09.ゴーラン伯爵とリーディア2
「私は結婚しないことでこの領を守っているつもりだ」
とアルヴィンは言った。
「……どういうことです?」
アルヴィンは一人っ子で兄弟はいない。そして十三年前の事件のせいで彼には従兄弟や父親の兄弟も存在しない。
「後継には私の子が一番望ましいが、他にもアストラテートの一族はいる。私の祖父の兄弟の孫の誰かが跡を継ぐことになると思う」
「…………」
それを聞いて私は眉をひそめた。
直系からかなり離れている。お家騒動が起こる要因の一つだ。
領主の結婚は、『したいしたくない』ではなく、彼の義務である。
「あなたが然るべき貴族のご令嬢と結婚なされば済む話です」
「君となら万難排して結婚するが、君以外と結婚する気はない」
アルヴィンは断言した。
万難排すとは大袈裟な。
「私みたいな騎士崩れなんかより、しかるべきご身分のお嬢様と結婚してくれた方が領民は安心するでしょうけどねぇ」
「そうかな? 私の結婚はそう簡単なものではない。私の親の敵は中央部の貴族、ギール侯爵家だ。宰相家、そして王妃の里ということもあり、絶大な権勢を誇っている。まあギール家については、君の方が詳しいだろうから説明はいらないな。あの家はまだゴーランを狙っている。奴らに隙を見せるわけにはいかない。高位貴族の令嬢は私の結婚相手にはなり得ないのだ」
「…………」
アルヴィンはギール家を『敵』と名指しした。
十三年前の事件は既に王都の人間達にとって忘れ去られた過去の出来事に過ぎぬが、アルヴィンは復讐を諦めてはいない。
アルヴィンのギール家に対する憎しみは深い。
親を殺され家を乗っ取られかけた。その相手、ギール家はのうのうと王都で我が世の春を謳歌しているのだ。
アルヴィンは今も彼らの喉笛を噛みちぎる機会を虎視眈々と狙っている。
「確かに王妃派はこの国の最大派閥と言っていいでしょうが、それでもヨリル公爵を始め反対派の貴族はいますよ。反対派の貴族の令嬢を妻に貰うという手は?」
王妃派は宮廷を牛耳っているが、それをよく思わない勢力もまた存在するのだ。
アルヴィンにとってもゴーランにとっても高位貴族と縁を繋ぐのは良い手に思えた。
だがアルヴィンは否定する。
「貴族同士はしがらみが強い。遠く離れた辺境でなら突っぱねることも出来るが、王都に住む中央貴族にとって、王妃からの『お願い』はほとんど強制だ」
「まあそうでしょうね」
私は王妃に直接関わる立場にいなかったが、見聞きはしている。
無邪気そうに振る舞っているが相当にしたたかな女性というのが私の彼女に対する印象だ。
公私を上手く使い分けて、欲しい物は何でも手に入れている。
アルヴィンの言う通り、『王妃様のお願い』を断れる貴族なんていないのだ。
「……叔父がそうだったのだ。中央貴族の娘を妻にして、実家と板挟みになる妻に何とか寄り添おうとして、結局叔父は父を裏切り殺した」
「アルヴィン……」
「私にとって反王妃派も気を許すことの出来ない存在だ。彼らは王妃を恐れ、ギール家が後ろで糸を引いているのを知りながら、見て見ぬ振りをしたのだから。当時の中央には私の味方になってくれる者は誰も居なかった」
アルヴィンのみならず、ゴーランの土地の者は大抵中央貴族を嫌っている。領主家に起こった惨劇を誰が引き起こしたのか、この地ではそれを誰もが忘れていない。
「では地方の、例えば他の辺境伯家のご令嬢なんてどうです?」
私は別にアルヴィンにすごく結婚して欲しいわけではない。
私だって結婚してないのだから、彼に結婚しろと言える立場でないのだ。
しかし高位貴族のご令嬢という誰もが憧れる高嶺の花と結婚したくないというこの男が、結婚相手に求める条件には興味が湧いた。
「確かに他の辺境伯家に年回りが合う令嬢はいた。だが私が出会った令嬢はどの女性もあまり王都の令嬢と変わりなかった」
と若い頃のアルヴィンは一応婚活したらしい。
「そうなんですか?」
「私に胸襟を開いてくれなかっただけかもしれないが、これから先の人生を助け合い、ともに歩んでいきたいとは到底思えなかった。辺境伯家とはいっても、彼女達のほとんどが母親は中央貴族出だ。彼女達は母親の影響下にあるように感じられた」
「あー」
何となく想像出来てしまう。
ゴーランの自治を保つためには、王妃に屈しない女性でなくてはならない。そうでなければアルヴィンにとってもゴーラン領にとっても気の毒な結果にしかならない。
アルヴィンが結婚に慎重になるのも無理はないなと、私はようやく納得した。
国内が駄目なら、国外はどうだろう。
「外国の貴族家は?」
と言い掛けて、私は気付いた。
駄目だ。そういえば、この人は。
「私の母が隣国の辺境伯家の娘だ。二代続けて外国の血が入るのは好ましくない」
すでにその手は彼の父親が使っていたらしい。
お陰で隣国とゴーランの関係はすこぶる良いのだが。
「私にとって理想の結婚相手は、王都から離れたせいぜい伯爵家までの貴族令嬢だ。高位貴族ではない貴族と彼らは接点が薄い。貴族以外であれば今度は一族の年寄りがうるさい」
「なるほど」
中央の下位貴族は大抵大貴族の派閥に属しているが、地方の貴族はその土地に深く根付いている。土地の有力者やせいぜい近隣の領地の領主家と縁を繋ぐ程度で、中央貴族とはあまり関わりがない。
かといって下級とはいえ貴族。平民にするようなやり口は出来ない。
大貴族ギール家では身分差がありすぎて逆に手を回しづらい相手だ。無理を通せばもちろん可能だが、それでは悪目立ちする。
ギール家は敵も多い。下級貴族苛めと取られかねない事態を、反対派がみすみす見過ごす訳がない。
「さらに親兄弟と縁が薄い人が望ましい。婚家から過剰な要求をされても突っぱねやすいし、王妃派に実家を使われるリスクが下がる」
身も蓋もない言い方だが、ごもっともといったところだ。
「私はこの条件を満たす相手以外とは結婚しない方が領のためなのだ。少なくとも現国王が王位にいる間は独身でいるつもりだ」
王太子殿下は外国の王女だった前王妃の子で、現王妃の子ではない。
王太子殿下が王位に即けば、自然と王妃の影響力も下がるだろうが、王太子殿下は御年十五歳。
……先が長い話だ。
辺境伯というのは、国の壁。軍事力を持った特別な貴族であり、押しも押されもせぬ高位貴族である。
ゴーランは領地経営も上手くいって金持ちで、アルヴィンは普通に男前だ。
本来美人の嫁と幸せな生活を送って良いポジションなんだが。
「苦労してますね」
と私は思わず彼に言った。