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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

プロローグの墓場

盗賊王の娘

作者: 調彩雨

※導入のみ存在する未完作品です

 やっと来たか

 正直、それが感想だった。

 見るからにやばそうな男は、あたしの襟元から覗くチョーカーを見ると、トップも確認せずににっと口角を釣り上げた。

「そのチョーカー、間違いないな」

 とか、言おうとしたのだと思う多分。あたしはそのty、位で走り出したから、正確な所はわからないけど。

「おい、待てっ!!」

 待てと言われて待つなら端から逃げていないって。

 思ったより長い腕に腕を掴まれそうになりながら、あたしは構わず走って逃げようとした。

 走って逃げたはずだ。囲まれていなければ。

「……」

 右見て、左見て、ついでに上も見てみる。前後は確認済だから、必要ないだろう。

 入り組んだ路地だと言うのに、横路全てと上空が包囲されていた。

 思わず顔を顰める。

「……汚い」

 不満も露わに呟いてみても、あたしを囲む男達に効いた様子はなかった。

 こんな可愛い子に嫌われそうな危機だって言うのに、何て残念な人達なのだろう。もしここがマイラの酒場なら、店一番の看板娘の不機嫌に、皆血相変えて御機嫌取りをする所なのに。

「逃がすとでも思っているのか」

 後ろから、先刻の男が言う。

「煩い」

 あたしは不機嫌さを隠しもせずに吐き捨てた。残念ながら、絶世の美少女として皆から甘やかされ、何不自由無く育てられて来たあたしの辞書に、遠慮と言う言葉はない。それがたとえ、両手の指で足りない人数を殺していそうな男相手で在ったとしてもだ。

「言って置くけどね、危機的なのは貴方達の方よ。何の目的だか知らないけど、この街であたしを襲ったりしたら、ろくな事にはならないのだから」

 ゆっくりと振り向くと、腕を組んで、男を睨み付けた。見た感じ、こいつが親玉なのだろう。

「見付かる前にとっとと逃げなさいよ。貴方達がどこの誰だかなんて知った事じゃないけど、あたしを襲おうって言うのだから、この街の人間じゃないのでしょう。良く聞きなさいな、あたしにちょっとでも害を為したら、この街全部が敵になるわよ」

 あたし以外のフツーの街娘が同じ台詞を口にしたなら、何て痛い娘だろうと哀れみの視線を投げる所だが、あたしに限っては哀しいかな、誇張じゃない。いつから出来たか知らないが、‘この街に舞い降りた奇跡の妖精を保護し・育み・愛しむ会’とか言う謎の団体が、日夜あたしの生活向上の為に暗躍しているのだから。ちなみに、会員数は何故かこの街の総人口より多いらしい。過ぎた愛らしさと言うのも、困りものだ。

「はっ。ただの一般人に何が出来る」

 男が鼻で笑って言う。

「そうね。一般人が一人だけならただの街人よね」

 あたしもそこに異論はない。

「一般人が、一人なら、ね」

「シィナ!!」

 乱入者がやって来たのはあたしが遠い目をして肩を竦めた時だった。

「あら、レイナルド様、御機嫌麗しゅう」

 男の脇を擦り抜けて、路地に駆け込んで来た騎士に笑みを向ける。

 いとも簡単に脇を通り抜けられたら男が、唖然としてあたしを見る。

「こんな所に、何か御用事ですか?」

「君の帰りが遅いと聞いて、探していたんだ」

 あたしがマイラにおつかいを頼まれたのは、ほんの一刻程前だ。多少の寄り道で許される時間しかロスしていない。

 あたしは笑顔で表情を固定した。間違っても、レイナルド様に白い目を向けない様に。

 ……たとえストーカー一歩手前の重い愛情でも、笑顔で受け流すのが良い女の度量で義務と言う物だ。

 レイナルド様の後ろには追随の部下達が控えている。美貌の持ち主とは言え平民の小娘一人に、天下の騎士様方が御苦労な事だ。本当に罪な娘だ。

「それでシィナ、彼等は?」

 明らかに不審な男達に疑惑の籠もった眼差しを向けるレイナルド様に、あたしは清らかな笑みで答えた。

「道を聞かれていただけですわ。もう済みました。ね?」

 最後の一音は男に向けてだ。

「……ああ。助かった、礼を言う」

 目立つのは下策と判断したか、男はあたしの嘘に乗った。

「いいえ。困っている方を御助けするのは人として当然の事ですわ。どうぞ御気になさらず」

 あたしはあえて男に近付き、その手を取った。

 ぐっと力を込めて、男の顔を引き寄せる。押し殺した声で、囁く。

「……あたしに危害を加えるなら構わないわ。好きになさいな。でも、この街の人を傷付けたら、」

 男の首筋に手を寄せた。巧妙に隠した毒針に、突きつけられた本人だけが気付く。

「痛覚を持つ生き物として存在する事を、後悔させてあげる」

 男から身を離して、手を叩いて見せる。

「肩に塵が付いていましたわ。この街は風が強いですから、お気をつけなさいませ。では、御機嫌よう」

 レイナルド様を促して、男に背を向ける。

 美しい薔薇には棘があるのだと言う事を、思い知ると良い。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 酒場で何時も通り給仕をしながら、あたしは上の空だった。

 悲しいかな、上の空でも、条件反射で完璧な接客をしてしまう。

 レイナルド様は男を怪しんでいた様子だったけれど、あたしを問い質す様な事はしなかった。

 考え事に集中していても、大声で話されれば自然耳に入る。

「そんな、シィナが居なくなるって事か!?」

 不穏な話題に、あたしはぴくりと肩を揺らす。

 あたしの反応に気付いた周りのお客が、叫んだ男を窘める。

「おい、単なる噂なんだから、大声で滅多な事言うもんじゃないよ」

 噂、ね。

 さっと取り敢えずの仕事をこなすと、あたしはその席に混じった。

「なぁに?どんな噂なの?」

 笑みを浮かべて、空いたグラスにお酒を注いであげた。

 酒を持ち、つまみを囲んでいた男達が、顔を見合わせる。

「あ、いや……」

「悪口なの?酷い」

 ぷくっと頬を膨らませて見せれば、男達は慌てた様子で首を振った。

「まさか!!違うよ」

「ちょっと、耳に挟んだだけの噂だって」

「でも、あたしに教えられない話なのでしょう?」

 拗ねた振りは十八番だ。

 男達がうっと詰まって、首を振った。

「シィナには敵わないよ。騎士達が話していた事が、偶々耳に入ったんだ」

「騎士様が?一体何を話していたの?」

 男達が互いに話し手を押しつけ合っている様子だったので、あたしは標的を一人に絞った。

「どんな話だったの?テッド」

「……国王が、シィナの後宮入りを所望しているって」

「あたしを?後宮に?」

 あたしは思わずひっくり返った声を上げた。

 次いで、笑い出す。

「何言っているのよ。国王様がこんな辺境の酒場の娘の事なんて、知るはずないじゃない」

「俺もそう思ったさ。だけど、ほら、ちょっと前にこの街に巡視団が来ただろう?」

「ええ、そうね。でも、酒場になんて寄らなかったわ。通り過ぎただけじゃない」

 あたしも買い物の途中でちらっと見はしたが、それだけだ。王都の人間に興味津々で見物に押し掛けた人も多かった様だが、あたし自身は興味も無かったし、近付く事もしなかった。

「でも、巡視団の誰かがシィナを見て、興味を持ったかも知れないだろう?」

「あたし、巡視団には近付いていないわよ。人混みの向こうから、どうやってあたしを見るのよ。それに、見掛けたって、向こうはあたしの名前もわからないじゃない」

 笑って流そうとしたあたしに反して、テッドの目は真剣だった。

「巡視団を案内したのは俺の兄貴なんだ、その時、聞かれたんだってさ」

「何を?」

「……シィナの、名前」

「えぇ?どうやって?」

 思わぬ台詞にあたしはきょとんと聞き返す。

「買い物袋抱えたシィナを指差して、彼は誰だって」

「だから、あたしは巡視団にそんなに近付いては、」

「派手な集団はフェイクだったんだよ」

 テッドが顔をしかめて言う。

「集団の影に隠れて、隠密の巡視官が街を廻ってたんだ。兄貴が案内したのはその時」

「あー……」

 不意に思い付いて、シィナは気の抜けた声を出す。

「言われて見ると、彼の時ジニーに、親戚だって、誰か紹介されたわ……」

「それが、巡視官」

「そう……」

 シィナは苦笑して、立ち上がった。あまりさぼっていると、マイラに叱られる。

「じゃあ、噂も強ち外れていないのかしらね。騎士様が話していた位だし」

「それじゃ、シィナ、」

「でも」

 にっこりと笑って、シィナは宣言する。

「あたしは後宮に行ったりしないわ。贅沢な暮らしに、興味ないもの」

 きっぱりとした断言に、男達がほっとした顔をする。

 シィナは笑顔のまま踵を返した。

 あたしは、後宮になんて行かない。後宮に行くなんて理由で、ここを去ったりしない。

 そう、後宮に行くなんて理由では。

 この街に来て、三年。まさか、二方向から同時に追い詰められるとは思っていなかったけれど、

「そろそろ、潮時かも知れないわね」

「何の?」

 酒の在庫を取りに向かう途中、独り言に反応を返されて、あたしは眉を寄せた。

「……レイナルド様の手前、気付かない振りをしてあげたけど、女の子のお尻をこっそり追い回すなんて、恰好悪いわよ、貴方」

「気付いていたの」

「気付かれていないと思っていたの?まあ、確かにレイナルド様は気付いていなかったみたいだけれど。生憎と、人の視線には敏感なの、あたし」

「へぇ、人気者みたいだから、誰かに見られてたって気にしないと思った」

 店の屋根から、とんっとあたしの前に飛び降りて、男は笑った。昼間の男よりも若く、よりタチの悪そうな男だ。見た目は普通なのだが、そこが、余計、油断出来ない。

「今、仕事中なの。後にして」

 男に背を向けて、倉庫へ向かう。

「重そうだね、手伝おうか?」

 酒瓶の詰まった箱を持ち上げようとしたら言って来たので、無言でビール樽を指さしてやった。

「わー、遠慮ないねぇ、君。ぼく、肉体労働は苦手なんだけどな」

 言いながら軽々と樽を持ち上げる辺り、やっぱり油断ならない。あたし二人分より重いのよ、その樽。

「落とさないでね」

 そのまま店に戻り、樽を置いて立ち去ろうとした男の襟首を掴む。

 にこっと一度笑みを向けてから、マイラを呼んだ。

「マイラ、この人旅人さんなのだけれど、お金に困っているらしいのよ。今日一日、使ってあげてくれない?どんな辛い仕事でも、構わないと言っているから」

 一息に言い切って、マイラに男を突き出す。

「ええ!?まぁ、良いけどさ。大丈夫なのかい?こんなひょろくて。使うからには容赦しないよ?」

「大丈夫よ。見た目より体力あるから」

「ちょっと、君!?」

 慌てる男にふんっと、鼻で笑って見せて、あたしは店に出た。

 丁度、今日は男手が無かったのだ。これであたしは接客に専念出来る。

 笑やかに接客をこなしながら、あたしの頭は、他の事でいっぱいだった。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 酒場の夜は遅い。最後のお客が去った頃には、とっくに明日になっていた。あと三時間もすれば、夜が明けるだろう。

 店の裏でぐったりしていた男に、お金の入った袋を手渡す。

「はい。今日のお給料」

「……どーも」

 座り込んだ男を見下ろしながら、あたしは訊いた。

「昼間の人達とは、仲間だけど、仲間じゃないのね?」

 禅問答の様な質問に、顔を上げた男の目は鋭かった。

「……君、何を知っているの?」

「何も」

 肩を竦めて答える。

「一枚岩ではないのね。好都合だわ」

 ポケットの中から包みを取り出し、開く。

「お腹空いたでしょう?あたしの夜食だけど、半分あげるわ」

 中身はラムレーズンのパウンドケーキ。包みを差し出しながら、あたしが先に一切れ取って口に入れる。これが、彼等の正しい礼儀だ。

 あたしが一切れ食べ終わるのを待ってから、男はパウンドケーキに手を伸ばした。

 匂いを確かめてから、口に入れる。味も確かめて、やっと飲み込んだ。

「別に毒なんか入れてないわよ。こんな美少女が、人に毒を盛る訳がないでしょう」

「それ、自分で言っちゃう?」

「あら、異論あるの?」

 もう一切れ取って、残りは男の膝に置いた。その手を引いて、男はあたしの顔を覗き込む。猫の様な瞳が、近距離であたしを見詰めた。

「まあ、美少女に分類しても良いんじゃない?歳も若いし、顔も整ってる」

「あんまり、嬉しくない褒め方ね。貴方、女の子を口説く時は、そんな褒め方じゃ駄目よ?あたしは気にしないけど、普通の子は怒るかも知れないから」

 猫なら、目線を逸らしてはいけない。相手の目を見据えて、あたしは言った。

「君は、怒らないの?」

「今更、外見が何と言われてもね。あたしが認めて欲しい人は、あたしの外見を認めてくれているし、肯定はそれで十分。彼があたしを美少女だと言う限りは、あたしは美少女なのよ」

「ふぅん」

 納得したのかしていないのか、今一つ掴めない男の腕から逃れて、あたしはパウンドケーキを頬張った。瞳はまだ、逸らされない。

「そのチョーカ」

 片手でパウンドケーキを持ち、あたしの目を捉えたまま、男があたしの首を指した。

「君は意味を知って着けているんでしょ?」

 疑問系だが、恐らく確信している。

「さぁ、どうかしら」

 笑って首を傾げた。相手がどう思っていようが、関係ない。問題なのは、あたしがどう動くかだ。

「予測して。あたしがここから消えたら、何が起こる?」

 唐突な問い掛け。

「そうだなぁ。誰かは、マイラさんを問い詰めるだろうね。あるいは、君と関わったありとあらゆる人を。たとえ、相手が何も知らなくても、拷問位は、やってのけるんじゃないかな」

「そう。じゃあ、消える訳には行かないのね」

 腕を組んで、考える。

 多分、もう潮時で、あたしはこれ以上、この街にはいられない。

 けれど、下手に今ここを去ると、この街の人間に危害が及ぶ。

 なかなかに、タテホコな状況だ。あたしはこの街を守る盾で在ると同時に、傷付ける矛でもある、と言う訳か。正に、矛盾している。

「どうすべきかしら?」

「大人しく、捕まってみる、とか?」

「成程。却下」

 笑顔で一刀両断。

「大人しく捕まると言う選択肢があるのなら、最初から逃げていないわ。あたしは、飼い猫になる気なんてないの。誰が相手であってもね」

 とは言っても、状況は厳しい。ここにいても、ここを去っても、あたしの首は締まるだろう。

「まあ、うだうだ考えても仕方ないわね。そろそろ薬も効くはずだし。寝ましょう」

「薬?」

「ええ。薬」

 食べたものを吐き出そうとした男の手を拘束して、微笑む。

「心配しなくても、毒じゃないわ。ちょっと、眠って、欲しいだけ」

「なにのませたの?」

「ラムとブランディ。八倍濃縮で」

「え……?そんな、きつい匂いじゃ」

 男が顔を寄せて、包みを嗅ぐ。

「馬鹿ねぇ。酒場に何時間もいたら、アルコールの匂いがわからなくもなるわよ。貴方今、身体中お酒臭いのだから。ほぅら、疲れも相まって、貴方はだんだん眠くなーる、眠くなーる、眠くなーる」

 見詰める瞳が、とろんとして来る。

 騙したお詫びに、額にキスしてあげた。

「お休みなさい。良い夢を」

 その声が届いたか、届かなかったか。男の身体から、力が抜けた。

「どうする気なんだ?」

 後ろから、声が掛かる。

「尾行に成功したのはこの男だけだったが、街も周りも、そこら中にそれらしい奴等は潜んでるぞ。襲われれば、街一つ消えたって、おかしくない」

「……わかってるわよ。襲わせない為に、考えてるの!」

 紙に何やら書き留めて、男の懐に突っ込む。

「持って行って」

「どこへ?」

「本拠地。知っているのでしょう?」

「まったく。あんたほとほと我がままなお嬢さんだよな」

 声の主は、ぽんぽんとあたしの頭を叩くと、男を連れて消えた。

「誰のせいよ。誰の」

 吐き捨てて、店を見上げた。

 マイラには、置いて貰う時点で、唐突にいなくなる可能性を伝えてある。

 あたしが暮らす部屋は、最低限のものしか置いて居らず、いつ消えても、何の問題もない。

「まさか、今日だとは思っていなかったけど」

 人生なんて、そんなものだ。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 翌日マイラが目覚めると、机の上に書き置きがあった。

『さようなら、ありがとう』

 名前さえ書かれていない走り書きは、その二言で終わっていた。

 向かった部屋、シィナに貸し与えていた場所は、綺麗に片付けられ、そこに昨日まで誰かが暮らしていた事こそ夢だった様な有様だった。

 彼女の痕跡は、どこにも、一つも残っていなかった。

 呆然と、立ち尽くす。

 確かに、いつ出て行くかはわからないと言われていたが。

 それが、今日だなんて、思っていなかった。

 ある日突然この街にふらりと現れ、街中に愛された妖精は、来た時と同じ様に、唐突に姿を消した。

 それこそ、まるで夢の様に。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 暑い砂漠の真ん中を、一陣の風が駆け抜ける。

 否、それは、一人の少女だった。

 足場の悪さも、気温も、照り付ける日差しも。

 まるで苦にならないかの様に、少女は軽やかに、砂漠を駆け抜けた。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 オアシスを見付けて立ち止まり、あたしは草に寝転んだ。

 流石にこれ以上走り続けると、いくらあたしでも死ぬ。

「暑い……」

 容赦ない日差しに顔をしかめた。

 なにせ、まともに砂漠を走るのは、三年振りだ。

 と言うかそもそも、砂漠は走るべき場所じゃない。

 なんで走らなきゃいけないのだ。馬鹿らしい。

「三年も真面目に働いたら、ラクダを買うお金位稼げるはずだったのに……」

 正確には、稼げている。唯、夜逃げ同然で街を飛び出したから、買う暇がなかっただけで。

 結局移動手段が進化しないと言う、悲しい結果である。

「じゃあ、何の為に働いたのよ。酒場の店員なんて面倒な仕事……」

 別にラクダの為に働いた訳ではないのだが、こう暑いと思考も馬鹿になる。

「暑い……」

 怠い身体を捻って、オアシスの水に顔を突っ込んだ。冷たい水で、喉と心を潤す。

 目的地迄、まだ四分の一も進めていないと思うと、少し気が遠くなった。

「砂嵐が来るぞ」

 不意に上から声を掛けられて、顔を上げる。

「勝手に消えるなよ。捜しただろう」

 水鏡越しに、背後の人影に睨まれた。

「善は急げ、ってね」

 ころんと転がって、あたしの上で浮いている人影に対面する。何だかんだ言って、こうして日陰を作ってくれる辺り、甘いのだ、あたしに。

「あたしが勝手に消えたのじゃなくて、貴方が遅かったのよ。一時間は待ったと思うわ、片付けとかで」

「ラクダで片道五日の道のりを、一時間で往復しろって?しかも一時間って、待ったんじゃなく、単に準備に掛かった時間だろう?」

「別に不可能じゃないでしょ。貴方なら」

「出来るからやれって?無茶言うな。こっちは体力削られんだぞ」

 人影はあたしの顎を持つと噛み付く様に唇を合わせた。

「んぅ……、ふ……っ」

 くちゅ、と口内を犯される。

 顎を支えていた手が後頭部に回り、もう片方があたしの背を引き寄せた。

 元々浅くなどなかった口付けが、より深くなる。

 長い舌があたしの舌を絡めてしごいた。

「うぅん……、あぅ……はぁ……」

 呼吸すら許さないと言いた気な乱暴さで口内を乱され、苦しくなる。

 限界を伝えようと背を叩くと、微かに唇が離される。しかしそれはあたしの主張が通ったのではなく、口付けの角度を変えただけだった。

 顎が外れるかと思う程に、深く唇が交わる。

 苦しいから、好い加減に!!

 ばんばんと背中を叩いても、一向に聞き入れて貰えない。

「んっ……むぅぅーっ……」

 これ以上やったら舌を噛み切ってやる。あたしがそう決意した所で、漸く相手の唇が離れた。いつの間にか垂れたらしい唾液と、苦しさに溢れた涙を、舐め取られる。

 ぜいぜいと肩で息をしながら、睨み付けた。

「おっ……代が……高……過ぎる……の……じゃ……ない……かしら……?」

 息が切れて、ろくに喋れない。

「砂嵐が来るって言ってんだろうが。おら、行くぞ」

「待ってよ」

 涼しい顔に苛っとしながら片手で相手を留めて、水に顔を突っ込む。唾液で汚された顔のままは、美少女としての矜持が許さない。

 そのままついでに、水も飲んだ。ちゃっかり飲料水の補給もして、向き直る。

「良いわ」

 鷹揚に頷いて見せた。人影が呆れた顔で頭を掻く。

「あんた本当にわがまま姫様だよっと」

 言葉の最後であたしを抱き上げ、

「とうちゃーく」

 次の瞬間には景色が変わっていた。

「ここは?」

 降ろされるのも待たずに地図を取り出して問う。

「んー?この辺り……嗚呼、この中だな」

 指指したのは目的地に程近い、どころでなく、まさしく目的地そのものだった。

「……」

 額に手を当てる。

 息を吸ってー、吐いてー、吸ってー、

「あたしがわがままなのは貴方がそうやって甘やかすからでしょー!?」

 思いっ切り叫んだ。

 せいぜい一時間先の洞窟迄だろうと思っていたのに、なんて事してくれるんだこの甘やかし大魔王は。こいつのせいであたしはいつもラクダがない事への危機感を持てないのだ、あたしがラクダを入手出来ないのはこいつの責任だ、絶対に。

「この馬鹿魔神っ、狼の皮被った砂糖菓子かっ、甘々キングめっ、へたれめっ」

「つったってなぁ……」

 右側だけ口端をつり上げて、あたしの守護者はぼやく。

「仕方ないだろう、主人を甘やかしちまうのは。そう言う性癖なんだから」

「せめて性質って言って頂戴……」

 ずれた発言に脱力して、怒る気も失せる。

「あぁ?大して変わんねぇだろ。別に」

「外聞的に大きく異なるわっ!」

 それでも聞き捨てならない一言には反発する。

「人運ばせるのは文句言う癖に、なんであたしは軽々運ぶのよ。しかも、一瞬!!大して労力変わんないでしょ!?」

「モチベーションが違うだろ!?美少女を抱っこ出来る役得を、誰が嫌がるんだよ!?」

「なら一瞬で着かない方が良いんじゃない?」

「長時間飛行してたら酔うじゃないか、お前」

「はいはい。あくまであたし優先なのよね、貴方の思考回路は」

 溜め息を吐いて突っ込みを諦める。

「もう良いわ、ねぇ、役得ついでに膝貸してよ。寝るから」

「よし来い」

 満面の笑みでぽんぽんと膝を叩かれ横になる。膝に頭を預けると、宝物を扱う様な手付きで撫でられた。

 街を出てから、走り続けた疲労が一気に襲って来て、あたしはたちまち睡魔にさらわれた。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 鉄格子のはまった部屋に、あたしは座っていた。

 天蓋付きの大きなベッド。緻密な織り込みが成された絨毯。身体を覆う絹の衣と、金銀の宝飾品。

 かしづく沢山の人々を、冷めた目で見下ろしていた。

 やがて、彼の男がやって来る。

 笑みを浮かべて、飾り立てられたあたしを見る。

 可愛いお人形。

 首は鎖に繋がれて。

 脚は腱を切られて。

 口は舌を抜かれて。

 鍵も鉄格子も無くたって、あたしはここから出られない。

 美しい篭の鳥に満足した男はあたしの頭を撫でた。

 あたしはちらとも、表情を動かさない。

 豪華な暮らしだ。

 食事も服も最高のものを用意されて、飢え渇く心配はなく、あたしは何もしなくても、周りが何でもやってくれる。

 だけど、あたしはー。


 ё  ё  ё  ё  ё  ё


 浅い呼吸と共に、あたしは目を開いた。

 膝を貸してくれた相手は、つられて眠っているらしい。

 護る様に、頭に添えられた手。

 安らかに眠るその膝によじ登り、腰に腕を回す。

 抱き付いて、肩に額を寄せた。

 目覚めた気配と、身体に回る腕。

 抱き寄せられて、あたしはほっと息を吐いた。

「……どした?話したくないなら聞かねぇが、話して楽になるなら聞いてやる」

「起こして、悪かったわ」

 ぽんぽんと背を叩く手に安堵して、呟く。

「否?役得役得。何なら、一生このままでも構わないぜ。つか、離してやりたくねぇ」

 笑みの混じった声で言った後、顔を引き寄せられる。

「可愛い主を得られるなら、眠り位、惜しくないさ」

 言葉に込めた二重の意味は、しっかり伝わっていたらしい。

 引き寄せられるままに、唇を重ねた。

 誘う様に開かれた唇に、舌を滑り込ませる。

 混ざり合う、呼吸と、唾液。あたしの為に与えられる口付けは、先の奪う様なものと違い、優しくて、甘かった。

「そばに、いて、ずっと」

 合間に、懇願する。

「離さ、ないで。もう、あたしは……」

 唇を離して、縋り付いた。相手の首元に、顔を擦り付ける。

 ここにいる、確かに、ここに。

 それを、実感したかった。

 あたしを抱く腕に力が籠もって、苦しい。

 苦しさが、どうしようもなく、嬉しかった。

 痛みに、涙が出る。嬉しくて。

 だって、痛いなら、夢じゃない。

「ここに、お前の手の届く所に、いる。呼んだらすぐに駆け付けるし、必要なら腕でも胸でも脚でも、なんでも差し出してやる。俺だけは、絶対に、お前を独りにしない。何からだって、護ってやる」

 コツンとあたしの額に頭をぶつけて、あたしを抱いた魔神は言った。

「誓う。星と月と大地、そしてお前に」

 あたしはその言葉に頷いて、いつまでも硬い腕に身をゆだねていた。

未完のお話をお読み頂きありがとうございます


ここまでだとタイトル回収すら出来ていない件

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― 新着の感想 ―
こ、これは続きが気になりすぎます! 導入のみと分かっていても、とても惹き付けられました。
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