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退役魔法騎士は辺境で宿屋を営業中  作者: ユーコ
ゴーラン伯爵とチェリーボンボン
26/116

10.春の宵

 夕食の仕込みを始める時間になった。

 家に向かって歩きながら、「最後に一つだけ」とアルヴィンは言った。

「リーディア、君に求婚したのは、私の結婚相手の条件と合うからではない。君を愛しているからだ」


 私は王都を挟んだこの国の向こう側、東北に位置する男爵家の出だ。辺境ではないが中央から遠い小さな領土を守る弱小男爵家である。

 幼い頃に家から離れ、両親は亡くなっていないが隠居状態で、既に兄が領主代行を担っている。兄は結婚しており数人の子もいる。

 不仲ではないと思うが、遠方なのでもう十年以上、帰省していない。

 何かの拍子に元の同僚に居場所が知れてしまうのを怖れて今の正確な住所も知らせていない。


 端的に言って疎遠である。

 確かにアルヴィンの結婚相手の条件は私にピッタリ当てはまる。

 あくまで条件だけだが。



 私はひらひらと顔の前で手を振った。

「よしてくださいよ、引退してまで王妃様に睨まれるのはごめんです、領主様」

「領主様はやめてくれ。アルヴィンだ」

「アルヴィン様、今日はどうなさいます? お食事だけですか?」

「今日は時間を作ってきた。泊まっていける。出来れば君の部屋の近くがいい。話があるからな」

「話って?」

「私達は気の合う友人同士だな」

「はあ、まあ……」


 なんだ? 唐突に。


「その関係を少し進めたいと思う。恋人同士になってみないか?」

「恋人?」


「私達は出会って間もない。お互いのことを知る機会が欲しい」

「付き合うってことですか?」

「ああ、そうだ」

 アルヴィンは上機嫌で首肯した。




「……アルヴィン様」

「なんだ?」

「あなた、忙しくないんですか?」

「死ぬほど忙しい」

「私のせいで過労死されたら迷惑なんでお帰り下さい」


 一応は客相手だしと、それらしく取り繕ってきたが、前職がバレた今となっては、そんな気分になれず、ぞんざいに言った。

 女性騎士は口が悪いのだ。


 アルヴィンは特に気にするそぶりなく、返事を返してくる。

「対策は考えている。リーディアは心配しなくても大丈夫だ」

「心配してません」


 言い合っているうちに家に着いてしまった。



「手伝おう」

「はぁ、アルヴィン様、包丁持ったことあります?」

「騎士見習い時代には一通りの雑用をこなしたぞ。イモの皮むきは得意だった」

「そうなんですか……」

 ゴーラン騎士団は領主の息子でもちゃんと見習い期間に雑用させるのか。

 私は少し感心した。

 王都では魔法騎士はそのほとんどが貴族子女なので、見習い期間であっても雑務はしない。


 アルヴィンは慣れた手つきでイモをむきながら、私に尋ねた。

「ところで今夜のメニューは?」

 私はメニューをそらんじる。

「前菜はロマネスコ、ブロッコリー、アスパラガス、ラデッシュ、人参、春の野菜をバーニャカウダソースで。お次はガーリックシュリンプ」


 野菜はどれも畑で取れたばかりの新鮮なものだ。

 そして近くの湖ではこの時期海老が良く採れる。あまり身が大きくないのでニンニクとさっと炒めて皮ごと食べるのがおすすめだ。


「旨そうだな」

「旨いです」

 私は自信たっぷりに頷いた。


「それから……」

 と私は一拍置いてもったい付けてから言った。

「今日はビーフシチューです」

 アルヴィンは微笑んだ。

「それは、楽しみだな」






 ***


 夕食が終わると、後片付けと翌日の仕込みだ。

 我が家は酒場ではないので、夕食が終わるとすぐにカンバンである。

 飲み足りない客には酒のつまみを渡し、客室か別室の談話室に移動して貰う。


「私も手伝う」

 アルヴィンとデニスが食堂の掃除を始めた。

 ブラウニー達も姿を現し、片付けに参加する。彼らも慣れたのか、アルヴィン達のことは気にしない。

 ブラウニー達の目当てはクッキーだ。美味しく焼けたクッキーを全員に行き渡るようにそっと窓辺に置いておく。

 片付けは彼らに任せ、私は仕込みに専念させて貰う。

 いつもより早く片付けと仕込みが終わり、「じゃあお先に失礼します」とデニスとブラウニー達はさっと姿を消し、アルヴィンは酒瓶を私に見せて、微笑む。




「リーディア、一緒に飲まないか? 酒を持ってきたんだ」

「酒?」

「領内ではよく自分の家で採れたニワトコで自家製酒を作る」

「ああ、聞いたことがあります」


 いわゆる地酒である。この辺りはどんぐりで作る酒も有名だ。

 これらの地酒は自分の家や近隣で採れる身近な植物を使って自宅で消費する分だけ作る。各家でレシピが違い、味もずいぶんと違うらしい。


「誕生日の献上品で貰った。ここの自家製酒は旨いと評判らしい」

「それは珍しいものを」

 私はちょっと浮かれた。

 ワインやビールは町で買えるが、こうした自家製酒はなかなか飲む機会がない。

「ではご相伴にあずかります」



 互いに風呂に入るため、我々はいったん解散した。宿は家族が使う内風呂と宿泊客が使う大風呂に別れており、好評を博している。

 寝支度を整えた後、私はアルヴィンの客室に行く。

 彼の部屋はご指定だったので私の隣に用意した。

 防犯上、いつもは客に開放しない部屋だが、まあ彼ならいいだろう。


「リーディアです」

「ああ」

 返事の後、すぐにドアが開いた。この部屋はベッドが一つしかないタイプなのでデニスは別室に泊まっている。


 アルヴィンはシャツにスラックスという軽装だった。

「リーディア、待っていた」


「お待たせしてすみません」

 口ごもりながら私は返事した。

 ……少し決まりが悪い。


 アルヴィンは何度も泊まっているが、夜に部屋に入ったのは初めてだ。

 風呂上がりでやや着崩された私服も初めて見るものだった。

 彼の黒髪が少し濡れているのを見た私は、あわてて目をそらす。


 私はというと、装飾の少ないワンピース。

 見苦しくない程度に身だしなみを整えているが、こんなので良かったんだろうか……?

 心臓の鼓動が、やけにうるさく感じる。




 中に入り、お互い椅子に座って地酒を開けると、いい感じに緊張もほぐれてくる。

 ニワトコの味は良くマスカットに例えられる。爽やかでほのかに木の香りもする酒だった。クセが強いのであまり万人受けはしないだろうが、たまに無性に飲みたくなる味だ。


「美味しいです」

「それは良かった」

 とアルヴィンが笑う。


 その顔からふっと笑みが消え、彼は少しこわばった表情で私を見つめる。

「さっきの交際の話なんだが」

「はい」

 普段、泰然とした態度を崩さぬアルヴィンだが、その時の彼はひたすら自信なさげだった。


「どうだろう、やはり駄目だろうか?」

「いいですよ」

「えっ?」


 珍しくアルヴィンが大きく目を見開いた。驚いているようだ。

「いいのか?」

「はい」

 頷きながら、私は酒を飲み、ボリボリと酒のあてをつまむ。

 つまみはチーズとオリーブの実の酢漬けとパスタスナック。


 パスタスナックはパスタを揚げて粉チーズとハーブソルトをまぶすだけの簡単レシピだが、ご指名入るほど人気の酒の友である。

 それを見てアルヴィンは。

「後から『酒の席の話だった』はなしだぞ」

「そこまで酔ってませんよ」

 なんという信頼のなさだろうか。領主というのは疑り深いくらいでちょうどいいが。



「ただ私はこの宿がありますから、ここから動けません。それはご理解を」

「承知の上だ。私がここに来ることにするから心配いらない」

 心配しかない一言だが、まあいい。


「付き合うことがお互い負担になるなら、すぐに解消しましょう。あなたは自分だけの体ではない」

「ああ、それは分かっている。心遣い、感謝する」

「それから私も一応はヴェネスカ家の家名を負う者です。そのように扱っていただきたい」

 貴族令嬢は純潔であることが求められる。

 私はそれを盾にアルヴィンに釘を刺した。




 押しても駄目なら引いてみよという言葉がある。ある方法で失敗したなら別アプローチを試せという意味だ。

 アルヴィンは私に対し『愛している』などとほざくが、ただの気の迷い。そんなものに付き合わされるのは叶わん。


 だが騎士時代の経験から恋に浮かれている時に「やめておけ」と言っても無駄である。むしろ執着が強くなるものだ。

 そこでアルヴィンの申し出通り、いったん付き合ってみる。

 付き合ってすぐ高速で別れるカップルのなんと多いことか。


 彼と付き合う期間はそう長くはないだろう。

 アルヴィンが住む領都とここは同じ領内だがかなり距離が離れている。さらに結婚まで手も出せない相手だ。早々破綻が来るのは目に見えている。

 遠距離恋愛はなかなか難しいものなのだ。


「無論だ。しかしぶしつけな質問で申し訳ないが、あなたは純潔であるということか?」

「はあ、恥ずかしながら」

 そう答えると、何故か彼は沈黙した。

 ふとアルヴィンを見上げると、彼は額に手を当てた体勢で固まっていた。

 呆れたのだろうか?

「アルヴィン様?」


「……何でもない。あまりの幸運に打ち震えているだけだ。まさかリーディアが純潔だとは……」

「はあ……」

 幸運てなんだ?

「君のように賢く美しい女性が今だ純潔とは信じられないような奇跡だ。男なら誰でもあなたを手に入れたいと思うだろうに」

 アルヴィンは大袈裟なことを言うが、現実はそうではない。


「王都では少し小柄で折れそうに華奢な女性が美しいとされてます。私は王都の女性美の基準とはかけ離れてますからね」


 それに。

「大抵の男性は自分より強い女は嫌がりますよ」

 リーディア・ヴェネスカは退役まで最強の騎士だったのだ。

 自慢ではないが、怖れられたり、やっかまれたことはあっても、モテたことはない。


 それを聞いて、アルヴィンは不思議そうに首をかしげる。

「そうか? 私は自分より強い女性は頼もしいと思う」



「アルヴィン様……」

 ちょっと感動した私であるが、次にアルヴィンは、

「まあ、私に勝てる女性は多分いないがな」

 と自信たっぷりに言いやがる。


 ……くそう。


 確かに今の私では手も足も出ない相手だが、現役の頃なら私だって。

 闇属性は他属性に比べて戦闘能力が高いとされている。アルヴィンは非常に優秀な剣士だ。

 身体能力が高く、動作の一つ一つに隙がない。

 スピードとパワーが上の相手には正攻法で勝つのは難しい。不意打ちを食らわせて崩し、一気に攻撃魔法を叩き込むしかない。

 返しが上手そうだから、反撃された時に備え、あらかじめ『疾風』と『防衛』の魔法を展開しておき……。


「……リーディア、何か?」

「何でもありません」


 ……などとたわいない話をしながら、私達は酒を酌み交わすのだった。

「お休み、リーディア」

「お休みなさい、アルヴィン」

 その後は一時間ほどで解散になり、当然我々はそれぞれの部屋で寝る。

 アルヴィンは「アルヴィンと呼んでくれ。私達は恋人なのだから」と譲らなかった。

 まあ、今だけだろうし、二人きりの時はいいだろうと了承した。



 私はベッドの中で今日の出来事を反芻した。


 ……ちょっと楽しかったのは、気のせいだ、うん。


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