魔素は魔術回路から体外に排出される。
ダンジョンでは特に闇属性の魔素が澱んでたまっており、闇属性以外の魔法使い達は吸収した魔素を思うように排出出来ず、魔素酔いを起こす。魔素酔いは乗り物酔いのひどいやつという言い方が個人的には一番しっくりくる。
一方、闇属性の魔法使いは魔素に強化され、ダンジョン内で彼らは無敵と化す というのが定説だが、分かりづらい形でダメージを負っている。
優秀な魔法使いであればあるほど、限界を超える魔素を吸収し続け、通常より大きく能力を引き上げられた状態になる。
プラスの効果であるが一種の状態異常なので、肉体的にも精神的にもかなり大きな負荷だ。
他属性同様、闇属性の魔法使い達にとってもダンジョンは危険な場所である。
時間と共に体内の魔素は減っていくが、一時的に脳は興奮状態に陥り、食欲、性欲などの欲求に苛まれる。
ちなみに三大欲求のもう一つである睡眠欲は、精神が高揚しているため感じないそうだ。むしろ寝付けない。
「リーディア……」
アルヴィンは荒ぶる感情のまま、私の手を押しのけ口づけしようとしてきたが、このリーディア・ヴェネスカを舐めて貰っては困る。
力では叶わない相手でも、決して勝てないことはないのだ。
「アルヴィン」
私はにっこり彼に笑いかけた。
「愛してますよ」
「……!」
アルヴィンは、私の一言に虚を突かれ、動きを止めた。
私はその隙に胸元のペンダントを握った。
ペンダントはアルヴィンがくれた魔水晶を削って作ったものだ。私とは一番相性の良い魔素、光属性を増幅する効果がある。
魔素が私の体に満ちる。
一瞬のうちに魔力を練り込んだ私はアルヴィンの無防備なみぞおちに掌底打ちを食らわせた。
「ぐっ…………」
よしよし上手くいったぞ。
私は腹を押さえて崩れ落ちるアルヴィンを抱き留め、ニヤリと笑った。
全ての属性に比して強いとされる闇属性だが、その最大の弱点は光属性に弱いということ。
アルヴィンはダンジョン帰りで闇属性の魔素で過剰に魔力を増幅されている。つまりそれは光魔法の魔法使いである私に対してその弱点が露呈している状態でもある。
ゼロ距離から光属性の攻撃魔法を食らわせればアルヴィンとて行動不能に出来る。
「疲れてるんですよ、眠ってください」
そう言って親切な私はアルヴィンを私のベッドに横たえた。
彼の中で魔素が暴れ回っている。そういう時は寝てしまうのが一番だ。
「……リーディア、恩に着る」
セリフとは裏腹に若干恨みがましい目つきでアルヴィンはベッドに倒れた。
だがその瞳はすぐに閉じられる。
死んだように眠るアルヴィンを横目に服を直した私は、アルヴィンの上着を脱がし、ブーツも脱がせてやる。
その後私はアルヴィンのサーコートの内ポケットを探った。騎士なら大抵ここに栄養ポーションを一本入れておくのだ。
アルヴィンも例外ではなかったようで、私は見つけ出した栄養ポーションを煽った。
ああ、疲れた。
青く輝いていた魔水晶のペンダントは内包する魔素を使ってしまったため、色があせてしまった。少しくすんで見える。
私はガッカリ半分、「私もまだ捨てたものではないな」と満足半分で、階段を降りる。
さて夕食の仕込みを始めよう。
***
「すまなかった、リーディア」
夕食時間が終わりかけた頃、キッチンにアルヴィンがのっそりと入ってきた。
風呂には入ったようだが、髭は当たっていないし、髪も乾ききっていない。
まだ眠り足りないようで目が半目である。
「お疲れでしたね。何か食べますか?」
「頼む、死ぬほど腹が減っている。今夜のメニューは?」
「ラム肉のミートソースの上にマッシュポテトを被せて焼いたシェパーズパイですよ」
アルヴィンは嬉しそうに笑う。
「ああそれは旨そうだな」
前菜は小魚のマリネに田舎風のパテ、キャロットラペを添えて彩りよく。お次はイチジクとチーズと生ハムのフルーツサラダ、カリフラワーのスープ。
メインデッシュは焼き上がったばかりのシェパーズパイだ。
アルヴィンはモリモリと完食し、満足そうな顔をした。
「旨かった」
「そりゃあ、良かった。はい、どうぞ」
カモミールティと共に出したのは、大地の滴だ。
「なんだ?」
と彼は不思議そうに大地の滴を手を取り、ハッと息を呑んだ。
「リーディア、これは?」
「ノームがくれました。飲んで下さい」
「良いのか?」
「いいも悪いもありませんよ。領主様に倒れられては困ります」
ダンジョンから直接、側近のデニスも置いて一人でここに転移してきたそうだ。
枯渇寸前まで魔力を使い切った後での魔素の過剰吸収。
まったくもって心身に良くない。
繰り返すと廃人になるパターンだ。
自覚はあったのかアルヴィンはモゴモゴといいわけじみたことを口にした。
「……普段はここまで忙しくないんだ。ダンジョンも本来なら人に任せるつもりだったんだが」
「だが?」
「ダンジョンの奥にいる危険な魔物にちょっかいを出した冒険者がいた。立ち入り禁止の区域なんだが、功を焦ったようだ」
「そりゃ大変でしたね」
私は本心から同情した。
ダンジョン経営は危険と隣り合わせ。儲かるが、決して楽ではない。
「ああ、ありがとう」
アルヴィンはそう返事した後、伺うように私を見る。
「何ですか?」
「いや、さっきはすまなかった。いきなりキスなんかして」
「まああれはしょうがないですよ。お気になさらず」
戦闘後は気が高ぶるものだ。
個人的には異性が欲しくなるという経験はないが、そんな私でもいつになく人寂しい気分になった。
家族宛に手紙を書いたり、普段は行かない飲み会に潜り込んでみたりとらしくない行動を取る。
あの頃にもし恋人と呼べる存在がいたら、どんなに遠くても会いたいと願っただろう。
不可抗力みたいなものなので、「こちらこそ殴ってすみません」とは一応言っておく。
「いや、それは構わない。だがあの時、リーディアが…………」
彼はもじもじと大柄な体を揺すりながら言う。
「私が?」
「俺に、『愛してます』と…………」
そう言うとアルヴィンは頬を赤らめる。
「あー」
言うのも恥ずかしいだろうが、言われる方も恥ずかしく、私はそっぽを向いた。
既にノア達は就寝の時間で、キャシーも給仕中で食堂にいる。
ブラウニー達も何故かおらず、私とアルヴィンは二人きりだ。
「気のせいだろうか?」
「いえ、言いました」
「……いいフェイントだったと思う。嘘とはいえ心臓止まるかと思った」
「別に嘘って訳でもないですよ」
ものすごいちっちゃい声で言ったが、アルヴィンはバッチリ聞いていたようだ。
「じゃあ、本気で?」
「まあ、あの時はそういう気分でした。はい、デザートです。これ食べてまた寝た方がいいですよ」
照れ隠しにテーブルに一口大に切ったメロンを置く。
畑で作った自家製メロンだが、素人のお手製故に時々甘くないものが混じっており、注意が必要だ。
「甘いですか?」と問いかけると「甘い」という返事だった。
アルヴィンは当たりを引いたようだ。
たまに甘いところと甘くないところが混じるフェイクなメロンも存在するので最後まで油断ならない。
デザートを食べ終えたアルヴィンはかなり眠そうだ。大地の滴で体内の魔力が安定し、過剰に上がっていた魔力は落ち着いたようだ。
「じゃあ眠らせてもらう」
素直に二階に上がっていくアルヴィンの背に私は「後でお水をお持ちします」と声をかけた。
夕食の片付けと翌朝の仕込みを終えて、私も私室に戻る。
水差しとコップを持ってアルヴィンの部屋のドアを叩く。彼の部屋は私の隣が定位置だ。
返事はなかったが、宿屋の主権限で部屋に入る。
普段はそんなことはしないが、アルヴィンと私は「恋人」なのだからまあ許されるだろう。
アルヴィンはベッドで熟睡していた。
その寝顔は、案外幼く見える。
私は起こさないようにそっと枕元のテーブルに盆を置いた。
色々大変なんだろうが。
「ダンジョンか、行ってみたいな……」
少しばかり羨ましいとも思う。
その瞬間、アルヴィンは目を開いた。起きているとは思わず驚いた。
目だけこちらに向けて問われる。
「リーディアはダンジョンに行ってみたいのか?」
「いや、まあ行ってみたいとは思いますが……」
私は躊躇った。
今の私は足手まとい以外の何者でもないことは自覚出来ている。
「じゃあ行こう」
アルヴィンはあっさりと言った。
「えっ?」
「近くに村人がキノコだの山菜だのを取りに行くような小規模ダンジョンがある」
「そんなダンジョンがあるんですか?」
「ダンジョンというより、魔素溜まりのような場所だな。魔物もいるが、それほど危険ではない。暇が出来たら一緒に行こう」
アルヴィンはそれだけ言うとまた目を閉じて寝てしまった。
「…………」
私はしばしじーっと眠れるアルヴィンを観察したが、ピクリともしない。
左右を見て誰もいないことを確認すると、こっそり彼に呟いた。
「お休みなさい、アルヴィン。……愛してますよ」
私の中でアルヴィンはノア達やオリビア、楡の木荘に住む生き物や妖精達。彼らと同様、家族のように大切な存在になっていた。
正直を言うとこの感情が、異性に向ける愛なのか私には分からない。だが、彼のことは特別に思い始めている。
まだ本人に、言うつもりはないけれど。
そっと部屋を出る私は、アルヴィンが実は眠っておらず、私の言葉を聞いていたことに気づかないままだった。